Archive for the ‘(連載)たそがれ駄小説’ Category

連載 53: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (9)

五、キムパ⑨

「亜希さん、いいかね、ぼくのギャラリーのオープンは見届けるんですよ。配達で近くへ来たらうちに立ち寄りなさい。歓迎するよ。裕一郎君とも積もる話をしなさい。ひろしにも会ってやってくれたまえ」                                                                                                        「別に積もってませんよ。そうだ、忘れるところでした。これ、ユウくんに」                                                                                                                                                                                                                                             亜希はポリ容器に入れたキムパを差し出した。深底容器に入ったスープも付いている。                                                                                                                                           「車を運転しているところを私だと分かるってスゴイ、感激です。近いうちに行くからねとお伝え下さい」                                                                                                                                                                裕一郎は桟橋へ歩きながら訊いてみた。                                                                                                                           「松下さん、この先もここに居るの?」                                                                                                                     「ふらりとこの島に来て、唐突にあそこに入ったんですよ。この連休と夏は越えないことには悪いと思ってます」                                                                                                                                                    「今も前職に戻りたいと?・・・」                                                                                                                                                                                    「安くて良いものだと評判の日本の衣料品直売メーカーが、私が関わっていた国で縫製工場を間もなく大規模に稼動させると、元同僚から聞きました。タイ・ヴェトナム・インドネシアなどから、とうとう最貧国と言われたあの国にシフトです。賃金コストが安上がりなんでしょ。都市部では、旧来の「海外協力」では通用しない現実が始まっています。そこへ「日本的」生産方式が入って行くことに、少年少女のあの澄んだ瞳を思い浮かべて、あそこだけは昔見たあの国でずっと居て欲しいというのは傲慢だとも思います。下手をすれば、第三世界は第三世界のままでいなさい、と言っている様なことですし。発展し、豊かになり、女性は<家>や家事労働から解放されるべきだと思います。先進国並に豊かになる権利は等しくあるはずです。こう言うとグローバリズム推進派みたいに聞こえるでしょ? それと反対のことを言ってるんですけど・・・」                                                                                                                                                 「ぼくもそう思う。グローバリズムこそが、永遠の第三世界を必要としている」                                                                                                            「あの国では、いや日本もですけど、結局は労働問題だと思います。日本の生産工場自体か、そうでなくてもその下請の素材工場では女工哀史だと思います」                                                                                                                                                        「大空さんは、どう言ってるの?」                                                                                                                                    「えっ、何が?」                                                                                                                                         「いや、夏以降に去るだろうという君の方針」                                                                                                                                                                    「卸し用の品物を充分作ってくれたし、うちのことは気にしなくていいとは言ってくれてますけど」                                                                                                  聞き耳を立てていたに違いない黒川が後ろから茶化した。                                                                                           「亜希さん、ずっと沖縄に居たらいいよ。そうだ、大空と結婚しちゃえよ」                                                                                                          亜希が振り返って返した。                                                                                                                                                                     「黒川さん、何処に居るのか、結婚するかしないか、それが一番の問題なのではない、というのが黒川じねん八十年の結論じゃないんですか? すみません、大先輩に失礼なこと言いました」                                                                                     「いいんだよ。その通りだ」                                                                                                                                 「結婚。祖母・母、周りの先輩・・・、うーん結婚かあ・・・」                                                                                                                       「ガハハハ、君はシャープだねえ。さすが裕一郎君が沖縄まで追い掛けてきた女性だ」                                                                                                         「違いますって」二人が同時に言った。                                                                                                           桟橋の改札が見えて来た。「今日は私が見送りですね」と亜希が微笑んだ。秋の終電の改札口で酔った亜希が冗談で言ったセリフが蘇える。「北嶋さんにしといたらよかった」・・・。                                                                                                        作業着に作業エプロンのままの亜希が眩しい。                                                                                                                                                    「松下さん、会社の部下たち宛に出した絵葉書見せてもろうたよ」                                                                                                               「ええーっ、困るなあ。あれは辞めてすぐの時期の弾みです」                                                                                                                        「なら、現在の心境をまた違う歌からパロって聞かせてや」                                                                                               「出来ませんよ、感情と精神が突っ込んでないと・・・。今は、あの替歌のところで立ち止まっているけど冷静な凪状態というか、私にはけっこうジンワリと味わい深い日々ですよ」                                                                                                                                                                                                                             出航まで数分あったのだが、改札の手前でじゃあここでと言って、亜希は車へ戻って行った。                                                                                   「黒川さんの家に遊びに来いよ」と背中に声を掛けた。亜希は振り返らずに手を振っていた。裕一郎は、決して予期せざるとは言いがたい衝動が込み上げるのを自覚してその後姿を見つめた。その背中の作業エプロンのボタンが外れて僅かに覗いている亜希の肌が、刺すように鮮烈に迫って来る 。「欲しい」・・・、そう思ったことも否定しはしない。                                                                                                                                          高速艇の座席に座ると黒川が肩を叩いた。                                                                                           「なかなかいい娘だ。あの娘はともかく、大空は惚れてるね。そう思わんかね」                                                                  「どうですかね・・・」                                                                                                                                               『身捨つるほどの恋路はありや』・・・。裕一郎は、あの替え歌を思い浮かべていた。

 

  

連載 52: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (8)

