Archive for the ‘歌遊泳’ Category

たそがれ映画談義&歌遊泳: 『おとうと』 『弟よ』

小百合さん主演の『おとうと』を観た。山田洋次さんの作品だ。
『寅次郎 忘れな草』 『家族』の頃伝わってきたモノ(と言うよりぼくが
自分流に脚色して腑に落としたモノ)が、
山田さん本来の個性、山田さん元々の女性観に還って行き、辿り着いた処を観た・・・
そんな感じがした。
これは、同意・不同意あるいは いい・悪いの話ではない。
感受性の違いというか、ハッキリ言えば育ちの違いのようなモノかもしれない。
例えば、蒼井優演ずる小百合さんの娘が、結婚相手との違和感に打ちのめされ、
実家に帰ってくるのだが、夫が
「免許証くらい花嫁資産としてあらかじめ保持しておくべきだ。教習所費は出せない」とか、
「歯の治療費など婚前経費だから結婚後夫が出すべきいわれは無い」とか言うのだ。
キレて当然だ。
けれども、そんな男の「特性」を婚前に見抜けないのか?と言いそうになった。
いや、見抜けぬ場合もあろう。
見抜けなかった己の自己責任(?)論が希薄なのだと言っては失礼か?(我が身に照らせば出来てはしないのだが)
我らが蒼井優=あの百万円苦虫女にそんなセリフを語らせないで下さい、山田さん・・・。
考えてみると、山田さんはインテリの「大衆」への暖かい心情を何度も語ったが、
「大衆」自身の自己責任(?)に対して品悪く「噛み付いた」ことなどない。
そこが、ぼくの言う「育ち」の良さなのかもしれない。
大見得を切って山田批判をする気は無いし、『幸せの黄色いハンカチ』を何度観ても
号泣するぼくは、ないものねだりをしているのだと、もちろん承知している。
「おとうと」で思い出したのが、
内藤やす子『弟よ』だ。
 
 
内藤やす子:
 
75年に『弟よ』でデビュー。翌76年の『想い出ぼろぼろ』が大ヒットし、この年の新人賞を総なめにする。
翌年の大麻不法所持で一時芸能活動を停止した後、84年にリリースした『六本木ララバイ』がヒットし、
86年の「あんた」は映画「極道の妻たち」のテーマ曲としてカラオケの定番となる。
89年の「NHK紅白歌合戦」に初出場。ディナーショーなどを中心に歌手活動を続けていたが、
06年5月28日、脳内出血で倒れて緊急入院。
同年7月6日に退院してからは復帰に向けて自宅療養中であるが、
2010年現在もまだ歌手活動再開の目処は立っていない。【ウィキペディアより】
 
不運を背負っているが、どっこい生きている・・・そんな空気が漂っていた。
同時代の女性歌手(小柳ルミ子、天地真理、麻丘めぐみ、岩崎ひろみ、山口百恵、森昌子ら)
の中に在って、彼女は異色で何か「本気度」「のようなもの」を感じさせてくれた。
『弟よ』は、そんな姉の弟への切情を見事に表現し得た歌唱だったと思う。
 
 
『弟よ』(75年)
http://www.youtube.com/watch?v=rGEluzr4D4s&feature=related                                                                                                                                  www.youtube.com/watch?v=m1RUplY1PbQ&feature=related     
 『思い出ボロボロ』(76年)
 『こころ乱して運命かえて』(83年)
 『六本木ララバイ』(84年)
 『アザミ嬢のララバイ』(カバー)

歌 遊泳: 栄光に向かって走る

ブルーハーツ
  THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)は、
80年代後半から90年代前半にかけて圧倒的な演奏歌唱を繰り広げ、95年に解散した。
約10年という短い時間を駆け抜けた 奴らの、その足跡は永遠である。
奴らの歌が、日本中のどれほどの少年少女(とぼくら大人)の「生」に光を当て、本来の熱を蘇らせたことか・・・・。
 
ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから
人は誰でも くじけそうになる あゝ 僕だって今だって
『トレイン・トレイン』88年) http://www.youtube.com/watch?v=gbTawfvtHWs&feature=related                                                                        栄光に向って走る あの列車に乗って行こう
はだしのままで飛び出して あの列車に乗って行こう
弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく
 
 『青空』(89年) http://www.youtube.com/watch?v=yXrj2DyJhlQ           
ブラウン管の向う側 カッコつけた騎兵隊が インデアンを撃ち倒した
 
