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歌遊泳: 洋モノが嫌いなのではありません

日本の歌謡曲ばかり並べていたら「洋モノが嫌いなの?」と質問が来ました。決してそうではありません!                                                                  歌謡の歌詞を探っていたので、必然的に(日本語しか解からないので)、そうなったまで・・・。                                                                                                  洋モノで、ちょい好きな歌・記憶に残る歌・何度も聴きたい歌・・・、戦後洋モノ曲を挙げてみます。                                                                                                                                                         残念ながら YouTube に欲しいものが少ないのですが・・・。アメリカ過多で困ります。 

『Blue Canary』 http://www.youtube.com/watch?v=REPqry3tBUE Dinah Shore                                                                                                                                                                                  『Tennessee Waltz』 http://www.youtube.com/watch?v=INRljTpsKTM&feature=fvst Patti Page                                                                                                                     『Sinnò me moro』 http://www.youtube.com/watch?v=qYG9kJB5HmY&feature=related Alida Chelli                                                                                      『Love Me Tender』 http://www.youtube.com/watch?v=HZBUb0ElnNY Elvis Presley                                                                              『Moon River』 http://www.youtube.com/watch?v=flm4xcOyiCo&feature=related Andy Williams                                                                                                 『Hey Jude』 http://www.youtube.com/watch?v=GEKgYKpEJ3o&feature=fvst The Beatles                                                        『Imagine』 http://www.youtube.com/watch?v=2xB4dbdNSXY John Lennon                                                                                                                『Raindrops Keep Fallin’on My Head』 http://www.youtube.com/watch?v=hUVpYENQJMg B.J.Thomas                                                                                                                                     『Take Me Home、Country Roads』 http://www.youtube.com/watch?v=C7C9nuLED3o Olivia Newton-John                                                                                                                            『Sailing』 http://www.youtube.com/watch?v=Bpbuqh12oj4 Rod Stewart                                                                    『Casablanca』 http://www.youtube.com/watch?v=Zm-QR-3AdIY Bertie Higgins                                                                                                    

 

 『Hey Jude』                                                                            68年。ワルシャワ条約機構軍 チェコ侵攻。                                                         映画『存在の耐えられない軽さ』(88年、米、監督:フィリップ・カウフマン)。                                                                 http://www.youtube.com/watch?v=KYcrJ7rtWAA                                                                                                           侵攻した機構軍(実質ソ連軍)戦車を包囲する非武装のプラハ市民。                                                                                                                                                              

この歌を唄い、侵攻前の「プラハの春」を象徴する歌に押し上げた立役者、                                                                                                                                                                                                                                                                                      プラハの歌姫:マルタ・クビショバのドキュメントを、20世紀末(?)に観た。                                                                                                                                                                       そのお宝ビデオは、しっかり保管している。                                                                                  映画にもこの歌が繰り返し流れていた。                                                                                         

ぼくには、侵攻軍戦車の重低音と 『Hey Jude』 はセットで記憶されている。

                                                                                                                                                     

                   

                             

歌遊泳: 小柳ゆき の歌唱

財津和夫作曲:『会いたい』の作者本人歌唱版( http://www.youtube.com/watch?v=ncb-EzTfoGs )を探し見つけた際、                                                                                                          『会いたい』小柳ゆき版に遭遇。 いい! ちょっといないタイプの女性歌手だ。                                                                                                                                                                            彼女の歌唱を数曲添付する(いずれ、著作権の関係で削除されるとは思うが・・・)。                                                                                                                                                           

                                                                                                                                                                                『君がいた夏』 http://www.youtube.com/watch?v=iIRQAffnuLk&feature=related                                                                                  『最後に記憶を消して』 http://www.youtube.com/watch?v=jSmHRLNpHNA&feature=related                                                                                                                                                                                                                                                                                                         『be alive ~そのままの君でいて~ feat.Soulja』                                                                      http://www.youtube.com/watch?v=u3odeqVpYFI&feature=more_related                                                                                        『愛情』 http://www.youtube.com/watch?v=PS97xL6vATM&feature=related                                                                                                       『恋のフーガ』 http://www.youtube.com/watch?v=ioQKR-JunLY&feature=more_related                                                                                              『 J 』 http://www.youtube.com/watch?v=1lSqoOq2w_o                                                                                                          『会いたい』 http://www.youtube.com/watch?v=qYas3WPEPfQ&feature=related                                                                                                                                                                               近況情報: http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013201205 これ読むと、もがいているんや…、 応援したくなる。           

                                                                                                                                                                                                                               実は、08年から書き始め、7割書いて今修正しつつ当ブログ連載していて、来春エンディングへ至るはず(?)の『じねん傘寿の祭り』のヒロイン                                                                       松下亜希という女性は、この小柳ゆきさんとミムラさん(『サイドカーに犬』の主人公少女が成人した現在役)をイメージしているのだが、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  最近NHK大河ドラマ『龍馬伝』の真木よう子(お龍)さんにハマって、彼女を加えイメージしている。                                                        勝手なもので、【小柳ゆき+ミムラ+真木よう子】÷3=松下亜希 という訳で、そこは駄作者の密かな喜び、ご褒美だ。                                                                             ちなみに、主人公「じねん」氏にはモデルが居り、                                                                                                                副主人公団塊世代の二人の男は、ぼくの周りの「友人四~五人とぼく自身」のミックスから二人を再構成したという次第。                                                                                                                                         版画家兼彫塑作家:比嘉真という人物は、30年前の争議空間での因縁以来交流のある沖縄人創作家で、まぁ知ってる人には分かる人がモデル。                                                                                                                                                                                                                                                                                                            という具合に、小説といっても、書きたいこと言いたいことを、知っている世界からしか構成できない素人による「時代記」でしかない。                                                                                                                                               決して自分史ではない。いわば「We史」としたいわけだ・・・。 まぁ、そんなところだ。                                                                                                                                                                                                                        

                                                                              

歌遊泳: ソプラノ歌手 日本歌曲・唱歌・歌謡曲を唄う

暑い、熱い、あつい。                                                                                                                                                                            避暑には彼女たちの歌唱が一番です。

鮫島有美子  

『故郷』 http://www.youtube.com/watch?v=DVHLIFKGtDc&feature=related 

『冬の夜』 http://www.youtube.com/watch?v=U4CeUBx-5PY&feature=related 

『初恋』 http://www.youtube.com/watch?v=AaCNkJ-DEms&feature=related 

『恋人よ』 http://www.youtube.com/watch?v=JkdAsvXaZhY&feature=related                                                                                                                           『リンゴの唄』 http://www.youtube.com/watch?v=ZVSGSAAQZPw&feature=channel 

『秋桜』 http://www.youtube.com/watch?v=J6-nWsxJeu0

『夜明けの歌』 http://www.youtube.com/watch?v=nFHe1g0SZvI&feature=related 

『ここに幸あり』 http://www.youtube.com/watch?v=XyDfT2MrOoc&feature=related 

『時には母のない子のように』 http://www.youtube.com/watch?v=ojCX8ka-OXU&feature=related 

『喜びも悲しみも幾年月』http://www.youtube.com/watch?v=U5pj60jC_i4&feature=related                                                                                                        『旅人よ』 http://www.youtube.com/watch?v=mnDnWpuXQKE&feature=related

