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たそがれ映画談義: 池部良の、「大きな背中」と「着流し姿」

池部良。 戸田菜穂が語る「大きな背中」と、映画『昭和残侠伝』での「着流し姿」 
  
 戸田菜穂インタヴュー記事(4月16日読売夕刊)より:
                                                                                                     『確か、23・24歳の頃だったと思います。池部良さんに恋をしたんです。
「早春」のビデオは、小津安二郎監督の映画を見ようと思って、たまたま手にしただけでした。
ところが池部さんのたたずまいが美しく、言葉も話し方もきれいで。
浮気をする悪い男の役なのに、世の中に対して斜に構えている感じがとっても色っぽくて。
あまりにほれこんで、池部さんに会いたくなって、サイン会にうかがいました。
                   「あら、あなたじゃないですか」。私の顔ぐらいはご存知だったみたいです。』            
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戸田菜穂さん。好きな女優の一人だ。
池部良の『役者として誇りをもって生活しなさい』 『楽屋で編み物をしているようじゃだめだ』などの言葉を得て、                                                              『池部さんのとても大きな背中を見続けています』と語っている。 もちろん羨ましくはある。                                                                                                                                                                                                      『早春』(56年)                                                                                                                        監督:小津安二郎、出演:池部良、岸恵子、淡島千景、杉村春子、笠智衆。   http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24688/story.html
 
                                                                                                               
                                                                                  『昭和残侠伝:死んで貰います』
  
池部良と言えば『昭和残侠伝:死んで貰います』(監督:マキノ雅弘。70年9月、東映)などのラスト前シーンは一部からもてはやされた。                                                                「お約束」の非道な(ルール違反の?)ヒール役組長に堪えに堪えた果ての、報復劇だ。                                                                                                                              「お約束」というのは、65年~72年まで続いたシリーズ全作を通じて同じ池部・高倉のコンビ。毎回、コンビで破滅に向かう「物語」も大同小異。                                                                                                                                前作で死んだことなど「お約束」の前では些細なことなのであった。 何しろ背中では唐獅子牡丹が吠えているのだ。                                                                                
池部が健さんに言う、「ご一緒、願います」。 「着流し姿」の二人は夜道を死地に赴く。 評論家どもが男同士の「道行き」だと言っていた。                                              http://www.youtube.com/watch?v=JjuDwUyZhv8    http://www.youtube.com/watch?v=6FGVUq5K7Jw&feature=related                                                                            同じ年、直後11月、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地内の総監室で割腹自殺した。 
ぼくは、池部・高倉の「道行き」にシビれた多くの70年映画館左翼(池袋の文芸座などで、小僧がスクリーンに向かって拍手し、床を鳴らし、
大きく同意の声を掛けていた。付和雷同の喧しい連中だった。コラ!何が「異議なし!」やねん!) の一人では決してないが、
それまでのヤクザ映画には居なかった孤高の、スマートな、足を洗って生きる元ヤクザ像は、池部ならではのハマリ役だったとは認める。
認めるが、当時のあの「喧しい」連中の、社会への憤激をぶつけに来ているのか?と思える風景には、
本来向かうべき相手に向かえよ!と強く思った。攻撃的「カタルシス」の一現象か?
せっかくの池部良への共感を妨害されて芽生えた、彼らへの違和感の記憶の方が大きい。
いま、出口なき不況と格差社会下で、近似の憤激・精神構造を抱える若者が「排外主義」に回収され、「逆・草の根」となり、
コスプレ軍服の一群となって民族差別を叫んでいるとしたら、見過ごせないと危機感を持っている。
それを思想的・運動的に誘導・引率する存在が見え隠れしていると思うから・・・。
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 もちろん『世の中に対して斜に構えている』と言う戸田菜穂さんの、『早春』池部良への感じ方に異論はない。
「背中を見続けています」と言える対象が居ることは、得難く大切で素晴らしいことだ。
ぼくの場合、ン十年の時間の中で一人二人居るにはいるが、先方には大いに迷惑なことだろう。
翻って思うに、メタボ爺たるぼくが、その「小さな背中」を「見続けています」と言われることなどないことだけは100%確かだ。
万一、何かの間違いで、奇特な女性が居て食事することになったとしても、我が「夫人」は食事会を信じず、
「独りでタコ焼きでも食っときなよ!」と言い放って、きっと同席してくれないだろう。                
                                                                                                                                                  『早春』の、戦争記憶を仕舞い込んで生き、丸の内に勤めはしているが会社的出世に欲は無く、戸田菜穂さんが言うように「斜」に構えている夫。 子を喪った妻:昌子(淡島千景)の哀しみも充分解っている夫、杉山。   千代(岸恵子)との関係を「間違い」(時代制約言辞か)と言ったが、千代の「男の従属物たる人生など拒否するわ」という姿勢に、「戦後」的プラス価値を認めている夫、杉山。
                                                                                          『昭和残侠伝:死んで貰います』の、かつて人を殺めたヤクザ稼業の足を洗い、板前として寡黙に生きる、風間。                                       荒んでヤクザになった果てに刑務所から戻って来た若旦那:秀次郎(高倉健)を支えて店を守り、                                   とうとう秀次郎のやむにやまれぬ行動=非道ヤクザへの「報復殴り込み」に同行する男、 風間。 
                           
