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たそがれ映画談義: (浦山桐郎の甥)長谷川集平 講演会

長谷川集平 講演会  11月3日 14:00~:上六「たかつガーデン」長谷川集平さんと

1969年初秋、ぼくは、ある事情で関西の某地方都市に居た。次の「予定行動」までの空いた数時間を、映画を観て過ごそうと映画館に向かった。まるで運命に導かれたように、開始と終了がドンピシャでその空いた時間にピタリ納まる。迷わず、入場券を買った。

そこで観たのは、『キューポラのある街』『非行少女』の浦山桐郎監督の第三作目だった。観終わって、逡巡の挙句「予定行動」の集合場所に戻った。まぁ、人生の岐路と言えなくはない。ぼくにとっての「多恥迷春」の一部だ。

(ぼくが、『キューポラ』『非行少女』『棄てた女』が三部作だというのは、60年代の「おんな」の悪戦を、主人公に寄り添って描き、同時に自らの「戦後第一期青年性」とその限界を等身大に描いた誠実がそこにあり、間違いなく「時代」を切り取ってみせたと思えたからだ。浦山は、主人公ジュン(キューポラ)、若枝(非行少女)、ミツ(棄てた女)を、60年代を生きる少女~おんなとして、時と境遇の違いを越え、同じものの変容態として提示し、もって「時代」の正体を逆照射して見せたのだ。それは、そのまま自身=男の正体を晒すことでもあった。)

稚拙で傲慢なその「予定行動」についてはどうでもいいのだが、観た映画はいつまでもぼくにへばりついている。『私が棄てた女』だ。

1971年、東京に居たぼくは、浦山初期三部作が掛かれば遠くても観に出かけ、シナリオ研究所の講座に参加したり、浦山講義を受講したりしていた。北千住に在った「東京スタジアム」で、阪急ブレーブスの何度目かの優勝決定の試合を観に行って、後ろの席の浦山さんに遇って驚いたことがある。女性とご一緒だったが、『私が棄てた女』で遠藤周作自身が演じる産婦人科の看護婦役をなさった、奥様だったかどうかは思い出せない。寒い日で、お二人で毛布を膝当てにされていたように思う。会釈をすると、返して下さった。浦山初期三部作

長谷川集平氏が、その浦山桐郎監督と伯父・甥の関係だとは存じ上げず、「はせがわくんきらいや」「およぐひと」などのチョイ読者であったぼくは、今年春ごろ長谷川氏とのFBでのやり取りでそれを知った。ゴチャゴチャ書いた浦山談義に丁寧な返信を頂いたと思う。

当夜、長谷川集平氏にお会い出来(しかも、打上では金洪仙さんのご配慮で氏の隣の席に座らせてもらった)て感激。浦山さんに似たたところがあるように思う。(言われるのはお嫌いかも)

映画『黒い雨』(1989年、今村昌平監督)は、浦山の手になる予定だったが・・・。早逝(1985年)した浦山の企画は「葬儀委員長」だった今村が後を継いだ。「長谷川君やってみないか?」との声もあったという。30歳だった長谷川は映画に不案内だと辞退されたそうです。今なら、やっても面白いのではないか?とワシは想った。浦山が、作った映画(9本と寡作)と、長谷川の「絵本」には同じ世界観・人間観が溢れている。そう感じるのはワシだけではあるまい。昔、幼少期の長谷川に「映画論」をぶつけたという浦山、あゝ、まことに稀有な「ぼくの伯父さん」だったのだ。

浦山が遺した9本の作品、機会があれば是非ご覧あれ!

『キューポラのある街』(1962年、吉永小百合・浜田光男)seisyun[1]

『非行少女』(63年、和泉雅子・浜田光男)

『私が棄てた女』69年、小林トシエ・河原崎長一郎・浅丘ルリ子)

『青春の門』(75年、大竹しのぶ・田中健・仲代達矢・小林旭・吉永小百合)

『青春の門・自立篇』(76年、同上)

『龍の子太郎』(79年、アニメ)

『太陽の子(てだのふぁ)』(79年、原田晴美・大空真弓・河原崎長一郎)

『暗室』(83年、清水紘治・三浦真弓・木村理恵・寺田農)

『夢千代日記』(85年、吉永小百合・樹木希林・大信田礼子・夏川静枝

*TV作品

『飢餓海峡』(全8話中 5篇。78年、山崎努・若山富三郎・藤真利子)

画像は『青春の門』(1975)。在日朝鮮人児童への集団での虐めに加わっていた信介を、頬を打ち叱るタエ(吉永小百合)。

(下は、長谷川絵本代表作と浦山初期三部作)

今日の自作のスライド映写と読み聞かせ+控え目で時に驚きの解説、というスタイル、結構でした。

「アイタイ」再発見しました。 作:長谷川集平

たそがれ映画談義: 吉永小百合さんと 映画『飢餓海峡』

小百合さんが選ぶ日本映画小百合さんが選んだ七本は、CS放送の日本映画専門チャンネルで10/11(土)に「吉永小百合、思い出の日本映画」と銘打っての七本一挙上映という特集があったが、東京事務所ではCS放送を引いていない。その七本を順次、10月いっぱい、日にほぼ一本ずつ何度も放映していると帰阪して知った。「小百合さんが選んだ珠玉の日本映画」という位置づけだ。小百合さんのプロデュースになる新作『ふしぎな岬の物語』公開記念とのことだ。

昨日、その一本を観た。ぼくの大好きな映画、何度も観た内田吐夢監督『飢餓海峡』だ。放映の後に小百合さんへのインタヴューがあって、彼女のこの映画への想いが語られる。映画の公開は1965年でそれを同時代に観たという彼女は、当時19か20歳。左幸子演ずる杉戸八重への並々ならぬ想いが伝わって来た。

八重(左)が、樽見京一郎(三国連太郎)に逢いに行って、はずみで鮮明な記憶に繋がるモノを目にして「犬飼さん…。やっぱり犬飼さんだわ」と震えが込み上げ口にする。犬飼が「樽見でんねん。樽見京一郎でんねん」と言いながら抱擁するように絞殺するシーン。日本映画史に残る美しくも哀しい殺害シーンへの、当時「日活青春路線の」看板スターだった小百合さんの秘めた想いが語られる。貧困の底に蠢く人々の境遇や心情への共感の弁や「八重さんがたまらなく愛おしいのね」には、言外に「杉戸八重を演じたかった」と聞こえた。小百合さんの八重は「ん?」かもしれないが、彼女のハートは痛いほど解るのだ。

因みに、TVや舞台では映画の後、杉戸八重役を、中村玉緒・大地喜和子・藤真利子・石田えり など錚々たる女優が演じている。おんな役者ならやりたい役どころだというのは解る気がする。

 

小百合さんが選んだ七本は、小百合さんが選ぶ

『浮雲』(1955年、成瀬巳喜男監督、東宝、高峰秀子・森雅之・岡田茉莉子)小百合さん記事

『おとうと』(1960年、市川崑監督、大映、岸恵子・川口浩)

『キューポラのある街』(1962年、浦山桐郎監督、日活、吉永小百合・浜田光夫)

