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我らと日本国憲法、共に1947年生まれだ。 死ねまへん!

自民党・維新の会・みんなの党が進める、「まず、96条から」は手続論か? そうではなく「国のカタチ」総体変更への入口だ。                                                                                                     両院で2/3以上で議決というハードルは異常か? 否! 米・英・独・仏・伊・韓を見よ。いずれも2/3に準ずる要件を課しているぞ!                                                                                                                       狙いは9条だけか? そうではなくすでに雇用・労政・教育・教育などの領域で、実質改憲を推し進めている者どもの、「憲法三大原則」={基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄解体の総仕上げ=公式放棄なのだ。                                                                                                                                      9条を含む総体変更・戦後民主主義の全面解体なのだ。「戦争」をできる国へ、天皇を元首とする民主主義否定の国へ、民の抗い・闘いを根絶やしにする国へ・・・・。それが「自民党草案」に堂々と書かれている中身だ。

現行憲法(青)と比較しながら、自民党草案(赤)が如何に「国のカタチ」変更・「憲法三大原則」解体への道であるか、あらためて見ておきたい。                                                                                                                                                  第一条:                                                                                                                【現行】天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。                                                                                                                                  【自民草案】天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

第三条:                                                                                                           【自民草案】国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。

第九条一項:                                                                                                               【現行】日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。                                                                                                           【自民草案】******最終行を変更********、国際紛争を解決する手段としては用いない(注:決意の削除)

第九条二項:                                                                                                                                                                              【現行】前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。                                                                                                                         【自民草案】前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない(注:集団的自衛権、米他同盟国の戦争への参加を想定)

第九条の二:(注:九条二項の削除に代わって新設)                                                                                                                            【自民草案】                                                                                                ①我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
②国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。 
③ 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。 
④ 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。 
⑤ 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。                                                                                                                                                                                                                  (注:その他の公務員{例えば国家公務員・府職員・教師} は国防軍の軍法会議で裁かれるのだ)

第九条の三:(注:総動員体制ですな)                                                                                                                                    【自民草案】国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

第十一条:                                                                                                                                                         【現行】国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。                                                                                                                                           【自民草案】国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。                                                                                                                                                                                                                                                                                                   (注:「妨げられない」を削除している。)

第十二条:                                                                                                                                                         【現行】この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。                                                                                                                                                           【自民草案】この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

第十三条:                                                                                       【現行】すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。                                                                                                                                                                     【自民草案】全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない                                                                                                                                         (注:十二、十三ともに公益・秩序というが、誰が決めるのか? 為政者が決めたその公益・秩序に反していれば尊重しないと言っている。)

第十九条:                                                                                   現行】思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。                                                                                               【自民草案】思想及び良心の自由は、保障する                                                                                     (注:「侵してはならない」という為政者への強い縛り感の削除)

第二十条:                                                                                                              【現行】信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。                                                                                             【自民草案】信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。 
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 
③ 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない

第二十一条:                                                                                                                             【現行】集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。                                                                         【自民草案】集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
② 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。                                                                                                                                                                  (注:「公益及び公の秩序を害する」ことを目的としていると為政者が認定した結社には、集会・結社・言論・出版その他一切の表現の自由を認めない、と言っている。そこでは、反原発デモ・イラク戦争参加反対デモ・辺野古移転阻止行動などあらゆる抗議運動・表現が、「公益及び公の秩序を害する」の一点で「認められない」のだ)

第二十八条:                                                                                                                     【現行】勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。                                                                                                  【自民草案】勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、保障する。
公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる。この場合においては、公務員の勤労条件を改善するため、必要な措置が講じられなければならない。

第六十六条二項:                                                                                                                               【現行】内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。                                                                                                   【自民草案】内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。                                                                                                     (注:元軍人OKと言っている。文民統制の空洞化)

第九十六条:                                                                                                                                                                                                                                【現行】この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。                                                                                                                                                               ②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。                                                                             第百条:                                                                                                                         【自民草案】 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。                                                                                                                                                                         (注:無効投票を量産し投票率50%を作り出せば、有権者の25%越で可決となる)                                                     ②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。                                                                                                           (注:「国民の名で」が消えている。)                                                                                                                         

第九十七条:                                                                                                       【現行】この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。                                                                                                                【自民草案】全文削除

九十九条:                                                                                                                【現行】天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。                                                                                      第百二条:                                                                                                                                 【自民草案】全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。                                                         ②国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。                                                                (注:憲法擁護義務の主体が、為政者と公務員から国民へと変更され、かつ天皇又は摂政という文言が削除されている。第一条で元首となっていることと符号するが、天皇は憲法の上に在るとしている。憲法が、国家と法を「縛る」最高法規であるという「立憲主義」の正面からの解体である。)

 

かつて国民を戦争へと煽った大新聞・テレビ等は、ここでも再び口を閉ざし、遠慮がちに「9条」だけを言っている。そうではなく「憲法三大原則」=基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄、の解体、国のカタチの総変更が着々と進んでいるとは、何故か言わない。                                                                                                                                岸信介の孫、安倍は「押し付けられた」史観DNAに基づき行け行けドンドンと走っている。事態は戦後そのものの否定とマスコミの協力の下、「改憲レース」第四コーナーを回っているのか?                                                                                                                                                                                            ジョン・ダワーは言っている(『敗北を抱きしめて』2001年、岩波書店)。                                                                                                                                           『押し付けたとすれば、日本国民とGHQ左派の「短期同盟」が、旧勢力に押し付けたのだ』と。                                                                                                 なるほど、今日の改憲勢力にとっては「押し付けられた」のだ。そういう者どもに「改憲」を「押し付け」られてたまるか!

 

ウチナー  と ヤマトゥ の 4・28

昨日(4・27)の知花昌一講演会(クレオ大阪北)で、氏は「私もついに『沖縄独立論』に立たざるを得ません」と語っておられた。                                                                                                        容易く「独立」を語る安逸さを排し、耐えて禁句を封印し、「沖-日連邦論」的可能性に生きて来た知花さん。                                                                 その彼にして切らざるを得なかった舵・・・。再び、三たび、四たびの「沖縄植民地」認識に基づく発言・政策・現実・・・。【添付画像は「琉球新報」】                                                                                                              戦争末期、1945年6月下旬、昭和天皇は当月初め御前会議で決定された「徹底抗戦」方針の軌道修正に乗り出し、連合国との和平交渉へ踏み出すこととなった。その際「和平交渉の要綱」の「条件」の項で、『国土に就いては、止むを得ざれば固有本土を以て満足す』とあり、固有本土の解釈は「最下限沖縄、小笠原、樺太を捨て」と説明されている。つまり、沖縄は日本の「固有本土」ではなく、和平の条件として連合国側に捨てられるものと位置付けられていたのだ。                                                                                                                                                                                                                              敗戦後の1947年9月19日。
新憲法の施行から、わずか4か月余りのときに、“象徴”であるはずの天皇は、マッカーサーに「米軍による沖縄の半永久的な軍事占領を勧める」という秘密メッセージを送っている。 日本国憲法の効力及ばない地域にとって、分割米軍統治を決めたサンフランシスコ講和条約・1952年4月28日とは、何の日なのか?           

今日のニュースから:  「戦後」「安保」「司法」を問う

砂川闘争

【 『毎日新聞』 昭和のニュース 1963年12月26日より】 砂川事件 
1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、検察側は高裁を飛ばして最高裁に上告(跳躍上告)。最高裁大法廷は同年12月に1審を破棄した。差し戻し審で7人の罰金刑が確定した。                                               【塾頭談】                                                                                                                        阻止線に阻まれたデモ隊の地元農民や青年会の若者の中から、期せずして沸き起こり唄われた歌が、                                                                                                         「赤とんぼ」だったというのは有名な話で今も語り継がれているぜ。 う~ん、天から降って来た未消化な外来歌よりうんとええと想ふ。                                                                                                                              

 

今日のニュースから

砂川事件、最高裁長官が「少数意見回避願う」

「読売新聞」 2013年4月8日(月)7時19分配信

 米軍旧立川基地にデモ隊らが侵入した「砂川事件」で、上告を受けた最高裁の長官が1959年、在日米大使館の首席公使に、公判日程の見通しや評議についての考え方を語っていたことを示す資料が、米国で発見された。

 これまでにも裁判をめぐって密談が存在したことを示す資料は見つかっていたが、研究者は「公判前に裁判長が自ら、利害関係のある外国政府に対して情報を提供していた証拠となる」としている。

 事件を巡っては、1審が「米軍駐留は憲法9条違反」として無罪判決を出した後、地検側が最高裁に異例の跳躍上告をしていた。

 新たに発見されたのは、当時の田中耕太郎・最高裁長官とウィリアム・レンハート・在日米大使館首席公使との密談内容を、ダグラス・マッカーサー2世・駐日米大使が米国務長官に報告した文書。最高裁の公判日程が決まる3日前の59年7月31日付で、密談の場所は「共通の友人宅」と記されている。

 文書で大使側は「同僚裁判官たちの多くが、それぞれの見解を長々と弁じたがる」ことが問題になると指摘し、これに対し田中長官が会談で「結審後の評議は、全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っている」と発言し、判決は12月になるとの見通しも語った、と記している。

 文書は「最高裁が政府側に立った判決を出すなら、新安保条約を支持する世論の空気は決定的に支持され、社会主義者たちは投げ飛ばされることになる」と結ばれている。

 

 

 

つぶやき: 経済界の悲願 解雇自由化を目指す新自由主義者たち

「解雇自由化ではなく、雇用支援策なのです。」って、ん?

