Archive for the ‘ぼやき つぶやき 駄エッセイ ’ Category
抗議: 報道ファシズム
閣僚が国旗に一礼しなかったと騒ぐマスコミ
民主党政権を「極左的政権」と呼ぶ知事が居るかと思えば、今度は閣僚のうち何人が国旗に一礼しなったかをカウントして騒ぎ立てている新聞がある。
【産経新聞】 14日配信 『 官邸での会見後に、担当省庁などで開催された「省庁会見」では、千葉法相と蓮舫行政刷新担当相、玄葉光一郎公務員制度改革担当相、直嶋正行経産相、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相の5閣僚が会見室に設置された国旗に頭を下げなかった。9日午後、内閣府での会見に臨んだ蓮舫行政刷新担当相も国旗に一礼はなし。亀井・玄葉・直嶋の3閣僚も会場に掲揚された国旗におじぎなどはしなかった。これらに対して菅直人首相は14日、衆院本会議の代表質問で、平成11年成立の国旗国歌法に反対した当時から方針転換した“心境”を語った。 首相は「もっと元気のいい国歌でもいいかなという意見があった」と、同法の採決で対応が割れた民主党内の情勢を説明したが、自身が反対した理由は触れずじまい。その上で「今は常に国旗があるところではきちんと敬意を表し、国歌斉唱もしている」との弁明も忘れなかった。 』
のだそうだ。民主党政権が「極左」とは全く思わないが、この種の口撃のエスカレートは「いつか見た風景」だと思うし、近年激発している排外主義団体の市民への各種暴力と同根の三人四脚(国家・報道・草の根極右)だと思う。菅首相の対応は、軍部の台頭を前に腐心したリベラル政治家の姿に似ている。その後の15年戦争への道は誰もが知るところだ。事態は容易ならざる局面だと思う。 こうした構造を変えていくのは、国民的反撃、報道機関を「まともさ」へ向かわせる世論、宗教・団体・政党、その合力、包囲しかない。そう心したい。同じ14日福岡高裁が、生活保護:老齢加算廃止を違法として逆転判決を出したが、 時にはこうした司法判断もあるこの社会にも、ぼくらにも、まだ包囲力はあると思いたい。
歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と 「切れて」「繋がる」ために ④/5
「We」の不在。「我らが我に還りゆくとき」⇔「我らなき我と切れゆくとき」その往還。
全ての「語」を通じて、最も多いのは、ダントツで二人称「君・あなた・お前」だった。これは予想通りなのだが、気になったのが「我々」「我ら」「ぼくら」の少なさだ(もちろん歌いにくいが)。 日本の現代で「我ら」「我々」が生きていた時代として、明治の殖産興業・富国強兵の時代、昭和の戦争期、戦後の復興と民主主義(?)建設~60年安保以前、などを思い浮かべる。民はその時代が提供した「我ら」を抱いて生きた。 我が父(故人)が、最晩年にさえ「何を置いても」出かけたのは「戦友会」だった。思えば、学校や青年期の「特権」とは無縁だった彼(ら多くの同状況の人々)にとって、軍隊が「我ら」を実感・体現できるほとんど唯一の空間だったとしても不思議ではない。「我ら」の回収先は、同時に大衆的抒情の仮終着駅でもあり、用意された「我ら」が持ついかがわしさを思えば、「我ら」論はいくつもの条件を付けて考えなければならないと思う。 20世紀に語られた「我ら」が、主として「国家」と「体制」の側とそれを支持した民から提起され、「我」なき「我ら」に終始した歴史や、近年でも政治性を帯びた過剰な「我ら」に翻弄(?)された記憶があり、「我ら」忌避症候群となっている根拠は納得できる。 「我ら」喪失は、共同性の認知が成立し難い社会の反映だとは思うし、20世紀以降の世界的傾向かもしれない。
日本語には、英語の「We」に当る「語」がない。「我々」「我ら」は訳せば「We」だろうが、「We」という独立した関係性そのものではないように思う。 「We shall over come」 「We are the world」的な「ぼくら」の歌はほとんど無い(海外は不知)。 モノマネよろしく揶揄を込めて演じられたりする、ぼくらの時代の若者の「我々は~」という語り口調は、「我ら」欠乏を嗅ぎ取った若者の直感が、それを埋め合わせようと言わせたものだったように思うが、それが、イデオロギーによる過剰な「我々」だった不幸(?)を認めない訳には行かない。 「We」が成立する条件は、その社会の共同の目標や公的受難の歴史性だ。昨日今日「頭で考えた」だけの促成「我ら」にはその条件が不充分ではなかったか。同時にその「我ら」は、「我」の「何処へも転嫁できない」己ひとりの「自己責任」を霧散させ「回収」してくれる、都合のいい装置でさえあったと認めたい。同世代の歌人:道浦母都子さんの初期の歌集『無縁の抒情』に、自己免責装置にしてイデオロギー過剰な「我ら」との自戒的訣別を詠んだ 『今だれしも俯(うつむ)くひとりひとりなれわれらがわれに変わりゆく秋』 がある。 章の標題は 『われらがわれに還りゆくとき』であった。
もうひとつの側面として、仕事・労働の歌が無い。大衆歌謡が普及した社会の初期にはあった協働社会は姿を変え、労働現場や地域社会での「共 助」は解体して行く。その反映だろうか、抵抗・祭典・共同創作・労働(直接表現は白々しいが)での「我ら」を匂わせてくれる歌もほとんど無い。 どうやら、個人は二人称とは強い絆で結ばれてはいるが、その先は飛躍して「国家」(さすがに歌には直接は登場しないが)に直結し、その間にあるのは「企業」や「食扶ちを稼ぐ労働」「意識せざる個利(個人ではない)主義」であって、Sociaty・Community・社会ではない。「友」や「仲間」との共同体験・共通苦難が、辛うじて「我ら」への道筋だが、それも労働現場では、「労働組合」が「まとも」である場合以外は、企業が用意した「我と乖離した」「我ら」が大手を振って来た。共同体・協働性・共助を支えるものとしての、我と我ではないひとつの「We」なる別もの、その欠落。それは、その社会の正直な表現だと言って差支えないのではないか。であればこそ、『我らなき我と切れゆくとき』をあえて意識していたい。
21世紀、グローバル世界の経済・軍事、旧宗主国(旧ソ連を含)の資源や輸送陸路確保の領土的野心に晒されている地域には在るだろう「We」。ある社会が総体として受難を被る場合以外「We」は在り得ないのか?先進○ヶ国に共通だろう「We」欠乏の傾向は、どうしよもないことなのか? 宗主国と植民地に例えれば、「We」存命可能な社会への傾倒・共感・同化によって、「We」を掴んだとしても、倒錯した代行性はシッペ返しを食らうだろう。宗主国の民は、植民地から収奪(財・土地・資源・文化・全て)して維持されている当の宗主国の民として、宗主国に物申す立場、植民地を手放せと迫る以外に、植民地の民と「We」関係を結べないのではないか?