『天国と地獄』(1963年、黒澤明監督、東宝、三船敏郎・山崎努・仲代達矢)

『飢餓海峡』(1965年、内田吐夢監督、東映、三國連太郎・左幸子・伴淳三郎)

『少年』(1969年、大島渚監督、創造社ATG、渡辺文雄・小山明子)

『学校Ⅱ』(1996年、山田洋次監督、西田敏行・吉岡秀隆・いしだあゆみ)

 

小百合さんの、幼い頃から一貫した憧れであり目標であった女優は、高峰秀子さんだという。

日活を辞めた後、『二十四の瞳』(1952年、木下恵介監督、松竹)のリメイクの話があったが「畏れ多くて」辞退し、さらに大石先生(『二十四の瞳』)とは全く違う役どころの『浮雲』(今回の七本にも入れた映画)のリメイク(森雅之の役は、何と松田優作の予定だった)の話もあったがこれまた自分には出来ないと辞退したという。解るなぁ~。

1969年、宇野重吉プロデュースで進行していた映画『あゝ野麦峠』は、内田吐夢監督の予定だった。諸般の事情で頓挫し実現しなかった。

『二十四の瞳』『浮雲』の高峰秀子さんへのあこがれ、娼妓:杉戸八重への濃い想い、内田吐夢監督による『あゝ野麦峠』頓挫への心残り・無念・・・、女優吉永小百合の心根を聞くことが出来たインタヴューだった。ヒロシマ栗原貞子さんの詩「生ましめんかな」の朗読活動、秘密保護法・集団的自衛権行使・9条改憲への彼女の立位置は揺らぐことなく持続されている。それが『飢餓海峡』ファンの第一の条件だ、と小百合さんは言いたいだろう。

映画『飢餓海峡』と、女優吉永小百合が一つになって迫って来るのだった。

 

TBS「親父の背中」第四話 鎌田敏夫「母の秘密」に失望

『10人の脚本家と10組の名優で10の物語を紡ぐ』と銘打ってTBSが大宣伝している日曜劇場『親父の背中』。

第四週の鎌田敏夫の『母の秘密』を観た。鎌田敏夫という名は、中村雅俊・田中健・津坂まさあき主演の、青春という「言葉」がその有効性を喪って往く時代の、最後の時間を飾った優れた青春ドラマ『俺たちの旅』(1975~76)で知った。中村雅俊歌う主題歌が好きで時々だが観るうちに、鎌田敏夫という名がインプットされて知った。小椋桂作詞・作曲のその主題歌『俺たちの旅』は、こうつぶやく。

「夢の夕陽は コバルト色の空と海

交わってただ遠い果て

輝いたという記憶だけで

ほんの小さな一番星に

追われて消えるものなのです。

背中の夢に浮かぶ小舟に

あなたが今でも手をふるようだ。(リフレイン)」

ぼくはカラオケへ行けば、「追われて消える」ことへの自覚と羞恥、「いや、消えはしないぞ」という決して他人様には通用しない意地、その両方にしがみ付いて、しばしばこの歌を唄う。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BF%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%97%85&tid=9b3220cfb2834202f3b807e12d1cba3b&ei=UTF-8&rkf=2&st=youtube

 

鎌田は、その後『金曜日の妻たちへ』(1983)や『男女7人夏物語』(1986)、NHK大河ドラマ『武蔵MUSASHI』(2004)などで有名だ。倉本聰・山田太一らのように名前で視聴率を獲得できる脚本家の一人だと言われている。その鎌田敏夫だ、時間があった以上観ないわけには行かない。

ドラマは、長い間わだかまりを抱えて生きてきた父子。その父:賢三が突然、秩父札所参りに行こうと慎介を誘ってきた。親父・賢三(渡瀬恒彦)と、息子・慎介(中村勘九郎)の札所巡りお遍路の数日を描き、親父の若かりし日々・親父の亡き妻(母)への古い家父長的対応・親父への違和感を拭えない慎介の記憶・・・などが明らかになって行く。14807285524_33222dc0f2[1]

親父・賢三は学生運動~三里塚闘争~売れない運動系出版社経営~妻の死去、出版社の破綻・自宅売却、単身四国で有機農業系事業(?)をする・・・という人生を歩んだ。

第一線を退き出版社を始めていた1970年代半ばらしき賢三の自宅に、活動家が集まり口角泡を飛ばして論議する場面で、賢三の妻や子に対する家父長体質が描かれる。

妻はひたすらお茶を出し、「活動家」たちの「食事」を作り、論議には加わらない。ひっそりとキッチンに居る。来客たちもそれが当たり前だという態度で臨む。息子・慎介のテレビ音量に親父は「うるさい、静かにさせろ!」と妻を罵りさえする。

こういう人物がいなかったとは言わない、が、何か違和感がある。何だろう?

形式的には、あるいは表面的には女性を尊重しながら、奥には旧態依然たる意識を飼っていて「建て前」を演じている男、底では女の参加を認めてはいない、そんな男は(ぼくを含め)山ほどいたとは思う。けれども、そもそもこの賢三のような振る舞いの男がこの種の集まりを、批判されもせず束ねていたという「誤認」はいただけない。空回っていても、足掻いていても、客観的には「家父長」の繰り返しから出られなかったんだよお前も、と自他に言いつつも、この賢三像はいただけないと想う。10年のギャップを想う。

時代の「足掻き」に無知なひと世代前の文人が描く70年代だと思うのだ。

気になって、鎌田敏夫の生年を調べてみた。1937年生まれだ。なるほど・・・・。1960年を23歳だ。70年半ばには40歳手前だ。

ラスト近くで賢三が唄う歌がある。うたごえ喫茶に通っていた仲間が唄っていたなぁ、と感慨を込めて唄うのだが、何とロシア民謡(正確には1944年作のソ連製歌謡)『ともしび』だ。1970年代半ば、そういう希少な方が居たかもしれないが、ドラマが設定した「三里塚闘争」・・・・、そんなことは、まず有り得ない。うたごえ喫茶、「ともしび」。それは鎌田さん、それはあなたの時間だ。それはそれでいい。けれど、歌とともに時代精神・時代が格闘して辿り着こうとした内容まで10年繰り下げてはいただけない。

 

運動内部の封建や女性排除蔑視や家父長制の残滓の存在様式、その屈折度合と屈折率、それとの格闘、生年、敗戦を迎えた年齢、青春を生きた時代、妻、子ども、家庭・・・・、よほどの「当事者性」への真摯な挑みがなければ、全体が陳腐な「錯覚」に満たされた作品になってしまうということの見本のようなドラマだった。格闘した男女に失礼ではないか!