【ウィキペディア(Wikipedia)】より
 ザ・ブルーハーツの詩は、NHK「人間講座」の「言葉の力・詩の力」(ねじめ正一講師)中でも、その文学性が高く評価されている(なお教材本文の講義は2001年度前期のNHK教育テレビ「人間講座」内で放送)。
 1989年、吉本ばなならが『僕の話を聞いてくれ』という、ブルーハーツを絶賛する本を出した。
吉本ばななは、「I Love ザ・ブルーハーツ」というタイトルで寄稿し、本の帯に「ブルーハーツは全員、丸ごとの自分をきちんと大事にしている。 これは大変贅沢で、かなり素晴らしいことに違いない」 と書いた。
 

歌遊泳: 品川宿で見る雪は・・・

二月一日夜半から二日未明にかけて東京に雪が降った。
降雪は二年振りだそうだ。
二日の朝、歯を磨いていると、路地を挟んだお向かいさんの屋根に雪が・・・少し・・・。
口の中に歯磨剤と歯ブラシを銜えたまま、ふと口ずさんでいた。
『東京で見る雪はこれがっ 最~後ねと 寂しそうに君がつぶ~やく ♪ 』
歌が言うのは、春三月の東京名物「春のドカ雪」だろうか?
近年は三月四月の雪は無いそうだ。二月一日でさえ珍しいのだ。
イルカ『なごり雪』には、若い人はもちろん、いい歳したオジサン・オバサンも格別の
思い入れを持っているのだと、NHKの番組で聞いたことがある。
かく言うぼくもその一人だ。ただし、友人Kの錯乱事件にまつわることなのだが・・・
 1980年ころ、30歳半ばの友人Kが恋というのか邪心というのか、
妻子ある身の迷走というのか、5歳ほど下の取引先の独身女性を追いかけ回していた。
今ならストーカーと呼ばれて当然の醜態だった。
ぼくは、その女性もKの女房もよく知っていた。
もう解決というか、その女性が逃げ切っての結末の後だったのだが、両方から話を聞かされた。
その話に『なごり雪』が登場する。
 
ぼくが知るKの女房殿は、アッケラカラカラを演じ、肝っ玉女房然としている。
昔、文芸部に居たとかで、詩を愛し自分でも書いたりしていて、まぁ昔の文学少女の一面もあった。
詩・文学・映画・政治・思想・色恋・・・何を話しても打てば響く応答と、陽気でフェアな態度は、ぼくたちKの友人からは好まれていたと思う。
ぼくやKがかかわる集会や行動にも参加していて、明るく振舞っていた。
ぼくが思うに、たぶん稀代のビビリ屋さんで、肝っ玉を演じることで弱みを覆い隠していたのだ。
ぼくも、密かに好感を抱いていた。子供が二人いて働いてもいる。
少し若い女性の方は、若い頃の岸恵子にちょっと似ていて、地方国立大・文学部を出た女性だった。
これまた文学少女と言うか小説好きなのだが、文学などには縁もゆかりもないKの猛アタックに、
困惑してはいたが悪い気はしないのか、居酒屋に付き合い、映画や芝居、ジャズ喫茶にショットバーなどに誘われるまま同行していたようだ。
芯の強そうな女性だったが、どこか倒れそうな憂いがあり「放っとけない」感じ(?)も漂わせていた。
ヤバイなぁ~と感じた頃、Kがぼくに告白した。「苦しい」、「二人ともオレが居てやらなアカンねん」 ん?
勝手に苦しめと思ったが、女房・子供をどうする気や?と何とも常識的なことを言った記憶がある。
その後の詳しい経過は知らないが、先に述べた両方から聞いた話を書いておく。
 
女房殿
あいつの心情くらい分かるよ。ちょっと独りではやって行けない雰囲気に出会うとコロリといくんや。
失礼やろ、逆に、あいつこそ、独りではやって行けない男やのに。
まぁ、コロリと行くところに邪心だけではないものが含まれているのは認めてやってもいい。
学生のころから、同じこと繰り返して、まだ分かってない。ぶら下がりたいのは自分の方だということが・・・。
ワタシだってぶら下がりたいよ、それを堪えるのが人生でしょうが・・・。
その女性
もう逢わないと言って納得したのに、又やって来て「最後にこれを上げるよ」とイルカのレコードを持って来たのね、「これ、知ってる?」って・・・。
それが『なごり雪』と『海岸通』のダブルA面のドーナツ版だった。
私は、当然知ってたし、『なごり雪』が好きでよく口ずさみもしたけど「知らない」と答えた。
その後の口ぶりで彼が渡そうとしたのは『海岸通』の方だと分かったのよね。 妹? 勝手な…。
不覚にも、一度だけ、背中から抱きつこうとしたことがあるんです。そしたら、逃げるように、反射的にピクリと前に動いた。
彼には、背負う気などないと思った。
 
