Archive for the ‘(連載)たそがれ駄小説’ Category

連載 83: 『じねん 傘寿の祭り』  エピローグ (4)  終

エピローグ④終

赤嶺(旧姓:喜屋武)千恵、一九〇五年・明治三八年生まれ。一九二二年・大正一一年、十七歳のとき父を喪う。長女だった彼女は、成績優秀で女子師範学校生だったが、辞めて長崎に住む親戚の紹介で長崎の造船所の事務職となる。親戚は部品作りの下請工場を営んでおり、造船所へ沖縄の青年男女を何人も送り込んで来た実績がある。千恵は寮に入った。三歳下に弟、十歳違いの幼い妹がいた。大正期の若い女性の単身長崎。言葉の障壁を含め、外国へ行くほどの苦難だったろう。千恵は、沖縄の家族への送金を律儀に果たしたという。                                                                                                                                             長崎や福岡に住むこの親戚の遺族が各種証言をしてくれたが、内容は曖昧。                                                                      千恵は長崎の料理旅館の主黒川松栄と出会い、一九二七年・昭和二年二十二歳で黒川自然を産んだ。造船所は前年に退職している。黒川松栄との出会いのいきさつ、出産後の生活などの詳細は不明。弟は、すでになく、十歳違いの妹が、ひと度は姉の長崎での出産を認めていたが、本年はじめ、否定に転じて死去している。                                                                                            一九三七年・昭和一二年、三十二歳の時沖縄へ帰り、翌三八年・昭和一三年赤嶺盛昌氏と結婚。一九三九年・昭和一四年、三十四歳で女児を出産。百合子と名付けた。                                                                                       一九五六年・昭和三一年九月八日、五十一歳で肺癌で亡くなった。一人娘、百合子は奇しくも、千恵が沖縄を発ち長崎へ向かった年齢と同じ十七歳だった。明日九月八日は、千恵の命日である。千恵の夫、赤嶺盛昌氏は後を追うように二年後死去している。夫妻が眠る墓地は米軍K基地内に在る。                                                                                                                                この千恵なる女性が、黒川自然の生母であると当社は考えるが、断言するだけの資料を得ていない。千恵の夫、赤嶺盛昌の親族は「今さら」「そっとしておいてくれ」と、事実を認めるとも認めないとも言わない。赤嶺百合子と黒川自然の「DNA兄弟姉妹鑑定」という方法があり、両親又は片親が同一という可能性を、両親の場合の「兄弟指数」片親の場合の「半兄弟指数」として提示するが、肯定否定の決定的なものではない。この鑑定の勧めを赤嶺百合子に申し出てはいない。報告書はここで終っている。                                                                                                                                                     

比嘉が、その後を語ってくれた。                                                                                                                             つい最近、百合子は、父親の遺品に混じる母親の遺品の中に、見たことのない一葉の写真を見つけた。若き日の母親千恵が、男の子と写っている色褪せた古い写真だ。親戚筋の子供だろうと思っていたが、何人かの親戚筋に写真を見せて訊ねたところ、誰もが顔を顰めるのだった。半信半疑は確信に近付いている。                                                                                                                                                                                      昨日、黒川は亜希だけでなく謝花晴海にも同じ「脅し」の電話をしていた。晴海は百合子に伝え「何か決定的なものはないか?」と電話していた。百合子は、関係者を傷つけるまいと配慮して行なわれた謝花晴海の調査に心打たれてもいたし、事実なら兄に当たる人物に会いたいとも想っていたので、昨日その写真を晴海に見せた。写真を見た晴海は確信した。写真の子は、七十年の歳月を経てなお、自然そのものだった。今日、百合子はDNA鑑定受諾を言うのではないか・・・。                                                                                                                                                                     

あゝ、この報告書には、沖縄と日本の関係が、軍国が、昭和が、黒川の生母の悲哀の歴史が、二十世紀日本の女性が、封建が、日沖の「家」というものが、黒川の「総決算」しなければならない歳月が、・・・詰まっている。比嘉が時間を割いてこの席を用意した血肉から湧き出る「思想」が詰まっている。裕一郎は、命の終わりを間近にしてこだわる黒川の執念の言動を全面的に受容れようと想い、思い詰めた老人の狂言かもしれない事態に時間を割いて惜しまない比嘉という人物との歴史を噛み締めていた。                                                                                                                                           比嘉が、黒川はその妄想を実行して果て、ユウくんとギャラリーは妻に託す積りではないだろうか、と言う。無計画に見えて、その辺りのことも配慮していたんじゃないか? お前さんのギャラリー作りが、そういうジイさんの全体プランに組み込まれていたとしたら、どうじゃ? 黒川の日常を知る者としては考えられないが、一笑に付そうとも思わない。                                                                                                                                                                                   

同世代と思しき女性と、やや年長の女性が席にやって来た。謝花晴海と赤嶺百合子だ。                                                                                      赤嶺百合子だろう女性は、黒川が言っていた女優を老いさせればこうだろうと思わす顔立ちだった。母親・千恵似なのだろう。                                                                                                                                               挨拶を済ませると、百合子は早速、件の写真を取り出して見せた。                                                                   間違いなく、黒川だ。黒川自然だ。                                                                                                         詳しく語り合おうとした矢先、黒川がやって来た。比嘉が立って迎えた。                                                                       硬い表情の黒川が、全員を睨んで言う。                                                                                                                                              「沢山集まってぼくを説得か? 言っておくがぼくの決意は変わらないぞ。明日、誰が何と言おうと突入するんだ。ゲートで殺されてもいいんだ。そうなれば、殺したのは米日沖のある連合ということになる。裕一郎君、そこをしっかり後世に伝えてくれ」                                                                                                                                                                                                                      裕一郎がその迫力に怯みながらも、「黒川さん、沖縄は母じゃなかったんですか?母を敵に回すのか?」と言葉を返そうとすると、その前に比嘉が言う。                                                                                                                                         「黒川さん、ぶっそうなこと言うなよ。沖縄の心を信頼しなさいや。明日は母上の命日なんだってね。今年は無理でも、来年墓参できるようにする。ワシは出来ることの全てをするよ。約束する」                                                                                        百合子が写真を手にして立った。                                                                                                                     「お兄さん・・・・・・・なんですよね。これ、あなたですよね」・・・」と写真を黒川に手渡した。                                                                        君は誰?といった表情でやや顔を斜めにして、黒川が受け取った写真を凝視している。                                                                                                         「ぼくだ、これはぼくだ。憶えている、これは運動会の日、ウメさんが写した写真だ。尋常小学校の校門前だ。運動会の日、何故かウメさんが写真写真と強く言ったのだ」                                                                                                                 そう言ったきり黒川の言葉が続かない。見る見る、黒川の高潮した顔の目と鼻と口から、液というべきか汁と呼ぶべきか、液体がとめどなく流れ出している。百合子の手を握って発する、黒川のオオゥ、ウーという声にならない音が響いた。                                                                                                                                                                                  比嘉がもらい泣いている。百合子は嗚咽し、謝花晴海は堪えるようにハンカチを目に当てていた。裕一郎は溢れるものに困惑して、目の前の光景に身動きできずに居た。                                                                                      比嘉が「これからどう進めるか相談しよう。な、黒川さん」と言うと、黒川は黙って頷いた。                                                                                                            比嘉が裕一郎に顔を向けて言う。                                                                                                                     「裕一郎よ。沖縄、日本。ワシらが残された時間にすることは五万とあるぞ。それぞれの場所でそれをしよう」 裕一郎はどのようにも答えられない己を認め戸惑いつつ、ただ立ち尽くしていた。                                                                                                                                                                                         ようやく、全員が腰掛けた。姉のように黒川の手を握り泣きながらも微笑んでいる妹を見て、百合子という名から、又しらゆりの花言葉を思い浮かべていた。無垢と威厳。                                                                                                                       裕一郎の中では、機内で見た夢と、目の前の事態とは区別なく一つだった。この上は、黒川が美枝子とユウくんの自由往来を認めるだろうと想うと、ふと、敬愛する女性歌人のある歌が浮かんで来るのだった。                                                                                                                                        