だから、母に「頑張っているお父さん」が夢を遂げることが自身の夢だった、に近い言葉を吐かせ、ラストで息子はそんな両親に対して「父には父の、母には母の人生があったのだ」と全的に納得肯定するのだ。それは作者の言い分でもある。

冗談ではない。作者によって、親父は大切なことへの自省の回路を奪われ、母は「では、貴女の人生はどうありたかったのか?」への願望も示せない位置に閉じ込められるのだ。

鎌田さん、腹の底から語れる課題や、怒り・哀しみ・歓びを共有できる世界を扱うか、さもなくば、よほどの感情移入の果てに獲得した相対化を語れるテエマを書くべきでしょう。もっとも、ぼくなどにはそれができないのですが・・・。けれど、「錯覚」はいけません。

「集団的自衛権行使容認」に抗議して焼身自殺未遂

 【朝日新聞より】

29日午後2時すぎ、西新宿1丁目のJR新宿駅南口付近の歩道橋上で、男性がガソリンとみられる液体をかぶり、ライターで火をつけた。男性は病院に運ばれたが、顔や手足にやけどを負う重傷。直前に集団的自衛権の行使容認などに反対する演説をしていたという。

 

新宿の焼身自殺未遂事件に関して、その方法論への異論、生きて運動・主張に取り組むべきだ等々、FB上で様々なご意見を拝読した。その通りだとは思う。
一方で、「彼の方法は彼のものだ」と言おうと思ったら、何故か映画『グラン・トリノ』(2009年、監督主演:クリント・イーストウッド)のラストシーンを思い出していた。方法論の是非に言葉を費やせば費やすほど、彼の心の核心から遠ざかるような気がして・・・。sinizama

主人公(イーストウッド)が街のチンピラに殺されること承知で「丸腰」で出かけ、承知していた通り殺される。  長くなるので、詳細は書けないが、朝鮮戦争で、降伏の意思を示している相手を多数を殺し勲章まで手にした過去への拭えぬ慚愧の念、言葉(道理)が通じない相手を撃つのではなく相手に撃たせること、自身のどこかに在るかも知れないと疑っているアジア人への偏見の克服(チンピラに痛めつけられていた、チンピラと同族の若い隣人との友情)、出来ればアジア人に殺されることで「落とし前」を着けたかったこと、などを、「主観的」には成し遂げて主人公は死んでゆく。
新宿の事件当人の行動と何の関係も無いが、この映画を思い出した。「言葉(道理)が通じない相手を撃つのではなく相手に撃たせる」風だったかもしれない。
断っておくが、ぼくには焼身自殺を賛美する気はいささかもない。
言いたいことはひとつ、「彼の方法は彼のものだ」。

たそがれ映画談義  『飢餓海峡』 吐夢版、浦山版、そして趙博ひとり映画

12月22日の趙博:声体文藝館『飢餓海峡』公演に是非とも行きたくて、前夜21日皆さんの協力で夜業をしてもらい翌22日午後終了予定だったところを、午前中には終えた。エントランス 石貼替

14時半開演30分前に、両国門天ホール辿り着いた。                                                                                                                                     水上勉原作(未読)は知らないが、内田吐夢の映画は何度も観ている。趙博がどう料理するか楽しみだ。                                                                                                                                             公開当時(65年)には、敗戦直後の貧困と混乱を「語らずして通ずる」土俵が合ったと思う。当時の大人は、1945年以前の生まれなのだ。敗戦も、復員も、焼跡も闇市も、復興も、売防法施行も知っていたのだ。                                                                                                                                                                          今日、その肌触りを、映像や文章による描写なく伝えるのは至難の技だが、パギのひとり映画は、                                                                                                 犬飼太吉(三國連太郎)、弓坂刑事(伴淳三郎)以下の、語り出せば膨大になるだろう人物たち(海峡で命を落とす二人の男を含む)の戦中・戦後史と敗戦直後の社会の実相を、代表して一人の娼妓杉戸八重(左幸子)に語らせることにしたようだ。                                                                                                                                               だからなのか、パギ版八重はなかなかの出来だった。感心した。杉戸八重が生きていた。最後に、映画には無いあっちから杉戸八重の独白がある。違和感は無かった。                                                                                                                                                                                   春間げんさんのピアノが「星の流れに」を奏でるのだが、敗戦後ニッポンの貧困と混乱と、そこで生きた東北出の極貧女性の「おんな」の「生」を浮かび上がらせ秀逸だった。

個人的には、吐夢版『飢餓海峡』の八重=左幸子の、生活力というか圧倒的な存在感よりも、1978年に観たフジテレビ版の藤真利子の方が、10年間も「爪」を抱き続けた八重という人物を、「男が描くおんな」という点では想い描き易かった。だが、左幸子の力感ある「八重」にして保持していた、ある「無垢」こそが作者の意図だ。飢餓海峡 打上げ                                                                                                                    【公演後の打上げで語り合う、趙博とコアなファン】

 

ちなみに、このTV作品は、監督:浦山桐郎、犬飼役:山崎勉、弓坂役:若山富三郎だった。どこかにビデオがあるだろうか?                                                                                                                               藤真利子の八重、山崎努の犬飼、若山富三郎の弓坂。                                                                                            知ってます?藤真利子。父は作家の藤原審爾。なかなか味わいある女優さんだ。もう60歳前後のはずだ。                                                                       テレビ火曜サスペンス劇場の「最多犯人役出演俳優」だそうです。「陰ある・短調の・屈折した」などの形容が似合う女優さんだ。素顔は陽性の人柄だとどこかで読んだ。                                                                                                      このフジテレビ版とは別に宇野重吉が弓坂刑事を演じた放送をチラリと観た記憶があって気になり調べてみた。                                                                                                                          68年NHKだ。**で忙しく(?)していて(笑)、文字通りチラリと観たのだろう。                                                                             Wikipediaを引くと『飢餓海峡』はいろんな役者で何度かTVや舞台になっている。                                                                                                       太地喜和子の八重、知性と度胸を併せ持つ八重。石田えりの八重ねぇ~、強烈。戦後の混乱を生き抜いた強い八重だろうか。                                                                                                              ショーケンの犬飼太吉。宇の重の弓坂、仲代の弓坂。想像するだけでゾクゾクする。飢餓海峡 映画、TV

飢餓海峡 山崎・ショーケン年度と犬飼・八重・弓坂の順に役者名を記してみる。お好きな方はニタリとするに違いない。                                                                         1965、三國連太郎、左幸子、伴淳三郎。(東映映画、監督:内田吐夢)                                                                                            1968、高橋幸治、中村玉緒、宇野重吉。(NHKTV)                                                                                                                                    1972、高橋悦史、太地喜和子、金内喜久夫(舞台、文学座)                                                                                                          1978、山崎努、藤真利子、若山富三郎。(フジTV、監督:浦山桐郎)                                                                                       1988、萩原健一、若村麻由美、仲代達矢。(フジTV)                                                                                                1990、永島敏行、石田えり、金内喜久夫。(舞台、他人会)                                                                                                  2006、永島敏行、島田歌穂、金内喜久夫。(舞台、他人会)

ともあれ、杉戸八重の人生、その愛と哀しみと壮絶と現実観としたたかと無垢に、共感できない、共有するものの無い女性とは、お話する気はない。その極点が曽野綾子だ。櫻井よしこ、上坂冬子だ。

