Archive for the ‘歌遊泳’ Category

歌遊泳 桑田ひとり紅白 安井かずみ「古い日記」

【雑文:桑田佳祐さんおおきに】

NHK番組 桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」というのを観た。
大御所・各時代のアイドル・演歌ありフォークありニューミュージックありの、さながら歌謡界大絵巻(?)。Act Against AIDS(AAA)のチャリティーの一環だそうだ。
挙げた歌手への敬意、曲への愛着、歌詞への共感に満ちた桑田のトークも良かった。
ずっと以前こんな話を聞いたことがある。歌手たちに「あなたが、一番上手いなぁ~と思う歌手は誰ですか?」と訊くと、
断トツで「桑田佳祐さんですね」だそうだ。今回、桑田のトークと歌を聞いて、歌手たちが挙げたその理由「歌詞の意味が歌の力を得て明確に伝わって来るんです」に納得した。
和田アキ子の「♪ ハッ!」で耳に残っている曲のタイトルと中身を誰も知っているのだろうけど、ワシは知らなかった。
まるでA真理かAめぐみの曲のようなタイトル『古い日記』だということも、こんなにもピュアで痛く「個人性」「社会性」の未明を越え「個的類的」精神を模索する者の、「公」と「私」の裂け目とその乗り越えへの逆説的「切情」溢れる歌詞は故:安井かずみ(「危険なふたり」「私の城下町」、「ドナドナ」アダモ「雪が降る」訳詩など)の作なんだということも初めて知った。
うん、ええ歌詞や。

「古い日記」作詞:安井かずみ

あの頃は ふたりとも なぜかしら 世間には

すねたよな 暮らし方 恋の小さなアパートで

 

歌遊泳 『卒業写真』の「あの人」

【「卒業写真」の「あの人」】
卒業の季節だ(大阪府立高校は3月1日が多いらしい)。
卒業ソングランキングというのを見ると、数十年の間に知らない歌が沢山あって驚く。「卒業」を歌っているのではなくても、「卒業」期に唄われる歌も含め「卒業ソング」と呼ぶらしい。知っていて印象にも残っている(歌えるかも?)のは、
『卒業』(斉藤由貴), 『春なのに』(中島みゆき),『卒業』(尾崎豊),『なごり雪』(イルカ),『乾杯』(長淵剛), 『贈る言葉』(海援隊),
『空も飛べるはず』(スピッツ),『さくら(独唱)』(森山直太朗),
『手紙~拝啓十五の君へ~』(アンジェラ・アキ),『卒業写真』(荒井由美)くらいか。そんな中で、荒井由美(現:松任谷由美)の『卒業写真』が改めて好きになった。
ネットの解説に「卒業したけれど、好きな気持ちはずっと変わらないという純粋な恋心を歌った曲で、もっとも多くカヴァーされている曲の1つでもあります。」とあるのだが、「卒業写真」の「あの人」とは上記の解説にあるようなことではない、とどこかで耳にしたことがあって、検索してみた。
果して「あの人」とは少し年長の大人の女性だった。
敬愛する先輩や師や憧れ人、そのいずれでもあって、かつそれとは趣の違う心情=透明感・精神性・無償性を土台にした濃い情愛= をも併せ持つ独特の対象・・・。

『あの頃の生き方をあなたは忘れないで
あなたは私の青春そのもの
人ごみに流されて変わって行く私を
あなたは時々遠くで叱って
あなたは私の青春そのもの 』

仕事や各種取組みや夫を置いて、「古い同性の友」への絶対の信頼を捨てない人を、近くに観たことがある。それは清しく鮮やかで羨ましいものだった。

ぼくらは、「あの頃の生き方」を「忘れ」ずに居て「遠くで」「叱って」くれる・・・そんな対象を持っているだろうか?

歌遊泳 中島みゆき「ホーム」にて

26日(土)友人たちと呑んで深夜帰宅すると、こたつテーブルに「NHK SONGS 中島みゆき、録画しといたで。見いや!」とメモ。
じっくり拝視聴。

【ホームにて】
主人公は、いまで言えば、それこそ西原理恵子の漫画に登場するようなアラサーの女性ではないだろうか? 保育士(か美容師か看護師)を目指して短大に行ったのだが、父入院もあり中退した。事務員として中堅商社に勤めるも、経理能力などなく、元々の職業的希いもあり仕事に馴染めない。着飾って色恋の話に明け暮れ<寿>(?)退社で辞めていく同僚、いささか不器用で美人でもない「わたし」。女が職場に進出したとは言え、30年以上前、70年代末の中堅商社はなお「お飾り女性社員」「職場の華」「男性社員の妻予備軍」をこそ求めていたのだ。それが70年代末の大都会企業社会の「風土」だ。
<「わたし」の独白>
けれど、「わたし」に、制度とも言えるその風土を覆す「技能」も「智恵」もない。女の「キャリア」への願望は、その手前で70年代末の中堅商社のお茶くみ場で踏みつけられていた。
70年代末に(今はもっとそうだけど)、実家の援助なく女ひとり大都会:札幌で暮す、その困難が解りますか?
会社を辞めたのは、確かにアパートと自宅との往復しか出来ない経済的・人間関係的「貧困」も理由だし、永く病床に在った父が亡くなった家の事情も、いいかげんな男に多額を貸して返って来なかった失敗も大きなきっかけです。
けれど今の、昼のアルバイトと夜の接客業は自ら選んだ道です。男の裏表(いや裏ばかり)も人並みに知りはしました。そりゃ、OL時代より収入はうんと増えたし、大学へ通う弟に職業を隠して支援もしてやれる。
だけど、あの最終に乗らないと、このネオンライト輝く虚飾の街が、「わたし」の出てゆけない棲処となってしまうヨ。(21世紀。今、「単身」「派遣女性社員」の多くがこの界隈に生きている)。
来年必ずあの最終の汽車に乗って行き、不足単位を取って保育士になるんです。今度の春から中座していた大学、再開するんです。去年も一昨年も出来なくて、「ドアは閉まり」「手のひらに」は「空色のキップ」だけが残って溜まるけれど、それはこの夜の街のネオンライトでは燃やせやしないのよ。残ったキップを燃やせない間は、汽車にも乗れやしないのよ。
ハッキリして来たヨ。「ふるさと」は、後ろではなく前方向に在る。時間的には過去ではない。距離的には遠方ではない。