                                                                                                                                                                                                                               唐澤まゆこ  

『この道』 http://www.youtube.com/watch?v=mGCqo9bpsYo 

『待ちぼうけ』 http://www.youtube.com/watch?v=qxP-klxijRw 

『初恋』 http://www.youtube.com/watch?v=9uDjESlhcZ8&feature=related                                                                                                                                                          (『啄木の妻ー節子の「初恋のいたみ」』http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-2.html )

 

森麻季

『からたちの花』 http://www.youtube.com/watch?v=nC9-40wKDfM&feature=related 

『千の風になって』 http://www.youtube.com/watch?v=QB61ofvLrOU&feature=related 

 

佐藤しのぶ

『早春賦』 http://www.youtube.com/watch?v=zrCSwQJimuk                                               『荒城の月』 http://www.youtube.com/watch?v=NdW9VpjlJNY&feature=related                                                                                               『この道』 http://www.youtube.com/watch?v=s8LjXlieY4I&feature=related                                                                                                                                                                                                                                           

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

 

歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために ⑤/5

初期中島みゆきにおける「ふるさと」

もちろん、歌謡曲は広く聴かれ歌われることを希い、売れることを前提に作られる。                                                                 そこに表れる「言葉」は、時代の「気分」「雰囲気」「大衆的抒情」や、日本近現代の人々の生活感や社会観に居座っている「語」群によって構成されている。言い換えると、たとえ「負」の歴史との「共犯」関係に動員されただろう「言葉」であっても、人々にとって「他に置き換えられない」「言葉」である限り、いまなお生き続けている自明の(説明不要の身に沁み付いた)「言葉」たちによって、構成されるしかない。もちろん曲に乗ることも前提だ。ある意味では、詩や短歌以上の制約を生きている。                                                                                                                             その「言葉」が担わされた「共犯」性の痛みを共有しながら、自身の心情をその「言葉」によってしか表せないときがある。作者はその自明の「言葉」を駆使しながら、どうにかして、聞き手が思い描く「それまでの」歴史に培われた自明性を覆し、「共犯」性の「再生産」からは隔たった自身の立ち位置を模索して告げているはずだ。それが、ぼくらに届く歌なのだ。                                                                                     初期中島みゆきの歌詞には、その模索の痕跡があった。 

多用されている「ふるさと」「わかれ」「帰る」「忘れる」を拾ってみる。                                                                                                                                                                                                            「いつか故郷に出会う日を」(『時代』)、「私はわかれを忘れたくて」(『わかれうた』)、「遠いふるさとの歌を歌おう」(『海よ』)、「帰ろう」「急ごう」(『遍路』)、「遠いふるさとは落ちぶれた男の名を、呼んでなどいない」(『あぶな坂』)、「ふるさとへ向かう最終に乗れる人は急ぎなさい、と」(『ホームにて』)・・・・・・。                                         これらの、「センチメンタリズム」「土着的浪漫」を基礎にした「自明」の「大衆的抒情」「語」を前に、聞き手はそれらが呼び覚ます馴染んだ情感に充たされ、違和感なく受け止めるのだ。                                                                          が、やがて下記の歌詞によってその情感の仮解体・再編へと誘われ、いささか「うんざり」もした「大衆的抒情」「語」の多用の先に在る、自明「語」観の変更を迫られることとなる。大きな役割を果たしているのは、もちろん「言葉」を支える曲ではある。                                                                                                                                                                                                前回述べた『あぶな坂』(http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=53790 )の「ここからは見える」の「ここ」に通底する「場」として、いくつかの歌詞を思い付く。                                                                                                                                                  「若い船乗りの夢の行方を 海よお前は覚えているか」(『海よ』http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=23856)                                                                       「死んで行った男たち呼んでるような気がする 生きている奴らの言うことなんか聞かないが」                                                                                「浮気女と呼ばれても嫌いな奴には笑えない おかみさんたちよあんたらの方が あこぎな真似をしてるじゃないか」                                                                                                            (『彼女の生き方』 http://www.youtube.com/watch?v=1U43icOLJD4 )                                                       「別れの気分に味をしめて あなたは私の戸を叩いた」「立ち去る者だけが美しい」(『わかれうた』http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=4951 )                                                                                                            「包帯のような嘘を見破ることで 学者は世間を見たような気になる」(『世情』http://www.youtube.com/watch?v=fOEOiVAD1-o&feature=related『3年B組金八先生』画像と歌 )                                                                                                 「叩き続けた窓ガラスの果て」「窓の中では帰りびとが笑う」(『ホームにて』http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=11632 )                                                                      「うなづく私は 帰り道もとうになくしたのを知っている」(『遍路』http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=41420)                                                                      「泳ごうとして 泳げなかった流れの中で」(『時は流れて』http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=53891 )                                                                                                                     こうして初期中島みゆきを見てみると、これらの歌詞との、ある緊張感を伴った同居が可能なものとしての「演歌」語、                                                                                                                       つまり「大衆的抒情との訣別」・「回収されることのないもの」・「回帰ではない復権」としての、                                                                                                                                 彼女が言う「ふるさと」とは何なのかと考えてしまう。 それが、「大衆的抒情」「語」のひとつに違いないと思うからだ。

話は飛ぶ(ように見える)が、そして歌謡曲と詩を同時的に論じるのは無理がある(両方から叱られるだろう)が、                                                                                             金時鐘(キム・シジョン)が若き日に多大な影響を受けたという、小野十三郎『詩論』にある「短歌的抒情の否定」という命題について、                                                                                                            倉橋健一が語るブログが目に留まった。                                                                                              『小野さんが「歌」を否定したのだと戦後、誤って解釈されてきた節がある。じつはそうではなく、                                                                                                                                                                       小野さんが嫌悪したのは当時の歌人であり、そこで歌われた短歌だった。                                                                        決して日本古来の文化伝統としての「歌」そのものを否定したものではなかったのです』                                                                                                                                                                               ぼくは、金時鐘の講演か著作で『短歌的抒情との訣別』とか『短歌的抒情と「切れて」「繋がる」』、また『まみれても垢じまない』とか『何十年となく平俗なお上の正義を説き続けている、人気番組「水戸黄門」ぐらいからは離れねばなりません』という言葉に出会ったこともあるので、詩人が身に沁み付いた自身のリリシズム(情緒)と如何に格闘しているかを聞きかじってはいた。                                                                                                                                                                だから、署名「umineko」氏のちょっと浅い論難(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=95709 )に出遭ってビックリだ。                                                                                 曰く、『抒情や情感を排除することが詩人の目標じゃない気がするんですけどね』 『土砂降りの雨に濡れてしまっては正確な判断が出来ない、だから窓の内側からそれを眺めなさいっていうのは、それでは時代から孤立するだけだ。雨の真ん中でも流されない強さが狭義の「詩人」って気がするんだけど。』 ん?                                                                                                                                                 
金時鐘の場合、身に居座り、ゆえに存在を脅かし、拘り越えねばならないもの・・・、それは、根が「朧月夜」など幼い日々に唄った戦前日本の唱歌や、中学で暗記した「万葉」などに発し、身から追い出そうとしても出て行かず、幼少年期の情操的記憶を辿ればそればかりが出てくるという痛切の「公的」受難だ。それは、植民地朝鮮の「日本」語「抒情」を自明として受け容れ(てしまっ)た、元:皇国エリート少年の臓腑に宿る、遡って消し去ること叶わぬ宿業としての「抒情」なのだ。「切れて」「繋がる」とは、境界を跨ぐ者が辿り着いたアイデンティティであり、強いられた「自発」によって屈折の果てに棲み付いてしまった「日本」語「抒情」の「魔力」との格闘だ。                                                                       その歴史から、ぼくらは多くを学び知るのだ。 己に何が巣食っているのかを・・・。 そして、逆に、何が「回収」されざる「個」的情感なのかを・・・。                                                                                                                                         「大衆的抒情」「語」(だけ)を「排除」せよとか、土砂降りを「窓の内側から眺めなさい」などとは誰も言ってはいない。こうした浅はかな論者は、その「魔力」に圧し潰されそうな心的境遇に閉じ込められたことも、まさに土砂降りの中に立ったことも無いのだろう。                                                                                                     金時鐘こそはずっと土砂降りの中に立ち尽くしている。 その雨の、肌を引っかき身を刺す痛さを、骨に沁みる疼きを、想像できないのか? 