いや~、杉山の「大きな背中」(戸田菜穂談)と 風間の「着流し姿」には通底するものがあります!                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

たそがれ映画談義: 「週刊新潮」的 ジュリア探しの愚

ジュリア探しの愚  ージュリアはいるー
 
先日NHK・BSで、久しぶりに 映画:『ジュリア』を観た。
原作:リリアン・へルマン、 監督:フレッド・ジンネマン、
出演:ジェーン・フォンダ、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジェイソン・ロバーズ。
77年アメリカ映画だ。
goo 映画紹介より 】
アメリカ演劇界の女流劇作家として知られるリリアン・ヘルマンが
74年に出した回顧録(「ジュリア」パシフィカ刊)の映画化で、
ヘルマンに絶大な影響を与えた女性ジュリア=アメリカからウィーンに渡り反ナチ地下活動の果てに虐殺される=との
美しい友情とハードボイルド作家ダシェル・ハメットとの愛が描かれる。
ダシル・ハメットを演じたジェイソン・ロバーズ。渋いねえ、ええねえ!
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リリアン・ヘルマンは、マッカーシー旋風吹き荒れる1952年、非米活動調査委員会に召喚される。
同委員会は、ヘルマンと長期にわたって恋人関係にあったダシール・ハメットが
米国共産党員であることを掴んでいた。ヘルマンは、共産党加入者の友人の名前を尋ねられ、
これに対してあらかじめ準備してあった声明を読み上げることによって応えた。
彼女の発言は下記の通り。
たとえ自分を守るためであったとしても、長年の友人を売り渡すのは、
わたしにとっては、冷酷で、下品で、不名誉なことであると言わざるを得ない。
わたしは、政治には興味がないし、いかなる政治的勢力の中にも自分の居場所を見出したことはないが、
それでもわたしは、今の風潮に迎合して、良心を打ち捨てることを潔しとしない。
その結果、ヘルマンは、長期にわたってハリウッドの映画産業界のブラックリストに掲載されることとなった。 【ウィキペディアより】
 
リリアン・へルマンの言葉を年賀状に引用させてもらったことがある。
ブッシュ・ラムズフェルド・チェイニーら「ならず者」どもが始めたイラク戦争と、
安倍の「美しい国」言説に、彼女が生きていたら語っただろう言葉を進呈した。
 『愛国主義とは、ならず者どもが最後に訴える手段のことである』
 
ところで、 ジュリアは誰か?該当者はいないぞ、と騒ぎになったことがあるそうだ。
リリアンの友人に、該当するプロフィールの反ナチの活動家はいない、と。
近似の女性はいるがその人は生きている、しかもリリアンの友人ではない、と。
それがどうした??
ジュリアはいる。リリアン・ヘルマンが生きて来た道程そのものが、親友ジュリアへの返答なのだ!
それが解らないのか?悪意と邪推と嫉妬心満載の「週刊新潮」的ジュリア探しのお歴々よ!
ジュリアはリリアンの分身だ。ジュリアという「人物」 (又は「ヴァイオリン弾き」←http://www.yasumaroh.com/?p=3291) は、
必ず実在する。 断言する。
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リリアン・ヘルマン:1984年没。(「子供の時間」「噂の二人」「逃亡地帯」)
フレッド・ジンネマン:1997年没。(「真昼の決闘」「地上より永遠に」「尼僧物語」「日曜日には鼠を殺せ」「ジャッカルの日」)
ジェイソン・ロバーズ:2000年没。(「テキサスの五人の仲間」「砂漠の流れ者」「トラ・トラ・トラ!」「大統領の陰謀」)
合掌。