裁判が無効とした解雇も金銭を払えば有効とする、?。 超法規、政治による法の破壊だ。                                                   世に蔓延する不当・無法な解雇に見る通り、すでに実質上、フリー・ハンドを手にしている経営者に                                                より一層解雇を容易くさせ、国家が「解雇自由」を保証する独裁制度だ。

では、働く者は何によって守られるのか?ましてや係争に及ぶ術を持たない、職場に抵抗組織・抵抗勢力の無い多くの勤労者は、「法」という最後の防衛線さえ剥奪されることになるというのか。                                                                                             「解雇を金銭で解決する考えはない」と3月下旬に衆院予算委で明言していた安部首相が答弁を修正。「裁判で解雇無効となった場合に、事後的に金銭を支払って労働契約を解消する制度は含めていない」と述べ、                                                                 否定(修正)したのは(金銭を払えば解雇できるという)「事前型」の金銭解決だったと説明し、4月1日の衆院予算委では、田村厚労相が「裁判で解雇無効となった労働者との契約を、金銭で解消するのは解雇ではない」と詭弁を説いた。                                                                                            解雇を巡る労使間のトラブルに事後的に金銭で解決する制度の導入を検討する意思を表明している。                                                                                              財界からの「成熟産業から成長産業への失業なき労働力移動を図る」という転倒した言い分は、得意の詐術だ。これまでも、「思いやり」や「自立支援」などの造語でことの本質を覆い隠す「屁理屈」を繰り返してきた常套法だ。

各界の言い分は、下記のごとく恥知らずだ。                                                                                                                                   『労働移動型の解雇ルールへのシフトは大変重要。金銭解決を含む手続きの明確化が必須だ』(産業競争力会議・竹中平蔵)                                                                                                   『雇用支援策を、雇用維持型から労働移動支援型へ大きくシフトさせたい』(同会議で安部首相)『再就職支援金である』(同・民間議員)                                                                                              『現在は解雇を金銭解決するルールがないので、裁判を起こせる大企業の正社員は多額の和解金(番組内でインタビューを受けてい経験者の例では2年分の年収)を得ているのに対し、中小企業の正社員は解雇予告手当の給与1ヶ月分しか得られない不公平がある』(みのもんた「朝ズバ」のゲスト論者)                                                                            誰が解雇という強制の下の再就職を願うか?!

何を転倒した言辞を吐いているのか!                                                                                                                                                                               そもそも、労組があろうが大企業であろうが、裁判に及ぶこと自体、どれほどの負担(精神的・時間的・経済的・人間関係的)の下の労苦によって成り立ち得るのか知っておるのか!? そして現行法制下で勝訴に至るは、どれほど「蚤の涙」サイズ巾ほどの隘路であるかを知っておろうが!?                                                                                                                                          彼らは、公務員バッシングに際し、「官民格差是正」という世論が、民間(の労働条件・賃金・福利厚生・他)をアップせよとはならず、「官」の水準を「ダウン」せよの大合唱に向かわせるに成功した。                                                                     ここでも「大企業正社員だけでなく、中小零細企業の社員も、有期雇用など各種非正規雇用の労働者も、労働組合に無縁の人も、不当解雇を問う裁判に訴え易い制度が必要だ」などとは言わず、「不公平だから裁判を上回る決定力の下に平等にしよう」と転倒論をブチ上げている。

ますます、職場に労働組合が必要な「現在(いま)」だ。

 

駄エッセイ: 徹夜現場 37年ぶりにH氏と再会。労働組合を想ふ。

2月は、ぼくに仕事を与えてくれている会社の大阪本社が大忙しで人員不足。「品川さん、2月いっぱい帰阪願えないかな?徹夜現場やけど・・・」と打診され、東京は現有勢力で何とか回りそうなので帰阪してその業務を受けた次第。                                                                                                                                                                                                                                                     1月末に帰阪、3月2日まで大型商業施設内で全国展開の有名なレディス・ファッション店、その改装工事現場管理を二店舗手がけることとなった。                                                                                        いずれも、同フロア近隣店が営業中ゆえ、仮囲しての夜間工事。高齢者(?)たるぼくが21日間に、二店舗の工期差の三日を除き、計18日間徹夜というハード業務に臨んだ。まぁ、昼間は寝るのだし、この業界では「普通」に誰でもしていることなので、高齢(?)に加え健康にやや問題のあるぼくにはいささか「ハード」な業務だというに過ぎないのだが・・・。                                                                                 工事は、若干の手直しはあったが無事引渡し、ここ数日はダラダラ寝ている。が、カラダが元に戻らない。