五、キムパ⑧

 黒川が体験工房を見たいと席を外したので、大空と施工の話が出来た。黒川のギャラリーを実際に施工することになれば、お互いどういう守備範囲でするか大まかな話しをした。大空の心当たりの物件も聞き出せた。改装し易く立地も広さも賃料もまずまずの物件概要を聞けた。                                                                                  裕一郎も体験工房を覗いてみた。予約以外にも、家族連れと、若者グループの二組が居た。中に生き生きとして新しい感覚の素晴らしいシーサーが踊っていた。作った少年にはこれがどこに売っているものよりも琉球のシーサーなのだ。亜希はヒロちゃんといっしょに一人一人と会話して楽しそうに進めている。ついつい最後まで見ていた。                                                                                                 出航には早いが、大空の「亜希ちゃん、港まで送って行って上げて」との配慮に甘え、帰路に就いた。亜希が運転する車は初めてだ。黒川は相変わらず上機嫌だ。                                                                                           「君が大空の所に居たとはねえ。裕一郎君とぼくらの送別会に来てくれた時には、てっきり裕一郎君といい仲なのかと思ったんだが」                                                                                                                             「黒川さん、ちょっとぉ」と裕一郎が制しても                                                                                                                        「なら、何度か焼物買ってくれた、君の会社の専務と深い仲なのかい?」と黒川は亜希の背中に芸能記者攻撃を加える。                                                                             「ちょっと黒川さん、しつこいですよ」                                                                                               運転席の亜希は聞こえない振りをしている。                                                                                                    「いや、彼から電話があったもんでね。ピンと来たんだよ」                                                                                                                                                            「えっ、高志から?黒川さんに? なんで?」                                                                                                                        「いや、仕事を頼んだので、その返事して来たんだ。その時言ってたよ、会社を辞めた女性社員が沖縄に行くかも知れないと」                                                                                                      「仕事って、まさか例の売掛金回収じゃないでしょうね」                                                                                    「それだよ」                                                                                                                          「それだよって、昨日それは止めてくれとお願いましたよね」                                                                                                                         「聞いたよ。けれどそのときすでに依頼済みだった」                                                                          「いつです?依頼したの」                                                                                             「君が来る少し前だったかな。君が来る前日だったような気がするね」」                                                                                                             黒川は、芦屋の自称資産家の婦人、若い教師夫妻からの回収を高志に依頼していた。やがて、高志から裕一郎にも連絡があるだろう。来る前日? 美枝子を訪ねて松山に居た日だ。黒川なりに回収準備をしていたのか。                                                                                                            「で、高志は引き受けたんですか」                                                                                                       「返事は無い。君から確認してくれないか」                                                                                                                      自分でしろ! 俺は「止めておけ」と言うぞ、とは思ったが、仕方がない、高志には沖縄に来てから電話一本していないことだし、連絡してみるか。短期間とは言え、俺はある種のパートナー、しかも大阪未回収の件について会話もしたのだ。黒川のマイペースには、美枝子がほとほと疲れ果てたのが解かる。配慮や思い遣り以前の、当然の伝達を外すのだ。高志に依頼したことを告げないのには呆れる。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      裕一郎は黒川と出会って初めて感じた思いに駆られていた。老い、「ボケ」、痴呆初期・・・。子供の年齢、言うことの{?}付きの若々しさ、引退拒否の姿勢などに惑わされて来たが、黒川はお年寄りなのだ。老人の頑迷さと思ってしまえば済む苛立ちを、五分に渡り合い説得しようとするこちら側の無理解に問題があるのかもしれない。

港には乗船半時間以上前に着いた。港近くのお食事処に入った。度々、配達などで本島に行く際に度々利用しているからか、亜希はそこの小母さんと顔見知りだった。親しげに挨拶している。                                                                                       出てきたコーヒが意外にも美味く驚いた。きちっと点てているのだろう。一口飲んで亜希が言う。                                                                            「黒川さん、専務とお親しいんですか?」                                                                                                                  「そうでもないが、客の一人だ。三度ほどそこそこの物を買ってもらった」                                                                                        「そうですか。私が沖縄に居るって知ってました?」                                                                                                                                                 「女性元社員が行くかもしれないだけで。あなたの名も言ってなかったよ」                                                                                            「車の中で聞こえてましたけど、何にもありませんよ、専務とも北嶋さんとも」                                                                                                      「判ってるさ。失礼した」                                                                                                                                                               「私が沖縄に居るの会社関係は誰も知らないはずです」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「引続き内緒かね。裕一郎君はどうすりゃいい?彼は専務の友人だよ。こうして出会った以上黙っておくのも不自然だろう。ねえ、裕一郎君」                                                                                                「いや、ぼくはどのようにでも・・・」                                                                                       「成り行きにお任せします。もう五ヶ月になりますし・・・隠している訳じゃないですし」 

 

連載 51: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (7)

五、キムパ ⑦

 沖縄でのガラス生産や、ガラス工芸はもちろん昔からあったのですが、戦後その職人や引上げて来た職人が持ち帰った本土の技法で、ガラス工場の復興が始まりました。材料が乏しく、米軍のくず瓶などを使い、米国人の生活ガラス器を作ったのです。ワイングラス・ドレッシング瓶・サラダボール・ピッチャーなどですね。材料がくず瓶であることから、その色が独特で、セブンアップからは緑、ビール瓶からは茶色、一升瓶からは淡い水色、その混合・・・、その味わいと、また「ひび入れ法」でのひびの感じの素朴さ、偶然性や製作の家内工業性による色や形がひとつひとつ違う手作り感が受けて、琉球ガラスとして地位を得ました。まぁもて囃された訳です。

ところが需要が増え、観光ブームにも乗れば、売れるものですから価格競争にもなる。安いものも出回る。従来の生産システムではそんな安価には出来ない。90年代の半ば、技術と工法をそっくりヴェトナムへ持って行き破格安値の商品を大量に出す業者が現れます。ところが半年もすると簡単な生活器なら製品の水準が変わらなくなる。一方で、ヴェトナム産の品を、沖縄で生産された琉球ガラスと混同される表現を用いて販売していたとして、公正取引委員会に景品表示法に基づく排除命令を求める動きになっていると聞きます。今は、まだ製品に差がありますが、やがて遜色ないようになるんじゃないでしょうか。先月、展示会にヴェトナム製であることを伏せて出品し銀賞を取って物議を醸しました。審査員も会場に来ていたプロのガラス職人も、誰も気付かなかったんです。無礼な殴り込みだと大騒ぎになりましたが・・・。

日本の家電メーカーやアパレル・メーカーが中国や東南アジアなどで生産していますが、それは何製でどこの商品でしょうか。メイド・イン何処でしょう? 何をもって琉球ガラスと言うのか・・・。                                                                 もちろん名工と言われる人の作品は素晴らしく、これぞ琉球ガラスだと思えます。工芸・芸術としての琉球ガラスと、生活器としての琉球ガラスは違うと言うのが結論かも知れません。さっきの太陽ペンダント、うちの若い者の言い分、商品か作品か、似たようなところの話かなと思うのです。買い手が決めると言っても、その買い手は色々ですし、ホント難しいですよね。消費のサイクルに入ったものの共通の運命だと思います。かと言って消費されなければ、作り手は干上がるのですし・・・。