たそがれ映画談義&歌遊泳: 『おとうと』 『弟よ』

小百合さん主演の『おとうと』を観た。山田洋次さんの作品だ。
『寅次郎 忘れな草』 『家族』の頃伝わってきたモノ(と言うよりぼくが
自分流に脚色して腑に落としたモノ)が、
山田さん本来の個性、山田さん元々の女性観に還って行き、辿り着いた処を観た・・・
そんな感じがした。
これは、同意・不同意あるいは いい・悪いの話ではない。
感受性の違いというか、ハッキリ言えば育ちの違いのようなモノかもしれない。
例えば、蒼井優演ずる小百合さんの娘が、結婚相手との違和感に打ちのめされ、
実家に帰ってくるのだが、夫が
「免許証くらい花嫁資産としてあらかじめ保持しておくべきだ。教習所費は出せない」とか、
「歯の治療費など婚前経費だから結婚後夫が出すべきいわれは無い」とか言うのだ。
キレて当然だ。
けれども、そんな男の「特性」を婚前に見抜けないのか?と言いそうになった。
いや、見抜けぬ場合もあろう。
見抜けなかった己の自己責任(?)論が希薄なのだと言っては失礼か?(我が身に照らせば出来てはしないのだが)
我らが蒼井優=あの百万円苦虫女にそんなセリフを語らせないで下さい、山田さん・・・。
考えてみると、山田さんはインテリの「大衆」への暖かい心情を何度も語ったが、
「大衆」自身の自己責任(?)に対して品悪く「噛み付いた」ことなどない。
そこが、ぼくの言う「育ち」の良さなのかもしれない。
大見得を切って山田批判をする気は無いし、『幸せの黄色いハンカチ』を何度観ても
号泣するぼくは、ないものねだりをしているのだと、もちろん承知している。
「おとうと」で思い出したのが、
内藤やす子『弟よ』だ。
 
 
内藤やす子:
 
75年に『弟よ』でデビュー。翌76年の『想い出ぼろぼろ』が大ヒットし、この年の新人賞を総なめにする。
翌年の大麻不法所持で一時芸能活動を停止した後、84年にリリースした『六本木ララバイ』がヒットし、
86年の「あんた」は映画「極道の妻たち」のテーマ曲としてカラオケの定番となる。
89年の「NHK紅白歌合戦」に初出場。ディナーショーなどを中心に歌手活動を続けていたが、
06年5月28日、脳内出血で倒れて緊急入院。
同年7月6日に退院してからは復帰に向けて自宅療養中であるが、
2010年現在もまだ歌手活動再開の目処は立っていない。【ウィキペディアより】
 
不運を背負っているが、どっこい生きている・・・そんな空気が漂っていた。
同時代の女性歌手(小柳ルミ子、天地真理、麻丘めぐみ、岩崎ひろみ、山口百恵、森昌子ら)
の中に在って、彼女は異色で何か「本気度」「のようなもの」を感じさせてくれた。
『弟よ』は、そんな姉の弟への切情を見事に表現し得た歌唱だったと思う。
 
 
『弟よ』(75年)
http://www.youtube.com/watch?v=rGEluzr4D4s&feature=related                                                                                                                                  www.youtube.com/watch?v=m1RUplY1PbQ&feature=related     
 『思い出ボロボロ』(76年)
 『こころ乱して運命かえて』(83年)
 『六本木ララバイ』(84年)
 『アザミ嬢のララバイ』(カバー)

たそがれ映画談義: 教えてくれた 夫婦の絆・意味・価値

『ぐるりのこと』 08年。監督:橋口亮輔、出演:リリー・フランキー、木村多江

待望していて身籠った子の死から、こころのバランスを崩しやがてこころを病んで行く妻、
その妻を何とか支えようとする夫。妻が再生への入口に立つまでの日々を描き、                                  
             夫婦ということの絆の意味を見せてくれた。                                                                  作者は言っているのだ、夫婦は究極の同志・戦友でもある、と。                            

靴修理の仕事から「法廷画家」に転職した夫は、
最近の、凶悪・悲惨・冷酷犯罪の裁判と関係者を目の当たりにする。
作者は、人や社会との関係も成立し難い病に沈んで行く妻を支えようとする夫の、
こころを広げ浄化し高めて行ったものが、逆に「法廷」で知る眼を覆いたい事実だったことを通して、
ある「可能性」を示したかったのだ。
事件の悲惨、被害者の無念や打ち砕かれた未来・希望、加害者のこころの闇、・・・・                      その「公的」意味を自己の内に刻み蓄積できた者だけが持ち得る、ある「可能性」を・・・。