                                                                                                            気になっていた人との 37年ぶりの再会                                                                          

一つ目の現場でのことだ。現場では概ね、深夜0時前後と3時前後に休憩を取るのだが、休憩は地下の荷捌き場近くの駐車場内に設けられた「喫煙所」で取ることになっている。                                                                                    ある夜、職人さんたちと休憩・談笑していると、後ろからポンポンと肩を叩かれた。「品川君やないか?久し振りやなぁ~」                                                                                                                          振り返ると、忘れはしないが普段ほとんど忘れている人の顔が在った。その人物:H氏への感情は「悔い」のような「申し訳ない」ような、何とも形容し難い感情だ。謝りたいようであり、謝ったのでは「したこと」の大義(?)が崩れるようであり・・・複雑な感情だ。H氏は、昔、ぼくが勤務していた会社の係長であった。                                                                                          こういうことだ。                                                                                                                                            1975年、ぼくらは労働組合を結成した。結成時の加入率は80%を越え、係長職も加入し、結成当時は誰もが、組合が職場を差配し労働を仕切り職場の「風土」を創り出す、つまり職場秩序を領導するだろうと信じていた。が、会社の「組合否認」(例えば、社屋内に組合事務所を設置させない、社内集会を認めない、など)に遭い、結成した組合の「成果」はおろか、その存在の意味さえ社員・組合員自身に示し刻印すること成せず、労働組合論・労働運動論をあれこれ論じたり実践する前の入口で右往左往していた。だから、産業民主主義(?)内の企業があり、「まとも」な労働組合がある、両者が渡り合い職場風土と労働文化を創ってゆく・・・、そのような「まとも」(?)な関係は望むべくもなく、知りもしない。労働組合論・労働運動論を論じ語っても、どこか三段跳びの空論になりがちの幼い組合だった。                                                                   会社の度重なる「組合否認」に業を煮やしたぼくらは、やがてストライキで対抗する。スローガンは単純明快「労働組合を認めよ!」。                                                                                                                                                                               当時、ぼくは28歳、係長職の人々も多少年長でもぼくと左程変わらぬ年齢であった。                                                             係長職とは、数万円の係長手当があるだけで、収入もぼくらとさして変わらず、過重な責任だけが圧し掛かる、「責任や義務」と「収入や決定権」との不釣合いという「中間管理職」(いや今思えば「名ばかり管理職」だったのだ)の悲哀の中に居たと思う。もちろん、ぼくを含む若いヒラ社員・組合の威勢のいい連中は、そこの労苦に気付きながら、それを「解かってしまう」ことの先に間違いなく棲む、労働組合の大義(?)に敵対してしまふことになるだろう「会社の理屈」を警戒してか、「ご本人がこの股裂き状態の決着を決断するしかない。会社の側に立つのか、それとも労働組合の側に立つのか、を・・・」という暗黙の理屈を抱え手放さず、深く議論することを避け続けた。思えば、余裕もなく若かった、・・・のだろうか。                                                                                                            係長の何人かは組合を去り、ストライキの場面を迎えることとなる。                                                              H氏は、なお組合に留まり続け、ストライキが「組合事務所無償貸与」「社屋内集会の届出制による承認」「組合掲示板の無償貸与」を勝ち取ったことと、返す刀の「社内秩序の著しい妨害」を理由とした三役への一週間出勤停止という会社側の処分発令を見届けることとなった。                                                                                                        ぼくら三役は、処分は司法罰でも行政処分でもなく、公務員の処分と違い一企業内の「私的」なものであり、履歴の汚点や将来に何らかの不都合があることとも思えないので、「オイ、これで処分撤回闘争ができるぞぉ」などと気楽に語り合っていたのだが、H氏にとって、処分とはそんな「ごっこ」ではなかった。聞き及ぶところではH氏は「処分取消し」を求めて孤軍奮闘、単身会社と掛け合い、管理職連中に同意者を探しあぐね、役員の自宅を訪ね、日夜奔走したらしい。                                                                                                                                                                                                                                                                                                           処分は、個人的に役員宅を回り「取消し」依頼するものではなく、「正規」に「闘い」によって「撤回」させるものだ、と、そう考えていたぼくたちは、H氏の「徒労」を漏れ聞き及んではいても、何ら応答しなかった。                                                                                                                                                                                                                            出勤停止処分の最終日の土曜日、H氏から「明日、日曜日、うちの家に来てくれんか?」と誘われ、何も考えず三役そろってご自宅を訪ねると、何と奥さん手製のそれはそれは豪華な料理が、臨時に二つ並べた食卓に、所狭しと並んでいた。H氏は深々と頭を下げ「とうとう会社は、処分を貫徹してしまった。止めさせられんで申し訳ない」と言い、目を真っ赤にしているではないか! ぼくらはただ唖然として聞き入っていた。                                                                                                                           やがて、会社は「警備課」と名付けられた暴力的組合対策課を設置し、日夜女子組合員などに執拗な嫌がらせを繰り返し、ひるまぬ組合と会社との攻防は激しさを増し、組合は翌1976年春、ピケット・スト(会社が暴力部隊を動員、組合もバリケードで応戦)に突入する。処分撤回は、そのストの要求項目のひとつではあった。                                                                                                   76年のこの会社の暴力は朝日・毎日などが大きな記事で取り上げることとなり、組合は58日間、社屋バリケード封鎖を続けた。                                                                                           世(労働運動世界、それも大阪市内東部という狭い世)に「****58日間闘争」として語られることとなる。                                                                                       H氏がどの段階で会社を辞めたのか・・・、記憶は不確かだが、このストのときにはすでに居なかったと思う。現場地下の喫煙・休憩所での再会。H氏は「あの処分の時、何もできんでスマンかったなぁ」とは言わなかったが、ぼくら組合への「負目」のようなものを漂わせる表情で「元気そうで何よりや」と言って、やや苦そうにタバコをくゆらせた。                                                                                               「今日が最終日の現場をちょっと見に来たんや。この業界から抜けられんわ、ハハハ・・・」                                                                                                                      たぶん間もなく70歳だろうH氏。どこかの同業企業の経営者か幹部なのだろう。何故か互いに名刺を差し出すことなく別れた。                                                                                                               「元気でな。またな」「Hさんもお元気で・・・」。 ぼくには、H氏に「ぼくらはこれこれのことをした」と言えるものは何も無い。「負目」?それはこっちだ。                                                                                                                                                                                                                                                            だが、その感情の思想的な位置付けが出来ない。それを探して、労働組合、争議、バリケード・スト、自主経営、その後の迷走、をして来たのではなかったか。探すものを明確に自他に示せれば、思想化できないH氏への感情を相対化し、探すものの袖に触れられるだろうか?                                                                                                                    地下荷捌き場の横の人用の通用口ではなく、車輌が下りて来る長いスロープを歩いて登るH氏の後ろ姿を見送った。このH氏のような、報われることも、カタチをなすこともない、ある「誠実」こそが、社会の危機や曲がり角で、最後の力を発揮することになるのではないだろうか。そう信じたい。                                                                                                 このピケット・ストから一年後の1977年、明確に「組合潰し」政策を繰り返し暴力労政を布いた会社は、それでも潰れない組合への最終兵器「会社破産」をもって応じた。                                                                                        組合は、社屋バリケード占拠・自主運営をもって応える。その物語は、1982年までの5年間の職場バリケード占拠、その中で開始した自主運営企業の悪戦と、20年後1998年のその企業の破産をもって幕を閉じる。                                                                         いや、閉じたのか?                                                                                                                                                                                                                            H氏との再会が告げているのか、「どんなに微力でもお前には為すべき宿題がある」とどこかから聞こえる声を聞いた。                                                                                                       喫煙・休憩所を離れ、6F現場へ上がるエレベーターの中で、37年間の明暗に棲む「意味」を言葉化できないことの罪を噛み締めて、込み上げるものを自覚していた。                                                                                                                                                                                                                                                        働く場の秩序・風土を働く者の自立・共助の中で創り出す、その為に是非とも労働組合は必要であり、また働く者にはその能力がある。非正規雇用者を含む若い人たちにそう伝えたい。それは、政治性や政治課題から逆照された事柄ではなく、まずは「働くこと」の奪還・復権の話なのだ。                                                            思えば、ぼくらは、あれやこれやの組合論・労働論・社会論・運動論の入口の入口で、出発地の「労働組合を認めよ」というただその一点を抱えて、時間と労力と生活を費やし、家族やこの係長や周囲の人々の「心労」を横に見て、稚拙な闘争に終始したのだ。何らの実りがあったわけではないが悔いてはいない。                                                                                          悔いているのは、企業が健在だった時期に「まっとうな」組合が生きて存在している時間と空間を得られなかったという事実だ。職場に「まっとうな」労働組合を創り、働くことの自立・自律を展望する労苦には、それだけの価値がある。若い人々にそう伝えたい。

【推薦】                                                                                                                         熊沢誠著:『労働組合運動とはなにか──絆のある働きかたをもとめて』(岩波書店、2013年1月、¥2205)                                                                                                                                                             書評: http://www.amazon.co.jp/review/R3GTQ7EZEV5TCJ/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4000025961&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

 

ぼやき: 桜宮高校バスケ部キャプテンの「過労」自死と 『教育再生会議』

「体罰」を生み出す社会・思考・制度を推進する者たちが、何言うとんじゃ!。

大阪市立桜宮高校の強豪チーム、バスケット部キャプテンが自殺した。顧問の度重なる「体罰」に耐えかねての自死だということは、遺書や他の部員自身の体験や目撃談からも明らかだ。顧問の、名門クラブの水準を維持したい・維持しなければならないという強迫観念と、関係者(父母・OB・バスケット指導業界など)の評価を高めたい名誉欲と失敗や不出来への苛立ちが、集中してキャプテンに体罰を加えるという形で常態化していたようだ。「一罰百戒」と言う名の「軍隊式恐怖統治論」だ。                                                                                    熊沢誠著『働きすぎに斃れて』(2010年、岩波書店、¥3200)に登場する、本社のモーレツ主義管理職に追い立てられ、現場のメンバーを統率し、寝る間を削って率先して多分野の業務をこなし、その激務に斃れた、外食産業の「名ばかり店長」の無念の自死を想いおこした。現在、日々労働現場で起きている「強制過労死」の「学校スポーツ版」に思えた。社会を覆う、連帯責任・成果主義・共助の解体・自己責任論に通じる問題なのだ。                                                                                                                    たまたまぼくには、近親者に二人、体育クラブ顧問という立場の者がいるのだが、強豪でも名門でもない公立中学・高校の教師だ。時には強豪を倒したり、県大会で勝ち進んだりして、部外者のぼくなども大いに盛り上がりもするのだ。彼らは、強豪校・伝統校なる部の顧問の重圧は想像できると言っている。「しかし体罰はなぁ~・・・。有効ならOKと言うわけやないけど、そもそも効果ないで」とも言っている。                                                                                                                                                            その近親者二人は、中学時代「アンチ体罰思考」の顧問(そのチームは中学校としてはその競技の名門だった)に出会い永く指導を受け、今も親しくお付合いしているそうだ。その顧問との出会いが職業選択にも影響し、人生観の基礎を作ったとも言えようか…。

この事件に「出番だ!」とばかりにシャシャり出て「体罰」を口撃なさる市長:橋下維新代表だが、あんたの「全面服従強制」「思想信条良心の自由の否定」「課罰主義」「密告奨励」は、肉体的暴力は伴わないが、つまりは「学校体育クラブ」における「体罰」をさらに陰湿化した統治ではないのか。そんなあんたに「ぼくはラグビー部での体験から言うのですが、体罰なんか効果ないんですよ」などと言って欲しくない。                                                                                             『体験から言うのですが、「一握りのレギュラー」ではない部員、つまり市民・住民と直接接し向き合う、「キャリア幹部・エリート」ではない職員が、活き活きと働く場を作り出すことの意味や方途を考える道筋を、今回の事件は教えてくれます』といったコメント出してみなされや。

元巨人の桑田投手の発言:                                                                                                         今回の自殺問題に関し、桑田さんは2013年1月11日のNHKインタビューで、
「小中学校時代は練習で毎日殴られていた」と話す桑田さんは、その経験を踏まえて「私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました」「よく体罰は愛情だと言いますが僕は愛情だと感じることはなかった」と強調した。その上で、体罰は手っ取り早い安易な指導法であり、「いろんな角度から説明する指導方法のほうが難しい」「僕は体罰には反対です」と明言した。                                                                                                                        