大空が伯父太陽と衝突した成り行きが、納得できるような気がするのだった。いま聞いた話にも、二人の青年の道を開く手助けをした大空の在り方にも、共感しそして何故か嫉妬した。会社経営で、自身は辞めて行く従業員にそんな手厚いことなど出来なかったことへの悔恨と、そして日々そんな「大きな」大空の近くに居る亜希のことを気にしていたのだ。                                                                                                            「大空さん、結婚されているんですか?」つまらぬことを訊いてすぐに後悔した。                                                             「いえ、今は独りです。逃げられました」                                                                                太陽との関係が良好だった時代の大空を知る黒川が言う。                                                                                                            「東京時代のあの人とは、別れたんだね」                                                                                     「沖縄には来ませんでした」                                                                                   「ぼくと同じだねえ」                                                                                                                                                          ん? 来て去ったのと来なかったのは同じだろうか、違うのだろうか? 

連載 50: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (6)

五、キムパ ⑥

「黒川さん、あの辺りにギャラリーは向きませんよ。永く地元で実績を積んだんじゃないし、もっと行き易い便利な場所じゃないと黒川さんのお客は来ませんよ」                                                                                                                                                               「だから国際通りと言ったんだ。何を今さら・・・。まあいい、あそこは候補の一つに過ぎん。決めたんじゃない。候補を言っただけでギャーギャー反論するんじゃないよ、みっともない」                                                                                                      大空は、知念太陽の工房に居たころから黒川話法を知っているのだろう、黒川の語り口調に驚きもせず淡々としている。物件探しを手伝おうと言ってくれた。ウチナンチュは心が広い。                                                                           「ぼくに二・三心当たりがあります。ちょっと連絡してみましょうね。変身し易いのを探しましょうね。一週間待って」

子供会の六名様の体験工房が始まる時刻が近い。ヒロちゃんと亜希の担当だそうだ。店には洋子さんだ。テラスに男三人が残った。黒川が又訊いた。                                                                                                                                「大空君、辞めたスタッフとの行き違いって何かね?」                                                                                                    「そうですねえ、ま、食って行く現実と創造性への幼い思い入れのようなことですか・・・。」                                                                               創作への想いがある者が、日々卸し用のシーサーやアクセサリーを作っていたのでは、極端に言えば内職だ。もちろん、合間を縫って彼らは自分の「創作」にも取組んでいた。ただ、ときどき売れそうにない作品を作っては客先の店へ持たせようとする。製作の労力と時間に見合う価格を付けるよう要求するのだが、とても観光客が出せる価格じゃないし、客観的に観ても相応しい価格じゃない。勤務時間外に作るのはいい、場所も素材も提供しよう。けれど、あんな価格を付けてとても売れるものじゃない、と。そこから、作品なのか商品なのかという根本命題とか、そもそも量産することへの違和感とかに発展しました。

ここは、沖縄の手作り工房。それ以上でもそれ以下でもない。人を雇ってやっている以上、売れるものを作って売るしかない。作家になるのならこの店と工房、開いてませんよ。ぼく自身いつまで続けられるか自信ありません。ガラス工房に進みたいという男には、知人の工房を紹介し、陶芸をやりたいと言う男には伯父の一番弟子の愛沢さんを紹介しました。                                                                                                                                                                    黒川は、こういう言いにくいことを言わせる強引さを信条に生きてきたのだろう。                                                                                                                              ここの物は大空自身がいう通り、また見た通り、土産物・手作り作品・沖縄実感品なのだろう。二人の青年がいわば欲求不満を募らせ言った、商品なのか作品なのか?なんて論争は百年早いにしても、世の例えば映画やアニメでも、小説でも、ひょっとしたら学者の科学書でさえ、商品か作品か、つまり「売れる=観せたい、読んで欲しい」と「受手に関係なくおれの作品だ」というジレンマの中を遊泳しているのだ。もし、辞めた若者が受手に「届けたい」物を創っていたいと心底に想うなら、ここの量産内職工場を出て、己の道を歩んで当然なのだ。だが、大空の現在の態勢下にそれを求めるのは酷というものだ。                                                                                                                            黒川はじっと腕組みして、何やら次の言葉を探っている様子だ。

「君が伯父太陽から離れたのは、太陽ペンダント・太陽Tシャツの量産を巡る諍いだったね。君は、高名な太陽がブランド力でその種のものを大量生産することに怒っていた。」                                                                                       「ぼくも若かったですし・・・。それに今、ぼくがどこにでもある土産物を大量ではないけど、せっせと中量生産してるんですから」                                                                                                                                                                         「土産物屋と名乗って作っているのはそれはそれで商人の道だよ。太陽がついでに描いたイラストを土産物商品のように大量生産するのとは意味が違う。タレント・グッズじゃあないか」                                                                                       「いや伯父太陽も多くのスタッフを抱える工房になって、その維持の為の苦肉の策だったと思うのです。ぼくも言いすぎたと思ってます」                                                                                       大空は、想うところあってなのだろう、ここで琉球ガラスの話を語り始めた。聞いていると、商品と作品、伝統技術と大規模機械化、手作りと量産・・・を超えて沖縄というものの根幹に繋がるような気がした。

連載 49: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (5)

五、キムパ ⑤

終るのかと思ったら次の話が始まった。ヒロちゃんが「わたし、教室準備します。洋子さんと交代するね。ジイさんまた聞かせてな」と黒川との険悪な雰囲気を微修正して去った。                                                                                                                                             「それからね、今食っている朝鮮お好み焼きのタレにも海苔巻きの中のキムチにも入っている、とうがらし。これ朝鮮半島が本場と誰もが思っている。そうじゃないという説が有力なんだよ」                                                                                                                                                もともと、辛子は南米が原産で、コロンブスらがヨーロッパに持ち込んだらしい。インド交易でアジアに持ち込まれ、鉄砲伝来の頃日本に来たらしい。日本の食文化には馴染まず、九州どまり。秀吉侵略軍が朝鮮に伝えたという説が有力だ。朝鮮には辛い唐辛子とは違う辛子がすでにあったという説もある。今も、あっちのはそれほど辛くないのも頷けるという訳だ。いずれにせよ、大昔から唐辛子が朝鮮独特なのではないということだ。言いたいのは相互発信、直線ではなく環状。                                                                                                                                        ぼくは思うんだが、例えば現在済州島と隠岐や伊勢で行なわれている海女漁法。石川や新潟や陸奥にもあったのだが、魏志倭人伝に出てくる『倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う』を地で行ってる名残だねぇ。また話が戻っている。自分の興味を最優先させて意に介さない黒川話法だ。