私的ラブ・ストーリーであり、公的社会性を抱えた物語だ。
繊細な描写、丁寧な映画作りに感心しました。
リリー・フランキー演ずる夫。「ええ男」とはこういう人のことだと思う。

たそがれ映画談義: 若者の時間

練り上げられた脚本、役者がその作品や登場人物に共感している作品というものは、
やはり観る者のハートに届き、いつまでも繰り返し思い出し味わうことが出来る。
観る者の、その後の人生に影響を及ぼさずにはおかない宝物が詰まっている。
下記に挙げた五つの群像劇(映画とTVドラマ)にはそれがあったと思う。
学生期の、揺れてぬかるむ「道」、求めて得られぬ「答」、届くことのない「想い」・・・
その日々は特権であり、贅沢であり、彷徨であり、幸いであり、モラトリアムである。
優れた映画は、その貴重な時間の得難さと価値を再認識させてくれる。
 
 
【Goo 映画紹介より】
 
『帰らざる日々』
シナリオ作家を志しながら、キャバレーのボーイをしている青年の現在と故郷の高校時代の青春を描く、
中岡京平の第三回城戸賞受賞作「夏の栄光」の映画化。
(78年、日活。脚本:中岡京平、監督:藤田敏八、出演:永島敏行・江藤潤・浅野真弓)
 
『サード』 (この紹介文、ぼくには、ちょいクエスチョン? です)
一人の少年院生が、少年と大人の狭間を彷徨しながらも、成熟に向って全力で走り抜ける姿を描く、
軒上泊原作「九月の町」の映画化。脚本は「ボクサー」の寺山修司。
(78年、ATG。脚本:寺山修司、監督:東陽一、出演:永島敏行・森下愛子・吉田次昭)
 
 
『ヒポクラテスたち』
京都府立医大を卒業した大森一樹監督が自らの体験をもとに、大学病院での臨床実習を通して、
医術を身につけていく若者たちの青春群像を描く。
(80年、ATG。脚本・監督:大森一樹、出演:古尾谷雅人・内藤剛志・伊藤蘭・斉藤洋介・柄本明)
 
『ダウンタウン・ヒーローズ』
旧制高校生(戦後学制改革直前の最後の旧制高校生)たちの恋や友情などの青春群像を描く。
早坂暁原作の自伝的同名小説の映画化で、脚本は山田洋次と朝間義隆が共同で執筆。
(88年、松竹。監督:山田洋次、出演:中村橋之助・薬師丸ひろ子、柳葉敏郎、石田えり)
 
『白線流し』
ひとつの高校で昼間と夜間で同じ机を共有していた男女の学生がお互いにひかれあう出会いを軸に、
                         地方の高校で懸命に生きる若者たちの姿・・・ 
                         (96年1月~3月、フジTV。脚本:信本敬子、出演:酒井美紀・長瀬智也・柏原崇・馬渕英里何)
 
 
 10年ほど前、『白線流し』をレンタル・ビデオ店で借りて来て録画していたら、
大学に通う息子から 「ええ歳して、何を録画しとるんや? アホ臭い」と嘲笑れた。
「人に頼まれてな・・・」と返したが、バレたようで恥ずかしい想いをした。
渉(長瀬智也)と園子(酒井美紀)たち群像の、地方都市に生き残っているかも・・・の
痛い「青春」を描いて稀に見る秀作だった。                                      後日、それを再生して観ている息子を現認。 むろん報復した。                                    
「ええ歳して、何観とるんや?」・・・。 息子はバツの悪い顔をして無言だった。
その息子は、五年前、四年間勤めた外食産業を辞め不足する教職単位取得に専念、
翌年、某市立中学の国語教師になった。

TV画像とスピッツによる主題歌を採録:                                                                                                                              http://www.youtube.com/watchv=d44630XkPgk                                                                                                                                 http://www.youtube.com/watch?v=P-I9Tn6RL0Q                                                                                                                     http://www.youtube.com/watch?v=uHt6-yOLuIM&feature=fvw

たそがれ映画談義: 彼は再びピレネーを越えた、今度は逆から。

『日曜日には鼠を殺せ』
(米64年。監督:フレッド・ジンネマン、出演:グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、オマー・シャリフ。音楽:モーリス・ジャール。)
 
DVD紹介文:
スペイン市民戦争(1936~39)は共和国軍の敗北をもって終った。
市民軍ゲリラの英雄マヌエル・アルティゲスもフランスへ逃れ20年が経った。今(59、60)は、目的も失い無為に日々を送っている。
が、つい数年前まで母国に侵入しては金融機関・行政機関襲撃など、故郷へのゲリラ活動を繰り返していたのだった。
地元警察署長ビニョラスは、何度も捕り逃がしアルティゲス逮捕に執念を燃やし続けていたが、国外では手が出せず、
アルティゲスの病に伏す母が息子に会いたがっていると、偽の情報を流す。
それに気付いた母は「罠」であることを知らせようと、神父に頼むのだが・・・・・・。
 