鳶に吊られ野鼠が始めて見たるもの己が棲む野の全景なりし  /斉藤 史                                                                                                 

 

(『じねん 傘寿の祭り』 完 )

連載 82: 『じねん 傘寿の祭り』  エピローグ (3)

エピローグ③

明日九月八日と聞いたが、一日前倒ししたのか。                                                                                   四十Mほど先を、国道に面して延々と続くフェンスに沿って歩く黒川が見えた。ここは何処の米軍何基地だろう。黒川が往く前方二百五十Mには基地の正面ゲートがある。黒川は何故か白衣を着ていた。両ポケットが膨らんでいる。                                                                                                                                                          黒川の生母の親戚筋、生母の友人知人の遺族、あらゆる情報源を探り生母を特定した探偵社の、調査の女性:謝花晴海が言った。                                                                                                                        「視て、あのポケット。手榴弾だと思う。黒川さんが入手したと電話で言っていた手榴弾じゃないかな。真偽の程は怪しいのですが、本人は、集団自決=強制集団死の地の遺族から手に入れたと言ってたんです。事実だとしてももう発火しないとは思われますが・・・」                                                                                            比嘉が「いかん走り出したぞ」と追い始めた。比嘉に続いて、晴海と、晴海が連れてきた女性、裕一郎、計四名が一斉に走り始めた。                                                                                     気付いた黒川は速度を上げようといているのだが、時々咳き込んで立ち止まり、速度はかえって鈍る始末。距離にして六~七十M、時間にして二十数秒だろうか、四人は黒川に追い付いた。                                                                                             「止めてくれるな。突入する。突入して墓まで行くんだ。そして母に会うんだ」                                                                                          比嘉が分厚い手で黒川の手を掴んで言う。                                                                                                                                                       「何を言うとるのか!ジイさん。突入なんて出きゃせんぞ。しかもポケットの怪しげなものを振りかざしたりしようものなら、たちまち殺されるぞ!」                                                                                                                                                                         「もうこの歳だ。命の閉じ方は承知しておる」                                                                                                                                黒川が身体を揺らして地団駄を踏んでいる。

一人の老人を初老の男女が四人がかりで、まるで取り押さえているような光景は確かに異常だ。通りかかった県警のパトカーが、窓を開け速度を落として様子を伺っている。晴海が「父です。何でもありません」と言い、黒川も笑顔で顔の前で手を左右に振った。パトカーは行き過ぎた。                                                                        黒川はゼイゼイと呼吸している。患っている心臓は大丈夫だろうか。裕一郎がその心配と「ユウくんのことはどうする気なんです?」とを言おうとしたとき、突然黒川が五人の目の前にある高い網状のフェンスに向かって突進した。柵を越えフェンスに手をかけた。よじ登るつもりなのか? 上部の線には高圧電流が流れているんだぞ!                                                                                                               黒川の背に向かって、裕一郎と晴海より十ばかり年長の、晴海が連れてきた女性が始めて口を開いた。大きな声で言う。                                                                            「黒川さん、黒川自然さん。私は貴方の妹かもしれないのです。」                                                                    黒川が振り返った。                                                                                                          金網フェンスの揺れを激しく感じた時、

裕一郎は機体の揺れに目覚め、シートベルト装着を促す機内放送を聞いた。                                                                                            夕刻那覇空港に着き、到着ロビーを歩いていると比嘉から電話がかかってきた。四階の喫茶レストランに居ると言う。やはり空港まで来てくれたのだ。来るのは比嘉だけではないような気がする。                                                                                            レストランに行くと、滑走路を見渡せる窓際に比嘉が居た。薄いファイルを読んでいる。謝花晴海の報告書だと推測した。                                                                                                    「おう、裕一郎。朝電話のあと調査の謝花さんに電話して会って来たよ。ジイさん、お前が松下亜希さんから聞いたのと同じ脅しを謝花さんにもしていた。突入とか手榴弾とか言ったらしい。自分には時間が残されていないと思い詰めているんや。脅しのパフォーマンスだとしても捨て置けない。彼女はジイさんを説得する一方、ジイさんの妹に当たる人赤嶺百合子と言うんだが、その妹に伝え、赤嶺家が正式に認めるよう再度説得したらしい。謝花さんも、赤嶺百合子さんも、そしてジイさんもここへ呼んである。間もなく来るだろう。ワシは戦争で父親を失った。年老いた母ももう長くはない。村で軍への志願を率先して説いて回ったという亡き父親との対話が、ワシの原点や。じゃから、ジイさんの言う『決着を付ける』という想いは共有できるんじゃ。」                                                                                                                                              比嘉から晴海の最終報告書を受け取り目を通した。

連載 81: 『じねん 傘寿の祭り』  エピローグ (2)

エピローグ②

裕一郎は近い私鉄の駅へ向かい、駅横から出ている関西空港直行バス停車場のベンチに腰掛けていた。バス到着まで二十分ある。探偵社の、謝花晴海だったか、同年代のその女性に会いたい。会って、黒川生母探しの経過と結論を聞きたい。晴海を知っているという比嘉に電話した。「九・八黒川決起」のあらましを伝え、謝花晴海に会いたいので連絡とってくれと依頼した。比嘉が飛行機の那覇到着予定時刻を訊ねて来る。空港へ来てくれると言うのだろうか。ただ事ではないと直感する比嘉の対応が嬉しかった。                                                                                                                  バスは相変わらず空席が目立った。

戦勝国アメリカは、戦後「ハーグ陸戦条約」を根拠として沖縄を占領していた。サンフランシスコ講和条約締結(五一年九月八日)以降アメリカ軍の駐留は国際的に認知されることとなる。条約発効(五二年四月二八日)前の五〇年初頭から基地建設は本格化し、アメリカ政府の出先機関である琉球諸島米国民政府(USCAR)(比嘉の話に出てきたな)は、布令・布告を連発して民の土地を接収。基地の拡充を進めた。一九六〇年六月、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(「日米地位協定」)(あゝ長ったらしい!)の発効により、治外法権的特権・財政負担・各種便宜を得て、今日まで犯罪の逮捕権・捜査権・裁判権、軍関連諸費用・経費負担などを巡る理不尽が続いている。