【マイみゆきベスト6】
彼女の人生、夜風の中から、ホームにて、世情、ファイト、あぶな坂、

中島みゆきは何者?
「とおいふるさとは」「落ちぶれた男の名を」「呼んでなどいないのが」「ここからは見える」(あぶな坂)
「ここ」は「どこ?」
若くしてこの歌詞をモノしたみゆきさんに脱帽!

歌遊泳: 正月3日、猫を看取る。 ♪ オロロンバイ ♪

遠藤実作詞・作曲、小林旭歌唱、『オロロン慕情』

正月帰阪中、飼い猫(二匹のうちの一匹)が死んだ。飼主(女房)は年末から、東海地方で洋菓子店を営む娘夫妻の手伝い(クリスマス~正月の繁忙と、保育所休暇中の孫の保育)に出向いており、ぼくが一人で猫の最期を看取った次第。                                                                               アレルギーによる脱毛・ダニ・カビとも陰性・皮膚の爛れ・・・、11月から通院していたが、合う薬を求めた試行錯誤も不首尾、1月2日午前、呼吸乱れに驚いて緊急通院(2日でも開けてくれた医者に感謝)で「腫瘍肥大から肺圧迫による呼吸困難。今夜か明日・・・でしょうか。看取ってあげて下さい。」‥……                                                                                                    夕刻まで、虫の息状態を続けていたが、最後に大きく息を吸い込み、そのまま果てた。                                                   

2005年春、生後3月の姉妹猫を貰い受けて飼い始めた。7年10ヶ月で生を終えたわけで、人間で言えば50代というところだから若くもないのだが、以前飼っていた猫が19年生きたので早死にのように感じてしまう。                                                                                                     二匹の「性格」の違い、行動パターンの対比が実に面白く楽しませてもらったものだ。                                                                                        残った猫:プル(チャンプルから命名)は家族以外にも人懐っこく甘え上手で、三毛猫で顔も美形、亡くなった猫:ゴー(ゴーヤから命名)は人を寄せ付けないというか抱かれ下手で、混じりあった不鮮明な毛色の雉猫、表情はいつも不機嫌だった。が、堂々としていた。                                                                                                                                               エサの求め方・食べ方、屋外に出て戻って来るときの態度、二匹とも飼主の布団に潜り込むのだが、プルは信頼しきってゴーはやや半端に隅に・・・という具合、などなど。「人間の兄弟みたいやと言うべきか、人間以上と言うべきか」「面白いな」といつも飼主と言い合ったものだ。                                                                                                                                            姉妹を見比べた訪問者が、可愛いねと褒める前に必ず吐く枕詞「ホントに姉妹?」には、言外に「姉ちゃんは、あんなに奇麗なのに・・・」との本音が炙り出しの伏字で刻印されているのだと、彼女は感じていたはずで、いつも飼主が本人(猫)に代わって傷ついていた。                                                                                                                                     人から「お母さんは奇麗な女優さんやったね」と言われる度に、その言葉が「美貌の母親女優に比べあんたは・・・」としか聞こえなかった幼女期~思春期を過ごしたという女優某は、そのコムプレクスを糧・バネにして、知性と反骨と努力で女優業を我がものとし、母親を越え美貌に勝る味わいある大女優になった(ぼくもファンです)。『赤目四十八瀧心中未遂』、これ最高です! 予告編 http://www.youtube.com/watch?v=FsNOwB68hJM                                                                                                                                 が、凡人(猫)はそうは行かない。飼い猫としての陽の当るところを全部姉に譲り、命まで姉に差出すように、逝ってしまった猫生やったな・・・と、翌日帰阪した飼主と二人で、薄暮の自宅裏庭に埋めてやった。合掌!                                                                                                                          件の女優の母親が近年シャキッと芯ある高齢者を演じ、中々の味を出している。根にコムプレクスがあっても深いところで愛情と信頼があれば、                                                                                             競い合うのではなく励み合う関係となり、このように互いが成長できるのだ。コムプレクスは大切だ、人が励み・成長する原動力だ。                                                                                                        やたら数値化し競い合うことばかり求める風潮に言わせてもらうが、それと「励み合う」こととの違いを伝えるのが本来の教育やで、維新教育よ。                                                                                       とは言え、ワシ「励み合う」こと稀にして競い合っては敗れてばかり、リキの無駄使い・誤使用に明け暮れて来たのです。友の価値と意味、師匠・先生・先輩・同輩・後輩の有難さ、そうしたことに気付きかけたのはごく最近・・・・、それ白状しときます。                                                                                                                                                                                                                                                      