安倍首相も教育再生会議のメンバーも、この事件に言及して「体罰の一掃」などとほざいている。ちょっと待ってもらおう。                                                                                                                                                       教育再生会議(再生という名は例の「取り戻す」論の教育版ですか? どこへ向けて、どう再生するん?)の新メンバーを見て驚き。                                                                                              侵略戦争肯定の「新しい歴史教科書をつくる会」元会長。男女共同参画を攻撃する反「ジェンダーフリー」急先鋒 八木秀次高崎経済大教授。                                                                                           沖縄戦での集団強制死はなかったとする著書を出版し、教育現場での「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を主張した 曽野綾子氏。                                                                                                               改悪教育基本法に「愛国心」を盛り込むことを主張した全日本教職員連盟委員長の 河野達信氏。など・・・                                                                                                                            「靖国派」「つくる会」が名を連ねている。安倍政権の公約である教科書検定基準の「抜本的な改善」への布石だ。                                                                                                                                                          ところで、『南京大虐殺は無かった』 『「従軍慰安婦問題」に日本軍は関与していない』 『沖縄の集団強制死に軍の関与は無い』などなど、                                                                                             それらはどれもみな、暴力と強権による支配が起こす、人権抑圧・思想と行動の強制・究極の「体罰」(罰ではないが)じゃあないのか!?。                                                                                                      この人たちに今回の事件から教育云々など語る資格はない!自国の歴史と真摯に向き合わないところに教育も無い。                                                                                                  

【21世紀辞書:た行】                                                                                           体罰:                                                                                             伝達能力向上への努力・工夫を怠り、その研鑽に努めない者が、
暴力・体力・財力・地位力などを総動員して 私心を遂げようと行使する物理的強制力のこと。                                                                               体罰、それ罪なきゆえに罰にあらず。一種のハラスメントなり。
また、橋下大阪市長の、予算執行権・人事権を武器にした桜宮高校体育課入試中止や教員総入替                                                          という強権対処こそ、言葉の本源的意味合いにおいて、真性体罰なり。
                                                                                                                                         

                                                                      

たそがれ映画談義: パリ・コミューン序章としての  映画『レ・ミゼラブル』

十九世紀のフランス(に限らずヨーロッパ近代史全般)の歴史に不案内だ。が、半端知識でもパリ・コミューンには格別の思い入れがある。                                                                                                                     72日間という短期間とは言え、パリ・コミューンそれは人類史上初の市民による「自主管理政府」なのだ。                                                                                                                                                                                    映画のポスターに十九世紀パリの街頭バリケードを見ただけで、何やら身の底から無条件にせり上がって来る熱いモノを自覚するのだ。                                                                                                                                       ガキだと哂うてくれても、ビョーキだと思うてくれても結構。映画『レ・ミゼラブル』に関して、誰が何を想い何を言おうが、本来知ったこっちゃない。                                                                                          だが、この映画のテレビCMでは、時代に媚びるを信条とするA元氏が笑顔で推薦の辞を述べている?! お前さんだけには語って欲しくない。                                                                        パリ市民の希望も熱情も無念も、ヴァルジャンの苦難も挑みも、ユーゴーの「理想&失意」も「関与&撤退」も、あんたとは無関係だ。いや真反対だ。                                                                                                                                                                                                                                                   引き続きエセ・サブカルを量産し、AKB騒選挙を演出し、在位*周年祝典賛歌などを作っていなさいよ! 一体どの視点から、推薦してるのだ?                                                                                                                           【1789年人権宣言から1871年パリ・コミューンへ】                                                                 バスティーユ襲撃や「人権宣言」で有名な大革命は1789年?、ナポレオン帝政、ナポレオン退位と復権、1815年ワーテルロー敗戦とナポレオン完全失脚、1830年の七月革命、1848年「二月革命」第二共和政、ナポレオン三世の登場、1870年普仏戦争、1871年パリ・コミューン。王政・共和政・帝政・王政・共和政の入り乱れた繰り返し・・・、ややこしく、ぼくには断片的にしかインプットされていない。                                                            映画パンフレット(「レ・ミゼラブル」全体への受止めが違うからか、知りたい分野が書かれていない)を読み、他の情報・資料で後追いすれば、映画の背景時のフランスとは、1830年の「七月革命」によって、シャルル10世退位、11月からラフィット内閣が「国民王」ルイ・フィリップを戴くという奇妙な「立憲君主制」(明治は立憲君主制やで)の治世だったとわかったし、1871年のパリ・コミューンへの大まかな道筋を知った。                                                                                           映画のクライマックスの市街バリケードはその不安定政情下の18326、親共和派のラマルク将軍の葬送行進を期に共和派が起した、パリのラ・シャンヴルリー通りの短期に鎮圧された暴動(蜂起)のシーンだ。「六月暴動」とも「六月革命」とも呼ばれるそうだが、学生などが中心で広がりに欠け、準備や彼我の力関係分析が不足した、早すぎた(?)、性急な行動だったと言われているらしい。作品と現実をミックスして言うなら、その1832年「六月暴動」の時の子供たちこそが、40年後1871パリ・コミューンの自主管理政府を成したいい年のおじさん達なのだ。二十歳だった青年は60歳を前にしてコミューンを見たか。40年というのがどれくらいの時間かと言うと、1970年前後から今日辺りまでという訳だ。                                                                                                                         映画の時間帯の後、1848年には国王ルイ・フィリップを国外に追放する「二月革命」が成り第二共和政がスタート、男子普通選挙法・国民議会選挙・穏健共和派圧勝・大統領選挙(ルイ・ナポレオン圧勝)。1852年、この大統領ルイ・ナポレオンが「ナポレオン三世」として即位、第二帝政がスタート。  ん?ややこしいのぉ~~                                                                                                                                             1870年7月、プロイセンに宣戦布告。9月ナポレオン三世捕虜に、国防政府成立、年末からプロイセンによるパリ完全包囲、パリ飢餓寸前、71年1月28日フランス降伏、3月18日パリ市民降伏拒否・蜂起、自治政府=パリ・コミューン成立(参照: http://www.yasumaroh.com/?p=15496 )。                                                                                                                              3月26日コミューン議会選挙、28日コミューン宣言、5月21日、国民議会派軍がパリ市内入城。コミューン軍は善戦したが、5月28日の戦闘を最後に力尽きる。パリ市民・コミューン関係者多数が虐殺され(通説:3万人)、セーヌ川の水が赤く染まったと伝えられている。逮捕者4万人、内処刑多数(四桁が通説)。72日間の市民自主管理政府は斃れた。 が、その遺産は現代に引き継がれ生きている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      パリ・コミューンの遺産=「婦人参政権」「無償義務教育」「児童夜間労働禁止」「政教分離」「主要公職公選制」など 