小説や映画で記憶を揺さぶる女性像は、ことごとく、いわば「マリア+マグダラのマリア」で、なるほど・・・・と想う。

【追悼:三國連太郎さん】拙ブログ 2013年4月: http://www.yasumaroh.com/?p=16739

たそがれ映画談義: 公園の猫小母さん と 『七人の侍』菊千代

事務所から徒歩3分のところに、旧東海道に面して、かつ街道(疎らな商店街でもある)に直角に交わる路地との角に、狭い公園と言うかまぁ広場のような空間がある。町内会商店会で管理しているはずだ。路地を通ってその先に向かう人の殆どが、広場角まで行って路地へ折れるのではなく、僅かな近道とばかりに街道から広場内を斜めに横切って路地へ進む。

この広場で、コンビニへの行帰りなどにしばしば「猫小母さん」に出遭う。たいていは、仕事帰りの7時8時だった。彼女は自転車でやって来て、将棋や囲碁をする人や休憩する人用に置かれた縁台にドンと座る。彼女が猫の名を二つ三つ呼ぶと、木陰や隣接の家の奥から猫が数匹現れる。猫たちは警戒心強く、広場を横切る人に一々身構えながら小走りに彼女へ向かう。彼女が座る縁台に集まり、抱いてもらったりじゃれたりするのだが、彼女はちょこっとエサを与えはするが、缶詰やレトルト・パックなどを持参しているのでもない。猫たちと小母さんの団らんのようだ。夜11時を過ぎて小母さんに遭遇したこともあった。

彼女がいない時にも二・三度猫に出遭ったが、ぼくがクッキー片などエサをチラつかせツッツと舌打ちをして招き手をしても、決して寄っては来ない。猫たちは、遠巻きに警戒態勢で低く構えジッと視ているだけだ。ヘタに近付いて痛手を負った苦い記憶があるのだろうか、その疑いの視線は、虐げられ裏切られ見捨てられた者に染みついた根の深いものだ。DSC_0164

先日、徹夜の現場を終えての帰路朝6時前、街道から路地へ向かおうとして広場を横切り、また彼女に出遭って、こんなに早朝から?とさすがに驚いた 猫たちが出て来ていて、一匹が縁台にもたれ座る彼女の膝にじゃれている。                                                                                                        初めて声を掛けた「猫ちゃんたち、よく懐いていますね。こんなに朝早くからでは、おうちも大変でしょ。」                                                                                                                                                                「いえ、わたしが懐いているんです。それに家は一人ですし・・・・この子たちは、私なんです」                                                                                                                                                                                                初めてお顔を視た。女優:永島暎子(映画:83年『竜二』、97年『身も心も』、01年『みすゞ』など。数年前NHKドラマ『ハゲタカ』に出ていたが、どうしているかなぁ~。もう60歳近くのはず。)を老いさせ、ボロ着を着せたようなかつてOLだった風の、たぶん75歳前後の、身なりはともかく気品ある高齢者だった。彼女を「生」へと繋いでいる尊厳のようなものに圧倒され、精いっぱい「ご苦労様です」とだけ返し、立ち去った。

事務所までの僅かの距離、映画『七人の侍』のワン・シーンが思い出された。                                                                                                                                                                                                                                                      確かに、人は、「この存在こそは自分なのだ」と思える時、自身を動かせるのだ。

 

【映画『七人の侍』 1954年、東宝作品】

言わずと知れた、黒澤明の最高傑作。ここでヘタな作品紹介をしても陳腐な映画評をしても始まらないので止めるが、上の文に引用したシーンについてだけ書いておく。                                                                                                                                                                     いよいよ野武士が村を襲い始める初期段階。村防衛網(柵など)に収まりきらない川向こうの外れの家が、皆の進言を聞き入れず移転せずに居た。果せるかな、野武士の急襲で一家は惨殺される。急遽駆けつけた菊千代(三船敏郎)は、命果て逝く母親の手から乳飲み児を受け取り、その児を抱きながら川の流れの中に立ち尽くして叫ぶのだ。「俺だ。こいつは俺だ。」                                                                                                                              菊千代の出自とその後とを、ワン・シーン+ワン・トークで表した名場面だ。       N0032131_l[1]                                                                                                                                                                                       『七人の侍』は、一部から「エリート思想だ」「代行主義だ」「インテリの自己満足の投影だ」と言われたりもした。ぼくも昔、菊千代という想像・創作の人物の存在(事実シナリオ執筆時の追加キャラだったと黒澤氏自身の回想譚にある)(何と三船はニヒルにして寡黙な剣豪:久蔵の予定だったという)は「インテリらしい申し訳か?」とふと感じたのだが、最近観て「彼こそがこの映画の作者たちと我々観衆を繋いでいる、映画の中で侍と百姓を繋いでいる」と、言われ続けたことではあるがやや違う趣で強く再認識した。                                                                                                                                  街へ侍募集に来て数日、宿でコメを盗まれ自分たちは稗を喰い、侍にはなけなしの白飯を出す百姓に、半受諾で百姓といっしょになって侍探しを続けていた勘兵衛(志村喬)が、「このメシ、おろそかには喰わんぞ」と語るシーン。助っ人正式受諾の瞬間だ。                                                                                                                                                                                                                                              百姓の忍従と小狡い本性を泣いて訴える菊千代に、勘兵衛が目を潤ませ「おぬし、百姓の生まれだな?」と語るシーン。「おぬしは、拙者ら一団の立派な一員だ」と認める言葉だ。                                                                                                        これら名場面を含め、この映画はやはり三船・志村のダブル主演なのだと痛感している。                                                                                                                                           猫と人を一緒にするな!と聞こえては来るが、公園広場の猫小母さんに遭った帰路、映画を思い出したぼくだった。                                                                                                 それにしても、勘兵衛さんこそ、理想のリーダーやね!

 

映画談義: 活劇・美談と [技術力への昭和の努力]賞賛で戦争を語るのか?

『永遠のゼロ』に対して、「こんな戦争なら悪かない」という類の感想が出回っている。何故こうなるだろう?                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ぼくが危惧していた通りで「ん~ん?」だ。過日、うまく言えないまどろっこしさを発信した。作者や作品に、その因がありはしないか? と。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      若い人(40代後半、誠実で公平な人です)から『そこまで著者が責任を取らねばならんというのはちと酷では・・・』との遠慮がちな気を遣った感想をもらった。確かにそうかもしれない。日本国憲法と同じ年齢のぼくには、そうじゃないと言いたいDNAが沁みついている。

昔、アメリカ西部劇(60年代までかな)では「インデアン」は、平気で文明人(白人)の婦女子を殺戮する邪悪で野蛮な悪役として描かれ、西部男の「正義」と勇猛果敢な行動を側面から証明する役割を担って配置されていた。                                                                                                                                                                                      1970年の二つの映画                                                                                                                                     『ソルジャー・ブルー』 http://www.youtube.com/watch?v=DV0aphU3l28 (監督:あの『野のユリ』のラルフ・ネルソン、主演:キャンディス・バーゲン)と、                                                                                                                                                            『小さな巨人』 http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=14379 (監督:あの『俺たちに明日はない』のアーサー・ペン、主演:ダスティン・ホフマン、フェイ・ダナウェイ )の登場によって、                                                                                                                                                                    ようやくハリウッドは、略奪を開拓と言い換える詐術や一方的見解(西欧中心史観)だけから、ネイティブ・アメリカンを描くことの不当に気付き以降緩やかに変化して行った。                                                                                                                              それには、裏面でヴェトナム戦争体験が大きく作用してのことだと言われている。ソンミ村の虐殺と言うのがあって、それが氷山の一角であることが、ヴェトナム帰還兵などから証言されていた。ハリウッド映画が変わることにすら、世界は膨大な惨禍・歴史的事実を差し出さなければならなかったとも言えるだろう。sblue[1]