去年黒川が移住を決断した沖縄からの一本の電話は、生母に関する情報だったが、その直前の米軍機の沖縄国際大学への墜落事故の際も、現場に米軍が非常線を張り、沖縄警察の捜査を妨害阻止したなぁ。轢き逃げ事件・暴力事件・性犯罪、裕一郎でさえ多くの事件を思い出せる。九五年九月の米兵三人による少女拉致暴行事件の衝撃は国民に届き、誰もが「日米地位協定」の構造を考えたと思う。                                                                        米軍基地の拡充は、当然ながら多くの墓地をも呑み込んだ。                                                                                沖縄では清明祭(シーミー)と言って、旧暦三月清明節(四月五日ころ)に先祖の墓前に一族門中が集い重箱のご馳走を持ち寄り先祖を供養する。米軍基地内に墓がある場合、この行事でさえ地元自治体に申請し、米軍の立ち入り許可をもらう必要がある。基地内では米兵が先導、案内されて墓に向かうのだ。基地アピールの行事では寛容で開放的な米軍が、先祖供養には厳格な手続きを要求するのだ。この煩わしく屈辱的な事前手続きに、先祖様を含めたウチナーの今が象徴されている。                                                                                                  小規模な身内だけの命日墓参は、しばしば日程変更を求められ、九・一一以降、イラク戦争開始以降はさらに、基地立ち入り許可は難しくなっている。事態は戦争と直結している。

黒川は、心ある女性調査員の努力と説得で、生母を特定できたのだろう。生母は結婚相手の一族の墓に眠っていよう。否定に転じた妹さんは亡くなったというから、娘さん、黒川の妹にあたる人物が重い口を開いたのか。そこは、分からない。娘さんが「確かにそうです」と認めているならDNA鑑定など不要だ。互いに記憶を辿り、想い出の品や漏れ伝わる逸話を繋ぎ合わせて行けば照合できよう。墓参が叶わないのなら、特定は出来たが、先方の認知には至らないということだろうか・・・。                                                                           黒川が墓を訪ねるには、関係者の同意、自治体への申請、米軍の許可という手続き全てをクリアする必要がある。                                                                                                                                  もし娘さんが証言したとして、にも拘わらず一族親類縁者の異論で希いが叶わないなら、黒川にとって、それも「妨害者」となるのだろうか・・・。いつだったか、黒川が「ぼくが母に会うことを妨げる要素は、ぼくにとって全て敵なんだ」と言っていたのが気になる。それはちょっと違うと思う。                                                                                                   黒川自身の先妻と子、妻:美枝子との関係に照らせば、家族の事情や制度や「家」という強固なものが絡め織り成す要素は、「敵」などと言い放ちは出来まい。が、そこは黒川様の変則三段論法だ。母は、母たる沖縄は、ぼくを認知すべきなのだ。そこにおいて、ぼくの沖縄帰還は完結するのだ。                                                     その前に立ちはだかる、米日の条約も基地も、フェンスもMPも県警も、紛れもない「敵」なのだ。そしてぼくを容れない沖縄に在る要素は、「敵」ではなくとも、「妨害者」であり内部矛盾なのだ。黒川理論ではそうなる。

裕一郎は関空のゲートをくぐった。                                                                                                  黒川さん、何をしでかす気や! 不安を抱えて那覇行きANA機に搭乗した。

 

 

連載 80: 『じねん 傘寿の祭り』   エピローグ (1)

エピローグ①

裕一郎が退院して向かった妻の転居先は、高度経済成長期に各地に大量に建てられた、狭い一戸建公営住宅風の昭和の香り漂う住居だった。格安家賃だからと妻が選んだのだ。部屋が田の字に配置されていて、狭いキッチンの隣に風呂があり、トイレは後年改装されて水洗になったに違いない造りで玄関の横にある。窓のサッシは全て木造で隙間風が入って来る。それが七〇年代から運ばれて来る風ように感じ、七〇年代の初め住んだ文化住宅を思い出させた。猫の額ほどの庭があって、妻がその狭い裏庭でトマト・パセリ・大葉・キュウリなどを作っていたのを思い出した。その文化住宅で央知も姉も生まれたのだ。                                                                        ギブスを外しても、帰ってきた放蕩息子のように、脚の不自由を理由に何をするでもなくダラダラ過ごしていた。実際、松葉杖生活は洗濯物ひとつ干せやしない。妻は怪我人を鞭打つことはせず、仕事を続けた。                                                                                                                                                                                                                               裕一郎は連日、リハビリに通院し、帰っては有線放送でかつて見逃した映画を観て過ごし、合間に「黒川との沖縄」を書き始めていた。黒川から二度、ユウくんから三度電話があった。最低限の生活は確保しているようだ。ユウくんは亜希と海へ行ったと報告してくれた。                                                                                                              焦る気持ちが無いではないが、松葉杖を卒業するまでしばらくこのまま居ようと決めていた。どの道、仕事は見つけなければならない。高志の呼び出しには松葉杖をついて二度ばかり呑みに出かけた。大学前駅待ち合わせの一件の真相を言ってやったが、もちろん高志は「それがどうした」とばかりに軽くいなし、話に乗って来ない振りを決め込んでいた。高志はノザキへ戻れと繰り返し言ったが、返事を保留しておいた。                                                                                                                                           八月末、玲子から朗報がもたらされた。                                                                                     黒川から現物支給された太陽作の焼物の買い手があったと言うのだ。                                                                    大陽会の会報にも載せ、黒川の大阪時代の客の何人かを辿り太陽の焼物の話をするうち、その一人が「美枝子さんなら買い手を探すかも」となり、美枝子の所在を知る人が彼女に連絡した。                                                                                     美枝子は熱烈な太陽ファンを憶えていて教えてくれた。連絡すると、その人物が買うという。太陽会の筋からも引き合いがあった。                                                                                                          その価格は、何と三点で百万以上だという。三点とも揃っているのが味噌らしい。陶芸界も不思議な世界だ。                                                                                                                                      二つのルートを天秤にかけるのも美枝子さんに失礼、美枝子さん紹介の人にしなよ、とのことだった。                                                          裕一郎は考えた。その価格は想定外だ。黒川もここまでの値が付こうとは思わなかっただろう。いや、予想していたのなら黒川も大したものだ。最後にカッコ付けやがったか。見直してやってもいい。いずれにせよ、売ったら半額だけいただいて、残りを黒川と美枝子に半分ずつ送金するか。                                                            妻に話すと「そうして上げて」と言う。何故この女性と暮して来たのか・・・、その理由を噛み締めていた。                                                                                                                      九月になった。最後のリハビリでOKを貰い、松葉杖を放し、帰宅すると赤飯が待っていた。謝辞を述べておくべきだと思って「全快祝いか、ありがとう」と言うと、「アホ、花器が百二十万で売れた祝いや」と妻は照れ隠した。今日、買い手が玲子を訪ね花器と現金を交換、無事売買が成ったという。