【行動する知識人:ヴィクトル・ユーゴー】                                                                                       さて、ヴィクトル・ユーゴー自身は、1845年に『レ・ミゼラブル』執筆を開始、1848年「二月革命」後に中断、第二共和政の国会議員になったりして、現実政治にコミットした。選挙で圧勝し大統領だったルイ・ナポレオンが議会に対して起した1851年のクーデター(議会解散、大統領権限拡大)後、逮捕を避けんと印刷工に変装して海外に脱出=亡命。翌52年ルイ・ナポレオンがナポレオン三世となって帝政が始まるや「第二帝政が倒れるまでフランスの地は踏まない」と宣言した。                                                                                                                            51年のクーデターは、ルイ・ナポレオンが、比較的権限が弱かった大統領職の「決められない政治」を嫌い「議会は邪魔だ」として起したもので、「決められる政治」を標榜して「手続」「権限」の変更を叫ぶ、21世紀某国の新興政党の主張とどこか似てません?                                                                                                                                                                                                                                                             で、『レ・ミゼラブル』は1862年に完成した。発売を待つパリ市民は発売当日行列を作って歓迎、「仲間が金を出し合って一冊購入し、クジをして当った者がみんなの回し読みが終わったあと自分のものにするそうです」とパリ在住ユーゴー夫人がユーゴー亡命先へ送った手紙があるそうだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ちょいと余談だが、高校時代に、天正三年(1575年)本多重次が、長篠の戦の陣中から妻に宛てた手紙「一筆啓上火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」を「日本一短い手紙」と習った(憶えてます?元高校生諸君!)が、その時一緒に国語の教師から「世界一短い手紙」の例として聞かされたのが、売れ行きを心配していたユーゴーが、亡命先から出版社へ送った手紙だった。                                                                                                                                                                                                            その文面は「?」のみ。粋な出版社が、何と「!」のみのシャレた返事を返した。 お見事!!                                     1870年7月、普仏戦争が始まり9月2日、ナポレオン三世がプロイセンの捕虜となり、翌々4日にフランスが共和国宣言をすると、帰国のタイミングを計ってブリュッセルに待機していたユーゴーは、翌5日にはパリへ向かう車中に居た。市民自前の政府を構想する者のバイブルとして『レ・ミゼラブル』を読んで来た大群衆の歓声に迎えられ、パリ北駅に帰還したユーゴーは、出迎えの女性文人(28歳の才媛で、その後には愛人だと・・・。この時ユーゴー68歳。羨ましい{笑})と仮居へ向かう途中、四度にわたり民衆の歓呼に応えバルコニーや四輪馬車の上から街頭演説をし、民衆蜂起を促し鼓舞した。仮居に落ち着くと、早速、普仏両国民に和平・不戦を呼びかける文書や、パリ市民に徹底抗戦を訴える声明などを発したりした。                                                                                                                                                                                                     秋、プロイセンによるパリ包囲が始まり、翌71年1月28日、国防政府は降伏する。2月8日、国民議会総選挙でユーゴーはセーヌ県43名中2位で圧勝当選。ボルドーで開催されていた国民議会で絶対多数の王党派の攻勢を受けて嫌気が差したのか、国民議会に未来なしと見切って違うことを展望したのか、議員辞職。共和派のリーダーが何すんねん?と非難殺到。同13日、長男シャルル死亡。18日パリに遺体を運び埋葬。その3月18日にちょうどコミューンが成立。                                                                                                                                                    3月26日のコミューン議会選挙に立候補したユーゴーは、先日の国民議会議員辞職も影響したのか、ユーゴーの言い分が民衆独裁を目指す多数派に比して「中間派だ」との烙印を押されたのか、コミューンの熱狂の中でともかく落選。やがて、パリ北駅への華々しい凱旋から6ヶ月半、ユーゴーはパリを脱出、ブリュッセルへ。ブリュッセルで、パリ・コミューン72日間の最後5月末の「血の週間」の亡命者を匿うと表明。ベルギー政府の怒りに触れ国外退去命令。                                                                                                                                                          『レ・ミゼラブル』において、1832年6月の蜂起に人々による政府への希望と可能性を描き、1848年の国民議会には自ら国会議員として立ち、その後のナポレオン三世の帝政に抗い亡命生活を続け『レ・ミゼラブル』を執筆し、1862年にその『レ・ミゼラブル』を完成させ、市民喝采の中で出版し、1870年9月対プロイセン戦争敗色濃いパリに大群衆に迎えられ凱旋、翌71年2月国民議会立候補圧倒的票で2位当選、多数派=王政派との攻防の疲労、共和派内の齟齬などから辞任、3月26日コミューン議会選挙で落選。パリ脱出。コミューンの中枢を批判する言論多数。コミューン陥落後、亡命者支援を計画。                                                                                                      以上が、パリ・コミューンとヴィクトル・ユーゴーとの交差の概略である。                                                                              (その後のユーゴーの足跡は 各種研究書に詳しい)                                                                                                                                                                                         

【民衆ではない民衆主義者の隘路】(保守派=王党派と民衆原理主義に挟まれた理想主義者の悲哀)                                                                             ユーゴーはパリ・コミューン全体について、知識人らしい精一杯の関与と違和感と忸怩たる失意とをまとめて、まだコミューンが生きていたさ中に語っている。コミューン選挙での落選という不快事実が影響してか、コミューン推進者(選挙当選者)の大部分に対し「無知・無学」呼ばわりするという、いささか冷静を欠いた批判になっている?                                                                                                                                                  『ヴィクトル・ユゴーの政治意識と教育観』(学習院大学:川口幸宏論文 http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~920061/hugo01.htm )より転載。                                                                                                                                                   『4月28日付書簡でこう言っている。「3月18日以来、パリは、よくないことには、無名の人たちによって、しかも、さらに悪いことには無学の人たちによってリードされています。どちらかと言うと先導的でないついて行くタイプの幾人かのリーダーを除いて、コミューンは無識です。」ユゴーは、フランスは精神でパリは頭脳だとする。「ところが、パリ・コミューンではフランス国民会議多数派(王政主義の多数派)はフランス(精神)を知らず、パリのコミューン議会はパリ(頭脳)を知らない。(ユゴーが落選した)3月26日の選挙で当選した議員は、ごく一部を除いて無名であり無学である。とうてい「頭脳」パリをリードできる能力などない」としている』                                                                                                                   民衆に期待し、民衆の可能性を称えたはずのユーゴーが、民衆への失望によって打ちのめされている。ユーゴーの言い分は、果敢に現実政治にコミットした「行動する知識人」としてのある「重み」を持ったもので、「無知」「無学」は確かにそれ自体が民衆の自治の「敵」だろう。そこに、ユーゴーの『教育論』の核心もあるのだろう。                                                                                                                                           確かに今日、学歴や偏差値や国・産業界からのみ評価される「知」や「学」ではなく、ユーゴーが期待した「知」や「学」、つまり真の意味での「知恵」「識知」「道理」「自尊・他尊」を民衆の側が築かないことには、21世紀にも居る善意の(悪意や仮面はそもそも除外)「知識人」「口先に見えてしまふ評論家」「心ならずも、失意と違和感を抱えて撤退」という、ユーゴー風知識人の言動・対応を云々など出来ないのではないか?                                                                                           民衆の自立という時、民衆を云わば「甘やかす」(語弊があるが)論にはぼくは立てない。だから、山田洋次(実は、大好きなんですよ)的民衆性善説にも、まるでイチャモン・ケチ付けの類の異論を吐いて来た。民衆(好きな言葉ではないが)自身が自らの「無知」「無学」に自省的でないなら、そこにユーゴー批判が生きたものになるはずもなく、民衆による「革命」など空恐ろしいシロモノだぁ~。                                                                                                         そうした、ぼくの言い分は別にして、映画『レ・ミゼラブル』は一級の出来だと認めたい。壮大な、社会変革のユーゴー風基本綱領を人間ドラマでもって描いて見せた。手抜きの無い画面はただ圧倒されるばかりだ。原作(読んでませんが)からの因子だろうアレコレの奇妙になど拘る間もなく畳み掛けられた迫力には、「勧善懲悪」「お説教」を超える原作者の意志を感じた。                                                                                                                            そして、ユーゴーが『レ・ミゼラブル』に示した民衆への期待、作品発表後に遭遇したパリ・コミューンへの肩入れと失望を貫いて在るのは、あの価値観、あの信仰、と言っては不適切なら確信、ではないのか?

【歴史は、一個人に全社会的課題を背負わせること・解決を依頼すること、その危険と無理を示して来た】                                                                                                                  マリウスを肩に担いでパリ下水道を行くジャン・ヴァルジャンは、ゴルゴダの丘へ向かうイエスを連想させ、ヴァルジャンを次々と襲う苦難からは、「原罪」「試練」というキリスト教概念が浮かぶ。その大苦難を越えて行くヴァルジャンは民衆とイエスの中間に位置する超人でもあるのだ。                                                                                     けれども、ぼくは思う。ユーゴーが民衆に期待しながら、パリ・コミューンの人々を無知・無学と罵る(我慢を重ねた挙句だとは思うが、そして無知・無学と呼ぶしかない無理難題に日々まみれたのだとは思うが)のに対して、ヴァルジャン的超人への期待(と言うより信仰)が不変なのは、民衆による社会変革への確信よりも、超人による社会変造を信用しているからだと、言えはしまいか?                                                                                               神格化された政治権力者や、全知全能真理教の教組や、熱狂的に迎えられる新興党の党首に、自らの未来への航路の操舵を委任したりはしないという智恵が、たぶん近代最大の獲得品だと思うのだ(いや、獲得出来ていないのか。映画『エ・ミゼラブル』の同時代1832年から180年、ぼくら現代人は何を学んで来たのだろう)。                                                                              その理路の門前で立ち尽くしたユーゴーこそは、「近代」そのものだと思う。                                                                                   ユーゴーの理想と限界、十九世紀民衆の熱想と21世紀民衆の沈黙、対比されるべき二つの実態が、あの素晴らしい映像の中で衝突していた。ならば、これは、ひとつの挑戦状なのだ。さらに、ユーゴーへの質問状だ。それは、そのまま、ぼく自身への問いでもある。                                                                                                                       『ユーゴーさん、あなたは1832年六月蜂起の若者を支持し、ヴァルジャンをバリケード・シーンに登場させたりしました。一方、現実のパリ・コミューンでは、違和感を持ち失望のうちに去ります。では、パリ・コミューンの序章たる1832年六月蜂起と起った人々への支持・共感を削除訂正や加筆修正しますか?』                                                                                                                            さらに言うと、各登場人物個人の苦難も悲惨も受難も「実は社会的なんだよ」と示しながら、その課題とその乗り越えを超人ヴァルジャン一人に負わせ過ぎなのも、ある価値観ゆえだと目星が付く。それは辛いし困るのだ。ぼくを含め、個人の受難の殆どは社会的な理由に因るのだと考える者の多くは、今では、その解決への方法と答えは、一人の超人でも唯一絶対の教義でも非寛容な教条でもなく、人と社会との・人と人との多様な「関係性」の中にこそ在ると考えている。                                                                                                                                                                                                    