ふと、遠藤実作詞・作曲、小林旭歌唱、『オロロン慕情』が浮かんだ。                                                                                                                                                                                                                                        http://www.youtube.com/watch?v=WsK5fmJ7ssw                                                                                     

『オロロン慕情』                                                                                                                 俺と一緒に遊ぶ娘が死んだよ・・・                                                                                              網走 おもいで すさぶ風                                                                                                      今度は永い命をもらい                                                                                                                                                                             オロロンバイ オロロンバイ                                                                                                          生まれておいでよ・・・

作詞作曲の遠藤さんが紡ぎ出した名曲・・・。                                                                                                     1949年17歳で疎開先から帰京というか上京、                                                                                                   各種職業を転々とした極貧生活から流しの演歌師となり、辛酸を舐め尽くしたという遠藤さん。                                                                                                                                                                                                  実体験か、そのデフォルメか、仮想か、若き日々の自画像か・・・、薄幸の娘への遠藤さんの思い入れが、やたら凍みる正月3日の薄暮だった。

遠藤実 代表作:                                                                                                                       『からたち日記』 http://www.youtube.com/watch?v=Tzp6d31Q5S8 島倉千代子                                                                     『高校三年生』 http://www.youtube.com/watch?v=f0bEAfLGE24 舟木一夫                                                                                                       『星影のワルツ』 http://www.youtube.com/watch?v=Blk2sxIEdxI 千昌夫                                                                                                          『ついてくるかい』 http://www.youtube.com/watch?v=vv1GKxmVht0 小林旭                                                                                 『せんせい』 http://www.youtube.com/watch?v=lz9aFcdtB-c 森昌子                                                                                                             『くちなしの花』 http://www.youtube.com/watch?v=VR4nLauevyc 渡哲也                                                                                                                     『すきま風』 http://www.youtube.com/watch?v=ecaVprU_yMQ 杉良太郎                                                                                                『北国の春』 http://www.youtube.com/watch?v=cYXZgRINpzg 千昌夫

 

 

歌遊泳: 市民シャンソン講座から 1871年5月パリ・ロワール通のバリケードへ

尖閣・竹島とシャンソンそしてパリコミューン

市民シャンソン講座の発表会に親しい知人が出ると聞き、市のホールへ出かけた。それがキッカケとなって、YouTube などでシャンソンを聴くこと多いこの頃。

シャンソンは、ごく私的な愛の物語を唄う時も、『その輝き・蹉跌・再生は、「時代」が抱えることになるだろう社会的「失意・栄光・憤怒・希望」(公的記憶=パブリック・メモリー)と共振しているんだよ』とつぶやいている。

その上で、『それは何処にも誰にも譲れない、私だけの、個的な尊厳に関わる事柄なのさ』とささやいてもいる。

シャンソン。それは、道理と憲法に反する職員条例を強行して恥じない精神になど、決して宿らない種類の文化なのだ。

『さくらんぼの実る頃』はパリ・コミューン(1871年)の、『美しき五月のパリ』はその約100年後:1968年パリ五月の、その渦中に生まれた。

『サン・トワ・マミー』『雪が降る』『ろくでなし』で有名なサルヴァトール・アダモはシチリア生まれのベルギー籍で、自作の歌を多言語で唄っている。

『時は過ぎてゆく』の作・歌唱のジョルジュ・ムスタキはギリシャ系ユダヤ人である両親の亡命先エジプトで生まれ、17歳でパリへ来て、そして、永い歳月を経て、「在仏地中海人」と自称するアイデンティティに辿り着いた。

これらの歌は国境や民族を越えたい者共通の財産なのだ。

『さくらんぼの実る頃』 イヴ・モンタン

http://www.youtube.com/watch?v=ncs4WlWfIZo

『美しき五月のパリ』 加藤登紀子

http://www.youtube.com/watch?v=m-9vdTyuUj0

『ろくでなし』(原題は「不良少年」) サルヴァトール・アダモ

http://www.youtube.com/watch?v=BM_2igjbxjc&feature=related

『時は過ぎてゆく』 金子由香利

https://www.youtube.com/watch?v=zHCDzGHBz5Q

『さくらんぼの実る頃』はジブリ映画『紅の豚』で知った加藤登紀子さんの歌唱を含めて、それぞれに味がある。その中でぼくはナナ・ムスクーリさんが唄っている版が大好きなのだが、その理由はこうだ。イントロからラストまで流れるギリシャ風・エーゲ海風アレンジ旋律の伴奏と、彼女の澄み切ってピュアな声質によって、パリ・コミューンの精神が蒼い地中海と全ヨーロッパの空を貫いて鮮やかに響き渡っているような気分にさせてくれ、この曲と歌詞が捧げられたという、パリ・コミューンの渦中に散った若い看護助士ルイーズの物語を思い起こすからだ。

http://www.youtube.com/watch?v=jycvRlQI_hw

パリ・コミューン:1871年3月18日~同年5月28日、市民の蜂起によりパリに実現した自主管理政府。「普仏戦争」(1870、7~1871、2)とは、やがてドイツを統一するプロイセンとフランスの戦争だ。開戦直後たちまち敗色濃厚となったフランスはナポレオン3世自身が捕虜となり退位、9月4日臨時国防政府を設け第三共和制の成立を宣言し戦争続行。

が、ビスマルクによって完成された統一ドイツの圧倒的軍事力の前に形勢変わらず、70年末~71年明けにかけてパリはプロイセン軍によって完全包囲された。市内は飢餓状態的食糧不足に陥る。71年1月28日、国防政府はプロイセンに対して正式に降伏する。