タロウの話、千利休の話、そしてこの古代史ならぬ誇大史だけには、年代を含めやたら詳しいのに、どうして現実世界の数字や常識に疎いのだろう。好きなことだけに生きていればこうなる、ということの見本だ。自分の二十年後を見るようで痒いような苦しいような恥かしいような気分だった。                                                                                                                                                         大空も亜希も、ミキちゃんと交代で加わった洋子さんも、「面白いけどNHKの特集ででも詳しくやってくれたら観もしましょう。けれど、あんたの半端な知識なんか結構です」と言いたそうな顔をしている。裕一郎が流れを切り換えるしかない。                                                                                                                                  「黒川さん、そろそろギャラリーの話を・・・」                                                                                                                                 「おおそうだ。今日はそれで来たんだよな」これが、ケロリとギア・チェンジなので驚くのだ。チェンジしないよりはもちろん有難いが・・・。                                                                                            「大空君、年末の電話で、近くだから行ってやってくれと言ってた、君の友人がやっていた喫茶店だけどね。先日裕一郎君と車で走っていてあそこの交差点で停まった時、空店舗になっているのを見かけたんだが、店閉めちゃったのかい?」                                                                                                                                                    「もう閉めてかなりになりますよ。」                                                                                                                                             「返したんだね、大家に。あそこはどうだろう?」                                                                                                                            「ギャラリーにはどうですかね。車で行くしかないですし、北部のひとにはちょっと遠いでしょ。わざわざと言うか一日仕事のような・・・」                                                                                                                                   「前に駐車スペースもあるし、どの道来る人はわざわざ来るんだよ」                                                                                                                             「あの店なら、店作るときにぼくも手伝ったので内部は分かりますよ」                                                                                                                                               「いくらだい」                                                                                                                                                                 「一五坪、七万五千円です。保証金はたしか四ヶ月分だと思いますが、」                                                                                                                                                                「一五坪の喫茶店なら、君と裕一郎君二人で、二日もあればギャラリーに変身させられるだろう。カウンターを取っ払って、床を均し、壁を貼り替えて陳列台を置きゃいい。それくらいだろう? あと看板か・・・」                                                                   裕一郎と大空は顔を見合わせて笑った。まず、裕一郎が口を開く。                                                                                                                        「二日もあれば? よくい言いますよ。カウンター撤去には内部のガス・給排水管の処理が絡みます。廃材もどれほど出ると思います? すごい量ですよ。床を均すと言ってもセメンで埋めてレヴェルを調整する必要があります。床を貼り替えるには、既存の床材の撤去があります。陳列台? 買うんですか?作るんですか? 二人で二日というような仕事量ではありませんよ」。続いて大空、                                                                                                  「黒川さん、あの場所、まさか息子さんが通う園に近いから選んだんじゃありませんよね」                                                                                                                                「まあ、それも要素の一つだ。そりゃ遠いよりは近いほうがいいだろ。ひろしも自宅へ帰る前にギャラリーへ立ち寄れる。ぼくといっしょに帰ることができる」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 ちょうど、切れた雲間から差す陽光が、食事しているテラスを夏にして、見下ろす海にあらためて感激していた。ふと、黒川がわざわざ軽自動車を見せようと園に行った日、「ぼくはバスがいい」と言うユウくんの上に降り注いでいた日差しを思い出した。ユウくんはバスに乗り続けたいのではないだろうか。                                                                          黒川が言う場所は、ひかり園から僅か三百メートルの交差点だった。バスに乗っていたいと言ったユウくんの気持ちへの憶測もあるが、その場所では「辺鄙」に過ぎる。裕一郎は反対した。

連載 48: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (4)

五、キムパ ④

チヂミは魚が入ったもので、海鮮チヂミの一種。炭水化物の重複など感じさせない「おかず」に仕上がっていた。さすが、母の味だ。黒川が美味い美味いと次々食べながら黒川流突込みを入れる。                                                                                                                  「母の味はどっちかね? この海苔巻き?チヂミ?」                                                                                                           「両方です。昔、母がたまに作りました。母は私が学生時代に亡くなりましたが、二・三年前から月に一度は食べたくなりましてね。わたしにとって母の懐かしい味なんです」                                                                                                                              「う~ん、母ねぇ。沖縄は海だ。海は母だ、ぼくには個人的にも沖縄は母なんだが。ほれ、海という字にはちゃんと母が居るだろう・・・これは三好達治の詩が言っているんだが・・・」                                                                      ここで、黒川講義だ。その場に居る者に順に視線を向けながら語る。                                                                                                                  知ってるように胎水、胎児が浮かんで発育する羊水だね、その羊水は生命誕生の頃の古代海水の濃度に近いらしい。地球誕生が四十六億年前、最古の生命が海で生まれたのが三十数億年前、多細胞生物の出現は約十億年前、哺乳類の登場は二億年強前、類人猿との共通の祖先からヒトが分岐したのが約五百万年前、現在の人類の祖先がアフリカを出発したのが十万年前だと言われている。我等は、生命三十億年の進化の旅を、羊水の中で十ヵ月で体験するんだ。ね、海は母だろ。裕一郎が「お話が壮大すぎて・・・」と振ると、黒川は「悪い、悪い。話が反れたね」と視線を亜希に固定し直して続けた。                                                                                                                                                                                             「で、君のその母は朝鮮人なのかい?」                                                                                                            黒川流の問いに顔を顰める人もいるだろうが少し違うのだ。そこには、国籍や民族などに拘らない身に備わった素直さがある。イタリア人かい?アラブ人かい?と何ら変わらない。                                                                                                   「母の父つまり私の祖父は朝鮮人、祖母は日本人です。だから、母は二分の一、私は四分の一の朝鮮人ということになるのかな。私の中の朝鮮は四分の一もなくて小さくて、なにか中でモヤモヤしてますけど」                                                                                                                                                                       「なるほど。君が、沖縄男の子を産めば、朝・琉・日の合作だ。ガハハ」                                                                       「それは、単なる遺伝子的な話でしょ。そうじゃなくて、身に沁み付いた文化や歴史や感覚が欲しいですね」