翌朝早く亜希から電話があった。                                                                                                                                                                                                                                                                                             今、那覇空港。東京の団体の本部へ行き、明後日かの国へ発つと言う。ギャラリーじねんでオープン直後に会って以来だ。沖縄を離れることの、あるいは仕事のスタートの、挨拶だと思いゆっくりした口調で「がんばれよ」などと言ったと思う。                                                                                               亜希は急かされているような口調だった。                                                                                      「北嶋さん、大変なんです。黒川さんを止めて!」                                                                                                                          「何? 何のこっちゃ」                                                                                                                               「最後の闘いをするって、何やらぶっそうな物も持ってるらしいの。私、昨日最後の配達の帰りギャラリーに立ち寄って、黒川さんにお別れの挨拶したんです。そのとき『君は、明日沖縄を去るから漏れることは無い。誰にも言うんじゃないぞ』って念を押されて、計画を聞きました。明後日、つまり明日九月八日に決行するって」                                                                                                                                                        「黒川さん、何をするって?」                                                                                                                        「それは言ってくれませんでした。決着をつける、母に会うんだと思いつめた表情で真っ青なお顔でした」                                                       「明日するって、九月八日・・・? うーん何の日やったかな」                                                                                             「島に帰ってからネットで調べました。一九五一年九月八日、サンフランシスコ講和条約の締結です。北緯二十九度以南、奄美・沖縄を含む南西諸島を日本の行政権から切り離すという同条約第三号です」                                                                                   「想像やけど、生母のお墓を特定出来たんじゃないか。で、たぶん、お墓は米軍基地内にあるんやないか。その関係の手続上からも関係者の同意を得られないことからも、お墓に行けない・・・それで・・・。で、ぶっそうな物って?」                                                                                                                                                                                                                          「分かりません。本人が道具は用意した、って言うんです」                                                                                   「よし、今から行く。黒川さんも、何を言うてるんじゃ全くぅ。ユウくんのこともあるのに」                                                                                      「でしょ。止めて下さい。ことが終ったら北嶋君に話してくれ、彼は解かってくれる、って仰るんです」                                                                               「遺族説得が最終的に不調に終ったんやろ。調査員の制止を振り切っての行動やろうなな・・・。分かった行く。松下さん、君は東京に向かいなさい」

 息子の結婚式は明後日だ。後日詳しく話せば妻も息子も、そして新婦:友華も式欠席を納得してくれるだろう。この話が通じるだけの関係を築いて来たとは言い難いが、人が生きて行く上で避けられない岐路、遭遇する選択場面での優先順位の決定基準を変更する気はさらさら無い。                                                                  妻に概要を伝えた。止める妻ではない。ただ、出かけるとき、妻が最後に玄関先でこう言ったのだ。                                                                                                                                                                                                                   「気を付けてな!脚まだ完全やないんやから・・・。その歳で逮捕なんかもう絶対アカンで! 帰ったら、こうして急遽沖縄へ行かなきゃならなかった理由、それをあんたなりに書いたらええよ。読ませてもらうよ」

 

 

 

連載 79: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ <6>

八、 しらゆりⅡ⑥

                                  ———————————————————————————————————————————————                                                                                                                           

ドアをノックする音の強度で訪問者が男だと分かった。                                                                                                    病室は空調が効いていて程よい温度なのだが、窓のカーテンは閉じられている。強い西陽を避けるためだ。                                                                                                                                  左右から引かれたカーテンが中央の重なる部分で十センチほど隙いている。その隙間から外が見える。病院のすぐ側を走る私鉄の線路が見えた。                                                                                                        裕一郎は、ギャッチ機能で背を立て半座位になって、高架ではなく土を盛り上げた路盤に敷設された線路を何と言うのだったかな・・・とボンヤリ考えながら外を見ていた。ちょうど、電車が走り抜けるところだった。防音が行き届いているのか気になるほどの音量ではない。入院して一週間、電車の音が気になって眠れないということはなかった。                                                                                                                                      ドアの方へ首を捻ると若い二人の男女が入って来た。                                                                                                                 「戻って来たと思うたら早速これかいな。どこまでオカンに迷惑かけたら気が済むねん?」                                                                                                                                 「ちょっと、央知さん」。女性がたしなめる様に男の袖口を引いている。男は怯まず続ける。                                                                                                                                                          「オカンはお人好しにも自分が引越しに呼び戻したばっかりに・・・と悔んどるんや。そんなことにも気付けん人なんやこの人は・・・」                                                                                                                       女性は、息子:央知の詰問を遮ろうと半歩前に出て言う。                                                                                          「始めまして・・・。上杉友華と申します」                                                                                                                     「この人と来月結婚するんや。」                                                                                                       「始めまして。父親の裕一郎です。そうなんですか、おめでとう」                                                                                                                                                                                        息子は三十二歳だったと思う。裕一郎が些細なことから単身生活を開始した頃、すでに会社員で広島を皮切りに転勤を繰り返していた。今は本社勤務となり京都に居る。姉がいるが彼女は結婚して横浜に住んでいる。その頃家はすでに裕一郎と妻の二人だった。                                                                                                                       「独りでやって行けると証明できたんか、独りでは無理やったと思い知ったんか?」                                                                                                    「証明しようとなんか思うてないよ」                                                                                                    「出て行った理由をオカンに説明できたのか?」                                                                                      「いや、解からんやろう」                                                                                               「自分に対しては出来てるのか?」                                                                                                           「それはもっと解からん」                                                                                                                                                    「何やねんそれ、独り旅ってか、贅沢な・・・。何の責任もないガキが、カッコ付けて北へ行くみたいな自己愛だけの放浪かい?」                                                                                                                        「俺は南へ行ってたんや」                                                                                                                                  「茶化すなよ。まあええわ、罰当たって脚折ったんやな。姉ちゃんもそう言うとるぞ」                                                                                                         「央知さん・・・」上杉という女性が、又央知の袖口を引いている。

石垣島の民宿のベランダで電話で話したとき、妻は「引越しするから手伝いに来る?」と乗りやすい依頼を振ってくれた。引越しを手伝うという大義名分を得て、求めに応じて帰阪したのだ。その引越しを終え、小物を運ぶ為に借りていたレンタカーを返しに行く際、事故に巻き込まれた。                                                                                                         坂道を下った処に在る大きな交差点、赤信号で停車していた。裕一郎の車は前から四台目。すぐ後ろにもう一台乗用車が停まった。                                                                                                     右折車用に右折車線があり、直進車は左車線に並んで停まっている。バックミラーに大型のトラックが写った。そのまま進行すれば、右折車線に進むことになり、交差点まで進んでは車線変更出来ない。直進したいのだろうそのトラックが左車線に割り込もうとした。加速しているのではないか、強引だなぁと思った瞬間、ガチャーン・グチャっという音がして、前後から挟まれた車は大破。後ろの車を含めた計五台は押し出され最前列の車は交差点の中にいる。裕一郎はどこでどうなったのか判らぬまま、激痛走る左脚を引きずり車外に出た。後ろの乗用車の運転者はまだ出て来ない。最前列の軽トラックはワインを満載していて、道路に瓶が散乱して、割れた瓶からワインが流れ出ている。ほどなく、全運転者が車外に出てきた。奇跡的に全員命に別状は無いようだ。ガソリンの臭いが漂って来た。引火の恐れありと誰かが指摘して、車との距離をとった。信じられないことに、裕一郎の車は、大げさに言えば運転席と後部座席が引っ付いていた。                                                                                                                                                      衝突して以降のことは何が何だか分からないが、直前のトラック割り込みに至る映像だけは、スローモーションで再現できた。                                                                                                                                             救急車が来て、全員が病院に搬送された。激痛の脚は骨折していた。挟まった足首がカエルの足が捻れたような状態でのことのようだ。くるぶし=腓骨の下部の骨折ということだった。左足膝下から指の付け根までギブスを固定した時には、内出血で爪先に血が溜まり腫れて濃紫色を帯びていた。二週間で退院。ギブスを外すのに四十日前後、松葉杖なく自立歩行できるようになるには二ヶ月強を要すらしい。                                                                      央知に言われるまでもなく「罰が当たった」と思った。                                                                                             当然、まだ引越し先では一度も寝起きしていない。退院すれば、そこへ帰ることになる。                                                           裕一郎は、受容れてもらうための当然のペナルティを支払ったのだと納得していた。そのペナルティの支払いにも妻の介助介護を必要とするのだが・・・。しかし、怪我は痛く不自由なのだが、たぶんそのお陰で妻が積もる言い分の発言を手控えたと思う。いや、ほとんど言わなかった。代わりにこう言ったのだ。                                                                                               「退院したら、家を空けてまで過ごした『お値打ち』の日々を、書いてみたら? せめて沖縄三ヶ月だけでも・・・。読んでやるよ」                                                                                                 値打ちなどありはしないのだ、困った。『お値打ち』か・・・。                                                                                                                   