2月、ティエールを首班とする、降伏後の和平交渉を担う臨時政府が誕生、ボルドーに国民議会を召集した。フランス有数の鉱物資源宝庫=アルザス・ロレーヌ地方の割譲などの交渉経過に、多大な犠牲を払ってパリを防衛したパリ市民は降伏を認めず、3月18日市内各所で蜂起した。市庁舎を占拠し、18日夜にはパリ市民による自治政府:パリ・コミューンが誕生する。

ヴェルサイユに本拠を移し構えるティエール政権は5月に入るとドイツの支援を得て、中旬には、コミューン内の内紛情報も得て、パリ総攻撃へ向け最終準備に入った。パリ市民は総出で各主要道路にバリケードを築き「来たるべき日」に備えた。5月中旬サクランボの季節、籠いっぱいの実を抱えてロワール通りのバリケードにやって来た二十歳の看護助士ルイーズ。彼女は言った。「わたしにも、できることがあるはず・・・」。                    数日後、コミューン軍最前線の「野戦病院」に彼女は居た。

5月21日、国民議会派軍がパリ市内入城。市内各地で壮絶な戦闘が始まった。コミューン軍は善戦したが、5月28日のペール・ラシェ-ズ墓地の戦闘を最後に力尽きる。                            多くのパリ市民とコミューン関係者が虐殺され(通説:3万人)、セーヌ川の水が赤く染まったと伝えられている。                   逮捕者4万人、内処刑多数(300~10,000、諸説あるが四桁だとされている)。                              1871年3月18日から5月28日まで、歴史上初の労働者・市民による自主管理政府=自由社会主義パリ・コミューン72日間の短くも濃い命、その死とともに逝ったルイーズ。彼女は、パリ・コミューンの記憶とともに、『さくらんぼの実る頃』の歌の中に、伝説となって今も生きている。

コミューン評議会内部の対立と混乱は、コミューンを維持する方法論(多数派=人民独裁論派VS少数派=多様勢力との連立論派)を巡る現在も続く古くてお馴染みの「未完の論争」だが、それはさて置き今は、間違いなく現代社会へ受け継がれた財産と言うべき、コミューンの混乱の中から発せられた政策の数々に、パリの人々が血で贖って得た「近代の智恵」をこそ見たい。

コミューン、それは選挙権・被選挙権・言論/結社の自由等の剥奪の上に、**主義を標榜する「塔」によって上から築かれた政府ではない。

パリ・コミューンの遺産=「婦人参政権」「無償義務教育」「児童夜間労働禁止」「政教分離」「主要公職公選制」など

BobbejaanSchoepen(ぼくには読めません)というベルギー籍の歌手、2008年83歳での収録歌唱。味わい深い。こういうジイサンになりたい!

http://www.youtube.com/watch?v=B8VQnDxY8Yw&feature=BFa&list=PL0C216C92913B3BC1

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

歌遊泳: 作者、自作を唄う

作者本人の歌唱には、歌誕生の原点と迫力がある。

(カッコ内はヒットさせた歌手)                                                                               船村徹                                                                                  『別れの一本杉』 http://www.youtube.com/watch?v=gbA15I5_zQM&feature=related                                                     (春日八郎:http://www.youtube.com/watch?v=XaKQL1M0vmU&feature=related)                                                                                                『風雪流れ旅』 http://www.youtube.com/watch?v=LeR9i3cpt8o&feature=related                                                           (北島三郎:http://www.youtube.com/watch?v=KpFjuI6iQrg)                                                                                                        『みだれ髪』 http://www.youtube.com/watch?v=flbOa1pCAZc                                                                       (美空ひばり:http://www.youtube.com/watch?v=1WQRBMV9e7Q)                                                                      遠い遠い 思い出しても遠い空」  「バチがなければ櫛でひけ」  「舟にのせたい この片情け。                                                                          ふと抜き出した三つの節にも、作者の原風景が宿っているぞ。悪いが、その歌唱には歌手たちより迫り来るものがあります。                                                                                       

中島みゆき                                                                                                    『春なのに』 http://www.youtube.com/watch?v=ykE-z7Ltpdk                                                                  (柏原芳恵:http://www.youtube.com/watch?v=xuq91T2TkGQ)                                                                                                                                                                                                                                       いささか過剰な歌い込みだと思えた「春なのに お別れですか?」のくだりが、近頃は作者:みゆき姉さんならではの名歌唱だと思えて来る。                                                                                                       「お別れですか?」には他の誰にもないみゆき節の語感・抑揚・情恨がへばり付いていて一度聴くと耳から離れ難い。

小椋佳                                                                                                                                  『夢芝居』 http://www.youtube.com/watch?v=RO06KPWU7zo                                                                      (梅沢富美男: http://www.youtube.com/watch?v=zHV0WGaZ8vM)                                                                                    『愛燦燦』 http://www.youtube.com/watch?v=20IutvIryNo                                                                      (美空ひばり:http://www.youtube.com/watch?v=0gOrorW-DZE)                                                                                           他の誰が歌っても力みに聞こえる箇所も、小椋さんにかかればサラリと淡々と唄われ、かつ深い。この人のように歳を重ねたいと思っていたが、今では己にはそれは無理なことだと自覚している。                                                                                                                               