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共和国政府(36年樹立、人民戦線政権)の内部は、穏健共和派、自由主義者、社会党、親ソ共産党、
反スターリン派(POUM、ジョージ・オーウェルはここに参加)、労働組合では社会党系UGT、
アナキスト系CNT(人民戦線には参加していない)といった具合の混成だったが、
現代思想と20世紀政治運動の百貨店だったとも言われ、内部混乱は激しかった。
 39年1月バルセロナ、3月マドリード陥落。ナチスに支援されるフランコ派の勝利で終った。 ← たそがれ映画談義: 耳に残る幼き者の叫び-①
 
モーリス・ジャールのテーマ曲は、
フランスで亡命者生活を送る主人公マヌエル・アルティゲスの孤独な「敗残」の、
荒れてうらぶれた「生」を映し出して、もの静かに始まる。
スペイン市民戦争を闘ったアルティゲスは、
かつて敗走の果てに、国境で武装解除に応じ雪のピレネー越えをしたフランス亡命組の一員だった。
(CNT:ツェー・エヌ・テーに属していたのだろうか? POUMだろうか?)。
ドキュメント映像を交えたピレネー越えのプロローグには、
NHK「映像の世紀」の主題曲、加古隆さんの音楽が似合いそうな歴史の重量があった。
 
やがて、ジャールのテーマ曲は、行かねばならぬ死地への旅立ちを促すように
静かな闘志を後押しするマーチ(しかし実に静かなマーチ)へと変奏して行く。
このモーリス・ジャールの音楽が素晴らしい。(どこかにないかなぁ~)
このまま死ぬまで何も出来ず朽ち果てるだろう亡命者としての「余生」を断ち、
たぶん「罠」だろう、そしてたぶん殺されるだろう最後の「一戦」に起つ・・・・・・、
そんな初老の元闘士が、20年前とは逆にフランス側からのピレネー越えを単独で敢行する。これまでの国境越えとは違うのだ。
抗いがたい『吸引力』に引き寄せられるような最後の日々を描いて忘れがたい作品だった。                                   ビデオ化を待ち望んでいたが、いつまで待っても実現しなかった。ペックの死が理由なのか
数年前にDVD化されたが、売れる見込みが立たないようで、抱き合わせ作品(駄作)とセット発売となった。                                    だが、どうしても欲しく、裏技で単独一枚手に入れ、もう会えなくなった人に会えたような気分を味わった。
果たさねばならない「敗残」の課題を抱える者の、行かねばならぬ心、                                                      
敗走と決着・・・二度ピレネーを越える者のこころ仮想体験させてもらった。
警察署長の「罠」を知らせようとする神父(オマー・シャリフ)の「現世の法に従うべきか、神の法に従うべきか」
と苦悩する(結局逮捕されるのだが)姿に、内戦時に教会が果たした役割、つまり、
「戦争と宗教」という近現代史への作者の忸怩たる想いが滲み出ていて深い。                                                                      (YouTubeでプロローグ映像 発見。タイトル・バックに主題曲が流れている。http://www.youtube.com/watch?v=x37qCdT8SP0 )

たそがれ映画談義: 増村保造の逆説 西欧・近代的自我・明治・土着

『清作の妻』 (1965年、大映)  監督:増村保造  シナリオ:新藤兼人  出演:若尾文子、田村高廣。

清作の妻②清作の妻(縮小)

【DVD紹介コピーより】 舞台は、日露戦争時代の貧しい農村。やっとつかんだ女の幸せを戦場が奪い去ろうとする・・・愛する夫・清作を戦争にやるまいと、妻・お兼は恐ろしい行動に出る・・・。 妻はふるえる手で夫の目を狙った! 戦争という状況の中で、愛する夫のために闘う女の凄まじさと、その凄まじさの中にある美しさを描き出す。