ところで、初期中島みゆきには、この「umineko」氏のような無理解とは違う、彼女なりの(年齢や生育過程{産婦人科病院の娘}や境遇の制約を越えた)立ち位置(想像力・構想力)が見えるので、曲の素晴らしさと相まって腑に届いたのだった。彼女が、どちらかと言えばウェットな曲の歌詞中で多用する、「ふるさと」という「語」の危うさ(無批判な郷愁・保守・撤退・諦念・課題放棄・マザコン/ファザコン)が気になってしかたなかった。気になって『ホームにて』の主人公に分け入った。 『演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために①~⑤』の最終として、『ホームにて』仮説ストーリーに乗せて、初期中島みゆき「ふるさと」について述べて締めくくることとする。                                                                                               

『ホームにて( http://www.youtube.com/watch?v=RcgDe3CcU5I&feature=related )                                                                      主人公は、いまで言えば、それこそ西原理恵子の漫画に登場するような女性ではないだろうか? 保育士(か美容師か看護師)を目指して短大に行ったのだが、父入院もあり中退した。事務員として中堅商社に勤めるも、経理能力などなく、元々の職業的希いもあり仕事に馴染めない。着飾って色恋の話に明け暮れ寿退社で辞めていく同僚、いささか不器用で美人でもない「わたし」。                                                                            いつしか「雑用係」になっていた。数年遅く入社した美人のA子は男性社員からチヤホヤされ、まるで先輩づらだ。女が職場に進出したとは言え、30年以上前、70年代末の中堅商社はなお「お飾り女性社員」「職場の華」「男性社員の妻予備軍」をこそ求めていたのだ。                                                                                                                【「わたし」の独白】                                                                                              けれど、「わたし」に、制度とも言えるその風土を覆す「技能」も「智恵」もない。女の「キャリア」への願望は、その手前で踏みつけられていた。                                                                                                       70年代末に(今はもっとそうだけど)、実家の援助なく女ひとり都会で暮す、その困難が解りますか?                                                                                                                                                                       会社を辞めたのは、確かにアパートと自宅との往復しか出来ない経済的・人間関係的「貧困」も理由だし、永く病床に在った父が亡くなった家の事情も、いいかげんな男に多額を貸して返って来なかった失敗も大きなきっかけです。けれど今の、昼のアルバイトと夜の接客業は自ら選んだ道です。男の裏表(いや裏ばかり)も人並みに知りはしました。そりゃ、OL時代より収入はうんと増えたし、大学へ通う弟に職業を隠して支援もしてやれる。                                                                                                     だけど、あの最終に乗らないと、このネオンライト輝く虚飾の街が、「わたし」の出てゆけない棲処となってしまうヨ。(21世紀。今、「単身」「派遣女性社員」の多くがこの周辺を生きている)。                                                                                                                                                                                                「わたし」、若く見えても、もう来年31歳よ。けれど、遅くはない。来年必ずあの最終の汽車に乗って行き、不足単位を取って保育士になるんです。今度の春から再開するんです。去年も一昨年も出来なくて、「ドアは閉まり」「手のひらに」は「空色のキップ」だけが残って溜まるけれど、それはこの夜の街のネオンライトでは燃やせやしないのよ。残ったキップを燃やせない間は、汽車にも乗れやしないのよ。

ハッキリして来たヨ。「ふるさと」は、後ろではなく前に在る。時間的には過去ではない。距離的には遠方ではない。                                                                                                     実際の「ふるさと」は変わってしまっているだろうし、そこには友はもういない。そして、ネオンライト下を生きる「わたし」を歓迎するはずもない。                                                                                              けれど、「わたし」が抱いて来た希いが「未来」へ向かおうとするなら、必要なものをきっと見せてくれるハズ。                                                                                                        そうだ、「ふるさと」は明日であり未来であり、困難だけれど「わたし」次第で実現可能な世界への入口だ。                                                             「わたし」が、それと「切れて」、そして「繋がる」べき、「わたし」の歴史と未来、その可能性総体だ。                                                                                                                     汽車で行った先には、「わたし」のような人たちがたくさん居るに違いない。                                                                                                                あなたが望むのなら、「わたし」がその人たちと自分とを、「We」と呼んでもいいよ。

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【余談】①(ウィキペディアより)                                                                          互いにライバルと認め、仲もいいと言われているユーミンは、                                                                   「私がせっかく乾かした洗濯物を、またじとーっとしめらせてしまう、こぬか雨のよう」と中島の音楽を評したそうだ。                                                                       ユーミンは「恋愛歌の女王」と呼ばれ、中島みゆきは「失恋歌の女王」と言われているそうな・・・。

【告】:本稿をもちまして歌詞研究:『演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために①~⑤』を一旦終了します。                                                                                                    閲覧を感謝します。①~⑤通して再読され、上のEメール・タグを開きご感想・異論など下されば幸いです(非公開です)。                                                                                                                        『「阿久・大野・ジュリー」組が駆け抜けた70年代最後の五年間』 http://www.yasumaroh.com/?p=5779                                                                  『演歌における多頻出「語」』 http://www.yasumaroh.com/?p=5887                                                                          『大衆的抒情の一義的「在処」』 http://www.yasumaroh.com/?p=5930                                                         『「We」の不在。「我らが我に還りゆくとき」⇔「我らなき我と切れゆくとき」その往還』 http://www.yasumaroh.com/?p=6376                                             『初期中島みゆきにおける「ふるさと」』 本稿 http://www.yasumaroh.com/?p=6603                                                                                                                                

歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と 「切れて」「繋がる」ために ④/5

「We」の不在。「我らが我に還りゆくとき」⇔「我らなき我と切れゆくとき」その往還。

 全ての「語」を通じて、最も多いのは、ダントツで二人称「君・あなた・お前」だった。これは予想通りなのだが、気になったのが「我々」「我ら」「ぼくら」の少なさだ(もちろん歌いにくいが)。                                                                                                                                         日本の現代で「我ら」「我々」が生きていた時代として、明治の殖産興業・富国強兵の時代、昭和の戦争期、戦後の復興と民主主義(?)建設~60年安保以前、などを思い浮かべる。民はその時代が提供した「我ら」を抱いて生きた。                                                                                                             我が父(故人)が、最晩年にさえ「何を置いても」出かけたのは「戦友会」だった。思えば、学校や青年期の「特権」とは無縁だった彼(ら多くの同状況の人々)にとって、軍隊が「我ら」を実感・体現できるほとんど唯一の空間だったとしても不思議ではない。「我ら」の回収先は、同時に大衆的抒情の仮終着駅でもあり、用意された「我ら」が持ついかがわしさを思えば、「我ら」論はいくつもの条件を付けて考えなければならないと思う。                                                                                            20世紀に語られた「我ら」が、主として「国家」と「体制」の側とそれを支持した民から提起され、「我」なき「我ら」に終始した歴史や、近年でも政治性を帯びた過剰な「我ら」に翻弄(?)された記憶があり、「我ら」忌避症候群となっている根拠は納得できる。                                                                                                「我ら」喪失は、共同性の認知が成立し難い社会の反映だとは思うし、20世紀以降の世界的傾向かもしれない。

日本語には、英語の「We」に当る「語」がない。「我々」「我ら」は訳せば「We」だろうが、「We」という独立した関係性そのものではないように思う。                                                                                                     「We shall over come」 「We are the world」的な「ぼくら」の歌はほとんど無い(海外は不知)。                                                            モノマネよろしく揶揄を込めて演じられたりする、ぼくらの時代の若者の「我々は~」という語り口調は、「我ら」欠乏を嗅ぎ取った若者の直感が、それを埋め合わせようと言わせたものだったように思うが、それが、イデオロギーによる過剰な「我々」だった不幸(?)を認めない訳には行かない。                                                                     「We」が成立する条件は、その社会の共同の目標や公的受難の歴史性だ。昨日今日「頭で考えた」だけの促成「我ら」にはその条件が不充分ではなかったか。同時にその「我ら」は、「我」の「何処へも転嫁できない」己ひとりの「自己責任」を霧散させ「回収」してくれる、都合のいい装置でさえあったと認めたい。同世代の歌人:道浦母都子さんの初期の歌集『無縁の抒情』に、自己免責装置にしてイデオロギー過剰な「我ら」との自戒的訣別を詠んだ 『今だれしも俯(うつむ)くひとりひとりなれわれらがわれに変わりゆく秋』 がある。 章の標題は われらがわれに還りゆくときであった。

もうひとつの側面として、仕事・労働の歌が無い。大衆歌謡が普及した社会の初期にはあった協働社会は姿を変え、労働現場や地域社会での「共                                                             助」は解体して行く。その反映だろうか、抵抗・祭典・共同創作・労働(直接表現は白々しいが)での「我ら」を匂わせてくれる歌もほとんど無い。                                                            どうやら、個人は二人称とは強い絆で結ばれてはいるが、その先は飛躍して「国家」(さすがに歌には直接は登場しないが)に直結し、その間にあるのは「企業」や「食扶ちを稼ぐ労働」「意識せざる個利(個人ではない)主義」であって、Sociaty・Community・社会ではない。「友」や「仲間」との共同体験・共通苦難が、辛うじて「我ら」への道筋だが、それも労働現場では、「労働組合」が「まとも」である場合以外は、企業が用意した「我と乖離した」「我ら」が大手を振って来た。共同体・協働性・共助を支えるものとしての、我と我ではないひとつの「We」なる別もの、その欠落。それは、その社会の正直な表現だと言って差支えないのではないか。であればこそ、我らなき我と切れゆくときをあえて意識していたい。                                                  

21世紀、グローバル世界の経済・軍事、旧宗主国(旧ソ連を含)の資源や輸送陸路確保の領土的野心に晒されている地域には在るだろう「We」。ある社会が総体として受難を被る場合以外「We」は在り得ないのか?先進○ヶ国に共通だろう「We」欠乏の傾向は、どうしよもないことなのか?                                                                                      宗主国と植民地に例えれば、「We」存命可能な社会への傾倒・共感・同化によって、「We」を掴んだとしても、倒錯した代行性はシッペ返しを食らうだろう。宗主国の民は、植民地から収奪(財・土地・資源・文化・全て)して維持されている当の宗主国の民として、宗主国に物申す立場、植民地を手放せと迫る以外に、植民地の民と「We」関係を結べないのではないか?                                                                      

歌謡曲歌詞を語るつもりが脱線気味だが、語らねばならないのは、21世紀先進国日本の歌謡曲に心動くぼくら民の「We」の話だ。                                                                                                                       歌詞の中に「我ら」「我々」などを入れよと言いたいのではない。「回収先」からの「我ら」はすでに先手を打って提案されている(「回収先」が用意した「我ら」など、ベタベタの個人主義より質〈タチ〉が悪い)。言いたいのは、演歌の向こう側に潜むものの呪縛と「切れて」、前回の文で言う、「大衆的抒情との訣別」、「回収されることのないもの」、「回帰ではない復権」への挑みと「繋がる」・・・そういう歌詞のことだ。

その歌詞には、それがどんなに「私」的歌であっても、色恋の「恨み辛み」歌であっても、大衆的抒情語を駆使するものであっても、そして一見社会性と断絶していると思えても、その向こうに別のものが見えるのではないか? 見えるもののひとつに、潜在的「We」がかすかにあるかもしれない。                                                                                                            演歌に『われらがわれに還りゆくとき』と近似の意志を見るときがある。それが、『我らなき我と切れゆくとき』との往還という、困難な課題を唄う「場」に立つとき、その歌はぼくらの腑に届いてしまうのだ。                                                                                                 初期中島みゆき『あぶな坂』(http://www.youtube.com/watch?v=I55y-q4U7Eg )にある、黒い喪服の女性が言う「遠いふるさとで傷ついた言い訳に」「坂を落ちて来るのが」「ここからは見える」の、その「ここ」は、そうした「場」に近いように思う。そのことをひとつの仮想として、次回、初期(ここ20年はほとんど知らないので)中島みゆき歌を取り上げたい。                                                                                       「ふるさと」「わかれ」「帰る」「忘れる」のあまりの多用に、「郷愁」と「執着」を聞き辟易した友人もいたが、ぼくは逆に、歌詞中の主人公の「切れ」ようとして「繋が」れない物語に、「切れて」「繋がる」方法を探しあぐねる「我がことのような」彷徨を見たのだった。そしてぼくは、いまなお、その彷徨の「途上」=品川宿に、居残っている。 ところで、では一体、当時の中島みゆきが言う「ふるさと」とは何だったのか?                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   『ホームにて』  http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=11632                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために ③/5

大衆的抒情の一義的「在処」

阿久悠歌詞を、日本の大衆的抒情と「切れた(い)」とか、それとの「訣別」と、容易く書いてしまったぼくの舌っ足らずかも・・・。                                                          あの文章(http://www.yasumaroh.com/?p=5779)が、「文学論」「サブ・カルチャー論」に届くとは思っていないが、結語に書いた                                                     『阿久悠は、「終焉」の前の「喘ぎ」を演じた(作詞した)のだろうか。』 『日本の歌謡にへばりつく大衆的抒情と「訣別」することを通してしか、出来はしないと考えたのだろうか。そして、それに成功しただろうか? そこは各自の評価だ。』 辺りの言い回しで、ぼくの水準からは「精一杯」の阿久悠の挑みへのエールとご理解願いたい。もちろん、阿久悠・ジュリー歌も次の三つの阿久悠:代表曲と同様に、基本的には「演歌」ではある。                                                                                                                          『ジョニーへの伝言』(74年) http://www.youtube.com/watch?v=b5z94O4-ZgA                                                                                             『津軽海峡・冬景色』(77年) http://www.youtube.com/watch?v=38on-Pw7MRo&feature=related                                                                                                                                                                『雨の慕情』(80年) http://www.youtube.com/watch?v=P0I3moSIU4M  