一方、20世紀の戦争を扱うハリウッド映画には、ぼくらも血沸き肉踊らせた『ナバロンの要塞』などに見られるように、主人公やその同伴者の行動の美談を成立させる為の「お約束」が必要だった。個々の人物の美談にケチ付けする気はないし、彼らの人柄や考え方に時に共感を持ちもした。が、戦争への総論が無いのだ。そこへ足を踏み入れたら、狙いの戦争「活劇」が台無しだ。だから、「お約束」(水戸黄門の「印籠」のような威力の)によって、戦争に於けるアメリカの国威を称えその正義だけは主張しなければならない。戦争を考えることより、戦争「活劇」を楽しんでもらうべきなのだと考えて来たのだと思う。                                                                                                                                             楽しむ? 活劇? やめてくれ!コトは戦争だぜ。                                                                                                                                                  「お約束」、それはナチスだ。絶対悪ナチスという構図の中で、戦争事態への懐疑を封印し、今画面で展開されている行動も、映画途中で起こった非人間的な悲惨も、すべてナチスと言う巨悪に原因があるのだという訳だ。反ナチ行動は全て善しと言う訳なのだ。そうやって、アメリカの正義の戦争と軍を賛美する映画が量産されて来た。                                                                                                                                                                                                                                                                         これも、ヴェトナム戦争~アフガン戦争・イラク戦争への多様な見解が市民権を得、かつてのような「お約束」を動員して戦争を描くことに、いかがわしい思惑が透けて見えると作家たちは気付き、これまたゆっくりと変化した。                                                                                                                                   (昨今、再びアメリカの戦争をひたすら肯定する、CG満載、ヴァーチャル戦場の好戦映画も多い。                                                                                                                                                                          そこではナチスに代わって「テロ」支援国家や「大量破壊兵器」保有国家などが「お約束」役を果たしている)

さて、盆暮の日本の戦争映画はどうだろうか?                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               ここにも「お約束」があって、一つは「悪いのは一部の軍上層部だ」、二つは「天皇は平和を願い、模索していたのだ」というお題目だ。ここに触らない範囲で「反戦」と「平和希求」を語っておれば、それでよしとする風潮だ。その意味では、『ゼロ』は、東宝の作品:1970年『激動の昭和史・軍閥』、東映の作品:1985年『プライド・運命』などと同じ系譜に入る作品だと思う。                                                                                                                                     ジブリの『風立ちぬ』ですら、宮崎さんが補足発言(?)でようやく「観る」ことが出来るが、いささか苦しい。大先輩に失礼だが、宮崎さん、「ゼロ戦大好き、戦争大嫌い」に立ってしまふ己の自己解放に歩を進めるしかないのではないですか。菜穂子さんという人物キャラの中に、その矛盾一切を封印した宮崎さんの苦渋も読み取れるのだが・・・。

近年の戦争を扱った映画で、ぼくを底から揺さぶったのは、                                                                        『さよなら子供たち』1988年仏映画。監督:ルイ・マル。http://movie.walkerplus.com/mv11862/ )                                                                                                                 『やがて来たる者へ』(2009年伊映画。監督:ジョルジョ・ディリッティ。http://eiga.com/movie/55431/ ) だろうか・・・。img_543431_67082679_0[1]                                                                                                                                                                                                                          そもそも、戦闘機・空軍をメインにすればどうしても空の上、ヤバイよ。活劇・美談・超人・昭和技術力賛美などを散りばめては、よほどの明確な反戦・反軍・反強権の貫かれていない限り、結果として戦争賛美に与することになってしまふ。それは、やはり著者の責任の範囲だとぼくは思う。

戦争は、地べたで、泥土の上で、沼地の果てで、戦友の血を浴びて・・・、猛火の下で、爆風に逃げ惑う市井の民の群れの中で、疲労・空腹・栄養失調の中で、排外主義満開の世情に在って、親しかった移民の友の収容所送りを黙して見送るしかなかった痛切の中で、女性・児童への制度としての蹂躙を見せつけられる世で、推進されたのだ。

戦争を活劇とすることこそ死者への冒涜だ。戦争は「悪かない」ものなど無い事態なのだと、子や孫に伝えたい。

余談                                                                                                                                                                                               自伝的作品『さよなら子供たち』の監督:故ルイ・マルの奥さんは、『ソルジャー・ブルー』の女優:キャンディス・バーゲンです(1981~95死別)。                                                                                                                                                                                           それがどうした?ですが、映画ファンのぼくには「なるほど」なんです。                                                                                                                                                                   2013年8月15日(68回目の敗戦の日に)

 

映画談義: 『永遠のゼロ』と映画『風立ちぬ』を巡って ―ゼロという地雷―

猛暑の中、宮崎駿の新作『風立ちぬ』を観てきた。平日しかも都心ではない街にもかかわらず、映画館はそこそこの入りだった。                                                                                                                  宮崎・ジブリの作品は『風の谷のナウシカ』『紅の豚』など大好きだし、そのメイントーンに違和感は持って来なかった。最近、「改憲策動」や「従軍慰安婦問題」への宮崎氏の言動に触れ「フムフム」と強く同意したところでもある。永遠のゼロと風立ちぬ

『憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです。本当にそう思います。法的には96条の条項を変えて、その後にどうこうするというのでも成り立つのかもしれないけれど、それは詐欺です。やってはいけないことです。国の将来を決定していくことですから、できるだけ多数の人間たちの意見を反映したものにしなきゃいけない。多数であれば正しいなんてことは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない。( http://blogos.com/article/67026/ スタジオ・ジブリ小冊子「熱風」7月号)

『韓国・聯合ニュースによると、宮崎駿監督は26日、東京で韓国人記者の取材を受け、「日本は早く従軍慰安婦問題に対処し中韓に謝罪するべきだ」と発言した。宮崎監督は二次大戦当時の日本政府は自国民すらも大事にしておらず、当然他国の人も大事にできなかったと発言した。』                                                                                            ( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130727-00000011-rcdc-cn 7月27日)

これらの発言により宮崎は、アニメオタクであり、ジブリファンでもあったかもしれない(そんなことないか)「ネトウヨ」からの、下品で・無反省で・不勉強な総攻撃に晒されている。連日書き込まれるコメントと「ベストアンサー」なる「悪宣伝」は目を覆いたくなる惨状だ。

映画を見に行ったもう一つの興味は、同じく「ゼロ戦」を扱った百田尚樹の小説『永遠のゼロ』の映画化(年末公開)以降拡大する賞賛の嵐との対比だ。百田の真意がどの辺りに在るのかについてはぼくなりの感想があるが、各界各層の賛辞は「昭和の技術努力への無条件賛美」「昭和の戦争肯定」という時流に乗った「総右傾化」下のものであるとの疑いを禁じ得ない。( http://www.yasumaroh.com/?p=12781 )                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   同じ「ゼロ戦」(映画の主人公:堀越二郎の「九試単戦」こそ、「ゼロ戦」の原型だとされている)をめぐる二つの作品から何を読み取るか、どこに作者の志を観るかは、読者・観客の側に任せられている、ということにしておこう。

