駄エッセイ:三浦瑠麗のインチキ学を糾す。
三浦瑠麗、かねてからこ奴は質(タチ)が悪いと観て来た。
「口利きは日本政治につきもの」で、「トヨタなら問題にされなかった」として、ではその実態への視点は? 学者(?だとして)の矜持もない。
一度キッチリ化けの革を剥してやらねば、と思って来たがこ奴の「権力性」「上昇志向」は撃っておかねば。歴史についても修正派だ。徴兵制さえ主張している。アメリカ逆輸入の「ニューリベラル」だそうで、その言論界的要請は「リベラル 論破・撃破」なんだろう。
藤原帰一の弟子という触れ込みで、アメリカ人脈が豊富(?)だそうだ。
藤原(安倍に呼ばれ官邸に行ったそうだ)の正体も明らかだが、三浦の「教えてあげるね」口調には、性格を超えて身に沁み付いている「思想」が見事に現れている。
三浦君、誰も全否定などしていない。全肯定するなと申し上げている。
どんな社会にも、ささやかな歓びも安らぎも癒しもあったのです。それは自明でしょう。
その歓び・安らぎ・癒しの向こうにどれほどの悲惨と理不尽と暴虐が在ったかを明らかにした上で、希望や未来を語るのが「学者」でしょうが!!!
1980年生まれの貴君が、戦前を直接見聞きしていないのは仕方がないことだが、「人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、1943~45年のせいぜい二年間ほどでした」って、自称:国際政治学者(?)の言葉か?…
明治以降の150年を勉強してくれ。貴君が言う「豊かな国家」とは、政権に、そして政権の施策に抗う者どもを除けば」「国策協力ではない組織を除き」、という前提を付けてのことでしょう。
「共謀罪」法への見解も、戦前の「共産主義やアナキズムの脅威」がない「現代」は「民主主義は成熟し」「人権を守る強い制度も定着し」ているので、「あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう」と読者に説教を垂れている。
明治~昭和の、貴君が言う「二年間」以外の時期の「人権抑圧」「拷問や弾圧」「冤罪やデッチ上げ案件」「解散させられた団体」「妨害され発言機会を奪われた言論や表現や出版」の厖大な事例を、貴君に10日間差し上げるから、調べて列挙されたい。いや、しなさい!
要するに、貴君が言っているのはヒトラー独裁のドイツも、スターリン治政下のソ連も「それを是とし、抗わない限り」、「豊かで明るい平和な」社会だったという、まるで独裁当事者の弁明にような言い分だ。
貴君が挙げた内容種類に該当しない「脅威」(呼び名は言いかえるので)には「共謀罪」法は必要で、「脅威」かどうかはもっぱら政権たちが決めるという、「共謀罪」法の「脅威」については全く語られていない。
何故か? 貴君が決して「政権の施策」に異を唱えることなどない、いわば現政権及び類似の政権の番人だからだ。
「アジール空堀」:屋外ウォーク・ツアー【大塩平八郎と仲間の 覚悟と無念】
「アジール空堀」屋外ウォーク・ツアー
【大塩平八郎と仲間の 覚悟と無念】
大塩軍決起交戦の地にて20名で追構想。
10.8山崎さん集会に参加したくもあったが、…
本日のウォークは正解でした。
大阪案内人:西俣稔氏の名ガイドに拍手!
恐怖した者の密告により、大塩軍は計画から大きく減少して300名での決起となった。遺されている檄文(刷り物)の型は、36分割されたもので個々では意味が読み取れない工夫がなされていたという。用意周到に準備されていたのだった。已む無く出陣地となった大塩私邸でもある「洗心洞」。
「洗心洞」から辿り、途中の大塩墓所(成正寺)にある 乱に殉じた者の墓の前で、決起300名のうちに守口の青年ら160名と聞いた。それは農民だったと言う。極刑・晒し首・流刑・・・。
多数の農民青年、大塩の決起の公共性を想う・・・。
大塩軍も渡ったという難波橋(現在のライオン橋の西手に在った)を越え、交戦場所近くで集合写真を撮った。いまに活かすべき、大塩の遺産とは…公=おおやけ とは・・・・・大塩[陽明学]が言う『人間とは生まれながらにして四つの徳を持つ。すなわち 仁・義・礼・智 である』の今日的意味とは・・・・・
安倍政治の真反対に在るものであることは確かだ。
駄エッセイ:あなたは何人?