【女優さんのこと】                                                                                                                    

 

最後に役者のことですが、                                                                         ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウは安定して堂々の二枚看板。                                                                                   女優は、86年『眺めのいい部屋』(今正月再映するらしい)でヒロイン:ルーシーを瑞々しく演じ、一昨年『英国王のスピーチ』でジョージ6世夫人エリザベス(これ素晴らしいのです)を演じたヘレナ・ボナム=カーター。                                                                                                 ファンティーヌ役のアン・ハサウェイはゴールデン・グローブ賞助演女優賞受賞だと。                                                                                             予告編を観て興味を持ち映画館へと出かけた『クロエ』の女優:アマンダ・サイフリッドがコゼットを演じていて、えっ?と驚き。                                                                               エポニーヌ役の女優:サマンサ・バークスはスカーレット・ヨハンソンと争って勝ち取ったそうで、なるほど輝いていた。彼女はええね。

 

                                                                                                                                              リンク映画:                                                                                                                                                                                                              『アデルの恋の物語』(1975年)                                                                       ユーゴーの次女の破滅的恋の物語。                                                                                               ユーゴー亡命中に知り合ったイギリス軍中尉を追って、単身カナダへ、・・・。                                                                                                                                                         監督:フランソファ・トリュフォー 主演:イザベル・アジャーニ。                                                                                                                                   http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id923/ イザベル19歳の鮮烈。                                                                                                              

『眺めのいい部屋』(1986年)                                                             20世紀初め、イギリスの良家の子女がイタリアへ旅行し・・・。                                                                                                                        『日の名残り』のジェイムズ・アイヴォリー監督、ヘレナ・ボナム=カーター主演。                                                                                                                                        どういう訳でか再映: この1月12日からニュー・プリント版で、 テアトル梅田にて                                                                                                      http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD545/index.html

衆院選雑感。都知事選雑感、信州大全共闘議長 VS K大全共闘有象無象

自公で2/3、自・維新でも2/3。「戦後レジームからの脱却」とやら(は各分野で進行しているが)の、その仕上げが始まるのか?

どえらい選挙結果だったが、小選挙区制では前回の民主党圧勝を含め想定範囲内だそうだ。比例区での得票率は、民主は前回2009年の42,4%から15,9%に激減、自民は前回の26,7%と左程変わらぬ27,6%。その比例区の獲得議席は前回民主が87議席・自民が55議席、今回自民が57議席・民主が30議席。小選挙区では維新やみんなの党などが乱立して票が分散し、結果自民が圧勝(得票率43%で、8割:237議席獲得)したそうな。で、小選挙区・比例区合わせてあのような全体の議席配分。民主・社民の大惨敗というのが正直な結果だろう。それ以上の分析や解説は、説の当否は別にして、結果事実については各紙の語る通りだ。                                                                                                                    低い投票率はもちろん「自民や他党には入れなが・・・今回は棄権」とする民主党政権への消極的否定の意思表明でもあるだが、比較的良質の記事を書き続けている東京新聞はその批判票の受け皿が無いことへの辛口の提言よりも、この選挙結果への疑義の矛先を選挙制度の欠陥に集約したと誤解されかねない言い分を述べている。民意など反映していないと言う訳だ。曰く「自民は有権者総数の僅か16%の支持で、六割超えの議席を獲得した」(比例区得票率27,6%は、有権者総数の16%だという苦しい言い分)・・・。                                                                             しかし、維新・みんななどの得票を加えて俯瞰すれば、自民善戦、維新・みんな躍進というのが正直な概観であり、国民が全体として「ふた巾」分ほど右へシフトしている昨今の世情、尖閣・竹島から国家主義・排外主義の蔓延、安倍・橋下・石原らの主張、それらが一体となって進む景色が迫って来るばかりだ。選挙制度云々(小選挙区制にはぼくはもちろん反対だが)に集約しては、今回の選挙結果の相貌は見えて来ないように思う。                                                                          すぐに、休止中の原発再稼動・新規原発建設・尖閣竹島を活用した軍事・防衛予算の増額・公務員異常統治の全国化(大阪維新の会方式)・一層の競争原理主義推進・雇用と労働のルール見直しの停止などがスタートし、安倍は祖父からの悲願「自主(?)」憲法に向けて走り始める。来夏の参院選挙で両院2/3を達成したいのだ。すでに予告通り、憲法96条(改憲発議に衆参両院の2/3の賛成が必要)の変更(過半数でOK)を提案、維新は賛成を表明している。

流れを変える為に、あらゆる勢力の「連携と結集」が求められる。

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信州大学全学共闘会議議長と石原後継受命者、その両立の怪。

東京新聞は同日に行なわれた都知事選挙に触れ、12月18日朝刊に選挙史上最大得票を得た猪瀬直樹のことを書いている。                                                              『昭和16年夏の敗戦』(83年文春文庫、2010年中公文庫)という猪瀬氏の著作の紹介だ。                                                                         『日米開戦の直前の夏、陸海軍や官庁、民間企業から優秀な若手が内閣総力戦研究所に集められた。「模擬内閣」は、兵器増産の見通しや石油の供給量などを分析して一つの結論に至った。緒戦は奇襲攻撃で勝利するものの、国力の差から劣勢となりソ連の参戦もあって敗れる―――。その後の史実と重なる。「日本必敗」の内容は近衛内閣に報告されたが、政策決定には生かされなかった。』                                       『当事者への綿密な取材を基に、日本が戦争に突入したプロセスを描いたのは、当時三十六歳の猪瀬直樹さんだった。』                                                                                     

猪瀬直樹氏は1946年生まれ、ぼくと同世代。69年当時、彼は信州大学全共闘議長だったという。新左翼某党派のキャップだったとのことだ。                                                                                            互いのその後数十年の来し方や辿り着いた地点は違っていようと近似であろうと、それは知ったことではない。ぼくはぼくなりに、その後関与した「労働運動」や「争議」後の「自主経営企業の運営」を通じて、己と己の思考の「限界や不備や無理」を見て来た。とりわけ「全共闘」的言動に最も欠けていた思考とは、自分たちの単位社会を運営する「自治能力」=云わば『実現力、実行力、吸引力、協働構成力、「創り出す」を伴った反逆、共苦・共助の考え』に関する思想だ。その意味からは、猪瀬氏の近年の省庁や公団・公的機関への緻密な裏付けある指摘や行動力・実現力は、自治・運営の重要な一側面だと思う。                                                                                                                                                                         ある高名な表現者に言われたことがある。「叛乱と自治・・・。叛乱は極端に言えば、ある意味では誰にだって出来るんだ。しかし自治は難しい。それは気概だけでは実行・持続出来ないし、運営に関する無知無謀は人々をかえって不幸にするのだから・・・」