ところで、「ゼロ」を扱うことに潜む危うさを「地雷性」と言ったのは、「ネトウヨ」からの浅はかな賞賛や逆に攻撃を呼び起こす可能性のことだけではない。「ゼロ戦」に象徴される、戦前日本の「欧米何するものぞの気概に支えられた技術力アップ」と「カタチに見える成果」への努力と自負が、軍事とないまぜになって進むしかなかった事実を、世界史・アジア史・日本史の中で、世界地図の中で、俯瞰して観ることの困難のことだ。身に沁みついた無垢な「心情」が、軍国日本という全体の中での営みに組み込まれ、自身もその全体からは免れ得ず、グルリと回って自身に帰って来る「迷路」のことだ。その迷路に足を踏み入れたら、自身の本来の無垢な「心情」さえ引き裂かれそうな危機状況を「地雷」と言ったのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            採掘や土木工事・鉄道敷設などに大いに役立つ「ダイナマイト」を、それが軍事・爆薬と共に進化したことをあげつらい、否定する者などいないだろう。(ノーベル賞は、ダイナマイト作者ノーベル(遺族や財団)の贖罪行為だとも言われている。                                                                                                                                                                                   エコ発電の機材を運ぶトラックが通るトンネルは、かつてダイナマイトで開けられたものだ。古来、人類の主要な発明は、火薬・羅針盤・石油エンジン・航空機・ロケット・通信技術・カメラ・気象学・レーダー等々、軍事と無縁に進んだものなど珍しい。だから、堀越二郎氏の努力、鯖の骨の美しく理にかなったカーブに魅了される感性を、切り捨てるような原理主義というか教条的な言い分には同意出来ない。                                                                                                                                                                                                                                                                             私事だが、ぼくの身近には1960年代に、欧米の工業製品を日本に売る外資系企業に就職し、「そうではなく日本の工業製品を、国内と海外に売る業務に就きたい」という戦中生まれらしいDNAに苦しみ(?)、願う有名企業へ転身し、努力してそれなりの「出世」をし、先年定年退職した者が居る。その経緯に違和感はない。この日本の勤労者に広く備わっていよう精神を、「反欧米愛国」や「ナショナリズム」の変形だとは全く思わない。                                                                                                                                                                                                   ぼく自身には、「欧米スタンダード」世界への抜きがたい不信が巣食っていて、「ネトウヨ」のアジア蔑視には眉を顰めながら、反欧米言辞には幼い反応をしてしまうことがある。                                                                                                                                                                                              問題は、そうした「軍事とは無縁に在りたい努力」「自前の製品を…」「独自の技術文化を」という感性や努力が、国家・軍事・為政者に掠め取られて来たという構造だ。そしてまた、その努力の結果に対する立ち位置だ。                                                              堀越氏の戦後の経歴に、新三菱重工参与・東大宇宙航空研究所などを経て防衛大教授とあるが、そのスタンスが今日の「改憲勢力」のような「集団的自衛権行使」「敵基地攻撃可能へ」などという「行け行けドンドン」ではなかったと信じたい。

押井守(『うる星やつら』など)はこう言っている。                                                                                            「少年や豚や(中年男)を主役として描き続けてきた監督が、青年を主人公に据えるということは、これは実は大変な決断を要することであって」 「豚や少年と違って、{人間の青年}には逃げ道がありません。宮さん、大丈夫かしら――と他人事ながら心配しつつ幕が開きました」                                                                                                                                                                                                その通りで、映画『風立ちぬ』の主人公:堀越二郎は生身の人物としては、いささか存在感希薄な透明性ある人物だが、病身の妻:菜穂子はもっと生身心を見せない存在だ。「生きねば」というキャッチ・コピーも『もののけ姫』の「生きろ!」からの発展型(?)なのかも知らないが、宙に浮いてしまっている、とは言い過ぎか?

映画公開前後の宮崎氏の発言は、作品のメイントーンが「戦前日本の技術開発努力一般」の中へ吸い込まれてしまうことを危惧したのか、ぼくが言う「地雷性」の整理か、その補足として在ったのだというのは邪推だろうとは思う。思うが、二郎と菜穂子が身を寄せた上司黒川宅で、その妻(声が大竹しのぶというだけで説得力があった)が言うセリフ「菜穂子さんは美しいところだけを見せて去りたいのでしょ」を引いて、「ぼくらは宮崎さんからゼロ戦生産過程での美しい努力だけを見せられたのだ」という某ブログにはやや頷きもした。観客は「風立ちぬ、いざ生きめやも」と想えたろうか? 決して「美しいものだけを」観客に見せたいのではない、と言いたい宮崎・ジブリが、もし作品の外で補足発言しているのだとしたら、今回の作品は「?」かもしれない。まぁ、それほど危ういテーマなのだ。「飛行機大好き、戦争大嫌い」(宮崎)に付着する「地雷」、そこからの脱出を、補足発言も作品内政治的大声も無く描くことは苦く困難なことだろう。まして、『ゼロ戦大好き、戦争大嫌い』では苦し過ぎる。                                                                                                                                                                                                ゼロ戦はやはり殺戮の道具だし、性能(機動性、燃費、速度など)が優れていたのは、軽く、材質・燃料重量などを軽くしたから、つまり人命(兵士の)軽視が性能アップに寄与したからだと聞いた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           もちろん作品は、取り敢えず作者も観客も「地雷」の地に立っているのだよ、と語る「誠実」を示したと思う。そこに、『永遠の0』と『風立ちぬ』の間の大きな違いがある、とだけは言っておきたい。

今日のグローバル経済システム下の、実質先行改憲社会での、ぼくらの抵抗線の困難は、当時の勤労者や技術者の、労働や研究や生活が国家意志・軍事と切れては成り立ち得なかった困難な状況よりは、何らかの可能性の中に在ると信じたい。                                                                                                                                             だが、地雷は各所に敷設されたままなのだ。                                                                                                                                        橋下発言を容認する世論、麻生発言を恥じない面々、集団的自衛権(他国の戦争への参加)行使へ向けた準備(内閣法制局長官に、異例の外務省出身の「集団的自衛権行使」容認派を抜擢)、解雇自由、勤労者の団結権否認、米ブロックの核戦略と独自の核構想を棄てられないからこそ手放さない「原発推進」……。                                                                                                       では、改憲先取り状況下に「地雷」を超えて抗う回路は有りや無しや・・・。ぼくらが問われている。

【追記】                                                                                                                               「ゼロ」絶賛が続くネット上に、危惧していた内容の若者からの投稿記事を見た。曰く『こんな戦争なら、悪かない』                                                                                                                                                                           感想は本来読者の責任だろう、それはそうだ。だが、この作品のトーンと世情が、若者にそう言わせたのではないと誰が言えよう?