【ツヤーマン・ショートヘア】
我が家に(7/25)来て一か月を過ぎたオテンバ姉妹(キキとココ)は、毎日「睡眠―運動会―食事―睡眠―運動会」のサイクルで、元気に暮らしている。身体も一まわり大きくなり整理の悪い我が家の箪笥の上・食器棚の上・書棚の上・パソコン周辺などへの冒険は跡仕舞が大変の有り様。ワシらの上半身にいきなり飛び付くので、爪痕の軽いマナ傷が絶えない。
訪問者が姉妹を観て「これは、アメリカン・ショートヘアだ。ほら、首筋の濃くて太い鮮明な柄を視ろよ。単なる雑種ではない。」と力説。当方、何によらず銘柄嫌い、雑種の価値と矜持を秘かに信奉しているので、「レッキ(?)としたノラ出自、猫種=ブリードには興味ないねん。」と返した。
で、考えた。津山生まれだから「ツヤーマン・ショートヘア」かな?
津山から貰ったノラ出自の雑種子猫 [キキとココ] 。彼女らを「ツヤーマン・ショートヘア」と呼ぶことにしたいきさつを昨日書いたが、似ていると言われた「アメリカン・ショートヘア」って、どんなんやろう?と想い、画像を検索した。確かに、やや似ている。
10世紀ローマ人がヨーロピアンショートヘアをイギリスに持ち込みブリティッシュショートヘアへ名称変更、1620年メイフラワー号によりアメリカ上陸。1966年にアメリカン・ショートヘアとなった。とその歴史も知った。
…
先日TVでこんな海外YouTube案内を観た。
まずイギリス人十数人に「あなたのDNAは何%がイギリス人で、何%が別の何処のDNAだと思いますか?」と問い、排除したい国家や民族、その理由も訊く。「ドイツは大嫌いだから」「祖先にモスリムが居るハズが無い」「フランスとはずっと争って来た」「スエーデンは昔えげつない覇権国家だったんだよ」「インドは遠過ぎる」・・・様々だ。
真摯に向き合うとの誓約の下、やがてDNA検査の結果が出る。皆、神妙だ。
結果は、ドイツ嫌いが「あなた、30%ドイツ人」、「あなたはむしろ本来フランス人」「アラブのDNAが数%含まれている」・・・。感激する人、泣き崩れる人、落胆する人、笑い飛ばす人。
そう言えば、事故で検死対象となったダイアナ妃のDNAはインド人要素が高い%で検出されたと聞く。
司会者の最後の質問に全員が同じ返事をした。「それぞれの分析結果に表れた全部の地域に行ってみたいですか?」全員が大きな声でハ~イ!
津山から貰ったノラ出自の雑種子猫 [キキとココ] 。彼女らを「ツヤーマン・ショートヘア」と呼ぶことにしたいきさつを昨日書いたが、似ていると言われた「アメリカン・ショートヘア」って、どんなんやろう?と想い、画像を検索した。確かに、やや似ている。
10世紀ローマ人がヨーロピアンショートヘアをイギリスに持ち込みブリティッシュショートヘアへ名称変更、1620年メイフラワー号によりアメリカ上陸。1966年にアメリカン・ショートヘアとなった。とその歴史も知った。
先日TVでこんな海外YouTube案内を観た。
まずイギリス人十数人に「あなたのDNAは何%がイギリス人で、何%が別の何処のDNAだと思いますか?」と問い、排除したい国家や民族、その理由も訊く。「ドイツは大嫌いだから」「祖先にモスリムが居るハズが無い」「フランスとはずっと争って来た」「スエーデンは昔えげつない覇権国家だったんだよ」「インドは遠過ぎる」・・・様々だ。
真摯に向き合うとの誓約の下、やがてDNA検査の結果が出る。皆、神妙だ。
結果は、ドイツ嫌いが「あなた、30%ドイツ人」、「あなたはむしろ本来フランス人」「アラブのDNAが数%含まれている」・・・。感激する人、泣き崩れる人、落胆する人、笑い飛ばす人。
そう言えば、事故で検死対象となったダイアナ妃のDNAはインド人要素が高い%で検出されたと聞く。
司会者の最後の質問に全員が同じ返事をした。「それぞれの分析結果に表れた全部の地域に行ってみたいですか?」全員が大きな声でハ~イ!