あれから、30年。パーキンソン病の夫を永い介護の果てに喪ったイルカは60歳、Kの女房もたぶん60前後。女性は57・8だ。
「・・・」(職業名)と結婚して子もいる。K自身はぼくと同じく63歳になる。
先年、久しぶりに会ったKから聞いた。
「女房が、直談判に行き『あいつを上げるけど付録が付いてるよ。あんたとワタシは五分やない。そやから子供二人も連れてって』言いよってん。」
ん?
 これは嘘だろう、Kの作り話に違いない。Kの女房が子供を棄てるはずがない。いや、そう大見得を切って勝負したのか? 
たぶん、その女性とKの女房は、云わば了解しあえたのだ。二人してKを斬ったのだ。
謎は解けないが、間違いなく30年が過ぎたのだ。
今思う。Kが言うように、人のこころは「愛すべきものを複数持てるのだ」と・・・。
失うものを覚悟し、棄てられぬものがあってもそれと別離れられるのなら・・・。
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歌遊泳: 高田渡的 【?】

菅原克己『ブラザー軒』を載せた際に、高田渡が付けた曲を添付した勢いで、
彼の歌と映像をいくつか集めました。
高田渡さんは05年4月に、そして浅川マキさんが先日、逝きました。
70年前後というものが遠ざかって往き、返す波のように近付いて来るのです。
画像は左69年と、右03年(or04年)の高田渡さんです。
 
文学の言葉がある。思想や政治の言葉がある。それを含み越えて強い、高田渡的【?】生活の言葉がある。そう言う人もいる。
 
【追悼:高田渡】

通信録&歌遊泳: 訃報 浅川マキ(享年67歳)

訃報 浅川マキ

若い知人が知らせてくれた。

『ブログ「たそがれの品川宿」でのカルメン・マキさんに関する記述が、                                                                                    私が京都で浅川マキさんのライブを観て聴いて得た感覚に近いと思えて、お知らせしました。』 と、あった。

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時事通信 1月18日14時51分配信 

浅川マキさん死去                                                                                                黒装束に身を包んだ独特のライブ活動で知られた歌手の浅川マキさん(写真)が17日午後8時、                                                  心不全のため公演先の名古屋市内の病院で亡くなった。67歳だった。                                                                               代表曲「夜が明けたら」「ちっちゃな時から」「ふしあわせという名の猫」「少年」「かもめ」    

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 『ふしあわせという名の猫』 http://www.youtube.com/watch?v=-U089XOr3WA&feature=related

自身のスタイルを貫いた、云わば「非転向」の生涯だったか・・・                                                                                            ぼくらより少し若い世代=「***に遅れて来た世代」の精神風景にドンピシャだったよと言われたりしているが、                                                                           どうなんでしょう。そうではなく、70年代初頭の迷える精神の、世代を超えた代弁者ではなかったか?                                                そして、それは今現在の若者に届く普遍性をもっている、と思う。

 

歌遊泳: 人生いろいろ 咲き乱れたい

浜口庫之助さんを偲ぶ
 
品川宿から仕事や遊興や時に**に出かけるに、普段は「新馬場駅」から京急に乗る。
「新馬場駅」は、運河を挟んで北馬場駅と南馬場駅と二つ駅が在ったのを、
運河を跨ぐひとつの駅にした駅らしい。だから、やたら長い駅なのだ。
が、各停しか停まらないので、急ぐときはひと駅蒲田寄りの「青物横丁駅」へ歩く。
ここなら、各停・急行とものOKなので、すぐ乗車できる。
その「青物横丁駅」のホームに流れる曲(駅のテーマ曲?)が、何と島倉千代子の『人生いろいろ』なのである。浜口庫之助の作だ。
訊くと、お千代さんの出身地だそうだ。『からたち日記』の娘は、実家が反対する結婚とその離婚、取り巻きにむしり取られた数億の借金、                        姉の入水自殺・・・。  戦後社会と私的『人生いろいろ』を生き抜いたのだった。アッパレ!
小泉のふざけた国会答弁でさらに有名になったが、87年発表の歌で、90年代カラオケ全盛期に
おばちゃん達が軽快に「人生いろいろ、男もいろいろ♪」 「女だっていろいろ咲き乱れるの♪」
 と唄うのを、ぼくはいささかの嫌悪感を持つこともなく観て聞けたと思う。
吉本マザー・シップ論を持出すまでもなく、母性の底力(?)のひとつは「開き直り」と言っては不正確、「乗越え」と称すべき転位なのだ。
「おんな」「女」「女性」が、この「境地」(?)に立つまでの道のりは100人100様、茨の道か、蛇の道か。
「青物横丁駅」では、この曲に背を押されて乗車するのだ。何と心強い(苦笑)ことか!
 で、品川たそがれ親爺はいつ咲き乱れるのかね?
 