「あと一週間初期リハビリをして退院や。しばらく松葉杖やな」                                                                                                                        「しっかり噛み締めたらええよ」                                                                                                       「そのつもりや」                                                                                                         「結婚式には、松葉杖で無理して出席せんでもええんやで」                                                                                                                          「・・・・・・」                                                                                                             「いえ、是非出て下さい。私は父が亡くなってますので有り難いです」                                                                  「ありがとう。体調が許せば出席させてもらうよ」。上杉友華が裕一郎をしっかり見てニッコリ頷いた。                                                                       央知がそれまでの口調の角をやや削って言う。                                                                                                                           「入院費・治療費は大丈夫なんか?」                                                                                          「その点は大丈夫や。事故は百%相手方に非があって、運転手も認めてる。全部保険で出る」                                                                    「収入の補償は?」                                                                                                                                 「俺、収入証明なんか無いんで、主婦扱い、主夫やな。実際、沖縄で主婦してたんやが・・・。主婦は日額七千五百円やそうな。友華さん、七千五百円ですよどう思います?」                                                                                                     「収入証明できる仕事を続けます」友華が笑って返した。亜希と変わらぬ年齢だろう彼女の毅然とした返しを聞きその笑顔を見て、央知がこの女性を選んだことに頷き、「息子をよろしく」と念じていた。                                

二人が帰った後、不覚にも涙がこぼれた。                                                                 ユウくんと二人の生活をして見せると宣言し、曲りなりに、実際相当曲がっているが、曲りなりに続けている黒川、松山の温泉旅館従業員寮に居る美枝子、沖縄から再びかの地へ発つだろう亜希、黙して若い女性と別れたのだろう高志、やはり放蕩には違いない数年の果てのうらぶれ男を受容れた妻、彼らの人生・・・それが押し寄せてくるのだった。                                                                                                          それは、怪我・入院という苦境ゆえの弱気だけが思わせた心情ではないのだ、そう自覚していた。

(八章、しらゆりⅡ 終    次回より エピローグ)

 

連載 78: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ(5)

八、 しらゆりⅡ⑤

石垣島三泊のうち二泊した民宿は川平湾に面している。                                                                   川平湾に在るダイビング教室に参加して、若い男女に混じって海に潜った。午前中に初心者講習を受け、午後からインストラクターに先導され、短時間ではあったが初めて巨大なマンタを眼前に見た。真上のマンタは八畳はあろう大きさで、初めてのダイビングにパニクっている初老男を見守るように悠々と往く。海の中で一種の閉所恐怖症状態の裕一郎は、その偉景を味わうことも出来ず、見下ろしている大きなマンタの慈愛の眼差しを感じながら己の矮小さを噛み締めていた。

その日の夕刻、民宿のベランダで爽やかな凪風を受けて目の前の湾に見惚れていた。食事を待ちながら泡盛をチビリチビリやっているところへ携帯電話が鳴った。                                                                                                     「黒川さんのギャラリーがオープンして任務終了、引き上げるんやてね。ご苦労さまでした。今日焼物が届いたよ。高志がたぶん報酬の現物支給だと言ってるけど」                                                                                 「それ開けてくれ。値段調べてそういうの好きな人、つまり買手やな、買手を探してくれよ。適正価格で売りたい」                                                                                                                                「どんな作品?」                                                                                                                                                              「知念太陽の作品や。昔、太陽の工房が火事に遭って、その時焼け残ったものらしい。黒川さんは高く売れると言うとる」                                                                                                                                                                     「ホント? けど、有名なタロウのものならともかく太陽は若いし、いくらいわく付きの品でもまだまだ高値は付かないと思うよ。(ねぇ、そう思わん?)。高志は黒川さんから何回か太陽の焼物買っているけど、二~三万だったよ。それに少し色つけて・・・てなところでしょ。現物支給を納得させる黒川さんの巧みな戦術と違う?(あの人らしいね。黒川さんに乗せられたんやね)」                                                                                                                      受話器の向こうに高志ではない誰かが居るようだった。                                                                                                      「そうか・・・、そうかも分からんな。ジイさんの戦術にやられたかもな。彼も必ず高く売れるとは言ってないんやけど…。まぁ、買手探してみてや」                                                                                                                                                                                          電話の主が聞きたいのは届いた焼物の事以外にあると分かっていたが触れずに、ギャラリー開設に至る話の一部をしばらくした。その触れず避けた話題を玲子が訊いて来る。                                                                                             「沖縄で高志の会社の元社員の人に会ったそうやね」                                                                                「ああ。黒川さんのギャラリー作りに協力した土産物工房で働いていた。その関係で何度か会うたけど」                                                                                              「元気にしてはった?」                                                                                                       「ああ、元気やで。昔居た団体に戻るそうや」                                                                                                  「ふ~ん、そう。」                                                                                                                                        話題を変えようと思うと、その元社員の女性から聞いた出来事、大学前駅の三十数年前のシーンについて話していた。憶えてるか?あの駅前、君の部屋へ行って食った野菜炒め・・・。                                                                                        「あの時、高志は君と俺が待ち合わせてたと思うてるらしい。俺はてっきり君は高志と待ち合わせてると思うてたよ。そうやないんやね」                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「えっ、アハハハハ・・・・。憶えてるよ。映画観に行く約束で友達を待っていて、三十分も待たされて帰ろうと思ったら、あなたらに遭ったんよ。その友達、ウッカリ忘れ多い人なんよ(えっ?何言うてるのそうやんか)」                                                                                                                「へぇ~、そうやったんか。高志に言うてやれや」                                                                                                                                                                                                                                               「ええよ言わなくて・・・今さら。あんたと待ち合わせてたということでええやんか。(ほら、大学前駅で三十分もあんた待ってたのに来なくて、高志と裕一郎に会ってうちでご飯したって言うたでしょ。あれ、私が待ってた相手、高志は裕一郎だと思い、裕一郎は高志だと思うてたんやて。アホやね、あの人ら・・・。訊けばええのに・・・。)その話、高志がそう思うてるって話、それ本人が言うてるの?誰かから聞いたん? まぁ、ええわ。あのね、あの時待ち合わせてた人、偶然いま隣に居るんよ」                                                                                                        「はあ、誰?」 電話に出る出ないの押し問答が聞こえた。                                                                                                                                               その人物に受話器が渡って、電話の声の主が変わった。「生きてるんかいね?」

連載 77: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ (4)