ワシら、この列島に住む者は、南の大海原の島々から・大陸から・半島から・北の大地から、川から山から、森林からジャングルから、大草原から湿地から、やって来た者たちの末裔だ.
アジール空堀9月23日(土・休)『川口真由美&金洪仙 ふたり会』
【高橋もと子さんより】
「ふたり会inアジール」では、二人の魅力を存分にみせていただきました。参加58名様
金洪仙さんは、金城実さんや喜納昌吉さん、真由美さんたちとの出会いやエピソードを楽しく語り、、
真由美さんの歌はパワフルで、愛あふれていて、、そして、辺野古での闘いについて語り。
元気をもらうってこういうことなんですね。
司会のなおちゃんもシスターフッド満載でとても素敵でした。
みんなの素敵な笑顔が目に焼き付いています。
最後は「ケセラ」で声を合わせ、
アンコールではみんな踊り出して、、
何とも贅沢なひとときでした。
たそがれ映画談議:「アジール空堀」6月『熊沢誠 映画を語るⅢ』
6月18日(日)「アジール空堀」6月。於:大阪府社会福祉会館、15:00~。
『熊沢誠 映画を語るⅢ』
トランプ時代の《トランボ》鑑賞―アメリカの知識人とポピュリズム
29人のご参加を得た白熱の講演でした。
「赤狩り」「マッカーシズム旋風」の「熱狂」の酷さや実被害の苛酷さと、それが冷めて行く過程に存在した映画界と一般の世論の「広範な」良識・知性・立憲精神の広さ深さを思います。ワイラーやスティーヴンスやキャプラら重鎮が果たした役割も大きい。…
荒んだ世が、疲弊した社会が、憎しみを組織する邪道が、恢復するにはその「広範な」が絶対に必要。安倍政権が、安倍亜流政権が続いていい訳はなく、必ず代わらなければならんのだから・・・。
熊沢講演の特性は、労働問題であれ社会的危機に関してであれ、過労死課題であれ、必ず自戒とともに「希望」を語る点にある。事態の根深い理不尽を語り支配の側の無法暴虐を挙げ、受難の側の不備や悲惨を語っても、期待されるそして確保すべき「こちら側」の努力や蓄積の価値を軽んじはしない。
マッカーシズムを支持しただろうアメリカの大衆(市民・民衆・人民 ?)の巨大な山と波を見つめたいとの言は、逆ににもかかわらず「こちら側」はマッカ―シズム受難者を擁護する信念ある山と波も持っていた、という「希望」を際立たせる。明と暗、光と影、自戒と矜持、いつもその往還の中に熊沢語録を聴いている。それが心地よく、明日への力になるのだ。
つぶやき【富士山 他の富士を知らず】
【富士山 他の富士を知らず】
日本的、日本の伝統、美しい日本・・・????
歴史性・世界性に晒された言い分か?
例えば富士山!…
日本の象徴と言われる富士山。
世界には富士山のソックリさんがいっぱい在る。
富士山はそれらを知らない。
【Fuji does not know other Mt. Fuji】
Japanese, traditional Japanese, beautiful Japan …? Is it? Is it? Is it?
Is it a case exposed to historical and global characteristics?
For example, Mount Fuji!.Fuji called the symbol of Japan.
There are many mountains resembling Mt. Fuji in the world.
Fuji does not know them.
①ポポカテペトル山(メキシコ)
②マヨン山(フィリピン)
③ミスティ山(ペルー)
④オソルノ山(チリ)
⑤コトパクシ山(エクアドル)
⑥小アララト山(トルコ)
⑦イリンスキー山(カムチャツカ)
⑧アグア山(グァテマラ)
⑨タラナキ山(ニュージーランド)
⑩ナルアホエ山(ニュージーランド)
⑪ダマバンド山(ペルシャ富士 イラン)
⑫開聞岳(鹿児島県)
⑬大山(鳥取県)
⑭羊蹄山(北海道)
⑮都心から見る 富士山
極東共和国異聞 クラスノシチョーコフの見果てぬ夢
たそがれ映画談議: チャン・イーモウの日本未公開作品、2011年『金陵十三釵』(1937年日本軍占領下南京)
各種集いをパスして、こちらに参加!