 

 

たそがれ映画談義  いのち 輝き 恋  原田芳雄遺作TVドラマ 『火の魚』

先日、原田芳雄の三回忌だった。彼の最晩年のTVドラマ『火の魚』(2009年)の再放送を観た。クレジットに原作:室生犀星とあった。                                                                                                                                                                        原作は1960年の作だというが、時代を現在に移したシナリオに違和感はない。違和感がなく今日の視聴者に届くというそのことに、何かの可能性を観た想いがする。

初老の元人気作家:かつて直木賞も受賞した自称文豪村田省三(原田芳雄)は、故郷の島へ帰って単身で暮らし、奇行(?)から「変人」扱いされ嫌われ者として作家活動を続けている。ある日、出版社から原稿を取りに来た編集者:折見とち子(尾野真千子)がいつもの男性編集者と違っていたことを、出版社に軽んじられたなと激しく立腹する。若い女性編集者を、見下し小バカし、偉そうに命を語り、人生を説く。                                                                                                                                                                                                                             彼女がかつて子どもたちへの影絵人形劇に取り組んでいたと聞くと、島の子どもたちにしてやれと強引に指示する。折見の側も怯まず、村田の直木賞受賞前後以降の作品は「なまけている」し「売文」だと内角直球の辛辣批評。連載中の作品に対しても、作品に登場する「金魚娘」を酷評し、「描かれている女性はカラッポでいただけない。メイド喫茶のメイドのようだ」と抗議。メイド喫茶を知らず「冥土か?」とたじろぐ村田が「お前、俺の作品を読んではいないんだろう?お見通しだ。」と返すが、折見は村田の全作品すべてをキッチリ読み込んでいた。                                                                                                                                               次の連載分を受取りに来た折見は、「金魚娘」の死と連載終了を知らされる。村田は「お前のせいで金魚娘を殺したんだ」と嫌味を言う。                                                                                                                                                                                                                                                                           彼女が「魚拓作りは得意なんです」と漏らすと、すかさず単行本化に備え表紙を作ろうと言い出し、表紙画に金魚の魚拓をと、執筆机の金魚鉢の金魚の魚拓を作らせてしまふ。歳を重ね「ふんべつ」盛りでもある(はずの)村田は、度重なる無理難題要求の末に、意地悪く明らかに筋違いの悪ガキの「好きな子虐め」のような、「金魚娘殺し」(?)への報復遊戯の挙に出るのだった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        金魚に薬品を注射し「いのち」を絶ち魚拓を作る、そのシーンの原田と尾野の息詰まる演技は圧巻だった。(これは性的関係願望の代替行為だ、と某ブログにあった。が、そう言い切ってしまっては、ここの想波の屈折からは離れてしまふ) 尾野の頬をつたう涙…。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              日が経っても表紙の完成の知らせが無いことに苛立つ村田は、出版社に催促の電話を入れ、意外なことを知らされる。                                                                                                                                                                                                                                           女性編集者折見は入院中だった。しかも再発による再入院だ。                                                                                                                      慣れない花束を抱えて、9年ぶりの上京を敢行して都内の病院へ見舞いに行く村田。抗癌剤の影響で脱髪して帽子を被った彼女との、病院中庭でのラストシーン、その遣り取りに凝縮する、初老男の悔悟・恋情、死に向かう若い女の誠実な「生」・その秘やかで毅然とした矜持…。                                                                                                                                                                                    尾野真千子さん、見事だった。原田芳雄はいつも通り「ぼく好み」だった。火の魚

「先生がそんな大きな花束を持ってかれこれ2時間も座っておられるせいで、病院中の女が色めき立っております。」                                                                                                                                        「折見・・・悪かったな」                                                                                                                                                                                     「何のことでしょう?」                                                                                                                                                                        「すべてだ。気の進まない人形劇をやらせ、年寄りの愚痴を聞かせ、金魚を殺させ…」                                                                                                                                                     「先生。私、今、モテている気分でございます。」                                                                                                                                                                         「あながち、気のせいでもないぞ。」                                                                                                         若い者の癌。半年か、数年か…やがて折見は絶命するのだろう。

http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011033459SA000/                                                                                                 http://dramato.blog98.fc2.com/blog-entry-11410.html                                                                                                                                                                                               http://ncc1701.jugem.jp/?eid=5363

折見のモデルは、装丁家-製本家:栃折久美子さん(1928年生)だと言われている。室生犀星に描きたいと思わせる女性だったに違いない。                                                                                                                                                                                                                                                                栃折久美子さんは後年『森有正先生のこと』(2003年、74歳)を書いた。書かれているのは、森有正(1911~1976)との60年代末からの「大人の恋」(50代後半と30代。17歳違いの)だと聞いた。栃折さんがそれを書いた74歳という年齢から見れば、逝った年齢で止まっている当時の愛人:森有正は現在の自身より10歳以上若い男なのだ。その妙を読んでみるか。

 

なお、上記NHKドラマは下記日程でCS「日本映画専門チャンネル」で放映される。                                                                                                                                     7月28日(日)10:30                                                                                                                                  7月30日(火)21:00                                                                                                                                                                                                                                                                                      8月2日(金)15:10                                                                                                                            8月10日(土)10:10                                                                                                                                       ご覧あれ!

 

追悼・三國連太郎さん(享年90歳)

2013年04月14日午前9時18分、三國連太郎さんがご逝去されました。                                                       少し長いのですが、哀悼の意を込めて1999年の毎日の記事を全文転記させていただきました。

追悼・徴兵忌避の信念を貫いた三國連太郎さん:(毎日新聞:特集ワイド「この人と」1999年8月掲載)

 徴兵を忌避して逃げたものの、見つかって連れ戻され、中国戦線へ。しかし人は殺したくない。知恵を絞って前線から遠のき、一発も銃を撃つことなく帰ってきた兵士がいる。俳優・三國連太郎さんは、息苦しかったあの時代でも、ひょうひょうと己を貫いた。終戦記念日を前に、戦中戦後を振り返ってもらった。【山本紀子】

 ▼暴力や人の勇気が生理的に嫌いでした。子供のころ、けんかしてよく殴られたが、仕返ししようとは思わない。競争するのもいや。旧制中学で入っていた柔道部や水泳部でも、練習では強いのに、本番となると震えがきてしまう。全く試合にならない。それから選抜競技に出るのをやめました。

 −−どうやって徴兵忌避を?

 ▼徴兵検査を受けさせられ、甲種合格になってしまった。入隊通知がきて「どうしよう」と悩みました。中学校の時に、家出して朝鮮半島から中国大陸に渡って、駅弁売りなどをしながら生きていたことがある。「外地にいけばなんとかなる」と思って、九州の港に向かったのです。ところが途中で、実家に出した手紙があだとなって捕まってしまったのです。

 「心配しているかもしれませんが、自分は無事です」という文面です。岡山あたりで出したと思う。たぶん投かんスタンプから居場所がわかったのでしょう。佐賀県の唐津で特高らしき人に尾行され、つれ戻されてしまいました。

 −−家族が通報した、ということでしょうか。

 ▼母あての手紙でした。でも母を責める気にはなれません。徴兵忌避をした家は、ひどく白い目で見られる。村八分にされる。おそらく、逃げている当事者よりつらいはず。たとえいやでも、我が子を送り出さざるを得なかった。戦中の女はつらかったと思います。

 ◇牢に入れられるより、人を殺すのがいやだった

 −−兵役を逃れると「非国民」とされ、どんな罰があるかわからない。大変な決意でしたね。

 ▼徴兵を逃れ、牢獄(ろうごく)に入れられても、いつか出てこられるだろうと思っていました。それよりも、鉄砲を撃ってかかわりのない人を殺すのがいやでした。もともと楽観的ではあるけれど、(徴兵忌避を)平然とやってしまったのですね。人を殺せば自分も殺されるという恐怖感があった。

 −−いやいや入ったという軍隊生活はどうでした?