八、 しらゆりⅡ④

「知ってるよ。いいって、いいって」                                                                                                    ユウくんは裕一郎の「悪いなユウくん。北嶋さんな、仕事の都合で大阪へ帰るんや」に対してそうケロリとして返した。園舎の玄関横に在る、蛇口がいっぱい付いている長い手洗い場で、ちょうど園庭から園舎に入る時の決め事「手洗い一分間」を実行しているユウくんに声をかけたのだ。                                                                                                                                                                                              「知ってたのか・・・、いつ知った?」                                                                                                                          「最初からだよ。北嶋さんが来た時から。北嶋さん、チチのギャラリが出来るまで居ると言ってたよ。この間も、ギャラリで亜希さんにさよなら言ったよ」                                                                                                             ユウくんは現実を受容れる訓練を日頃からして来たのだ。もう北嶋さんとは海へ行けない、もう北嶋さんが作る美味い夕ごはんも、フレンチトーストも食べられない、「じんじゃえる」を飲んで美味しい焼き鳥を食べた居酒屋へも行けない・・・。そんなことはとうに覚悟している。いや、覚悟しているからこそ、ひと時裕一郎にあれこれせがみもしたのだ。無いモノねだりをして駄々っ子になったりはせず、淡々として事態を受け止めている。父親よりも自分よりも、よほど「人間」が出来ている。裕一郎はそう思って感謝に近い感情に包まれていた。                                                                                              「亜希さんは行かないから、北嶋さん悲しいね」                                                                                         「亜希さんはね元々行く予定はないんだよ」                                                                                                                                                    「そうか・・・、残念だね」                                                                                                    「亜希さんは自分の予定や仕事があるんや。南アジアという処へ行くんだよ。外国だ」                                                                                      「ふ~ん、北嶋さんもそこへ行ったらいいのに。毎日亜希さんに逢えるよ」                                                                                                                                       「ユウくん、逢えない方がずっと仲良しでいられることもあるんだよ」                                                                                                     「そっか・・・」ユウくんはそう言って、微かにため息を漏らした。                                                                                                                      裕一郎は今自分が吐いた言葉が、年齢差・関係性・経過事実や相手の心の辺境とその理由、それらを見ないことにして振舞った先夜の己を、救済する為のものだと自覚していた。正確に言えば「ずっと仲良しでいられたらいいのにな」だろうか。

ユウくんが園舎内に戻るのが遅れますと職員に伝え、了解をもらっている。心得たものだ。                                                                                         ユウくんが胸にぶら下げた携帯電話を手にする。開いた左の掌を裕一郎に向け「ちょっと、待ってて」と合図した。ユウくんが慣れた手つきでどこかにかけている。                                                                                                                                         「うん、そうだよ。うんうん。北嶋さんは石垣島に行ってから大阪へ行くって。えっ?うん、は~い、いま代わるね」                                                                                                          ユウくんが「北嶋さん、ハハだよ」と携帯電話を寄越した。                                                                                                                   ハハ美枝子は開口一番にギャラリーオープンへの感謝を言って、次いで黒川家の家事に関して、続いてユウくんとの日々への慰労を口にした。                                                                                                                                 話の最後に「私たちの送別会に来てくれた人、亜希さんでしたか、あの人と逢えて良かったですね」と付け加えた。裕一郎は、何でも知っているのだなと呆れるより、美枝子-ユウくん間に成立している日頃のホットラインの頻度や濃さを思った。                                                                                                                                                                                    ユウくんは黒川との日常以外の場所で、美枝子と連絡を取り合ったり、バスでの往き還りのでのユキちゃんとの逢瀬を確保して、黒川が知らない世界も生きていたのだ。しかも、黒川の知るところとなって黒川との間に気まずい空気を作ってしまうことを避けながら。                                                                                      ユウくんの工夫や秘匿が思い遣りに近いものだと思えて来る。人間の感情の機微へのユウくんの智恵ある配慮に間違いなく元夫婦は助けられて来たと思うのだった。                                                                                                              この父母だけではなく裕一郎を含めた大人たちの振舞いこそが子供じみているのではないだろうか・・・。                                                                                                                      無垢と威厳。裕一郎はしらゆりの花言葉を思っていた。

連載 76: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ (3)

八、 しらゆり③

黒川の講義が続いた。                                                                                                                しらゆりはもちろんユリ科だが、ユリ科にはオニユリ、タカサゴユリ、クロユリなど各ユリの他に、チューリップ・ヒヤシンス・スズランなどがあるんだ。ちょっと意外だが、タマネギ・アスパラガス・ニンニク・ニラ・ネギ・アサツキもユリ科だそうだ。ちなみにユリの花言葉だが、オニユリは陽気・愉快、クロユリなら復讐・呪いと来る。ユリも七変化なんだね。しらゆりはさっき言った母以外にも色々あって、威厳とその反対のような無垢というのもある。けれど、無垢なる精神の極まりにこそ威厳はあるのだという哲学的意味合いにおいて正解だ、とぼくは納得している。そうだろう、母とは無垢にして威厳ある存在じゃないかね。百合子という娘の名付親はみな、そんな想いを込めてるのじゃあないのかねぇ。ぼく、ユリに詳しいだろう? なに、唐津と嬉野の間の山あいに窯を持つ若い陶芸家がね、作品にユリを好んで描くんだよ。扱った時にちょっと調べてね・・・。                                                                                                                                                             裕一郎は、いささか美化されたような黒川の母性観に嫌悪感を抱いた訳ではないのだが、自身の母親を思い浮かべて無垢や威厳とは程遠いなぁ~と苦笑った。                                                                                                                                                                                                                                                                      「何が可笑しいんだ。ぼくを母親依存症のマザコン息子みたいに見るんじゃない。花言葉は花言葉だ。」                                                                                                 「いえ・・・。沖縄とユリは関係深いんですか? あっそうだひめゆり部隊もそこから?」                                                                                                                                                                                                                                            「バカ者、何も知らない男だなぁ。関係深いどころか、しらゆりは鉄砲百合とも言って立派な沖縄原産植物なんだぞ。あちこちに自生群生している。花期は四~六月、まだ咲いてるんじゃないか。日本では六~七月だ。俳句でも晩夏七月の季語だ。それからね、ひめゆり部隊は、ひめゆり学徒隊というのが本当の名称だ。ひめゆりはね・・・」                                                                                                                       1943年、昭和一八年だな、沖縄県立第一高女と沖縄県女子師範学校が教育令改正によって併設されるに当たって、校友会も一つになり、それぞれにあった校友会誌もひとつになった。その際、二誌の名前「乙姫」と「白百合」から字を取って併せ新しい名称にしたんだ。それで「姫百合」になったそうで、ひらかなで「ひめゆり」と呼ぶのは戦後だそうだ。喜屋武岬の断崖に咲くのは偶然ではないような・・・ぼくは、そんな気がしている。                                                                                                                                                                       ぼくの母が、戦後もそのしらゆりを毎年観ていたのだと思えば、この酒は疎かには呑めないんだよ。                                                                                          「しらゆりはうつむき咲きて母はなし(幡 敦)」と黒川がつぶやいた。                                                                                                                                                                                聴いていた亜希が「黒川さん…」と言ったきり絶句して、黒川の手を握った。                                                     「黒川さん、今夜しらゆりを存分に飲んで下さい。私、明日ここへ来なくていいのなら、喜屋武岬へ行きます。断崖のしらゆり、見て来ます」                                                                                                                             「そうしたまえ。しらゆり、今夜久し振りに北嶋君と呑ませてもらうよ」                                                                                   「北嶋さん、いつまで・・・」                                                              「数日中に出るつもりや」                                                                     「そうですか、沖縄では最後になりますね。お元気で・・・。いろいろ有り難うございました」                                                                                                                                                                                   「松下さんも・・・。携帯電話は変えないから、また電話くれよ」                                                                                                                                                     それに無言で頷いた亜希がユウくん言った。                                                                                                                   「またお姉さんと海へ行こうね」黒川がニッコリ笑っていた。                                                                                                                                                               裕一郎は、俺への海行き批判とはずいぶん扱いが違うじゃないかなどとは全く思わず、それでいいんですよと何故か豊かな心に洗われるのを感じるだった。