『有難や節』(60年 守屋浩) http://www.youtube.com/watch?v=mZCPcWR2EdA
『バラが咲いた』(66年 マイク真木http://www.youtube.com/watch?v=WIfCZXvAR6c&feature=related
夕陽が泣いている』(66年 ザ・スパイダースhttp://www.youtube.com/watch?v=TqU7oIg1I8c
『夜霧よ今夜も有難う』(67年 石原裕次郎http://www.youtube.com/watch?v=56IrKvDtSJY
『粋な別れ』(67年 石原裕次郎) http://www.youtube.com/watch?v=qvlNS1x7dCs
『花と小父さん』(67年 伊東きよ子、植木等) http://www.youtube.com/watch?v=HWjA90042fo 植木等さんのは見当たりません。
『みんな夢の中』(69年 高田恭子) http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=16vZEfMig1c&feature=related
『空に太陽がある限り』(71年 にしきのあきら) http://www.youtube.com/watch?v=Z2B1tVf_5fA 
『人生いろいろ』(87年 島倉千代子) http://www.youtube.com/watch?v=vZ5VWKeWfcA
                                                              http://www.youtube.com/watch?v=lJOH9NN_TMA
 
40年前、20歳を数年過ぎた小僧だったぼくに、たぶん19歳だった小娘が、
流れていた伊東きよ子の『花と小父さん』を指して、「これ、エロチックでしょう?」と言ったのだ。
「おいおい、分かっているのかい?」と思ったが、
例えば小娘が背伸びして言う「精神的娼婦」という言葉のように空回っていたとしても、
借物の党教義をオウム返しにしか語れない左翼小僧よりは誠実だったような気がする。
その元小娘とは今も交流があるが、彼女は『花と小父さん』から『人生いろいろ』までの時間を、
たぶんその「誠実」(?)を抱え持って生きて来たのだと思わせてもくれている。
浜庫は、そうした「危うく軽い」かつ「適度に重く」「したたかな」人生を肯定的に呑み込む「大物」だったと思う。   90年12月没。合掌。

歌遊泳: とまどう寝た子

30年前の後輩K君へ
 
たぶん、丸山圭子さんの『どうぞこのまま』(76年)がヒットした数年後に、
豊島たづみさんの歌は短い期間流れていたように思う。
当時、個人的に進退窮まっていて彼女のどこか「乾いた」「都会的」(?)感性に、
進路(退路)の道案内を求めていたような気がする。
いまでは、その「乾いた」「都会的」が抱えている湿り気こそが歌の「核」だと理解できる。
そういえば、当時『寝た子を起こす子守唄』を、君が「これって演歌ですよね」
と言ったのを思い出す。若い君は言い当てていたのだ。ぼくは気付けなかった。
その上で改めて言う「歌は演歌だ」・・・。艶歌・怨歌・厭歌・縁歌・宴歌・焔歌・援歌・演歌だ。
 
『寝た子を起こす子守唄』 http://www.youtube.com/watch?v=DbJCZ7MPbJM
『おもいでは琥珀色』 http://www.youtube.com/watch?v=yatSP2qIQ3I
 
豊島たづみさん、どうしているだろう・・・。
 
見っけ!→ 『彼女は唄い続けていた・・・キッチンで』

歌遊泳: 追悼 三木たかし

 三木さんの特徴・傾向というものがよく解からないのに、印象的な歌の数々です。
そのことの中に歌謡曲というものの真髄があったのかも・・・と振り返っています。
歌手志望で船村徹の弟子だったという独学の士。すごいなあ・・・。  09年5月11日逝去(享年64歳)。合掌。
(09年に亡くなられた方々・・・・。栗本薫、忌野清志郎、清水由貴子、平岡正明、古橋広之進、大原麗子、三遊亭円楽、                                       南田洋子、森繁久弥、田英夫)

 