猪瀬直樹とは、ぼくを含む同世代者・近似体験者の多くが、雇用・労働・教育などがゆっくりと深く「改編」されていった80年代以降の時代を、世の変化と人々の受難を一顧だにせず(いや二顧も三顧もしてはいたのだが)、職場と生活、つまりは「仕事」という名の「収入と肩書」と「住宅ローンと偏差値偏重教育」に汲々として過ごしたことの、都政規模の確信犯的変異態なのか? そうではあるまい、彼の課題は「自治」を巡る「民」の模索ではなく、「統治」を巡る「治者」の方法論だったに違いない。市井の勤労者より罪深いと言いたいのではない。そうではなく、罪なんかではなく、それは位相の違う異次元のテエマなのだ。                                                                             身の周りのことにたぶん「屈服」したのだろうぼくたち市井の民が、政治的にも思想的にも「文化論」的にも「同時代」を生きたことにならない云わば「全共闘パパ」なのだとしたら、後継者指名を得たという意味では石原氏の言動にヨイショしたと言える猪瀬氏は、「上昇志向全共闘」の「トップランナー」なのか? 彼は、同時代を生きたと言えるのだろうか?                                                                  石原慎太郎氏の後継者指名を得るほどの「自治能力」が、「全共闘」的欠落への「回答」だとすれば、石原の「自主憲法」「尖閣上陸、自衛隊常駐」「核兵器保有論」「国家主義的学校運営」「日の丸・君が代の強制」「従軍慰安婦問題への立場」などへの無言の支持または同意という対処・振舞は、「信州大全共闘議長」猪瀬氏の何に対する「回答」であり、未来に向けたどのような提言なのだろう?                                                                             同世代者、近似の古い体験を持つのかもしれない者としては、そこのところを是非とも訊きたいのだ。                                      彼には、軍部や政治家よりも事態と世論を戦争へと誘導するのに力を発揮した、マスコミや世間が作り出す「空気」という力学を考察した『空気と戦争』(文春文庫、2007年)という著作があり、評価されてもいる。                                                                    願わくば、安倍・石原・橋下・大新聞・大メディアによって作られる、排外主義・競争原理統治の深化・反脱原発・改憲への「空気」の前で、自著を再読して襟を正してもらいたいところだ。                                                                                                     対米戦争を「負ける」戦争だとシュミレートしたのが「昭和16年夏の模擬内閣」の「日本必敗」論だと言う。                                                              なら、対欧米戦争でなく対アジア戦争はどうなのか? 対欧米戦争に限って「バカな戦争」「無謀な戦争」とする者の論を数多く聞いて来た。                                                                        直感で言えば、その戦争観に在る「ある種のダブルスタンダード」は、猪瀬氏の「石原都政の継承=自治能力云々と国家主義の同居」という無理や、全共闘世代に於ける「60年代末的自己と80年代以降の{傍観・見過ごし}パパの併存」という矛盾と、どこかで同質なのだと思えてならない。                                                           そんな全共闘パパの{傍観・見過ごし}が作り出した、剥き出しの競争が支配する社会・見渡せば非正規雇用ばかりが若者を覆う世、そこで生きざるを得ない若者たちは、競争と自己責任を振りかざす、例えば「維新」に投票しているのだ。                                                                        彼らは、「社会民主主義的福祉政策は、公への依存心と怠け者病を創り出す」「競争の結果、不遇に在る人へのフォローは公が行なう。我々の主張と彼らの主張、どちらが社会的コストが低く、どりらが人々が活き活きするのか勝負しようや」とする論につい期待するのだ。競争原理主義とはつまるところ君に跳ね返って来るんだよ、維新の刃はやがて投票した君に向かうのだよと言ってみても話は噛み合わない。                                                                                                                         正社員として安定した生活を送って来たお前たちの言い分など聴きたくはないというところだ。                                                                                             『論座』で見た「希望は戦争」なるコピー(2007年)の衝撃は生きており強化されていると言えよう。

話は、重大だ。ぼくらは、ぼくらの言い分が、政府・官僚・財界挙げた総動員で成す新自由主義に基づく競争とそのこぼれた部分への「施し」(もちろん出来はせず、捨て置くのだが)よりも、思想的にも、そしてもちろん実質的にも人々の自立の観点からも「優位」にあることを示さなければならない。それは至難の業だ。                                                                                                   畢竟、それは若者・労働者個々人の「自尊」を巡る話へと行き着きそうに思う。自尊を確保出来れば社会的受難を「自分が悪い」と「擬似謙虚」に受け止める自己責任論の呪縛から解き放たれる可能性の地に立てる。当然それは自己の内に「他尊」が育つ契機となり、やがて他者もまた陥っていた自己責任論から、共に離陸する「協同」へと向かうはずだ。                                                                                                                               新自由主義・競争原理主義には、勝者の擬歓びだけがあり、施す側の強者が居るのだ。だから、当然、圧倒的多数の敗者が居り弱者が居る。                                                              人々が「活き活きする」というのはひとつの詐術であることは明らかなのに、届かない。                                                      その構造の因のひとつから、80年代以降の我が世代の{傍観・見過ごし}を除外することはできないとの指摘が在る。その時期、人々がよく働く勤労者であり、今の若者よりは恵まれていたとしても「それなり」に「大変」な生活を生き、よき親であったことを前提にした上で、それでもなお、上記指摘をぼくは認めたい。そう思う。                                                                                                           ぼくらの世代が80年代~90年代の「働き盛り」に持ってはいなかった射程外思想とは、例えばこういう考えのことだ。                                                                            国・財界代表と全労働団体が、こんな協定を交わすような思想のことだ。                                                                                                                             『例えば、15%の人員削減の代わりに、仕事のシェア方法を労使で工夫し、人員数は据え置き、15%の人件費削減に応じる』

 

つぶやき: 選挙結果が気になりますねぇ

選挙戦はもう終盤戦だそうだが、公示数日前まで、自公で過半数確保するのか?自民+維新で2/3に届いてしまうのか? がメイン課題の選挙構造だった。                                                                                                 夕刊紙「日刊ゲンダイ」(親小沢メディアとして有名)は言う、「たぶん選挙構造は一変している。理由は、「未来の党」の登場だ」と。

画像右側の「美しい国」提唱者の党や自称「暴走老人」の党が、押付け憲法を改憲すると公約している。                                                                                                                  『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワー、2001年・岩波書店)は言っている、『押し付けたとすれば、日本国民とGHQ左派の「短期同盟」が、                                                                        旧勢力に押し付けたのだ』と。                                                                                                                             なるほど、今日の改憲勢力にとっては「押し付けられた」のだ。そういう人が取り戻したい日本は、どの「日本」のことやら・・・。                                                                                                                                                         

 

公示直前に結党した「未来の党」への、それぞれの立場や小沢嫌いからのアーだコウだと語る論に出遭ってはいる。                                                                                                              しかし、ぼくはこう思う。脱原発を謳い、広範な有権者が投票できる選択枝を示した行動は評価されるべきだ、と。                                                                                                                                                                      その政策、脱原発・反TPP・社会保障へのスタンス・子育て/少子化対策 などなどは明確であり、                                                                                          「民主党に期待し、そして裏切られた」何割かの国民と、                                                                                                                                       尖閣・竹島を利用した「国家主義」の台頭に辟易するこれまた何割かの市民が、実は願ってる政策だと言える。                                                                                                                       つまりは、社会民主主義的政策であり、そこに小沢系が参加するのは、民主党・自由党合併時に似ている。                                                                                                                            が、大いに違うのは、民主党は小沢に邪魔されたからではなく「松下政経塾綱領」がもともと自民党亜流だということ、小沢には当時の政治的力量は無いということ、そして福島事故という曲がり角に遭遇した後だということ・・・。                                                                                                                                                                               仕事仲間の高齢(ぼくより若いが)の設計士さんが「社会民主主義的・的政権を願ってはいけませんか?」と言う。「ぜんぜんいけなくはありません!」と答えたいところ、ニタリと笑って返した。                                                                                                                        選挙区は個々の党(社民・未来など。TPPで連携できないみんなの党は残念だ)、比例区はその統一戦線『(例えば)リベラル国民会議』(とか)にという制度があれば、その『国民会議』は過半数近く取るのではないか。                                                                                                                                                              夕刊紙「日刊ゲンダイ」は、「未来の党」は比例区第一党になると言う。「維新の会」がアクセス総数2300万回だと大騒ぎになったが、「未来の党」はそれより圧倒的短期間にも拘らず何と4000万回だそうで、これは有権者の半数だと書いている。                                                                                                              「未来の党」に過大な期待をするのではなく、その登場が選挙構図を変えたのは間違いないとも書いている。                                                                                                                                願わくば、社民党の議席維持の為にも、「未来の党」の原初綱領持続の為にも、社民党との連携が欲しいと想っていると、                                                                                                                                     3日、「社民・未来選挙協力を合意」との記事があった。

民主党は社会民主主義的・的な党ではなかったのだから、悪夢とサヨナラするしかないが、小沢が加わろうがそうでなかろうが、                                                                                                                                 「未来の党」が翼賛体制への対抗勢力になる可能性はあるのだ。いずれにしても広範な勢力の結集軸は必要なのだ。それは、選挙にもそうだが、日頃の意思表明や行動の分野に於いてそうなのだ。

 橋下は、「未来の党」へのコムプレクスからか、選挙公約発表記者会見で興奮口調で『飯田哲也氏だって脱原発への工程を示せないんですよ!』と言っていた。                                                                                                 早速、例の橋下ブレ~ン元経産省官僚の古賀茂明氏が「それは違う。間もなく工程を出す段階で、エネルギー戦略会議そのものを中止して工程を出させなかったのは、橋下さんです。だいたいぼくらを政治的利用するのは止めてもらいたい」とコメント。
飯田氏は、8月に『リアルな脱原発の実現シナリオ』というシミュレーションを出しているそうだ。
古賀さん!遅すぎるよ。 遅すぎるが、橋下ブレ~ンのうち、市職員アンケートの首謀者:野村などは別にして、                                                                                                                真面目に官僚支配打破・利権構造改革を言って来た人は離れ始めるだろう!                                                                                     

ところで選挙結果予想だが、各種事前調査で、自民単独過半数前後・維新50前後だそうで、民主は惨敗二桁と言っている。                                                                                                   なら、政権の枠組みは、民・自・公or自・維てな選択? 予測を覆せ選挙民。  正に岐路やな、

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告:                                                                                                  次回 http://www.yasumaroh.com/?p=15237 への抗議・反論や賛意のコメントに対する ぼくの見解をアップします。