財津和夫                                                                                                                                                                       『会いたい』  http://www.youtube.com/watch?v=kzOXIdWg-0k                                                                    (沢田知可子:http://www.youtube.com/watch?v=FyLLYvGutSk)                                                                                                                                                                                                                                  1990年、沢田知可子が歌い大ヒットし、その年の「有線放送大賞」も取ったという。当時、工事現場や現場への車内でしばしば聴いていた。財津の作曲と知ったのはここ数年のこと。その味わい深さに感服している。                                                                                                                                                                                

古謝美佐子                                                                                                                                                『童神』 http://www.youtube.com/watch?v=V7V-wJYlggc                                                                        (夏川りみ:http://www.youtube.com/watch?v=GLWsZmfU10Y)                                                                                                                                                                                                                                              初孫の誕生を前に作詞したという古謝美佐子さんの歌唱には、琉球・おんな・いのち というものの全てが芯から力強く溢れていて、琉球のこころへと誘われる。                                                                                                                                       

新井満                                                                                                                                         『千の風になって』 http://www.youtube.com/watch?v=Lt43pjM80Hc                                                                   (秋川雅史:http://www.youtube.com/watch?v=yqzCwcL9xDc)                                                                                                                                                                                                                                                         原詩の訳及び作曲の新井は、1946年生まれの同世代者。映像や写真や絵本を手がける多才な人物。88年『尋ね人の時間』で99回芥川賞受賞。                                                                     この歌は秋川雅史が唄ってヒットし、以後加藤登紀子・鮫島有美子・岩崎宏美なども歌っている。が、ぼくには作者:新井(訳詩/作曲)の歌唱が一番腑に落ちる。クラシック調で朗々と唄われては墓の主が「違うぜ」と言っているような気もするのだ。*******************************************************************************************************************************************

 ところで、                                                                                                     ある宗教や「教え」や哲学や思想やイデオロギーが、原初に持っていた輝き・生命力・巾と深度・柔軟と謙虚などを失い変貌しているとしたら、                                                                                                                                                       あるいは逆に 発展的変化を為せず硬直し、否定的な意味で「原理主義」と呼ばれる存在であるとしたら、それはある意味で当然なのだ。                                                                                                        原初の歌は、それが生み出された時代の関係性の中で輝いているのだ。                                                                          後代の者は、原初の歌の気概・志・奥行き などの核心を掴み取り、自身の時代に相応しい歌として再創造して唄うべきなのだ。                                                                                                 原初の核心を放棄し制度化・秩序化された姿も、自己肯定の醜い連鎖だけを繰り返す「原理主義」も、ともに聴き手に届くことも響くこともない。

歌遊泳: 新橋界隈 最後の演歌師

新橋:最後の演歌師

街の声を訊く場として有名な新橋駅:日比谷口のSL機関車が鎮座する通称「SL広場」は、しばしば報道番組などに登場している。                                                                                   一杯機嫌のホワイトカラーが帰宅までの時間を計算して考え、余裕のある者は取材記者に応じ、一刻を争う者は小走りに駅へ急ぎ、深夜まで雑踏状態だ。                                                                                                              インタヴューに応えるホワイトカラーは、本音か勤務先への気遣いから顔が出てはまずいとの手控え発言かは定かではないのだが、酔っている分「本音」に近いだろうとのTV局の判断でか、SL広場はいわば「定番」として、サラリーマン・アンケート取材場所の王座を保ってきた。                                                                                                            新橋界隈のホワイトカラーが主要な客だろう飲食街は、大阪で言えば十三までは辿り着けないが、天王寺・京橋辺りの匂いを持っていて、有楽町から続くガード下の飲食街も併せて嫌いではない。

以前、品川宿で「ここは行ける」と感じた店(何と店の名は『佐平次』) のことを書いた(http://www.yasumaroh.com/?p=13097 )が、その一匹狼的オヤジの友人(84歳)が、新橋で「昭和の居酒屋」を手伝っているという。                                                                                                                       先日、ちょっと厄介な現場の山を越えて品川宿『佐平次』で呑んでいると、オヤジが「店閉めて、新橋へ唄いに行くぞ。来るかい」と言う。                                                                                                                          何でも、70歳前のママが営むその小さな店は、夜半まで客とてそんなになく、カラオケ唄い放題だという。終電車に乗り遅れたサラリーマンが、タクシー帰宅でもビジネスホテル泊でも金が嵩むので「え~い、安いのなら朝まで呑むか」とやって来て、25時から忙しいのだそうだ。                                                                                                         品川宿『佐平次』のオヤジ(同じ1947年生まれ)と連れ立って、新橋へ向かった。                                                                                     飲食街の雑踏をかき分け、サラリーマンの流れとは逆に歩き10時前に店に着くと、話通り貸切状態。                                                                                                                 『佐平次』のオヤジの友人(84歳)は、信じられない若さと気力を発揮して、溌剌として「ホール係」を務めている。呑み・食べ、カラオケ三昧となった。『佐平次』のオヤジと店の好爺は、もっぱら田端義夫・鶴田浩二・春日八郎・三波春夫・杉良太郎などの演歌を唄い、ぼくは60年代以降の歌謡曲:中島みゆき・加藤登紀子・アリス・小椋佳・沢田研二・長渕剛などに加え阿久悠モノを唄った。何せ、三曲に一曲唄うことになるわけで、忙しいことだった。久し振りに唄いまくった。                                                                                                                                         24時を回ると客もチラホラ・・・、で、25時に退散したのだが、何と好爺もいっしょに帰るという。えっ?これから店は忙しいんじゃないの? それじゃあまるで客が来るまでの時間、客が居ない時のママの話し相手をすることが、あんたが言う「手伝っている」なの? 「そうなんですよ」だった。                                                          深く詮索する気は無いが、この84歳、中々の御仁である。見習いたい。