                                                                                                                               ところで、その「日本の歌謡にへばり付く」「大衆的抒情」とは、いかなるものなのか?                                                            吉本隆明は古い論考『日本のナショナリズム』(64年)の中で、                                                                                            『冬の夜』(ともしび近く衣縫う母は 春の遊びの楽しさ語る)、『赤とんぼ』(お里の便りも 絶え果てた)、『青葉の笛』(一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ)、『七里ヶ浜の哀歌』(真白き富士の根 緑の江ノ島)、『故郷』(兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川)、などを取上げた後、                                                                                   『ある種の愚者たちは』『日本の大衆にのみ固有なものであるとかんがえている。かれらは、ロシアやアメリカには大衆のセンチメンタリズムが存在しないものと錯覚しているらしい。』『大衆のセンチメンタリズムは、そのナショナルな核にしたがって質がちがっているというにすぎないのを知らないのである。』『ボートが沈んだとき中学生たちは、いかにもがき苦しみ、われ先にと生きのびようと努めたか、という大衆の「ナショナリズム」の裏面に付着したリアリズムを忘却するように書かれている。』『わたしたちが大衆の「ナショナリズム」としてかんがえているものは、この表面と裏面の総体(生活思想)を意味するもので』あって、『その表現にすくいあげられている一面性を意味しているのではない。』 と述べている。                                 確かに、『故郷を離るる歌』(ドイツ民謡」)とか、『埴生の宿』(イングランド民謡)とか、『ともしび』(戦地に赴く若者とその恋人=1942年作、ソ連時代の歌)などたくさん思い付く。 これらは、大衆的抒情が「そのままでは」国家意志に回収される危うさの中を浮遊していることの論証になるだろう。

ぼくも、社会的(あるいは政治的)な主題の喪失・忘却・放棄や土着のロマンチシズムが覆う歌謡は、作り手と聞き手の往還の中で増幅・再生産されて行ったと思うし、それは今も変わらないと思う。ぼくが求めているのは、吉本の言葉を借りれば「表面と裏面の総体」を掴む歌謡だ。決して、無味乾燥な政治性や思想性過剰な「思想歌」「プロパガンダ歌」「メッセージ歌」ではない。そんなものに、生活総体を射る「力」などない。大衆的叙情・センチメンタリズムというものの一面性同様、ぼくらが持つ政治的・社会的な怒り・不満・目標・理想を並べ立てたところで、それもまた一面性なのだ。                                                                                                                                                                                                   

次々回(⑤/5)、初期中島みゆき歌詞を取り上げる。そこに、前回書いた 『自身に棲む「大衆的抒情」「センチメンタリズム」「土着的浪漫」との「訣別」と、それらへの回帰ではない「復権」。「切れて」「繋がる」。』 が、潜んでいるかも・・・。                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「復権」。 それは、国家意志・地域社会の黙契・企業の没我要請・宗派の排他的教義・党の独善と非複数主義、「個」が見えない政治性、                                                                                     などから影響・誘導・支配を受けないものとして、それらへと回収されることのないものとして、                                                                                                                                                                                                        かならずや社会性・普遍性に繋がっている個的世界を確保しようとする、「個」の内側に宿る固い意志によってのみ可能なのだ。                                                                                              そのことを共有できるような「演歌」が、心に届くのだと思う。                                                                                                           それは、熊沢誠が各個人の個的体験(とされてしまった過労死)の葬列を、あえて「くどい」ほど書き綴ることによって、                                                                                                「個」のかけがえのない「生」(夫婦・家族・労働・希/夢・人並みの欲・趣味・こだわり事)の重量覚知から、                                                                                            つまり情理によって導かれた個別性への拘泥から、全体性(社会性・普遍性)を描き出した作業に、ちょっと似てはいないか?                                                                                           ☆熊沢誠:著『働きすぎに斃れて』(2010年、岩波書店)← http://www.yasumaroh.com/?p=5251                                                 

                                                                                                                             

歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために ②/5

演歌における多頻出「語」

過日、阿久悠・ジュリーに関する過去の文章を加筆修正して当ブログに掲載(http://www.yasumaroh.com/?p=5779)したところ、早速知人からお叱りを頂いた。                                                              曰く、『阿久悠が日本の歌謡にへばりつく「大衆的抒情」と訣別している、などとはとうてい思えない。阿久悠の現代・都会「演歌」には、同じものが「へばりついている」と思う。』  現代・都会「演歌」、うーん上手いこと言うねぇ。頭に「現代」や「都会」と付けたところで、「演歌」であることに変わりはないと言っている。それに関しては、全く同感だ。                                                                         ぼくが言いたいのは、阿久悠作詞に於ける挑戦、そして映像的であることによる「歌」の「抒情」「語」拘束からの仮解放である。                                                  http://www.youtube.com/watch?v=BNfs8dL0hjg  http://www.youtube.com/watch?v=hNZ4VvMaYt4&feature=related    http://www.youtube.com/watch?v=3AszYpnrpUE&NR=1                                       

過日ブログで取り上げた歌詞は次の通り。彼の「違う演歌」への挑みが、「切れて」「繋がる」映像が、垣間見えないか?                                                                             「身体の傷なら直せるけれど 心の痛手は癒せはしない」(『時の過ぎゆくままに』75年)、                                                          「思い出かき集め 鞄につめこむ気配がしてる」(『勝手にしやがれ』77年)、                                                            「傷つけ合うのが嫌いだからと ずるずるみんなを引きずって」(『憎みきれないろくでなし』77年)、                                                       「片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を」(『サムライ』78年)、                                                                                                                                                   「あなたには帰る家がある やさしくつつむ人がいる」(『LOVE抱きしめたい』78年)、                                                                                                                    「男がピカピカの気障でいられた。ボギー、ボギーあんたの時代はよかった」(『カサブランカ・ダンディ』79年)。                                                                                                                                                                                                     

「大衆的抒情」の世界的一般性と「日本の」特性について考える為に、昨09年作った、歌謡曲に登場する「語」(名詞・動詞に限る)から特に多いものを探ったメモを添付する。歌謡曲は、これらの「語」の組合せによって作られてもいるが、それには理由がある。ぼくなりに気が付いたことを、次回ここに書くが、今日はまず、その一覧を見て欲しい。

【Uta-Net 歌詞検索】より

タイトルあるいは唄い出しに、その「語」が含まれる曲数の一覧。(09年7月筆者集計)

                                                                       