昔、河野謙三(河野洋平の伯父)という名物参院議長が、議会運営に関して「七・三の構え」という指揮哲学を言ってそれを実行した。                                                                                                                 その意味するところは、野党七・与党三の比重で指揮・差配してこそ、議会というもののフェアな運営が出来るという信念だった。                                                                                    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E8%AC%99%E4%B8%89                                                                                                                                               かつて、このスタンスを組織運営・運動推進・事業経営に採用できなかった身としては、件の拙コメントに抗議・反論なさる方にも、「我が意を得たり」とばかりに、緩やかな組織原則さえ無視して個人主義を振り回す方にも、そしてぼく自身にも、「七・三を心せよ」と言いたいのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                    出来なかったがゆえに自戒を込めてそう言いたいのだ。                                                                                      http://www.yasumaroh.com/?p=15237 は、それへの標(しるべ)の文でもある。                                                                                                                                                                                                        ちなみに、文の当該団体の中枢が「七・三の構え」に近いものを棄ててはいないと聞き及んでいる。だからこそ苦言を吐いたのだ。

 

 

日曜日 テレビ漬け。 橋下・石原 茶番劇、そして森光子さんの「放浪記」

久し振りに予定の無い日曜、TV三昧とばかりにアレコレ観ていた。

ひとつは、橋下・石原の合流茶番劇のニュースの繰り返しだ。                                                                              「合流には政策の一致が前提」と力んで語っていた「維新の会」代表:大阪市長:橋下らは、「暴走老人」と自称する元首都知事:石原のにわか作りの党が解党して「維新の会」に合流するというカタチの合流を決め、「維新の会」の代表に何とその「暴走老人」が座るというデタラメ裏技戦法を演じて見せ、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             予想通り「2030年代に原発全廃を」を「原発安全基準などルール構築」に変える「調整(?)」をして見せた。                                                                                                          安倍が自民党総裁選に立候補する直前には、彼に「是非、うちのトップに座って欲しい」と言っていたのだが・・・。                                                                                                  (早速、今日安倍は維新の会を「良きライバル」と持ち上げている。合わせて三分の二をと願っているのだ)                                                                                                                   そもそも彼らの擬組織が「党」などと自称したり、民主主義を語ること自体が一種の詐術なのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                 ボスとボスの手打ちで合流のカタチを決めたり、代表を決めたり、・・・。この作法・手続の中に既に彼らの政治思想の核心が見えている。                                                                                       こうした独断性・個人プレーに「維新の会」内部から異論が出ないのなら、「私党」だと言わざるを得ない。「党」の体を為していないし、「党員」に自覚も自尊も民主主義も無い。あるのは維新ブームと石原・橋本人気にくっ付いて「議席」を確保したい邪心だけなのだ。                                                                                                                                                                                      このドタバタ劇に有権者はどんな審判を下すのだろう・・・?                                                                        まさか、このインチキを見抜けないほど有権者は無思慮だとは思えないのだが、しかし・・・。

                                                                                                           もうひとつは、森光子さん追悼特別番組だった。こっちは味わい深く、                                                                                                                                    米倉斉加年・黒柳徹子・池内淳子(ご生前の録画)・石川さゆり・篠山紀信・赤木春恵など親交のあった人々の言葉には重みがあった。                                                                                       吉永小百合さんがナレーターを務めた「放浪記」公演2000回、『芸術座』建替記念のNHK2005年の特集番組の再放送は、                                                                                                                                                   森光子さんの幼児期からを辿り「昭和を生き貫いた女役者」の圧倒的な一生を、昭和という時代を重ねて描き秀逸だった。                                                                                                                                   嵐寛寿郎の従妹だった森さんは、1920年、京都木屋町の料理旅館の女性と学生だった男性との間に生まれたという。13歳で親と死別。                                                                                                        戦争中は、戦地慰問団の一員として中国戦線を回った。その道中の列車の中で四つ年少の赤木春恵と出会い、以来二人の友情は続く。                                                                                      赤木の「金八先生スペシャル版」での長~い「校長の反戦講話」セリフ(10分)は実体験を土台にした実に見事なものだった。                                                                                               赤木は森さんを「心友」と言っており、二人は慰問団の歌唱を正座して聴く若い兵士の表情を忘れることなど出来ないと言っている。                                                                                                  森さんは南方の慰問先=セレベス島で空襲に遭い九死に一生を得る。                                                                                                                     戦後大阪のお笑い舞台と創生期テレビに、58年菊田一夫に見出され東京へ、61年菊田一夫脚本『放浪記』林芙美子役で初主演、41歳だった。                                                                                        以来『放浪記』芙美子を演じ続け、2009年5月、東京帝劇の千秋楽で2017回公演となった。                                                                       森さんが遺した言葉が印象的だ。                                                                                                           『役者はちょっと不幸な方が、いい芝居ができるのよ』                                                                                                                『戦争をする政府は、そうしなければならない理由があったんだと、必ず言うけれど、もしそうだとしても、                                                                                                                                                                  それはしてはならないんです。戦争を知っている私たちが、そのことをもっと大きな声で言う責任がある』                                                                                                                                              この言葉には、「芙美子の戦争協力に対して舞台:菊田『放浪記』が沈黙することへの、複雑な想いが滲んでいるとぼくには思えてならない。                                                                                                                                                                                                                   林芙美子は、新聞社の従軍特派員や陸軍報道班員として中国やインドネシアの前線に行き、大日本帝国の戦士たちの勇壮な「物語」を、                                                                いくつも書き「太鼓叩いて、笛吹いて」戦争を後押ししたそうだが、ぼくは詳しく知らない。                                                                      http://toku.blog2.fc2.com/blog-entry-77.html                                                                                                                                                           http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/onna-senso-sekinin/                                                                        http://klis.tsukuba.ac.jp/assets/files/s0711569-2011010610420116500A.pdf#search=’%E6%9E%97%E8%8A%99%E7%BE%8E%E5%AD%90%E3%81%A8%E6%88%A6%E4%BA%89′                                                                                  戦後は、一転して戦争未亡人や復員兵ら、戦争に翻弄されたふつうの人々を描く作品を次々に発表した。                                                                     戦中の国民を鼓舞する作品への非難もさることながら、その変わり身は小ざかしい処世だと多方面から論評された。                                                                                                                                                                                                                      森さんは役作りに当って、自身の「慰問団」体験を動員したと思うが、彼女の二度の婚姻を含めた戦中戦後の実人生の                                                                                                                                                          「ちょっと(どころではない)不幸」は、芙美子への非難をも容れた上で芙美子になり切るに相応しものだったのだと想う。                                                                                                                                                                                                           いつか『徹子の部屋』で、森さんより約一回り強若い1933年生まれの徹子さんとペギー葉山さんが「勤労動員、学童疎開」世代の責任に触れて                                                                                        「語り部」になるべきだと「世代」の「伝える義務」を力説されていたのだが、世代の責任を語る人が、一人又一人と去って行く。                                                                             公的体験を伝えるということの自覚が、言い換えるとどうしても伝えたいことが、わが世代にはあるだろうか?                                                                                                                                                            いや、その前に、わが世代の公的体験とは何なのか?                                                                                                  80年以降、それぞれの場で、今日橋下旋風がまかり通るような世の、そもそもの生成過程を見過ごして来たというのが、                                                                                                                                                                                                                          お前達世代の「公的記憶」の核心ではないのか?と問われれば、ぼくは否定できはしない。                                                                                      (例えば、ぼくならぼくは、後に87年「国鉄分割民営化」、87年「全民労連」~89年「連合」へ、同年「総評」解散・・・に至る文脈の一環として、                                                                                                                          つまり雇用形態・労働秩序・働く人権の根本改変への大きな一歩として「労働者派遣法」《1986年施行》を捉えていただろうか?)                                                                                     

今日も「行政の仕事をどしどし民間に解放して行ってるのです。要は競争です。競争の無いところに改革はない」とうそぶく橋下が画面に居た。                                                                                               「公」の任務を外注下請化し競争に晒しての費用カットを断行し、自治体労働者の自発性の解体、無条件服従化・人減らし・下請化による                                                                                                                                 労働環境とサービスの質の低下を進める者が「解放」と言い、「改革」と言う。 言葉は怖い・・・自立支援・規制緩和・おもいやり、、、、                                                                      某週刊誌の佐野真一のレポートは切り口も方法論も大問題だし、中止し謝罪すべきだが、                                         彼の公的記憶ならぬ、金的記憶=サラ金の零細企業向け高利の別会社の弁護活動で「連戦連勝」ということの中身=で培った                                                                                                                                   世界観・人生観・価値観の根っ子を知りたいところだ。                                                                             「維新の会」は今、その価値観を「どうしても伝えたい」と行動しているのだろうから・・・

だが、ぼくらにも「どうしても伝えたい」ことはあるんだぜ!                                                                                   

 

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