 増村保造(60年『偽大学生』、66年『刺青』、67年『華岡青洲の妻』、76年『大地の子守唄』、78年『曽根崎心中』)のファンは、必ずこの作品を外さない。ぼくは、『曽根崎心中』(78年)のお初(梶芽衣子)にビックリ!確か、梶は各種映画賞を取ったはずだ。 ウィキペディアの増村紹介文はこうだ。「生涯で残した全57本の作品は、強烈な自我を持ち、愛憎のためなら死をも厭わない個人主義=ヨーロッパ的人間観に貫かれている。モダンで大胆な演出により、これまでにない新しい日本映画を創出した。」  なるほど・・・、この映画なんか往年のジャンヌ・モローとジャン・ルイ・トランツィニアン主演で、フランスの田舎町を舞台にして作れば・・・と真剣に思う。

  日本的呪縛からの日本的とされている「おんな」による大胆な脱出の迷路。若い日には、そのヨーロッパ的人間観と言われる増村モダンと、明治日本の土着パッションが交差する逆説的地図が読めなかった。  劇画『「坊ちゃん」の時代』(文:関川夏央、画:谷口ジロー、双葉社)が、ぼくにも解るように描いてくれた「明治人の格闘」に、そこの重なりが少しは見えて来てこの映画のファンになった。

 妻が対峙しているのは、明治の村の目の前の封建・黙契・土着なのだが、作者とヒロインの立ち位置はハッキリ国家・天皇睦仁に真向かっている。

たそがれ映画談義:シェーンとマッカーシズム

『シェーン』(1953年、アメリカ) 監督:ジョージ・スティーヴンス 
出演:アラン・ラッド、ヴァン・ヘフリン、ジーン・アーサー、ブランドン・デ・ワイルド、ジャック・パランス、エリシャ・クック・JR

「シェーン」の作品背景にあるという「ジョンソン郡戦争」(1892) というのを知った。紀田順一郎『昭和シネマ館』(小学館)によれば、それは、ワイオミング州ジョンソン郡で実際に起きた大事件で、牧畜業者がテキサスの退役軍人など22名のプロを傭兵として雇い、新参入の開拓農民多数を虐殺させた事件だそうだ。アメリカ国内では「ああ、あの事件ね」と誰もが知る有名な事件だそうだ。(マイケル・チミノ『天国の門』はジョンソン郡戦争を描いたもの)ジョージ・スティーヴンスは原作をひとヒネりして黒ずくめ装束の殺し屋(ジャック・パランス)を登場させ、シェーンに「卑しい嘘つきヤンキー野郎」と呼ばせている。原作にない台詞を再々度にわたって登場させるのは、そこに映画作家の「ある事態」への本音があるのだと紀田は言う。                            

 ある事態……
「シェーン」(公開が1953年だから、製作時を含めある事態の同時代性)公開当時のアメリカ映画界に在って、正統派というかアメリカニズム保守派の重鎮のようなスティーヴンスのある事態への見解が、そこに垣間見えて興味深いという。テキサス人の傭兵を「ヤンキー野郎」としたのは、かのマッカーシー議員が北部=ウィスコンシン州出身だからだそうだ。
 スティーヴンスはマッカーシー旋風(’50~’54)を苦々しく見ており、「恥ずべき」事態であり、その旗振り男を「唾棄すべき」存在だと思っていたのだと知り、「なるほど……」というか、丁寧な彼の映画のファンでもあるぼくは、実際「ホッ」とはしたのだ。
シェーン①  
スティーヴンスが「シェーン」で新参開拓農民夫妻(ヴァン・へフリン、ジーン・ア-サー)などに託して示した、アメリカ的正義感や良心、生活感・勤労観やアメリカ観は、いま「シェーン」の時代から100年強を経て、どう変形したのか? イラク戦争を熱狂的に支持する巨大な存在となって猛威を振い、アメリカ中西部のレッド・ゾーン(04年ブッシュ勝利州)=言われるところのもう一つのアメリカ(?)を形成しているのではないか?
 「卑しい嘘」に基づく横暴には決して与しないはずの、スティーヴンスが言う正統派たちには、イラク戦争の虚構を糾す情報を入手する努力や、殺し屋に立ち向かう気力を、元々持たなかったのか? それとも何処かへ回収されてしまっていて見えにくいのか……?
 回収先は、ここが・これが世界だとするアメリカ的世界観と、そうした構造を作り上げることに大きな役割を果たして来た新興宗教(キリスト教原理主義教団が新興宗教でなくて何であろう)に違いない。
 「シェーン」という「よそ者」が去って以降の100年という時間に、「よそ者」ではない者の言葉を選択した結果、スティーヴンスが示した「本来」のアメリカ保守正統派の精神は、皮肉にもその選択によってか、元々の素性ゆえか、解体したのだ。シェーンが「よそ者」であるところに、スティーヴンスのもうひとつの冷めたメッセージがあるのかもしれない。
そもそも本来のアメリカの精神なるものは、フロンティア・スピリットであり、                                                                                                                   「他者」の「場」を強奪して「世界」を拡げる精神の各種変異体なのだが・・・・。
 