 ▼よく殴られました。突然、非常呼集がかかって、背の高い順から並ばされる。ところが僕は動作が遅くて、いつも遅れてしまう。殴られすぎてじきに快感になるくらい。演習に出ると、鉄砲をかついで行軍します。勇ましい歌を絶唱しながら駆け足したり、それはいやなものです。背が高いので大きな砲身をかつがされました。腰が痛くなってしまって。そこで仮病を装ったんです。

 −−どんなふうに?

 ▼毛布で体温計の水銀の部分をこすると、温度が上がるでしょう。38度ぐらいまでになる。当時、医者が足りなくて前線には獣医が勤務していました。だからだまされてしまう。療養の命令をもらって休んだ。また原隊復帰しなくてはいけない時に、偶然救われたのです。兵たん基地のあった漢口(今の湖北省武漢市)に、アルコール工場を経営している日本人社長がいた。軍に力をもっていたその社長さんが僕を「貸してほしい」と軍に頼んだのです。僕はかつて放浪生活をしていた時、特許局から出ている本を読んで、醸造のための化学式をなぜか暗記していました。軍から出向してその工場に住み込み、1年数カ月の間、手伝いをしていた。そうして終戦になり一発も銃を撃たずにすんだのです。

 −−毛布で体温計をこするとは、原始的な方法ですね。

 ▼もっとすごい人もいました。そのへんを走っているネズミのしっぽをつかまえてぶらぶらさせたかと思うと、食べてしまう。「気が狂っている」と病院に入れられましたが、今ではその人、社長さんですから。

 −−前線から逃げるため、死にもの狂いだったのですね。

 ▼出身中学からいまだに名簿が届きますが、僕に勉強を教えてくれた優しい生徒も戦死していて……。僕は助かった命を大切にしたいと思う。そう考えるのは非国民でしょうか。

 −−三國さんのお父様も、軍隊の経験があるそうですね。

 ▼はい。シベリアに志願して出征しました。うちは代々、棺おけ作りの職人をしていました。でも差別があってそこから抜け出ることができない。別の職業につくには、軍隊に志願しなくてはならない。子供ができて生活を安定させるため、やらざるを得なかったのでしょう。出征した印となる軍人記章を、おやじはなぜだか天井裏に置いていた。小さいころ僕はよく、こっそり取り出してながめていました。

 −−なぜ天井裏に置いていたのでしょう。

  ▼権力に抵抗する人でしたからね。いつだったか下田の家の近くの鉱山で、大規模なストがあって、労働運動のリーダーみたいな人を警察がひっこ抜いていったのです。おやじはつかまりそうな人を倉庫にかくまっていた。おふくろはその人たちのために小さなおむすびを作っていました。またいつだったか、気に入らないことがあったのでしょう、おやじは駐在所の電気を切ったりしていた。頑固で曲がったことの嫌いな人でした。

 −−シベリアから帰ってから、どんな職業に?

 ▼架線工事をする電気職人になりました。お弟子さんもできた。おやじは、太平洋戦争で弟子が出征する時、決して見送らなかった。普通は日の丸を振って、みんなでバンザイするんですが。ぼくの時も、ただ家の中でさよならしただけ。でも「必ず生きて帰ってこい」といっていました。

 −−反骨の方ですね。

 ▼自分になかった学歴を息子につけようと必死でした。僕がいい中学に合格した時はとても喜んでいた。ところが僕が授業をさぼり、家出して、金を作るため、たんすの着物を売り払ったりしたから、すっかり怒ってしまって。ペンチで頭を殴りつけられたり、火バシを太ももに刺されたりしました。今でも傷跡が残っています。15歳ぐらいで勘当され、それから一緒に暮らしたことはありません。

 −−終戦後はどんな生活を?

 ▼食料不足でよく米が盗まれ、復員兵が疑われました。台所まで警察官が入って捜しにくる。一方で、今まで鬼畜米英とみていたアメリカ人にチョコレートをねだっている。みんなころっと変わる。国家というのは虚構のもとに存在するんですね。君が代の君だって、もっと不特定多数の君なのではないか。それを無視して祖国愛を持て、といわれてもね。

 −−これからどんな映画を作りたいと思いますか。

 ▼日本の民族史みたいなものを作りたい。時代は戦中戦後。象徴的なのは沖縄だと思います。でも戦いそのものは描きたくない。その時代を生きた人間をとりまく環境のようなものを描こうと思う。アメリカの戦争映画も見ますが、あれは戦意高揚のためあるような気がします。反戦の旗を振っているようにみえて、勇気を奮い起こそうと呼びかけている。

 ◇国家とは不条理なものだ

 三國さんは名前を表記する時、必ず旧字の「國」を用いる。「国」は王様の「王」の字が使われているのがいやだ、という。「国というものの秘密が、そこにあるような気がして」

  「国家というのは、とても不条理なものだと思う」と三國さんはいう。確かにいつも、国にほんろうされてきた。代々続いた身分差別からすべてが始まっている。棺おけ作りの職業にとめおかれていた父親は、全く本意ではなかったろうが、シベリア出兵に志願して国のために戦った。そうして初めて、違う職業につくことを許された。この父との確執が、三國さんの人生を方向づけていく。

 学歴で苦労した父は、息子がいい学校に入ることを望んだ。しかし期待の長男・連太郎さんは地元の名門中学に合格したまではよかったが、すぐドロップアウトしていく。三國さんは「優秀な家庭の優秀な子供がいて、その中に交じっているのがいやだった。自信がなかった」という。

 時代も悪かった。中学には配属将校といわれる職業軍人がいた。ゲートルを巻いての登校を義務づけられ、軍事教練もあった。

 学校も家も息苦しい。だから家出した。中学2年のことだ。東京で、デパートの売り子と仲良くなって泊めてもらったこともある。中学は中退してしまう。父は激怒した。中国の放浪から帰ってきた時、勘当された。家の近くのほら穴で「物もらいと一緒に寝起きした」という。道ですれ違おうものなら、父は鬼のような形相で追いかけてきた。

 その後、三國さんが試みた徴兵忌避は、不条理な国に対する最大の抵抗だった。後ろめたさはない。圧倒的多数が軍国主義に巻き込まれていく中、染まらずにすんだのは、「殺したくない」という素朴な願いを持ち続けたためである。

 「国とは何なのか、死ぬまでに認識したい。今はまだわからないが、いつもそれを頭に置いて芝居を作っている」と三國さんは話している。

 

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