亜希は、家庭と言うか近親者や育って来た境遇を想像させない女性だったと思う。「身捨つるほどの恋路はありや」と詠んでも、背伸びを感じさせたり違和感を抱かせたりはしない雰囲気が身に備わっている。その「属性に依らない」とでも主張しているような面構えと、何かを射抜くようで、逆に赦しているような遥か遠くを見ているような目、情が熱く深いとすればそれを自然に隠す効果を発揮する、穏やかで控えめな笑顔。それは母親譲りか・・・。                                                                                                                                    亜希の母親となれば一層想像できないが、亜希の学生期に亡くなったと言うから、一〇年ほど前なのか。亜希の年齢から考えると、たぶん高志や自分と同世代だろう。早くに逝ったのだなと思うと、つい何か言いそうになって思い留まった。何を言おうとしたのか自分でも判らない。                                                                                            黒川の「個人的にも沖縄は母だ」は何のことなのか気になったが、訊く間もなくまた、黒川が不躾に語り始める。                                                                                              「母上が亡くなられては、父上も大変でしょう。逢って励ましているかね?」                                                                                                      「ええ、まあ大変と言うか」と亜希は口を濁した。                                                                                                                                  裕一郎はすぐに思い出した。黒川送別会の後に呑んだ店で、亜希は確かこう言ったのだ。「母親の轍は踏むまいと思って来たんです」と。いま、亜希の返事が不確かななのは、その「母親の轍」に関わる事柄ゆえのことに違いない。父親が、母を棄て女に走ったのか?だから、大変も何ももう関係ないと。いや、不自然だ。亜希はあの時、妻子ある高志との関係をそう言ったのだ、「母親の轍」・・・と。母親は、妻子ある男との「不倫」関係の中で亜希を産んだのか。いや待てよ、亜希は姉と兄がいると言っていた。どうも判らない。想像を逞しくして考えることではないと思考を中断した。                                                                                                                       ヒロちゃんが黒川に噛み付いた。                                                                                                                        「ちょっとそこのジイさん、何やねん、合作やとか父親がどうのとか、放っとけや!」                                                                                                                                                                           黒川は驚いて補充した。                                                                                                                                                「いや、ぼくが言おうとしたのは、この国の住民は、元々その合作だと、」                                                                                                                                                                               「言い方が悪いんじゃ! いきなり何人やとか・・・。亜希さんが誰の子を産もうが、亜希さんの父親が誰であろうが、あんたに関係ないやろ!」                                                                                                                           「ヒロちゃん・・・」と、大空と亜希が同時に嗜めた。ヒロちゃんがふくれている。                                                                                               「亜希さん、このジイさんに言うたりや・・・。戸籍上の父親は母と離婚しました。実の父親は認知せんと逃げ続けてるインテリ左翼教師やって」                                                                                              「ヒロちゃん、いきなり何人かと訊いても失礼でも無礼でもない社会を作りましょうね」と大空が言うと、亜希が優しく続けた。                                                                                                                                             「私の父親のことは、隠す気はないけど言わなくてええんよ。言う必要がある時には私から言うから」                                                            ヒロちゃんのふくれっ面は変わらなかった。                                                                       

黒川が「失礼した」と頭を下げたが、何か語って終えないと気が済まない男、もちろん変化球を投じた。                                                                          「ぼくはねぇ、陶芸の世界に居るんだが・・・」とやり始めた。                                                                                                        焼物の源流と伝播の話だった。中国も朝鮮も琉球も日本も・・・、東アジアが全てが包み込まれる話だった。どちらかが一方的に発信し、一方が受信するだけの伝播ではなく、相互交信・相互影響の賜物だという。中国古陶器が陶器の源流だろうし、七世紀百済では緑釉を施した見事な作品がすでにあり、九世紀新羅では青磁が作られ始めている。一五世紀李氏朝鮮には雪のように白い白磁がすでにあり、一六世紀末の「壬辰倭乱」、日本では「文禄・慶長の役」と教えている秀吉軍の半島侵略では、多数の陶工を日本に連行してまで、その技術を盗もうとした。                                                                                                                         ところが、縄文期にまで遡ると、鹿児島県国分市の高台の「上野原遺跡」には、紀元前七千五百年つまり九千五百年前の土器が出土する。これは当時としては実に水準の高い土器で、どうやら火山地帯ゆえの偶然を師として、早くから土器製造技術を持っていたのではと推測されている。佐世保瀬戸越で発掘された一万二千年前の土器、青森県外ヶ浜で見つかった一万六千年以上前の土器が世界最古と言われている。上野原は六千三百年前の薩摩硫黄島:海底喜界カルデラの大噴火、西日本が埋もれ、九州では何と火山灰六〇センチの積灰、南九州で動植物全て消失するのだが、優秀な土器を使いここに生活を営んでいた人々とは誰なのか? どこと繋がる人々か?                                                                                                                           有名な、青森県三内丸山遺跡、五千五百年前なのだが、ここからは土器・木製品・装身具・編み物・漆器などが見つかっている。漆器・・・、漆だよ防腐だ。アスファルト塊なども見つかっている。新潟県糸魚川のヒスイ、長野県和田峠の黒曜石などから、交易規模も覗える。これは面白いだろう?                                                                                             先を聞きたくなる話だったが、大阪のギャラリーじねんで何度も聞かされた、最後は倭人の原圏-朝鮮半島南端部の伽耶と北部九州に跨る倭-邪馬壱国-倭国-ヤマトによる倭国乗っ取り、へと進むのだ。黒川の自説「ユーラシア大陸東部沿岸文化圏」の復権という自称ロマン構想の根拠を示す話で、どこかで止めさせないと朝まで続く話だった。黒川も自覚していてこう言った。                                                             「まぁ長くなるので、今日はこのくらいにしといて上げよう」 ん? ハイ、これくらいにしておいて下さいナ。                                                                                                                                                                                                                                   

                                                                                                                

連載 47: 『じねん 傘寿の祭り』  五、キムパ (3)