その夜、この84歳氏以外にも「いいもの」に遭った。退散する小一時間前、新橋にただ一人残った「流し」=演歌師がやって来た。この店をベースキャンプにしていると言う。                                                                                                          飲食街を唄い歩き、小休止にここへやって来る。まだ、客もほとんど無い時間に来て食事をし、ママと好爺と話し、また夜の街へ唄いに向かう・・・、それが日課だそうだ。唄うのをやめて呑みに行く時には、ここにギターを置いてゆく。なるほど彼のベースキャンプだ。                                                                                      最近フジテレビが取材+撮影したそうで、たしか5月15日に放映されるらしい。                                                                                                              『新橋・最後の演歌師』といった内容だそうだ。「流し」始めて五〇年という。なら70歳前後のはずだ。田端義夫に似ていた。                                                                                                       「流し」氏の名は須賀慶四郎、通称ケンちゃん。                                                                                                              歌は、何でも来い。若い人の歌も唄います。最近の歌でもOKと言っている。                                                                            彼が唄った歌を五〇年分連ねたら、昭和が、ホワイトカラー諸氏の「ホンネ」が、浮かび上がるだろうか・・・。                                                           ハイ、かく言うわたくし:品川康麿、演歌派です。                                                       そのスタンスは、もちろんこういうことだ。                                                                                       「演歌と『切れて繋がる』 」                                                サラリーマン諸氏が演歌と酒席というカタルシスを得て、このSL広場から一歩も出ない昭和だったということは明らかなのだから・・・。

 

その夜、ケンちゃんはこれを唄ってくれた。  http://www.youtube.com/watch?v=gbA15I5_zQM

 

 

ほろ酔い通信録: 品川宿で浪速女の歌を聴く

品川宿ほろ酔行

東京出稼ぎも6年目だなぁ。文京区向丘(本郷の北)に二年強、品川に事務所移転して二年強。10月から6年目に入った。                                                                                                                                                                 ここ品川宿は、幕末の志士たちの志や混沌を遠い彼方に押しやって、「昨日勤皇、明日は佐幕」(「侍ニッポン」)そのままの(?)「食料自給立国」VS「工業製品輸出大国」論争(に見えて、アメリカン・スタンダードの押し付けを容れるか否か)のTPP議論も何処吹く風の趣。                                                                                                                                               某宗教政党と某左翼政党の地盤と言われながら、某知事の覚え目出度きモーレツ主義教育長の号令下その地盤もヒビ割れ、新自由主義社会を黙々と支えている空気。品川宿で「うん、こいつは中々・・・」と思える呑み屋を探していたが、とうとう出交わした。                                                                                                                                                                                                               主は、伊豆・深川・赤坂を転々として、元そこそこの(?)料亭だったのを手放し、品川に流れ着いた「チョイ悪」風来坊風の御仁。通ううちに、呑むうちに、話すうちに、同い年の「猪」の64歳、江戸への造詣、無類の「反権威」、云わば無国籍人、などなどが分かって来た。呑むにも気分がいい。                                                                                                               この御仁の「小説にしたい」恋物語は秘すとして、先日ここで聞いた浪速女の歌唱のことを・・・・・・。

ある夜、カウンターに座ったワシの耳に、何とも心地よい歌唱が届いた。主との会話(島田荘司著:『写楽・閉じた国の幻』を語り合っていた)に夢中になり、歌をちゃんと聞いていなかった。が、「話に区切りが付けば聞かせてもらおう」と思わせる魅力に満ちている。                                                                                                                                                    やがて聞かせてもらった。主の友人が、このCDジャケットにコメントを載せている縁で貰ったという。                                                                                                                                唄うは華乃家ケイ、大阪は難波で「懐メロちんどんの店『はなのや』」を営むママさん、知る人ぞ知る歌姫ならぬ唄姐御らしい。ワシは寡聞にして存じ上げなかったが、あんさん知ってる?(ひょっとして、みんな「ああ、あのオバハンかいな」と知ってるのかも)                                                                               戦後歌謡曲の中から、敗戦直後ものを中心にワシ好みの歌ばかり唄っている。戦後空間の儚くて危うい気分をこれほど的確にドンピシャに唄っている歌唱を聞いたことが無い。                                                                                                  あの時代を唄わせたらちあきなおみが最高だ、と常々思って来た。                                                                             彼女は、はすっぱで投げやりでしたたかに見えて、けれど知性をも秘め持って生きた戦後女性の本音を、                                                                                                                                  見事に唄っているが、どこか強くはすっぱ度が過剰かも。                                                                                          希望や未来をかすかに信じながら、喰うことに汲々とし、若い女性に働く「場」は乏しく、主婦という名の存在の家事労働には電化生活などなくそれをこなすだけで日が暮れて、時代を見つめるいとまもない、その不安と混沌の中で髪を振り乱して「生活」を確保し押し進めるしかない、当時の女たち。したたかに生きるのだが、詩心や唄心も持っていたい女たち。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           この華乃家は、ちあきよりいま少し、弱く儚く一般人(?)風に、取り合えず幼い初恋や夢物語に託して淡々と、ちあきとは逆方向から時代の希望や夢と存在不安と、そして「おんな」を唄う・・・。そういう境地を開いている。う~ん、いい歌唱だ。ええんです。