追悼:三木たかし
 
 アンパンマンのマーチ:http://www.youtube.com/watch?v=BUGh-7Y5kZA

歌遊泳: 東京タワーから50数年

ふたつのタワー

1958年(昭和33年)。東の都は、帝都の香り匂うがごとく今盛りなり、と華やいでもいた。

 若い勤労者は、社会への目を閉じる限り、上司に『おーい中村君』(58年、若原一郎)と呼び止められても『有楽町で逢いましょう』(58年、フランク・永井)と逢引を謳歌できたし『銀座九丁目は水の上』(58年、神戸一郎)と浮かれることもできた。湘南族の国民的スターは『俺は待ってるぜ』(57年、石原裕次郎)とイキがっていても、東京でひとり働く娘は、母を招いた久し振りの再会に『東京だよおっ母さん』(57年、島倉千代子)と無理して散財し、翌日はまた独り『からたち日記』(58年、同)を書いて自らを慰めるのだった。

 街工場の若者は、旗揚げした組合が暴力経営者に足蹴にされ、不参加者からは『だから言ったじゃないの』(58年、松山恵子)と嘲笑われても、クルリと輪を描いて支持してくれる『夕焼けとんび』(58年、三橋美智也)たちを信じることもできた。村では 駅まで三里の『柿の木坂の家』(57年、青木光一)の青年は『愛ちゃんはお嫁に』(56年、鈴木三重子)と太郎を恨んで泣いていたし、友も『東京の人』(56年、三浦光一)を『哀愁列車』(56年、三橋美智也)で見送ったのだ。 ( http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re57.html#57-3 「三丁目の夕日 異論」 より)

 
『愛ちゃんはお嫁に』(56年、鈴木三重子):http://www.youtube.com/watch?v=GrHjQK5D1gc 
『東京の人』(56年、三浦光一):http://www.youtube.com/watch?v=50nhcLgmejw 
『哀愁列車』(56年、三橋美智也):http://www.youtube.com/watch?v=BzxCiAwpOec 
『柿の木坂の家』(57年、青木光一):http://www.youtube.com/watch?v=6tIr0raBTAM 
『俺は待ってるぜ』(57年、石原裕次郎):http://www.youtube.com/watch?v=ePau6WvckJ4 
『東京だよおっ母さん』(57年、島倉千代子):http://www.youtube.com/watch?v=XoMnH-Mkt38 
『有楽町で逢いましょう』(58年、フランク・永井):http://www.youtube.com/watch?v=_h2pKuQL6QU 
『からたち日記』(58年、島倉千代子):http://www.youtube.com/watch?v=Q4Wk7Vy_f0A 
『夕焼けとんび』(58年、三橋美智也):http://www.youtube.com/watch?v=lwypNTiHe64
『おーい中村君』(58年、若原一郎):http://www.youtube.com/watch?v=JoPjjovc_Ak&feature=related
『南国土佐を後にして』(59年、ペギー葉山):http://www.fooooo.com/watch.php?id=598caa1491b23226df54495e83639d13
『情熱の花』(59年、ザ・ピーナッツ):http://www.fooooo.com/watch.php?id=598caa1491b23226df54495e83639d13

翌年は60年なのだ。安保闘争があり、その後 世は所得倍増社会へと向かう。

 

東京タワーから52年。

地デジ用タワーが、12年開業に向け墨田区に建設中。現在、200M超まで進んでいる。              名称は「東京スカイツリー」と決まったそうで、完成すると、高さ610Mだと。

タワーが建つ・・・。時代のひとつの象徴だろうか?

歌遊泳: 尾崎という方法

尾崎という方法
 
友が言うのだ。
65年生まれの尾崎は、
まるで、60年代の若者たる我が世代が擬似反乱のさ中に、
産み落とし、そして抱えきれず棄てた新生児のようだ、と。
父であると告白するのか? DNA鑑定してみなよ、違うから・・・
                                                                                                                                                                                                               【15の夜】(83年)                                                                                                                           http://www.youtube.com/watch?v=AiD78w0AqeQ&feature=related
 
【シェリー】(85年)                                                                                  中村あゆみ
尾崎だけの『シェリー』なのだと承知していても抑えられずに挑んだ、心からの共感哀悼の歌唱。
友情に近く、情愛に近く、母性に近く、そのいずれでもない。同じ夢・同じ孤独・同じ傷を抱えた記憶・・・、                                  戦友のような、同時期拘置のような、それでいて隔たって在るような、遠く近い共振共鳴が伝わって来る。
中村あゆみさん、見事だと思う。NHKBSの画像があったが、消されたので別公演をオンする。 注:録音・画像に難あり。                                                                                                    ☆ あれあれ復活しました。 再録:http://www.youtube.com/watch?v=FrfvGSUwn78&feature=related                                                                          
 尾崎豊
 
 

 

 

 

 
 
I Love You】(91年)                                                                             尾崎豊: http://www.youtube.com/watch?v=ERWYegcKF8o&feature=relate
 
 
 
 
 
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