五、キムパ ③

隣の棟は教室だ。大きな作業台が二つあり、それはシーサーや貝殻を使った工芸品・アクセサリー・ペンダント・キャンドルの製作とランプの組立ての、その体験工房の際の客生徒の作業台でもある。今は連休中で夏に次ぐシーズンだが、たとえば今日の予約は沖縄本島から日帰りで来る浦添の子供会五人と引率の青年計六名の、一時半からの一組だけだという。夏季の半分以下だそうだが、連休が終われば卸し用商品の製作だ。そう大空は説明した。                                                                                                                                                                                                                                    さらに奥の、傾斜地に合わせ二階になっていていかにも増築した風の、工房を見せてもらった。卸す品の在庫状態や受注状況を見て優先するものを決めて順次製作している。この店で売れる数はしれているそうだ。シーズン前には教材というかパーツ作り作業に追われ、シーズンに入れば総出で体験工房の指導員もこなす。裏の小道からも出入りが出来る。裏からは一階というわけだ。製作の方針を巡っての行き違いから辞めた二人の男性スタッフは、ここの中心メンバーだったという。

昨日、黒川は「店作りを任せられるか見極めて欲しい」と言った。見極めるも何も、この工房を、友人に手伝ってもらいほとんど自身で作ったと言う大空は、これ以上無い適任者だ。専門家を呼んだのは電気や給排水・プロパンガス配管の仕事くらいだと聞かされた。そんなことは黒川は判っていたはずだ。大空に会わせれば、意気投合するとか、施工の虫が目を覚ますとか、引上げるには後ろ髪引かれる気分になるとか、何であれ裕一郎が帰阪方針を微調整すると踏んでいたのだろう。亜希が居たという望外の援護を得て、黒川は上機嫌だった。                                                                                     工房では普段、当番制で夕食を作り全員で食べている。実際は、大空は商いに出かけていることが多く、ほぼ半分の日はスタッフだけで食べるという。大空は律儀に遅くなって独りでそれを食べているという。港の近くに部屋を借り、女性三人で暮していて、男性用の部屋は現在空き部屋。いずれも夏季にバイトが来ることを前提に三部屋ある家屋だ。港から工房まで、それぞれバイクで通っている。一人は軽自動車を持っている。                                                                                                 今日は黒川が来るというので、その当番制を前倒しして昼食にする変則だそうだ。その当番が、ちょうど亜希だった。時計を見ると十一時前、キッチンに向かうのだろう亜希が言った。                                                                                      「今日はお二人が見えるというので、教えられた母の味を作ります。期待してもらっていいですよ。」                                                     大空が嬉しそうに言う。                                                                                                                                         「あれかい? いいねぇ。ぼくも大好物なのよね。」                                                                                                         「ハイ、あれです」と言って亜希はキッチンへ向かった。                                                                         黒川が質問し始めた。思ったこと気になることをズケズケ訊くのがこの男の個性と言えば好意的に過ぎる、無神経さなのだ。語れる環境があり、聞こうとする雰囲気があり、大空が語りたいと思えばやがて聞けるのだ。子供と同じように「待てない」ジジイだ。                                                                                          「辞めた男スタッフとの行き違いって何だね?」                                                                                   「いや~大したことじゃないんですが、小さな工房、工房と言っても卸しの商品をどんどん作らないと食って行けない家内工業、創作を目指す者にはちょっとね・・・。また、あとで」 

                                                                                                                                                       テラスで昼食だ。出てきたのは、キムパ。正確に表記すればキムパプとなるそうだが、聞き取れる音はキムパだ。裕一郎にも馴染みの韓国海苔巻きだ。キムパとそして又もやチヂミだった。わかめのスープも付いている。キムパの具は、厚焼玉子・たくあん・キュウリ・しいたけの煮物・カニ蒲。そしてキムチ入りとキムチ抜きがあった。沖縄アレンジで、肉っけは缶詰のポーク、ランチョン・ミートだ。七㎜厚ほどにスライスして軽くソテーして角棒状にカットする。これが絶妙に全体の味を引き締めている。具は実に豊富だ。海苔の表面に薄く塗ったゴマ油と、炊き立てのご飯に混ぜる、塩・出汁醤油・少量の酒・ゴマ油の配合具合が決め手らしい。白ごまの加減がいい。巻きの締まりの程は抜群だった。 

連載 46: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (2)

五、キムパ ②

下り坂に来て、眼下に広がる渡嘉志久の海に驚いた。やや曇天でも鮮やかなコバルト色だ。晴天下ならさらに鮮やかに違いない。慶良間の海を挟んで、すぐ向かいに阿嘉島・安室島・座間味島が繋がって見える。浜を見渡せるホテル前の小道に沿って、並ぶ店の中にひときわ目立って大空の工房はあった。                                                                    

動悸を自覚した。汗ばんだ手を開こうとすると、何か知っているのか、それとも車中の会話からある確信を持ったのか、黒川がポンポンと肩を叩く。裕一郎は、その手を払い除けるように身体を反らした。横を見ると、黒川はニヤリと笑っている。

 まだ開いていない店の引戸を開けると、奥から小柄でよく日に焼けた女性が現れた。「お疲れ様。お帰りなさい」と大空を迎えた女性は、黒川と裕一郎に「いらっしゃいませ」と会釈する。店内を見渡すと、黒川が言った通りの商品が並んでいて、店に隣接して「体験工房」の教室があった。小学校の教室半分ほどの広さがある。キョロキョロしていると、続いて女性が二人出てきた。一人が亜希かもしれない。前の女性は違っていたヤンキー風だ。二人のうち後方を来るのが亜希なのか・・・?                                                                                         正視できず視線は泳いでいた。