 船はもう無い。予定通り近くのビジネスホテルに泊るという亜希が去り、三人で帰った。車の中で黒川が言う。                                                                                                                                                                                                                                                                   「ヒロくんから聞いたんだが、先日、大空が告白したらしい」                                                                                                                          「へぇ~、そうですか」                                                                                           「亜希くんの返事は、ゴメンナサイ!だったそうだ」                                                                                           「そうなんですか」                                                                                                         「道理でオープン前ころから急に来なくなった訳だ」                                                                                                                                          「そうですかね、それは違うでしょう」                                                                                                                                                                                                   無言でしばらく走るとまた黒川が口を開いた。                                                                                                                       「君は、先夜の朝帰りの時、亜希くんに拒否されたと言うより・・・、できなか・・・・・・まっ、いいか。二人の態度と会話でぼくには分かるんだよ。無駄に歳は喰ってない」                                                                                                                                          無視しておいた。黒川さん、貴方が言った通り当人たちだけが知っているんですよ。                                                                                                                                                                     裕一郎は思う。大空はいい男だ。けれど、例えどれほどいい男が目の前に現れようとも、亜希はこの三十歳の夏を譲り渡しはしないだろうと。男が手練手管や力で獲得するなら、それはある種の圧政だ、と。その関係はやがて破綻する、と。                                                                                                                          何故なら、「そういう関係」でもなければ、その「タイミング」でもないからだ、と。                                                                                                                                           帰宅後、三人で出かけオバサンの食堂で夕食を採った。オバサンが、黒川のしらゆり持ち込みに快く応じた上に、オープン祝だと二品付けてくれた。二人で半分空けてしまった。                                                                                              

ユウくんが風呂に入っている間に、黒川が何やら箱荷を抱えて部屋にやって来た。                                                                                                                                    「君の報酬の件だが、すまないが現金は五万円にしてくれ。これは、売れば一点十万以上の値が付くはずの花器で、壷と花瓶だ。知念太陽の幻の作品だ。東京の太陽の工房が火災に遭った時、奇跡的に焼け残ったもの九点のうちの三点だが、太陽が工房再建の資金の一部にと売り捌いて、その後マニアの間で高価売買されている。ぼくは当時余裕があったから、カンパのつもりで買ってやったんだ火災の焦げ跡煤が付いた臨場感ある一品だ。ぼくはもう太陽と縁を切っているが、いつか有効な使い方をと考えて来た。三点が行方知れずだと太陽会の会報に出ていたから、面白いことになるかも知れん。これで許してくれないか」                                                                              「いいですよ」他に何の言葉も添えなかった。黒川がキョトンとして出て行った。

 明後日から石垣島へ行こうと決めた。                                                                                                                                                          花器三点を荷造りした。宛名欄に高志の住所・氏名を書いた。                                                                                                                                                                  翌朝高志に電話して、小旅行に行ってから帰阪するので焼物の荷をそちらへ送る、俺マンション返して今住所無いし・・・、代わって受け取っておいてくれ、と伝えて発送した。高志は笑っていた。予想通り現物支給になったのだなと分かったのだろう。                                                                                                                                                                                                                                                       ユウくんへの挨拶が残っている。レンタカーを返す前にユウくんが通うひかり園へ向かった。

 

連載 75: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ (2)

八、 しらゆり②

翌日、裕一郎は園を休んだユウくんとともに比嘉の後輩の議員を訪ねた。ユウくんに週一回の付き添いを介護保険の範囲で確保できる手続きを取ろうとなった。帰宅して黒川に伝えよう。たぶん納得するだろう。議員は、黒川の居住地の担当窓口を教えてくれ、月曜日に連絡を入れておくと言ってくれた。上手く運ばない場合、いつでも駆けつけると、聞いていた通りの穏やかで誠実な対応をしてくれた。

昼から比嘉のアトリエを訪ね、ユウくんがシーサーの仕上げに熱中した。                                                                                               帰り際、比嘉が言う。                                                                                                                 「裕一郎。ジイさんは理不尽だ、俺は間違っていないと思っとるんか?」                                                                                                        「いいえ、同じ土俵でジタバタしてると思うてます」                                                                                                      「なら、ワシの話も聞けるじゃろ」                                                                                       ジイさんの求めに応じて普通の男には出来ないようなメシを作り、了解を得てユウくんを海へ連れて行った。良かれと思って、二人で夜の居酒屋に行きユウくんに居酒屋体験を提供した。それは大きくは善意だろう。まぁ便利屋じゃな、ジイさんがお前さんのその便利さに甘えて色々要求したのがスタートだとしても、お前はその要求に長期間応えられないと解かっているのだから断るべきなんじゃ。ジイさん独りで続ける生活に将来繋がるような提案やサンプル提示をするんじゃのうて、お前がせっせと便利屋しとったんではアカンのじゃ。                                                                                                                                                                                  「ええ・・・」                                                                                                                                       「ジイさんは彼なりの智恵を動員して引き止めようとしたんじゃろが、どうやら諦めたようじゃのぉ。ええかい外から来た黒川親子でも沖縄に深く縁ある者じゃ。黒川さんは沖縄の現代史の一側面を身に刻んで生きた人じゃ。お前は沖縄という物語の第一章の第一ページの数行を読んだんや。先を読む気はあるか?」                                                                                                                                            「たぶんあります」                                                                                                                    「よっしゃ、それでええ、また沖縄へ来なさい。いや来れんでもええ。大阪ででも先を読める」                                                                                                           「比嘉さん、ありがとうございます」                                                                                                                     「水臭いこと言うな。あの占拠中ビルの壁の落書き忘れてへんぞ、『叛乱と自治』、株式会社ワイトラップ。社名の由来も、読み解いたぞ。Y・TRAP、逆から読めばPARTY。英語でパーティー、ドイツ語でパルタイ、日本語で党。党組織の三角形が逆になっているようなカタチ、人間集団のスタイル。お互いの夢やのぉ。けど、自治できんのなら、それは結果として、ただの勝手・我が侭や、難しいのぉ~・・・。大阪へ帰ったら、意地張らんと高志に仕事探し協力させろ。」                                                                                            「いえ、高志を卒業しなさいと、ある人に言われました」                                                                                             「それは女性じゃろ、女房か? アハハ。女房の処へは帰れ」                                                                                      「女房ではありません。女房の件は考えてますが、受容れてくれるかどうか・・・」                                                                           体長が人間の半分はある大きなシーサーが仕上がっている。比嘉が「ジイさんがそうしろと言えばいつでも若い者に運ばせる。しばらくここに置いておこう」と言ってユウくんに「それでええかの?」と確認していた。