【注】 ジョージ・スティーヴンス(1904~1975)
『ママの想い出』1948年、『陽のあたる場所』1951年、『シェーン』1953年、 『ジャイアンツ』1956年、『アンネの日記』1959年、                           
『偉大な生涯の物語』1965年、

たそがれ映画談義: 耳に残る幼き者の叫び-②

『あの子を探して』(1999、中国)  監督:チャン・イーモウ 出演:ウェイ・ミンジ; チャン・ホエクー。
 
13歳の少女ミンジは50元で1ヶ月の代用教員になった。
(1ヶ月間、子供達が誰もやめなかったら10元のボーナス付で)しかし、
教員として資格もなければ知識もない彼女は黒板に文字を写すだけの毎日。
そして、10元のボーナスのために誰もやめさせまいと必死になる。
そんな中、ホエクーが数千元の借金を返すために出稼ぎに街に行ってしまった。
ミンジはホエクーを迎えに行くが・・。(Yahooブログ「一番小さな映画館」より
 
ここから映画は「学ぶこと」「教えること」の原点を示し俄然輝き始める。都会までの運賃を悪戦苦闘の末みんなで計算する。その費用を作り出す方法=近くのレンガ工場での「レンガ運び」を思い立つ。一人あての労働の対価から必要総労働時間の計算をみんなで考える。考えを共同して実践する。その過程はまさに「自主管理」の原点そのものだと思うのだ。
 大都会に辿り着いたミンジの「ホエクー捜索行」を追う映像は、大都市の発展とともに、野放しの児童就労などその影の部分も映し出す。現代中国の都市と僻地の格差は想像を絶し、その範囲はインフラ・産業・就労・収入・教育など全ての領域に亘っている。
 あの子を探して③
 
 
最初、ミンジは生徒が辞めてはボーナスが入らないと必死だったのだ。TV放送での人探しを思いつき、局を突撃。幹部の知るところとなって運良く放映となる。行方不明になった年齢とてさほど変わらぬ弟のようなホエクーへの呼びかけの本番は、報酬問題のことなど吹っ飛んで、ただただ 涙ながらに「帰って来て!」……。
 TV画面を見つめるホエクーの、みるみる歪んでゆく表情……。
 大げさに言えば、このシーンは、個人の利害・私欲から出発した少女の取り組みが「教育」や「自主」の核に迫る瞬間を、捉え得たものだと思えるのだ。イーモウは発展を全否定しているのではない、あるいは発展の果実に溢れるこの時代を呪っているのでもない。発展によってしかカバー出来ないものの存在の多きことを大中国の現実の中で、痛い想いで充分に認めているのだ。ただ、ミンジやホエクーを排除しての発展なら、そんな発展は要らない! そう言っていそうだ。
テレビ放送に至る経過は、局に座り込んだミンジの不屈の努力よりも局幹部の配慮が為せる技だと、人脈社会を皮肉っていても、弱い声にも応える体制ですとまとめる、チャン・イーモウのヨイショだ。あるいは、ラストの報道機関を伴っての行政による「貧しい村へのプレゼント」作戦は、一部の「貧困」へ目立つ援助を行なうあの国の常套手段で、イーモウはそれを肯定している(ぼくにはこれは皮肉に思えたが)。などなど、 高度(?)に過ぎる論議の前に、幼い者の叫びを刻んでおきたい。幼き者の叫びは、そんな思惑を超えている。                                                      
 

たそがれ映画談義: 耳に残る幼き者の叫び-①

『蝶の舌』 (1999年、スペイン) 監督:ホセ・ルイス・クエルダ 出演:フェルナンド・フェルナン・ゴメス、マニュエル・ロサーノ。

1936年2月、スペインでは選挙で左派が勝利、「人民戦線政府」が誕生する。                                                                 同年7月右派ファシストが反政府クーデターを開始、8月モロッコに本拠を置くフランコ軍が本土に上陸、内戦状態に突入。                                    内戦は国際化し、イタリア・ドイツは反乱軍支援、欧州各国は不介入宣言、ソ連は人民戦線政府に戦車・大砲・飛行機など武器援助、各国からは義勇兵が駆けつけ、人民戦線内に「国際旅団」も作られた。アーネスト・ヘミングウェイ、アンドレ・マルロー、ジョージ・オーウェルなどが、それぞれの思想・立場から参加。                                              