「いらっしゃい、黒川さん。お隣は北嶋さん・・・ですよね」記憶通りの、やや低い乾いた声を聞いた。                                                                                             「いや~、亜希さん頑張ってるようだね」と黒川。裕一郎が続く。                                                                                                             「ご無沙汰です。お元気そうで・・・」                                                                                                                          この緊張は何だ。中学生の初デートのように全身が固まり言葉が出ない。亜希は二人に挨拶する。                                                                                 「黒川さん、失礼しました、お知らせもできず・・・。今日お会い出来ると知って楽しみにしてたんです」                                                                                                                   「北嶋さん、お久し振りです。ノザキ、辞められたんですね。大空さんから黒川さんとの電話内容聞きました。黒川さんところへ来ておられたとは・・・。ギャラリーじねん、出すまでいらっしゃるんですよね。」                                                                                               裕一郎が「ええ、まあ・・・」と答えるのと同時に黒川が言う。                                                                                                                                    「三月だったかな・・・、ひろしが通う園の近くで亜希さんが青い車を運転しているのを見たと言うもんで、半信半疑だったんだが、どうやら事実だったようだね。一度しか会っていないのに、しかも運転中を見ただけで判るんだから、ひろしは鋭い大したもんだ。あの子の女性観察はすごいんだよ」                                                                                                「ああ、それ、玉城の得意先へ商品を届けた前後でしょうね。大空さんに代って納品することもあるんです。新人の役目です」                                                                                               「園が在る豊見城を通ったんだね」                                                                                                             ユウくんの観察力に驚いた。なるほど、だから、裕一郎が沖縄へやって来た初日、自分の観察記憶を確かめる目的で、わざわざ「北嶋さん、あの時のお姉さんは?」と問い、「あのお姉さんはね大阪やで」との裕一郎の答えに、しぶしぶ引き下がったのか・・・。                                                                                               裕一郎は、いま、「ギャラリーじねん」を出すまで居るのですよねと問われ、それに「ええ、まあ」と答えたことを振り返っていた。が、「あっ、肯定してしまった。まずい」と思ったのは一瞬だった。まずいどころか裕一郎はもう決めていた、俺は当然「ギャラリーじねん」を完成させるまで居るのだ・・・。黒川に対して近々帰ると大声で宣言した恥ずかしさなど考慮の外だった。黒川が、裕一郎の肩に手をやって口を開く。                                                                           「無理言ってね。帰らなきゃならん用件が降って沸いたのに、夏まで居てくれと頼んだんだら、その用件を断って残ることにしてくれたよ。いい男だ」                                                                               勝負は付いた。黒川の勝ちだ。黒川は勝利に酔っているのか、きっと貸しを作るつもりで言ったに違いなかった。                                                                                                                   傍らで聞いていた大空が、さあさあと隣の教室へ案内した。いましがた紹介された関西出身のヒロちゃんというまだ二十歳前に見えるヤンキー風の娘も付いて来ている。最初に応対した小柄な洋子さんという女性は店に残って開店準備を始めていた。

亜希とは約半年振りだが、それが十年以上に思える。この女性に何の用があるのだ、どんな関係があったと言うのだ、一体何を語り合うというのだ?何もありはしないではないか。そう思うと、動悸が治まったように思えた。すると、逆に亜希がひと度は抱えそして超えたものを思い、冷静な愛おしさのようなものが込み上げてきて、その半袖夏姿を正視することもできるのだった。                    (体験工房前で → )                                                                                                                                                                                                  

 

 

                                                                                                                                    

 

連載 45: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (1)

五、キムパ ①

 渡嘉敷島へ行くにはフェリーもあるのだが、昨夕黒川が「とまりん」で「任せておきなさい」と高速艇「マリンライナー」を選択して、乗船切符を購入していた。所要時間はフェリーの半分の三十五分だ。那覇泊埠頭午前九時出航、帰りは渡嘉敷夕方五時三〇分出航、ちょうどいい。

 船内は、連休でダイビングにやってきた若者などで賑わっている。〇五年四月二九日、曇天だが暖かい。昼には確か二十七度になったはずだ。島の東側にある港に降り立つと、知念大空が青い軽ワゴンで迎えに来ていた。甥と言われれば、確かに雑誌やテレビで観た知念太陽に似ている。四十代半ばだろう。                                                                                                                                                                              高速艇内で聞かされた黒川の話では、店で売る品物を自前では作っていない沖縄中の「土産物屋」へ、この軽ワゴンで、シーサー・アクセサリー・ペンダント・キャンドル・ランプなどを卸していて、手広く「商い」をしているそうだ。品物の出来が他よりいいと好評らしい。喧嘩別れした伯父太陽に似て「なかなかの商売人」だという。常時二・三人の若い工房員が居るが、出入りは激しいらしい。夏季には店が忙しくなるので、販売だけを担当する若者が短期バイトで来るという。そのバイトは、寝床付・食事付で日当三千円+売上の二〇%がコミッションだそうで、若者は必死になってガンガン売るのだという。休日には透き通ったコバルト色の海でダイビングを楽しみ、いい空気を吸い、滞在費もクリアできる。労働をしない空虚や負目からも免れることが出来る。バイトはリピーターや紹介が多く、求人には困らないらしい。上手いシステムだ。黒川のこれらの情報は、昨秋沖縄に来て以降のもので、古くから知っているような口調は黒川マジックの変種には違いない。もっとも、黒川は大空が伯父太陽の工房や東京の太陽プロダクションにいた頃から面識があるので、古い知人であることは事実だ。太陽に切られたことで、大空には黒川から近づいたに違いない。                                                                                     

後部荷台に商品が積まれたワゴン車に誘導されて、黒川が二人を交互に紹介した。乗車して一呼吸して、裕一郎は浅黒く筋肉質の大空に訊いた。                                                                                                                                          「知念さん、大空というのは本名ですか?それとも・・・」                                                                                                               「恥ずかしいんですが、本名です。伯父の太陽もそうです」                                                                                                                          第一印象というものは不思議なものだ。大空が実名だというだけで、この男への印象度計測器の針が好印象の側へピクリと振れるのを感じた。大空が黒川に笑顔で言う。                                                                                                                                                                  「黒川さん、北嶋さんの登場で念願の自前ギャラリーも目前ですね。いい物件見つかりました?」                                                                                                                                                                               「うん、候補はいっぱいある。間もなく決めるよ」                                                                                                                                 「手伝いますよ! ぼくの商品も安く入れるから、どんどん売りましょうね」                                                                                              「ああ、頼むよ」                                                                                                                                                              「百貨店や展示会場に、二割もピン撥ねされることも無くなりますよね。残りの数%での遣り繰りは、貴重な人脈や作家との歴史を差出す企画者には酷なシステムですよね」                                                                                                                                                                                                                      黒川が焼物陶芸・絵画版画のギャラリーに国際通りを選んだ理由、自前ギャラリーに拘る理由、その一端が垣間見えた。かといって、国際通りの、それも奥まった若者ファッション・ビル風のあの物件はいただけないのだが・・・。少なくとも、黒川の主観的願望だけは理解できた。                                                                                                                                                         黒川が、国際通り案件を選んだ理由として、大空の土産物販売のことを全く言わなかったのは、またぞろ知念頼みかと指摘されるのが厭だったのだろうか、土産物を置くことを躊躇っていたからだろうか・・・。