【3月18日(土)14:00~『金陵十三釵』(きんりょうじゅうさんさ)上映会 】
張芸謀(チャン・イーモウ)監督の、日本未公開作品『金陵十三釵』(きんりょうじゅうさんさ)の上映会が、同作品上映北摂実行委員会の主催で茨木市福祉文化会館で行われた。
2011年の、中国の年間興行成績第1位の大ヒットということはともかく、1937年日本軍占領下南京が舞台と聞き、チャン・イーモウがこのヘビイな課題をどう描くのかに興味があり参加した。
先月、上映会に先立ってチャン・イーモウ監督のことを少し書いた。
ワシが知っているのは『紅いコーリャン(紅高梁)』(1987)『菊豆(チュイトウ)』(1990)『活きる』(1994)『あの子を探して』(1999)『初恋のきた道』(1999)『至福のとき』(2000)『単騎、千里を走る』(2005)『妻への家路』(2014)だが、日本でヒットした『初恋のきた道』や、高倉健さんが主演した『単騎、千里を走る』は多くの人が観たと思う。
『活きる』『初恋のきた道』『妻への家路』などの社会背景には大躍進時代の、やはり受難だったと言える「民」の在り様や、文化大革命期の下放青年や夫婦のその光と影が見え隠れ(いや、それが主題だ)して心に響いた。
『初恋のきた道』の恋物語から、右派というレッテル貼りに翻弄される青年(主人公の夫)という骨を除いては、観客泣かせのストーリーはストーカー少女の物語となってしまう。そうなら、抜群の映像美も主人公の心理を切り取る工夫されたカメラ・アイも、ちょっと嫌味な乙女心が際立つあざとい手口だとも言えそうだ。物語の社会的背景は重要で肝だが、イーモウが撮りたいのは、激動し移りゆく政治や社会の皮相の下に在って、弱く・強く・したたかに・哀しく・歓びにも活きる「民」の底力と悲哀の歴史性と基層性だ。
今回の上映会には、南京というヘビイな課題にも基本は揺るがないだろチャン・イーモウの作家魂に期待している。
【あらすじ】
『舞台は日中戦争下、1937年12月日本軍占領下、南京事件の一部を構成する廃墟と化した市街地の出来事。。南京へ侵攻中の日本軍の暴力を避け教会の建物の中へ逃げ込んだ中国人女子学生ならびに娼婦らを米国人納棺師ジョン(クリスチャン・ベール)が聖職者になり切って匿い救う。日本軍士官は女学生たちを保護する約束をするが、同時に彼女等がパーティーで賛美歌を合唱するよう要求する。それだけで済むはずはないと思われる女子学生たちを助けるために、一緒に避難していた12人の娼婦と1人の少年侍者が女子学生に扮装し身代わりとして日本軍の南京陥落祝賀パーティーに赴く。その隙にジョンは修理された教会のトラックと密かに入手した通行証で女子学生たちを共に南京から救出する。』
作品は期待に違わぬチャン・イーモウの複眼性や俯瞰性に溢れ、「南京」を扱いながら、凡百の「お説教映画」「反日プロカパガンダ」「自国の愛国主義鼓舞」を超える普遍を求めていた。いろいろ書きたいが長くなるので、機会を得てどこかに書きましょう。
ここでは、上映後に解説者の大阪府立大教授:永田善嗣さんから聞いた原作と映画シナリオの違いが、なるほどそここそがチャン・イーモウだ!と思えたので、少し述べる。
①主人公は行き掛り上神父を引受けることになるアメリカ人葬儀屋だが、原作は本物の神父。
②娼婦たちが身代わりとなり、女子学生はニセ神父運転で南京脱出行へ・・・そのトラックの後ろ姿で映画は終わるが、原作では本物神父は娼婦たちを送る場面で日本軍に撃たれ命を落とすらしい(殉教?)。
ワシは、ここに他も含めた作品群に通底する、チャン・イーモウらしさを感じた。
聖と俗=神父とニセ神父、女子学生と娼婦。 暴力受難や悲嘆と「民」の底力=ニセ神父の決断、娼婦たちの「人の為に」という気概。
他にも、戦争に疲れ果て南京の惨状に心を痛めてたところで、何が出来るわけでもない無力感に在るインテリ将校(渡部篤郎)や、日本軍に協力する生業を確保して生きながら危ない橋を渡ってトラック修理の工具部品を調達する女子学生の一父親、などが戦争の重層性を伝える。
けれども、チャン・イーモウのそうした複眼や希いの可能性さえ、圧倒的な暴力でもって踏み潰し殺し尽くした事態こそが南京大虐殺だという事実が、政治的に作られた映画より重く響くから映画はスゴイ。
「アジール空堀」 童謡・唱歌に見る児童生徒に刷り込んだ国家意思
【蛍の光】(スコットランド民謡。1881年・明治14年、尋常小学校唱歌)
1.