共和国政権の内部は、穏健共和派、自由主義者、社会党、親ソ共産党、反スターリン派(POUM、オーウェルはここに参加)、労働組合では社会党系UGT、アナキスト系CNT(人民戦線には参加していない)といった具合の混成だったが、現代思想と20世紀政治運動の百貨店だったとも言われ、内部混乱は激しかった。加えて右派ファシストの妨害、国際的包囲網。政策決定・実施には、難渋を極めた。

 (廃墟と化したゲルニカ)  

廃墟と化した ゲルニカ                                                                

37年4月、フランコ反乱軍を支援するヒットラー・ドイツは、空軍コンドル部隊を北部バスク(保守層も支持する、反中央の自治政府)に差し向け、『ゲルニカ』に対して「都市無差別爆撃」(ピカソ「ゲルニカ」)を実施。                                                                    37年5月、バルセロナ市街戦では親ソ派共産党は、アナキストの排除、反スターリン派の排除(つまり内ゲバ)を徹底して行なった。                                                  39年1月バルセロナ陥落、39年3月マドリード陥落。フランコ派勝利。                                                    市民戦争・内戦・市民革命・・・色々な名称で呼ばれている現代史の縮図、スペインの3年間。

さて、『蝶の舌』は36年春から同年夏(ファシスト反乱の最初期)までの、混乱があって緊迫していても、「人民戦線政府」が輝いていた短い時間を背景にしている。とっつきにくくとも少年モンチョが心を開くことが出来た老教員グレゴリオは、教育と社会に信念を持っていて、それを穏やかに実践するベテランだ。喘息持ちのモンチョは入学時に[おもらし]をして出遅れるが、学校に馴染ませてくれたのは、先生だった。野に出て命を伝え感じさせてくれたのは先生だった。蝶に渦巻き状の舌があること、欄の花をメスに贈る鳥:ティロノリンコのことを教えてくれたのは先生だった。                                                                          36年夏、老教師グレゴリオはモンチョとの交流の場面で言う、 「人にいってはならん、これは秘密だ。あの世に地獄などない。憎しみと残酷さ、それが地獄の基となる。人間が地獄を作るのだ」(作者は、この会話に加え、ラストシーンで軍ファシストの後方に神父をウロチョロさせ、怒りを込めてカソリック教会が果たした役割を暗示している)
 そして短い夏の終り、退官講話の席でこう語る。「誰も、春に愛を交わすために古巣へ帰る野鴨を、止めることは出来ません。羽を切ったら泳いで来ます。脚を切ったらくちばしを櫂にして波を乗り越えます。その旅にいのちを賭けているのです……。いま、人生の秋を迎えどんな希望を持てるのか……実は少し懐疑的です。オオカミはきっとヒツジを仕留めるでしょう。」グレゴリオはこの政府と自分達の運命を覚悟していた。

田舎町にもファシスト反乱軍の暴虐が押し寄せる。「共和派」が拘束され連行されて行く。その中に町長や老教師グレゴリオが居た。街の人々は、連行する側のファシストに媚びて、口々にグレゴリオらをののしっている。                                                                             母親に「あんたも言いなさい」と促され、モンチョも言う。「アカ!」 「アテオ(無心論者)!」・・・・。詰め込まれた護送トラックの荷台に立つグレゴリオ、石を投げつける少年たちの輪に入ってしまうモンチョ・・・。 モンチョが最後に発する言葉・・・あゝ、それはこの映画のタイトル「蝶の舌!」であった。                                        親愛と尊敬の情を、このようにしか表現できなかった少年の無垢な心に、ぼくは嗚咽した。グレゴリオとモンチョの交流交感はこうして圧政と社会によって断ち切られたが、21世紀の今も、深く繋がって生きているのだ。それが、痛切の記憶というものだ。 

 1936年、国民的詩人:フェデリコ・ガルシア・ロルカはファシストに虐殺される。四方田犬彦は書いている。                                   『ロルカの死は悲痛きわまりないものである。その悲痛さを克服するためには、何をしなければいけないのか。                                        それは祈ることではなく、記憶することだ。記憶が、たどたどしく築きあげる歴史から、われわれは学ぶことはできる 』と。                                                                       記憶とは そういうものだ。   

余談ですが、故:アジェンデ・チリ大統領はバスク系の人です。                                                                 1973年9月11日、サルバトール・アジェンデ 最後の演説 (ピノチェト軍が包囲する、サンチャゴ・大統領府「モネーダ」より) http://www.youtube.com/watch?v=SG3f08LVwhE

                                                                        

 

                         

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