凡例: 例えば、語「時」なら、時代・時間・時・時に・時計、など「時」が含まれる「語」のすべてが該当。                                                                                        タイトルにも歌詞にもその「語」があれば、重複カウントされている。                                                            また、例えば、『なごり雪』なら「雪」、唄い出しの「汽車」「待つ」「君」「ぼく」「時(計)」、など全ての項目に重複カウントされている。                                                                                                                        狙い: 実際『なごり雪』は、後の歌詞も「季節」「最後」「呟く」「春」「窓」「唇」「さよなら」「ホーム」など、下記の多頻出「語」のオンパレード構成となっていて苦笑する。『なごり雪』こそは「演歌の王道」を歩んでいるのだ。                                                                                     高齢者には「ニュウ」ミュージックでもあるこの歌は、昔も今も老若男女に受け容れられ支持され続けている。もちろん、メロディーの美しさが大きな要素だが、ぼくらに刷り込まれた「語」感と、そこをくすぐる「演歌の王道」を行く歌詞とは響き合い抱擁し合うのだ。「言葉」化されることを待っているぼくらの大衆的抒情と、「語」の側の時代を超え時間を経て培われた吸引力は、決して侮れない。世とぼくら自身に沁み付いている。それを検証もなく「琴線」などと持ち上げて呼ぶ論者がいるなら、いかがわしい限りだ。素朴で無垢な、そのままではいか様にも弄ばれる危うい情感、まさに大衆的抒情の核心ではないだろうか? 国家・郷土・戦争・教義・党・日本の企業風土・・・、回収先はいくらでもある。                                                                                                     ところで、下の表は、歌のジャンルを一切問わないので、数は盛り場歌謡に影響されたりもしているが、それらは、おんなと男の立派な艶歌です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      全体でのベスト9は、①君・あなた・お前 ②時 ③夜 ④空 ⑤愛 ⑥風 ⑦恋 ⑧花 ⑨夢 である。その理由、そして各欄の最多「語」の理由、そこを探り歌謡曲に於ける大衆的抒情の在処を考える糸口としたい。他に、種類が多くて正確なカウントができなかったが、「生物」という項目を作れば花:約3800、木・樹:約950、鳥:約900である。また、モノ名詞・情感・想念・抽象の「語」、動詞、人の心の動き、などで記載できなかったものは多数ある、ご容赦。                                                                          「ひとり」1019、「ふたり」534、「水」675、「森」263、「火」523、「炎」192、、「音」1001、「鐘」105、「影」632、「群」166、                                                            「都会」249、「詩」257、「香・匂」479、「乱」188、「流」1428(時間含)、「消」655、「終」1170、、「過ぎ(る)(て)」602、                                               「追」529、「逃」247、「回」360、「飛」846、「咲」845、「散」468、「踊」422、「落」696、「崩」51、「堕」57、「迷」429、                                             「惑」179、「発」180、「起」254、「鳴」473、「燃」281、「憧」117、などが、いい歌詞の中にあるのですが・・・

                                                                                                          中島みゆき歌が「演歌」だと断ずる人の言い分は、おそらく、それが下記の表の多頻出「語」の組合せという                                                                       「演歌の王道」の枠内にあるという確信に拠っているのだろう。                                                                                                          ぼくは、「演歌主義者」なので、それがどうした?という立場だ。                                                           歌は、すべからく演歌なのだ。  艶歌・怨歌・厭歌・縁歌・宴歌・焔歌・援歌・演歌、だ!                                                                                 問題は、自身に棲む「大衆的抒情」「センチメンタリズム」「土着的浪漫」との「訣別」と、それらへの回帰ではない「復権」。                                                                                          「切れて」「繋がる」。そこなのだ。                                                                                                                                                         

        区分                                           語(名詞・動詞)、曲数             寸評
季節 春1415、1763、秋438、冬588、季節657、 夏を好むが、熱・暑ではないんです。わかります。
気候 暖117、熱・暑155、涼・爽39、寒・凍256
気象現象、自然 雨3078、4095、雪1178、霧335、雲776、嵐213、波791、晴554、光・輝1981、闇583、 雨ではなく「風」か
地理的場所等 海1892、浜294、川・河916、2091、山538、岬155、島321、丘・坂652、草(草原)975、 草、意外に多いですね
時間帯 夜明け434、朝1537、午後274、夕・夕日・夕暮486、たそがれ177、暮756、5238 歴史は夜作られる?
人的時間① 2433、命635、死379、人生478、若・青年397、少年290、少女・乙女305、子供261、  
  〃  ② 5319、昔・過去410、最後439、現在・いま812、未来531、明日933、昨日388、初571、 時・時間・時代。
行動・動作・伝達 旅1049、走・駆955、泳110、1253、卒業128、遊255、休206、疲273、眠・寝1228、              話935、告206、語508、叫178、呼554、囁・呟134、伝404、149314901492、                     人は本来、歩く。眠る。
最後は、泣いて笑って歌うのか
社会性・共同性 仕事・働261、祭165、闘・抗・集・絆368、村59、世1653、2505(共同性なのかどうか)、 働・闘が歌になりにくいのは解る
人工的場所 駅・ホーム787、港398、空港18、校舎・学校・教室183、窓430、扉228、ビル178、 やはり駅か。別のホームも混入
天体 星2035、月2328、太陽868、4182、宇宙231 空、多いんですね
乗り物 汽車・列車389、517、バス254、飛行機75、車1031(クルマではなく車全て)、 汽車よりも船か・・・
人称 私・ぼく・俺1925、君・あなた・お前10618、我々・我ら・ぼくら・仲間695 そりゃそうでしょう
情感 喜113、怒・恨193、哀・悲1152、苦202、傷・痛765、楽473、涙・泪1839 泪には全て含まれるもんね
想念 故郷・ふるさと364、希・願587、3375、心2349、思い出535、忘1013、諦142、欲243、                                                                           酒・酔885、遠655、帰る770、待つ989、棄・捨259、切れる・果てる・絶える・離2657 夢。 人は、これなしでは生きられないのだと思う。
男女 男1155、女2376、出会(逢)438、抱1116、惚161、別・さよなら2258、恋3916、4138 さよなら(だけが)、恋、愛
婚姻・血縁 妻・女房2372、夫・だんな11、夫婦・めおと73、母・おふくろ276、父132、 当然でしょうな。
身体 顔1168、目1876、口・唇765、声939、耳245、腕203、2494、指611、爪107、背中345 手が最多とは・・・

 

                                                                                                                              

歌遊泳: 小椋佳の媚びず揺るがぬ姿勢

小椋佳の歌を聴くといつも友人:詩人Sさんの詩を思い出す。                                                        『少女よ私に道を訊くな 私は世界の極北に住む者だ』。                                                                                                                   小椋佳。東大卒・第一勧銀・浜松支店長・作詞・曲想・・・親和感を持って聴いています。                                                                                              

さらば青春 http://www.youtube.com/watch?v=z8ok2RXA_PM                                     俺たちの旅 http://www.youtube.com/watch?v=11vfx_03XV0                                     シクラメンのかほり http://www.youtube.com/watch?v=t1o8lCfTmGo                               めまい http://www.youtube.com/watch?v=NLsL9eUKLRQ                                                   泣かせて http://www.youtube.com/watch?v=RgfL-NhnmSk                                                  時を連れ想い残して http://www.youtube.com/watch?v=NnkkzGn6eSA                                             愛燦々 http://www.youtube.com/watch?v=20IutvIryNo                             愛しき日々 http://www.youtube.com/watch?v=JbJ-M7AGN-Y                                山河 http://www.youtube.com/watch?v=niwkGW2IJVk 

歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために ①/5

「阿久・大野・ジュリー」組が駆け抜けた70年代最後の五年間

 ジュリーッ!                                                                                 ジュリー:沢田研二が歩いてきた途、トップには立たない途には、「どメジャー」を忌避する、ある「美学」があったと思う。                                                                                       考えてみれば、ジュリーは全盛期にも大いなるマイナーだった。いま、九条の危機を謳い、ネット上で、あれは非国民だと、                                                                                   下品かつ暴力的な攻撃に晒されているらしい。(YouTube に在った『我が窮状』は、何故か消去されていて、現在見当たら                                                                                                   ない。また、アップして欲しい)                                                                                          (あっ、Yahoo Videoにあった。http://video.yahoo.com/watch/3605408/9947720)←歌詞内容には疑義ありですが、それは別の機会に・・・

2009年8月稿 再録

70年代末、ジュリーは、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫の歌にピタリ乗って、いい歌唱を届けてくれた。それは日本の歌謡に                                                                                                へばりつく、いわば大衆的抒情とは「切れた(い)」という刃を秘めた歌詞群だった。事実、色恋・花鳥風月・故郷・家族的「情」                                                                                                                                                         希望や夢・別れ等を、聞き手に媚びて謳う従来の日本の大衆歌謡の歌詞とはどこか異質だった。                                                                                  阿久悠・大野克夫・ジュリーのトリオは、「よかった」「あんたの時代」の最後の時間が今、まさに終ろうとする日々を、                                                                                          何かに急かされ咳き込みながら、ひたすら駆け抜けたのだろか。ここでは、彼らが、75年から79年までの、わずか5年間に                                                                                          集中して世に出した、連作:全8作品を振り返ることにする。8曲のほとんどが、ある「終焉」を前にした者の「喘ぎ」のように                                                                                                       聞こえるのはぼくだけか?時代は、すでに曲がり角(70年前後)を曲がってからかなりの時を経ていた。そして、ぼくらが                                                                                                   三者の5年間の「歌パフォーマンス」の意味を味わって聴く間もなく、70年代があわただしく過ぎて行った。                                                                                                          (阿久悠が書く男性には密かに頷けるのだが、女性への照れ・茶化し・皮肉のような視線は、当時の我を見るようでつらいところだ)

『時の過ぎゆくままに』(75年) 「身体の傷なら直せるけれど 心の痛手は癒せはしない」                                                           http://www.youtube.com/watch?v=kYtRqhPEGh0&feature=related                                                                 『勝手にしやがれ』(77年) 「思い出かき集め 鞄につめこむ気配がしてる。」                                               http://www.youtube.com/watch?v=JX3dHdTt9OI&feature=related                                                                『憎みきれないろくでなし』(77年)「傷つけ合うのが嫌いだからと ずるずるみんなを引きずって」                               http://www.youtube.com/watch?v=0zn3zCCEaZs                                                                                                      『サムライ』(78年)「片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を」                                                                                http://www.youtube.com/watch?v=_Met9KGlyeQ                                                                                                            『ダーリング』(78年)「すべてがわかったといってくれ 世界中に発表してく」                                               http://www.youtube.com/watch?v=SMRn7IS-0mA&feature=related                                                 『LOVE抱きしめたい』(78年)「あなたには帰る家がある やさしくつつむ人がいる」                                 http://www.youtube.com/watch?v=d712HJnMX_Y&feature=related                                                                             『カサブランカ・ダンディ』(79年)「男がピカピカの気障でいられた。 ボギー、ボギー あんたの時代はよかった」                                                                        http://www.youtube.com/watch?v=PxT4-8AGfek                                                                    『OH!ギャル』(79年) 「女の辞書には不可能はないよ 女は誰でもスーパー・スター」                                http://www.youtube.com/watch?v=yBwgJxGAzpE&feature=related                                                  《今、文字ヅラを追えばいささか恥ずかしくもある・・・》  《若い人へ:ボギーとは映画『カサブランカ』などに出演した役者ハンフリー・ボガードです》                                         

93年のTVドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(緒形拳、裕木奈江)は、ポケベルで呼び出し合う時代の、中年サラリーマンと親子ほど                                                                                         年齢差ある女性との「不倫」ラブ・ストーリーだった。その頃にはもう初期携帯電話が普及し始めていたから、少し時代遅れの設定                                                                                       と思えたが、普及が、脚本から映像化までの時間を追い越して行ったのだと納得した。ぼくは、80年代初めには仕事上の必要から、                                                                                        高価な自動車搭載電話を持ち、やがて身近な誰も持っていない重い携帯電話を入手して「大社長か?」と嘲笑われた。                                                                                    現場関係の親方連中は皆持っていたのだが・・・。                                                               ( 資料:ポケベル・携帯電話の歴史←http://www.econ.fukuoka-u.ac.jp/~junji/rekishi.html )                                        今、言いたいのはそのドラマの男女関係のことではない。男女間の「緊急」かつ「やむにやまれぬ(?)」交信のアナログ性に込めた                                                                                     想いのことだ。ポケベルのディスプレイに表示される、送信相手を示すあらかじめ設定した数字以外には、字も言葉もない世界の、                                                                                             相手と己の「切実さ」や言葉を超える「言葉」のことだ。それは、主役の座を携帯電話・メールに奪われるポケベルの短命性と、                                                             移り行く伝達手段の男女関係以上に「はかない」過渡期性を暗示していて、両方のやがて来る「終焉」を告げていた。                                                                                         電話→ポケベル→携帯→メールへの、わずか40年弱の伝達手段の驚異の変化は、「ボギー、あんたの時代はよかった」と嘆く者を                                                                                                  嘲笑うようなスピードで進行したのだ。阿久悠・大野克夫・ジュリーが、5年間に喘いで吐いたものは何だったのか?                                                                                                さらなる、3D・新バーチャル・それ以上の、通信革命の世を生きる若者が、「ボギーの時代」を「よかった」と嘆けた阿久悠の時代                                                                                        は、ホントに「よかった」んだネと、嘲笑って言うかもしれない。阿久悠・大野克夫・ジュリーの70年代末の言葉(詞・曲・歌唱、その                                                                                               総体)は、ぼくにとって、「勤務会社偽装破産と職場バリケード占拠闘争」 「労組による自主経営企業設立」などと重なって                                                                                   いる時期だ。これに対し、『お前のここでの時間は、60年代の思い出かき集め」「ずるずるみんなを引きずって、                                                                                帰る家があることをいいことに、心に花束 唇に火の酒とうそぶいて、ピカピカの気障でいられる時間なのだろうが?』 と、                                                                                                      60年代の友から、暗黙の賛意とも揶揄とも言えない言葉を浴びて、ムカつきながら怯んでもいたのだ。                                                                                              けれど、なお辛うじて健在だった「総評」が、「共助」という労働組合の建て前(?)思想が、「自主」という「思込み」が、「このまま」の                                                                         神話であり続けていては、早晩破綻することを、阿久悠らの「喘ぎ」のように的確ではないにしても、薄々「予感」してはいたのだ。                                                                                   