蛍の光、窓の雪、
書読む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。
2.
止まるも行くも、限りとて、
互に思ふ、千万の、
心の端を、一言に、
幸くと許り、歌ふなり。
3.
筑紫の極み、陸の奥、
海山遠く、隔つとも、
その真心は、隔て無く、
一つに尽くせ、国の為。
4.
千島の奥も、沖繩も、
八洲の内の、護りなり、
至らん国に、勲しく、
努めよ我が兄、恙無く。
【われは海の子】(1910年・明治43年尋常小学校唱歌」)
一、
我は海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ。
二.
生まれてしほに浴して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の氣を
吸ひてわらべとなりにけり。
三、
高く鼻つくいその香に
不斷の花のかをりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき樂と我は聞く。
四、
丈餘のろかい操りて
行手定めぬ浪まくら
百尋千尋海の底
遊びなれたる庭廣し。
五、
幾年こゝにきたへたる
鐵より堅きかひなあり。
吹く鹽風に黑みたる
はだは赤銅さながらに。
六、
浪にたゞよう氷山も
来らば来れ恐れんや。
海まき上ぐるたつまきも
起らば起れ驚かじ。
七、
いで大船を乘出して
我は拾はん海の富。
いで軍艦に乘組みて
我は護らん海の國。
【冬の夜】(1912年・明治45年、尋常小学校唱歌)
一、
燈火(ともしび)近く衣(きぬ)縫(ぬ)う母は
春の遊びの、楽しさ語る。
居並(いなら)ぶ子どもは指を折りつつ
日数(ひかず)かぞえて喜び勇む。
囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
外は吹雪(ふぶき)。
二、
囲炉裏のはたで縄(なわ)なう父は
過ぎしいくさの手柄(てがら)を語る。
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾(かたむ)けこぶしを握(にぎ)る。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
【里の秋】(1941年・昭和16年12月 童謡雑誌掲。戦後1945年川田正子歌唱ラジオ放送で全国放送))
一、
静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
二、
明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
三、
きれいな きれいな 椰子の島
しっかり 護って くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も ひとりで 祈ります
四、
大きく大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 譲ります
*川田正子が唄った時点では、三番は下記に変更され、四番は削除された。
さよなら さよなら 椰子の島
お船に ゆられて 帰られる
ああ とうさんよ ご無事でと
今夜も かあさんと 祈ります
たしがれ映画談義: マーチン・スコセッシ二作 イエスに関して
K・Tさん帰米されましたか? 過日はマーチン・スコセッシが『沈黙』を映画化したを機に原作:遠藤周作『沈黙』のブックレビューをおおきにでした。 吉本隆明『マチウ書試論』を半端に持ち出したりして、残識の徒が遠藤の真意は「正邪二元論・一神教・原理主義・各相の決定論という西欧思想に対する東洋的異論(アンチ決定論=相対論)だと思う」という主旨を述べました。それこそが「救い」だとも言いました。 キリスト者でないばかりか、キリスト教をよく知りもせず失礼しました。
ところで、マーチン・スコセッシと言えば、全世界で上映阻止運動が巻き起こった『最後の誘惑』(日本公開1989年)をご存知か? ウイリアム・デフォーが見事なイエス役だった。 ここで、スコセッシは、 今は娼婦に身をやつすマグダラのマリアは、若き日のイエスの恋人だった。かつてイエスは、彼女を振り切って求道の道へ進んだのだ。又、イエスの生業は、同胞ユダヤ人の棺桶・十字架作りであった。この2つがイエスの臓腑の底に棲み付いているとした。