で、店の主と言い合った。                                                                                                                                  団塊の世代などと括るけど、何の共通項もありはしない。やたら人が多く、小学校は1クラス60人、学年10クラス、白モノ家電の高普及、大学では全**の嵐の中で右も左も真っ暗闇、仕事では数にモノを言わせて先輩を圧倒し嫌われながら、せっせと年金を納め前世代にいい目を提供、ところが今や若者から「あのワガママ世代をオレたちが支えるのかよ?」と迷惑がられてもいる。それ以外に共通項などありはしない。それぞれの場面で選択した道は、言いたくはないがぜんぜん違うし、その違いにはこの先も和解できない種類のモノもある。                                                                                                                                                                    けれど、そうだひとつだけ、動かしがたい共通項があるな。ここで唄われている歌、なかんずく敗戦直後の歌こそは、団塊どもは聞いていたのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                             母の胎内に居た頃から・・・。                                                                                                   もう一つ共通項、団塊世代=1947~49生れは、間違いなく戦争で生き残った者の子だ。クラスに父が戦死した者はいなかった。当たり前だ、戦争で命を落とした者は、団塊どもの親になれるはずもない。                                                                                  分かり易く言おう。ひと世代年長1935年生れの寺山修司が、戦争で命を落とした父への想いと戦後を生きる己の核を詠んだ歌が、これだ。                                                                           マッチ擦る つかの間海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや                                                                                  団塊とは戦争に生き残った者の直系だ、ならばそのDNAは重く大切だ、団塊とはそういう命なのだ。と、ワシは思う。

歌遊泳: カラオケ画像に罪はないが・・・

【あるカラオケ画像】

不定期で帰阪すると、しばしばカラオケへ行く。友人とだったり女房とだったりするのだが、これが中々心身に良い(と思っている)。                                                                                                                 先月、カラオケの背景画像に苛立ってしまった。まあ、聞いてくれ。                                                                                                           元々、カラオケの画像ごとき(?)に怒っても始まらないし、よく観ていると「さっき出た画像やなぁ」といういわゆる「使い回し」もあるがこれはご愛嬌、しかも実は誰もよくは観ていない。                                                                                                                  歌い手本人が登場するパターンがあったり、まぁまぁ歌にマッチしていると思える画もあり、普段は気にも留めず見過ごして来た。

先月、同行者がある演歌を入力した。作詞者が敬愛する阿久悠ということもあるし、八代亜紀の最高作と思ってもいるので、その歌を聴きながら珍しく画像をシッカリ観た。                                                                                                                                                                                                                 都会の若いカップルだ。たぶんホワイト・カラーだろう男とOLの恋物語風の画だ。今風のファッションの男女だ。雨の舗道で何かの諍いからか、プイと去ってゆく女。後日、別れを悔やんでか男を思い出している風。男の職業と雨との関係も、女の不運やうらぶれた飲食街も、つまりはこの歌の核心がアッケラカンと捨象されている。                                                                                                                                                             ドンピシャの画像を配置しろと言いたいのではない。むしろ、画は「そのまま」でない方がいい。                                                                                                                                                 けれど、歌の世界を、今日的に今風に、ホワイト・カラー価値観と21世紀企業社会風土を色濃く投影した映像で包囲しては、唄う青年男女の想像力・構想力・未来思考力を奪ってしまふぞ。                                                                                                                                                 観ているうちに「苛立ち」に似た想いが込み上げてきた。                                                                                                    雨が降ればこの男の仕事は中止で、この女の「いい人」はやって来ることも出来るのだ。                                                                                                                                   男と女の永い月日には「雨」が差配する男女の機微が積もってもいる。                                                                                                                                                    女が唄うのは、インチキ画像を受容れる青年男女が生きる21世紀が棄ててしまった物ども・事ども総体への「粘情」であり、棄てて悔いない世情へのこの男と自分の身に染み付き・覚えている重さを根拠とした「異論」なのだ。

七〇年代末前後に、阿久悠が「消えゆく」ものたちへの限りない哀切を込めて唄い上げた一連の「演歌」の真骨頂を、件の画像が嘲笑っているのなら、ワシはド演歌を唄い続けることで21世紀世情と非和解でいよう。                                                                                                                     ちなみに、雨が降れば仕事は中止 の職業をいくつか挙げてみよう。                                                                                                                       *外部左官 *瓦職人 *生コン打設 *外部大工 *外部塗装 *外部ガラス *外部コーキング *造園業 *植木職人                                                                                                                                                                                                                                        *テント屋 *看板屋 *蜂蜜採取 *河岸の荷揚(強雨) *第三世界の青空教室の教師・・・・・

画像の社会観を易々と受容れる風土が、青年男女を「ひとつ」の価値観・就労観・職業観に「統合」して向かわせようとする「意志」と無縁ではないと思うのは、いささか過剰反応ではあろう。                                                                                                                                  けれども、TPPというアメリカン・スタンダード強迫への抵抗線には、こんなことに敏感である感性もそれを支える力のひとつになると思えてならない。                                                                                                                                       

【雨の慕情】 作詞:阿久悠                                                                                                                                                                   

心が忘れたあのひとも                                                                                                                                                      膝が重さを覚えてる                                                                                                                                              長い月日の膝まくら                                                                                                                                  煙草プカリとふかしてた                                                                                                                                    憎い恋しい 憎い恋しい                                                                                                                            めぐりめぐって 今は恋しい                                                                                                                

