Archive for the ‘歌遊泳’ Category
たそがれ映画談義&歌遊泳: 『おとうと』 『弟よ』
歌 遊泳: 栄光に向かって走る
はだしのままで飛び出して あの列車に乗って行こう
弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく
歌遊泳: 品川宿で見る雪は・・・
歌遊泳: 高田渡的 【?】
通信録&歌遊泳: 訃報 浅川マキ(享年67歳)
訃報 浅川マキ
若い知人が知らせてくれた。
『ブログ「たそがれの品川宿」でのカルメン・マキさんに関する記述が、 私が京都で浅川マキさんのライブを観て聴いて得た感覚に近いと思えて、お知らせしました。』 と、あった。
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時事通信 1月18日14時51分配信
浅川マキさん死去 黒装束に身を包んだ独特のライブ活動で知られた歌手の浅川マキさん(写真)が17日午後8時、 心不全のため公演先の名古屋市内の病院で亡くなった。67歳だった。 代表曲「夜が明けたら」「ちっちゃな時から」「ふしあわせという名の猫」「少年」「かもめ」
自身のスタイルを貫いた、云わば「非転向」の生涯だったか・・・ ぼくらより少し若い世代=「***に遅れて来た世代」の精神風景にドンピシャだったよと言われたりしているが、 どうなんでしょう。そうではなく、70年代初頭の迷える精神の、世代を超えた代弁者ではなかったか? そして、それは今現在の若者に届く普遍性をもっている、と思う。
歌遊泳: 人生いろいろ 咲き乱れたい
歌遊泳: とまどう寝た子
歌遊泳: 追悼 三木たかし
歌遊泳: 東京タワーから50数年
1958年(昭和33年)。東の都は、帝都の香り匂うがごとく今盛りなり、と華やいでもいた。
若い勤労者は、社会への目を閉じる限り、上司に『おーい中村君』(58年、若原一郎)と呼び止められても『有楽町で逢いましょう』(58年、フランク・永井)と逢引を謳歌できたし『銀座九丁目は水の上』(58年、神戸一郎)と浮かれることもできた。湘南族の国民的スターは『俺は待ってるぜ』(57年、石原裕次郎)とイキがっていても、東京でひとり働く娘は、母を招いた久し振りの再会に『東京だよおっ母さん』(57年、島倉千代子)と無理して散財し、翌日はまた独り『からたち日記』(58年、同)を書いて自らを慰めるのだった。
街工場の若者は、旗揚げした組合が暴力経営者に足蹴にされ、不参加者からは『だから言ったじゃないの』(58年、松山恵子)と嘲笑われても、クルリと輪を描いて支持してくれる『夕焼けとんび』(58年、三橋美智也)たちを信じることもできた。村では 駅まで三里の『柿の木坂の家』(57年、青木光一)の青年は『愛ちゃんはお嫁に』(56年、鈴木三重子)と太郎を恨んで泣いていたし、友も『東京の人』(56年、三浦光一)を『哀愁列車』(56年、三橋美智也)で見送ったのだ。 ( http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re57.html#57-3 「三丁目の夕日 異論」 より)
翌年は60年なのだ。安保闘争があり、その後 世は所得倍増社会へと向かう。
東京タワーから52年。
地デジ用タワーが、12年開業に向け墨田区に建設中。現在、200M超まで進んでいる。 名称は「東京スカイツリー」と決まったそうで、完成すると、高さ610Mだと。
タワーが建つ・・・。時代のひとつの象徴だろうか?
歌遊泳: 尾崎という方法