今、ぼくには、未来に関して、ひとつだけ確かだと考えていることがある。人と人の交信のアナログ性が、                                                     後代から、「ボギーの時代」は「よかった」と嘆きも出来た阿久悠の時代こそ「よかった」んだと言われそうな、伝達・交信技術の                                                                                         「予想も出来ない新技術登場」に晒されても、人と人の交信が抱え持つ「切実さ」や、言葉を超える「言葉」⇒【言葉・行動・抗い                                                                                          ・共助思考・儲からない学・詞・曲・歌唱】 が、不要となったり、その座を別のものに譲り渡すことなどないのだと・・・。                                                                                                だから、あれそれこれは、復権できるのだと・・・。阿久悠は、そのことを言うために、「終焉」の前の「喘ぎ」を演じた(作詞した)                                                                                      のだろうか。それは、日本の歌謡にへばりつく大衆的抒情と「訣別」することを通してしか、出来はしないと考えたのだろうか。                                                                                  そして、それに、成功しただろうか? そこは各自の評価だ。

歌遊泳: 「大阪ソング」に聴く、方法としての「大阪・おおさか・OSAKA」

2008年9月稿 再録。                                                                                                                                                              下の写真の場所を全て特定できたら、立派な「大阪人」(?)、どうです?                                                                                                                                                                                                                                                                                             これが大阪か? 違うやろ!・・・。 という類の歌もありそうだが、
元々、市内・北摂・河内(北・中・南)・泉州は、それぞれに別物。何かと違うようだ。
地域の食や俗に詳しい人から、「茶粥は紀州・大和・河内だけでっせ」と聞いたことがある。
ぼくの両親はその大和出自なのだが、「茶粥」は伝来の「食」だ。
冬はアツアツ、夏は冷やして・・・、それは極上の我が「父母の味」といったところだ。
                                                                                                               さて「大阪ソング」。御堂筋・心斎橋など有名地の固有名詞が付いている歌はかなりあって、
いわゆる「ご当地ソング」も多く、上六・京橋・天神橋・曽根崎・梅田などの名も見受けられる。
古くは、フランク永井、ザ・ピーナッツ、欧陽菲菲、などが大阪ものを歌い、何と!吉永小百合さんも三曲も歌っている。     80年代初めには、京都出身の都はるみさんが数曲のヒット曲を出したと記憶している。
「ごった煮」大阪の歌に特別の感慨などないが、虚構と現実の狭間を駆け抜けて生き抜くような、シリアスとコメディが同居しつつその隙間も承知しているような、何とも「半現実的」な人生訓・・・そんなところが「大阪的」と言われていることの、何処にでもあるはずの実相なのかも知れない。例えば、『六甲おろし』の 闘志溌剌(はつらつ)起つや今 熱血既に敵を衝(つ)く 獣王の意気高らかに なんていう難しい歌詞と、スター選手であってもチャンスに打てないことが続けば、「アホンダラ!家帰って寝とけ!」となる罵倒が同居しているのだが、その選手への「敬意」はそれとして根強く生きて続けているから不思議だ。その両者の狭間にファン心理の核心(?)があるのだが、東京で巨人「軍」のスター選手が巨人ファンに罵られたとしたら(それはあまり無いようだが)、もう終わりだろう。選手のとファンの関係を「断つ」ことになるのか? 贔屓の引き倒しという言葉もあるが、大阪のそれはちょっと違う。決して、引き倒さないのだ。
 
東京ではドタバタ軽騒ぎの「吉本的笑い」が大阪だと流布されていて、大いに迷惑している。
吉本攻勢のせいで「もういいよ。大阪は解ったヨ」という訳でもあるまいが、大阪ソングは久しく無いですなぁ~。(別に欲しくもないが)
それは、大阪の経済的地盤沈下と符合しているのだ。 ともあれ、聞き覚えのある歌を年度順に列挙する・・・。 
 
『道頓堀行進曲(筑波久仁子、1928年) 『野崎小唄(東海林太郎、35) 
『六甲おろし(大阪タイガースの球団歌、36)) 後のクラシック歌手:立川澄人版が有名だと思います。これが公認かも?
『買物ブギー(笠置シズ子、50) 『こいさんのラブ・コール(フランク永井、58) 『月の法善寺横町』(藤島桓夫、60) 
『通天閣の灯橋幸夫・吉永小百合、63) 前年62年『いつでも夢を』のヒットで二匹目のどじょうを狙ったか? この歌知ってる人います?
『王将(村田英雄、61) 『若い二人の心斎橋(吉永小百合・三田明、64) 『天満橋から(吉永小百合、65)
『たそがれの御堂筋(坂本スミ子、66) 『釜ヶ崎人情(三音英二、67。作詞:もず唱平)                                                                『大阪の女』(ザ・ピーナッツ、70)  『宗右衛門町ブルース(72)                                  
『世界の国からこんにちわ(三波春夫、70) 【吉永小百合、坂本九、広田三枝子、山本リンダ、多数あるが、三波先生しか記憶にありませんね
『雨の御堂筋(欧陽菲菲、71) 『大阪ラプソディー(海原千里・万里、76) 『河内のオッサンの歌』(ミス花子、76) 
『大阪で生まれた女』(Boro、79) 『大阪しぐれ』(都はるみ、80) 『二人の大阪』(都はるみ、81) 
『悲しい色やね』(上田正樹、82) 『浪速恋しぐれ』(都はるみ・岡千秋、83) 『道頓堀人情』(天童よしみ、86)                                                                 『河内おとこ節』(中村美津子、89) 『大阪ビッグ・リバー・ブルース』(憂歌団、90年頃か?)
『夫婦みち』(河合美智子、97) 【『連続テレビ小説 ふたりっ子』で、「通天閣の歌姫」と言われる叶麗子がモデルのオーロラ輝子役で出演
 
それでは、混沌の大阪、11曲の大阪チャンプルをお楽しみあれ・・・、                                                                                                                             こいさん・いとはん、船場あきんど、春団治、坂田三吉、大阪空襲、敗戦後大阪たくましオバチャン、                                                                                               万博、釜ヶ崎、夜のキタ・ミナミ、大阪城ビジネス・パーク、泥色の大阪湾 などを思い浮かべながら・・・。
                                                                                                                                                                                                                                                  『道頓堀行進曲』(筑波久仁子、1928) http://www.youtube.com/watch?v=iZNFAJIAEuY
『買物ブギー』(笠置シズ子、50) http://www.youtube.com/watch?v=Ex5VuJdHTa4
『こいさんのラブ・コール』(フランク永井、58) http://www.youtube.com/watch?v=QMpXNACXnhQ
『天満橋から』(吉永小百合、65) http://www.youtube.com/watch?v=xrCqvburWnM
『釜ヶ崎人情』(三音英二、67) http://www.youtube.com/watch?v=9b_ecSqWtmA
『大阪の女』(ザ・ピーナッツ、70) http://www.youtube.com/watch?v=qJg9U52DxWs
『雨の御堂筋』(欧陽菲菲、71) http://www.youtube.com/watch?v=5YTozakMGjw
『大阪で生まれた女』(Boro、79) http://www.youtube.com/watch?v=V-XEroHRc_w
『悲しい色やね』(上田正樹、82) http://www.youtube.com/watch?v=y59hpd5aGkc
『浪速恋しぐれ』(都はるみ・岡千秋、83) http://www.youtube.com/watch?v=FBUPPAgwiPA
『河内おとこ節』(中村美津子、89) http://www.youtube.com/watch?v=zkPherRET7c                                               写真の答。左から、淀川大橋と六甲に沈む夕陽、ひっかけ橋こと戎橋のグリコ広告塔前、『泥の河』の原風景界隈の安治川沿い倉庫群。                                                                                                                                                                                
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
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