雨々ふれふれもっとふれ                                                                                                                                                 私のいい人つれて来い                                                                                                                                                 雨々ふれふれもっとふれ                                                                                                     私のいい人つれて来い                                                                                                                      

一人で覚えた手料理を                                                                                                                                                     なぜか味見がさせたくて                                                                                                                             すきまだらけのテーブルを                                                                                                             皿でうずめている私                                                                                                                    きらい逢いたい きらい逢いたい                                                                                                      くもり空なら いつも逢いたい

雨々ふれふれもっとふれ                                                                                               私のいい人つれて来い                                                                                                                     雨々ふれふれもっとふれ                                                                                        私のいい人つれて来い

歌遊泳: ヨーロッパの両端から

ファドとムジカ

ヨーロッパには全く詳しくないので、当然に各地の民・人心・歴史・文化に不案内だ。                                                                      だから、その地の人々の身と心に沁みついた唄など知るはずもない。                                                                         ある時、各地に「日本の演歌」「大衆歌」のような(と比較できない程の歴史性を持った)ものとしての歌謡があって、                                                                                フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネ、ポルトガルのファド、ギリシャのムジカという具合に、                                                                                          その地の永い歴史・民族・民俗・文化によって育まれ唄い継がれて熟成した、その地(国ではなく地域)ならではの歌謡があると聞いた。                                                                                                                              もう先には大西洋しかない欧州の西の果てポルトガル、アジアに接し人・文化の交差点・交流・混在域でもあった欧州の東端ギリシャ、北方:東欧の影響もトルコ圧政下の影響も受けた近現代ギリシャ音楽・・・。 ぼくの耳には、中東、遠くはインドの響きまで聞こえて来るような…(知りもしないのに・・・)。                                                                                                                                                                                                                                                                               そこには、大衆歌に共通する、中央には失せてしまっても周縁の地には今も根付き息づく、人間の臓の底から発せられる唄が聞こえる気がする。                                                                                                     その響きに、ハリウッド製が席巻する映画に代表される文化や表現でのグローバリズムはもちろん、経済的ヨーロッパ統合たるEUまでもが、                                                                                                                                           培われた土着の文化を解体させようとする危機への、強い抗いの意志が聞こえるのはどうしたわけか・・・。                                                                       レ・ラ抜き「沖縄音階」(ト・ミ・ファ・ソ・シ・ド)がそれ自体、ヤマトへの抗いを秘め持っているように、そこにはヨーロッパ中央への、                                                                                                                                             さらには米英・グローバリズムへの文明論的「アンチ」の意志が唄われていると聞こえるのはぼくだけではあるまい・・・。

何によらず、「統合」(や「統一」「団結」「共同」)とは、中央・司令部・教条が、周縁部を解体し無化することの上に築き得るものでは決してなく、周縁の歴史性と根付いている固有性は、「統合」の人工性より強固だと思う。だが、人はしばしばそこを見誤りその強固なものを「強権」を発動して踏み荒らし「統合」して来た。それは、国家でも宗派や吹けば飛ぶよな政治組織でもそうなのだ。                                                                                                                                                                                  「統合」。それは、各周縁部が自前・固有の意志を確保しつつ、ある限られた課題領域だけに有効だろうと採用する、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               現実的智恵・共通策としての、ひとつ方法論・技術論に過ぎない、と思う。                                                                                                                                                        (不案内なので、YouTube から適当転載)                                                                                                                                     ポルトガル・ファド                                                                                                                                  リスボン場末で聴いた「ファド」 http://www.youtube.com/watch?v=x3d7gIuTyy0                                                                                   「暗いはしけ」 http://www.youtube.com/watch?v=GdJYzzyO7nc&feature=fvsr アマリア・ロドリゲス                                                                                            「Coimbra」 http://www.youtube.com/watch?v=LqB8RAPC9QM&feature=fvwrel アマリア・ロドリゲス                                                                                  「Fado Meu」 http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=9Aa01u8RtgM アマリア・ロドリゲス

ギリシャ・ムジカ                                                                                          「To Tango Tis Nefelis」 ハリス・アレクシーウ                                                                                                      http://www.youtube.com/watch?v=a9dIWOYmtcQ&feature=results_video&playnext=1&list=PL1208E6D63DDA6B4A                                                                           「Mia pista apo fosforo」 ハリス・アレクシーウ                                                                                                                       http://www.youtube.com/watch?v=C9Tt9wL7hDk&feature=results_video&playnext=1&list=PL1208E6D63DDA6B4A                                                                            「Magissa」 ハリス・アレクシーウ                                                                                                       http://www.youtube.com/watch?v=xq4v_k9adfE&feature=results_video&playnext=1&list=PL61AEADBD79A378E2                                                                     ギリシャ民謡「ディルラダ」 (これは、トルコに近い島の民謡。クリックした画面にギリシャ各地の民謡あり。)                                                                                                                                                                       http://www.youtube.com/watch?v=Uc9IyZJ0H_0                                                                                                           歌謡ではありませんが 有名なミキス・テオドラキス作曲になる 映画『その男ゾルバ』より 「Zorba’s Dance」                                                                               http://www.youtube.com/watch?v=ZZY1pPX14A0&feature=related                                                                                                                                    (民族的舞踊=シルタキ に使われる各種民衆音楽を詳しく知りたい)                                                                                                                                                            

【参考:ギリシャ音楽事情】                                                                                                                                               http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://www.greeksongs-greekmusic.com/greek-folk-music-greek-folk-songs/

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