西海岸の渡嘉志久ビーチにある工房兼店舗へ向けて狭い山道を走り出した。運転する大空が奇妙なことを言っている。                                                                                                                                                                                                                               「黒川さん、新入りスタッフも期待してますよ。ギャラリーが完成したら、手伝いに行くと言ってね」                                                                                                                                                                                                                               「嬉しいね。新入りって?」                                                                                                                                       「黒川さん、ご存知ないかな~。正月に来ましてね。ちょうど男性スタッフが続いて二人辞めたので、女性ばかり三人となりますが来てもらうことにしたんです」                                                                                                                                                  「そうかい、しかし、なんで手伝うとまで言ってくれるのかね?」                                                                                       「大阪のギャラリーじねんを知っていると言ってましたよ」                                                                                                                                     「うちを、知ってる? 君~い、昨日の電話でそんなこと言わなかったじゃないか」                                                                                                                                                                               「黒川さん、年末に電話で話したきり、昨日が久しぶりですよ。言い忘れたのね。もう四ヶ月になりますね。バイトじゃありません。バイトは夏だけです。工房のスタッフに雇ってくれって。あとで紹介しましょうね。」                                                          

根拠の無い期待に裕一郎の掌は汗ばんでいる。「そのスタッフの名前は?」と訊きたいのだが、黒川の手前黙っていた。 

 

連載 44: 『じねん 傘寿の祭り』  四、 じゆうポン酢 (11)

四、じゆうポン酢 ⑪

翌日、タロウの姪御さんへの支払いだけは立ち会うしかないと思い、姪御さん指定の午後三時に着くように同行した。                                                                                                                                                                                                               姪御さんはよく理解してくれたが、細川から買った人の買取価格が、回りまわって姪御さんの耳に入っていた。それは百七十五万だと判明した。姪御さんは、それでも黒川に同情的で、伯父の作品に高い値が付くことは嬉しいことです、あなたが売って少しでも儲けて欲しかったと言ってくれた。さすがタロウの姪だ。                                                                                                                                          細川から回収した百二十万をそのまま払った。                                                                                                                                                                                   大阪に帰ろう、俺の手に負えない。無言で車を走らせた。                                                                                                                                                             黒川は、引き止めるにはある種の「お願い」が必要であり、それはプライドが許さないとばかりに、同じく無言で助手席に座っていたが、眠ってはいない。腕を組んで、裕一郎を引き止める方法でも考えているのか目を閉じていた。やがて目を開いて喋り始めた。                                                                                                                                                  「裕一郎君、明日、渡嘉敷島の工房へ行くのだが港まで送ってくれないか? 出来れば渡嘉敷まで同行してくれ。帰りに港まで迎えに来てくれてもいいがね」                                                                                                                                                         行ったことのない渡嘉敷島へは行ってみたかった。あの重い出来事が頭を過ぎる。                                                                                                                                       「行ってもいいですけど、昨夜言いましたように、ぼくは近々帰らせてもらいますよ。そのぼくが何しに行くんです?」                                                                                                                                                                                                          「まぁどの道、君は帰るんだし、その日程は今決めなくてもいいじゃないか」                                                                                                           「渡嘉敷島の工房って何の用です?」                                                                                                                                                                                  「いや、そこに器用な男が居て、ギャラリー物件が決まれば大工仕事を頼もうと思ってね…。君にその男で店つくりが可能かどうか見極めて欲しい」                                                                                                                                           「決まればって、決まってないでしょうが」                                                                                                                                                                                            黒川は、こちらの問いを巧みに外す天才だ。自分のペースを変えることなく受け答えする。                                                                                                                                 「知念大空という男なんだが、彼を早く押さえておこうと思ってね。知念太陽、知っているだろう? 有名な彫刻家の…、あれの甥だよ。器用なんだ、何でもするよ。店で自作の作品も売っているが、観光客相手の沖縄土産のシーサーなんかだよ。本島の土産物屋に卸している。工房も一応あるが、貝殻や砂を利用したアクセサリーやペンダントを客に作らせる教室と言うのか手作り体験というのか、怪しげな店もやってるよ。何~に、多少の手間賃を払えば喜んで手伝ってくれるさ。元々、観光シーズンの夏以外はスタッフに任せて、製作の合間にあれこれバイトに出かけてるんだから・・・。今はゴールデンウィークで店に居るよ」                                                                                                                                                                              黒川はきっとこう考えたのだ。大空に会えば、裕一郎の「店つくり虫」が目覚めその気にならないかとか、大空の人柄や創作活動に触発され留まりはしまいかとか、二人で店つくりをしようと盛り上がるかもとか、いろいろと・・・。                                                                                                                                               「明日が最後の仕事です」と、突き放すように答えた。                                                                                                                                                                     「とまりん」という那覇泊埠頭のターミナルビルへ走らされ、黒川が乗船券を購入した。                                                                                                                                                                                                         まだ明るいうちに帰宅し、部屋を片付け、掃除して洗濯をした。明日、渡嘉敷島へ行った後、数日の内に去ろう。何と言われようと・・・。夜、裕一郎は自分が食べたい「カツ丼」を作った。またまた、大好評だった。疲れる。                                                                                                                                                     もずくを、保存していたじゆうポン酢で食べた。ユウくんには撤退を言えなかった。

黒川が助手席で、目を閉じ腕組しながら考えたのだろうその作戦は、結果として黒川の思惑を超え、中々強烈なものとなる。翌日、その工房へ行ったばかりに、裕一郎は当初の予定通りギャラリー開設まで沖縄に留まることとなるのだ。ジジイめ。

(四章、じゆうポン酢 終)      (次回より 「五章、キムパ」)                                                                                                              

                                                                                                                                                     

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