日が暮れそうになった海岸沿いの道路を走り、ギャラリーに着くと初日と今日の両日を手伝ったヒロちゃんは渡嘉敷に帰っていて、ほどなく配達の帰りだと言う亜希がやって来た。「明日は私です、ヒロちゃんと交替。ボランティアは明日で終りですよ、黒川さん」と明るく言う。                                                                                                                                                                                     「いや、明日はもういいよ。普通の店売り商売と違って、客と話し込んでいつか買ってもらう・・・そんな仕事なんだよ。来客は今日でもぼく一人で対応できる人数だった。日本のいい焼物を沖縄に広めること、ぼくの陶芸界の人脈がゆっくり沖縄に広がること、。そして沖縄のいいものを日本に発信できればいいんだ」                                                                                                                                           黒川は何故か淡々と話す。亜希が抱えていた「しらゆり」の一升瓶に目を遣って言った。                                                                       「亜希くん、その酒が好きなのかい? 今呑むのかい?」                                                                                                                                                                                         「いえ、黒川さんにお持ちしました。私からのお祝いです」                                                                                                                                                                                                             「ハマってるそうですよ。母上が好きだった泡盛だそうです」裕一郎が言葉を添えると、黒川が言った。                                                                                                                                                                        「母上ねえ・・・。偶然と言うか、ぼくもこの酒は好きなんだ。亜希くん、しらゆりの花言葉は知ってるよね」                                                                                                                        ん? 裕一郎と目を合わせた亜希は一呼吸置いて、黒川と向き合った。                                                                               イチニのサンとばかりに、亜希と黒川が同時に言う。                                                                                                     「母!」 。                                                                                                                                                                                       「そう。聖母、マリア様、母だ。裕一郎くん知ってるかね、糸満の先、本島南端、ひめゆり学徒隊の最大被害の地に近く、追い詰められた多数の民間人が海に身を投げたという喜屋武岬の断崖にも咲くんだよ。母の故郷はそこから近い。裕一郎君、糸満美人って分かるか。ほれ、ヤクザの娘で教師という役の女優がいるだろう。あれがぼくが想い描いている糸満美人だ。ぼくの記憶では、母親はあの女優にそっくりなんだ」                                                                                                                         

黒川は少年のようにはにかんだ。そして、いつもの黒川節よりはトーン低く、しらゆりを語り始めた。

連載 74: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ (1) 

八、 しらゆり①

翌朝、黒川は昨夜何もなかったようにケロリと「おはよう。さあ、オープンだ。常連が押し寄せるぞ」と能天気。裕一郎も合わせた。                                                                                                                           「じゃあ、ユウくんの園もあるし三人で車で出かけましょうか。先に店へ行回ってそれからユウくんを送りましょう」                                                                                                                                                 「そうだね。今日だけは早く行かないとね。明日からはひろしを送り出してからゆっくり行くよ。もう君に頼ることは出来ないのだからな」                                                                                                        裕一郎は、俺の退却を正式に承認したのだなと思って、昨夜の暴言も赦せるのだった。                                                                                                          ギャラリーには昼前から、もちろん押し寄せるのではないが、DMを観た常連や新聞・テレビを観た人々がやって来た。ご祝儀の購入もあり黒川は上機嫌。ヘルプに来ていたヒロちゃんも包装したりお茶を出したりしてキビキビ動いている。オープンらしい賑わいは心地よかった。

午後から比嘉が来てくれた。主宰する大人向け版画教室の生徒さんにと、そこそこ値の張る湯呑みを十三個、無理して購入してくれた。黒川は、新聞とテレビの礼を彼なりに精一杯表現している。                                                                                                                                                                                                          「息子さん、ユウくん元気ですか? ほれ例のシーサーの仕上げが残っております。裕一郎が居る間に来させないや。いいものに仕上がると思うんじゃ」                                                                                                                   「いやー本人もあれは気に入っていて仕上げたいと思っているはずなんだよ。行かせよう」                                                                                                                                                                                            比嘉はこれから那覇に在るその教室へ向かうと言う。彼を送りますと黒川に告げて出た。                                                                                                 「話があるんじゃろ?」                                                                                                                    比嘉は鋭い。教室は夕方からだ。近くの喫茶店に入った。                                                                                                                    「オープンしたことですし大阪へ帰ります」                                                                                                                                「そうか。いいじゃないか、まぁお前さんとしては出来ることはしたんだ。帰りなさい」                                                                                                                              比嘉の友人であり後輩でもある村会議員がいる。彼が障害者の授産施設の運営もしている。ユウくんの日常に、自宅と園以外の活動・体験を確保したい。その方法を相談したいと切り出した。                                                                                                                      その場で村会議員に電話を入れてくれ、早速明日訪ねることになった。話の中で、黒川との二ヶ月を客観的には愚痴ってしまった。                                                                                                                                                        黒川をよく知っている比嘉は「あのジイさんらしいのう」と笑って聞いている。                                                                                     黒川の生母探しを聞き及んでいる範囲で全て話した。比嘉は初耳だと言った。

比嘉は生母探しを引き受けた女性の名:謝花晴海を言うと知っていた。探偵社のようなものを運営しながら、沖縄の山野やガマ(壕)に埋もれて眠る沖縄戦の遺骨の収集に汗を流し身元を調査し、判明した遺骨を遺族の許へ帰す、そのボランティア活動を地道に続けている女性で、面識もあると言う。彼女自身の父母が、ガマの惨劇の生き残りなのだだという。おそらく出生事情を知る長崎の関係者から聞かされていた黒川が、展示会で沖縄に来た時その女性に依頼していたのだろう。                                                                                                                                                            そうか、美枝子が言っていた、沖縄国際大学へのヘリ墜落事件の翌日「沖縄の女性から」電話・・・、その電話の主が晴海に違いない。直後黒川は沖縄移住を決断したのだ。                                                                                                                                                      比嘉が言った。                                                                                                                                                                                                            「ジイさんの生母探しは、彼女の遺骨収集の取り組みと決して無縁ではないぞ。ウチナァとヤマトゥの関係の一断面だな。彼女はそこを想って黒川の依頼を格安で請けて走り回ったんやろう。けどな裕一郎、ジイさんの気持ちは分かるが、その生母は長崎での日々と実子とを、つまり日本を封印して再出発して生きたのだ。明らかにすると言うても難しいのぉ。」                                                                                           比嘉はゆっくりした口調で続ける。                                                                                                                                                   もし、条件が整ったとして、条件というのは遺族・親族の同意などだが、確定するにはDNA鑑定だろうかな? 沖縄の墓制は、よく知られているようにカメヌクーという亀甲墓と呼ばれるものだが、女性の子宮を模したものだそうだ。母の胎内から生まれ死してまた帰って行くっちゅう訳だな。なら、女性も母親の墓に入るべきだが、妻は夫の大家族の墓に入る。死してなお、家・家族に縛られる。日本と同じや。                                                                                                                                                             葬儀も、「二回葬」と言うてな、その大きな墓に埋葬して、遺骨が朽ちるのを待って数年後取り出し洗い清める。洗骨やな。独特や。ヤマトゥでも火葬が一般的になるのは戦後らしいが、ジイさんが生母だと言う女性が亡くなったのが五六年だとして、どうだろう移行期だったがまだ火葬ではないように思う。DNA鑑定には有利だな。いや待てよ、五六年といえば五十年前やのう、家々で違うと思うがもう墓の奥に先祖と一緒くたになっとるかもな。しかし、墓を暴くというか、墓から取り出してというのは、文化・民俗に馴染まないね。しかも、                                                                                                                                                                                   問題は、その墓は夫の大家族の墓だということだ。離婚しても元夫との間に子がある場合、元夫家の墓に入るというほど家制度が生きている土地柄だ。親類縁者が承知せんじゃろ。ましてや、その生母はヤマトゥで出産したことを秘して生きたのじゃ。ジイさんの執念は波紋が大き過ぎる。つらいのぉ~。

Search