歌謡曲歌詞を語るつもりが脱線気味だが、語らねばならないのは、21世紀先進国日本の歌謡曲に心動くぼくら民の「We」の話だ。 歌詞の中に「我ら」「我々」などを入れよと言いたいのではない。「回収先」からの「我ら」はすでに先手を打って提案されている(「回収先」が用意した「我ら」など、ベタベタの個人主義より質〈タチ〉が悪い)。言いたいのは、演歌の向こう側に潜むものの呪縛と「切れて」、前回の文で言う、「大衆的抒情との訣別」、「回収されることのないもの」、「回帰ではない復権」への挑みと「繋がる」・・・そういう歌詞のことだ。
その歌詞には、それがどんなに「私」的歌であっても、色恋の「恨み辛み」歌であっても、大衆的抒情語を駆使するものであっても、そして一見社会性と断絶していると思えても、その向こうに別のものが見えるのではないか? 見えるもののひとつに、潜在的「We」がかすかにあるかもしれない。 演歌に『われらがわれに還りゆくとき』と近似の意志を見るときがある。それが、『我らなき我と切れゆくとき』との往還という、困難な課題を唄う「場」に立つとき、その歌はぼくらの腑に届いてしまうのだ。 初期中島みゆき『あぶな坂』(http://www.youtube.com/watch?v=I55y-q4U7Eg )にある、黒い喪服の女性が言う「遠いふるさとで傷ついた言い訳に」「坂を落ちて来るのが」「ここからは見える」の、その「ここ」は、そうした「場」に近いように思う。そのことをひとつの仮想として、次回、初期(ここ20年はほとんど知らないので)中島みゆき歌を取り上げたい。 「ふるさと」「わかれ」「帰る」「忘れる」のあまりの多用に、「郷愁」と「執着」を聞き辟易した友人もいたが、ぼくは逆に、歌詞中の主人公の「切れ」ようとして「繋が」れない物語に、「切れて」「繋がる」方法を探しあぐねる「我がことのような」彷徨を見たのだった。そしてぼくは、いまなお、その彷徨の「途上」=品川宿に、居残っている。 ところで、では一体、当時の中島みゆきが言う「ふるさと」とは何だったのか? 『ホームにて』 http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=11632
ぼやき: 何が正念場なのか
沖縄以外のマスコミの身勝手には、開いた口が塞がらない・・・
「二重権力だ」「小沢支配だ」とガナリ立て、脱小沢を煽り、世論調査なる伝家の宝刀で 辞任を求めたマスコミ。今日のヤマトの大新聞の紙面では『小沢抜きで大丈夫か?』とか 『政権の危機、正念場だ』と騒いでいる。この無節操は何なのだ。要は、旧政権へ戻したいだけなのだ。 どうやってもケチを付けるヤクザの論方だ。ぼくらにとって、そんな論議はほとんど無意味だ。 新内閣が、日米軍事同盟・戦後体制の根本の見直しへと進むことを願うだけだ。 その第一歩『普天間-辺野古の日米共同声明』の修正協議へと進むことを願うだけだ。 その実現を目指す動きに関わっていたい。
日米共同声明撤回を 那覇市議会、県内初の意見書可決 【6月8日10時0分配信 琉球新報】
那覇市議会(金城徹議長)は7日午前、6月定例会で、普天間飛行場の 移設先を名護市辺野古と明記した「日米共同声明」の撤回を日米両政府に求める意見書を全会一致で 可決した。そうぞう会派の3氏は「普天間飛行場が固定化されることがあってはならない」として退場した。 日米共同声明撤回を求める意見書可決は県内で初めて。同意見書では、「『県内移設』反対という 県民の総意よりも米国政府の意向を最優先するもので、民主主義を踏みにじる暴挙であり、断じて 許せない」と強い反発の意思を示し、「県民の『県内移設』に絶対反対との総意は、4・25県民大会や 全市町村長の反対表明、マスコミの世論調査などでも明確だ。 怒りを込めて日米合意の撤回を強く求める」としている。
歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために ③/5
大衆的抒情の一義的「在処」
阿久悠歌詞を、日本の大衆的抒情と「切れた(い)」とか、それとの「訣別」と、容易く書いてしまったぼくの舌っ足らずかも・・・。 あの文章(http://www.yasumaroh.com/?p=5779)が、「文学論」「サブ・カルチャー論」に届くとは思っていないが、結語に書いた 『阿久悠は、「終焉」の前の「喘ぎ」を演じた(作詞した)のだろうか。』 『日本の歌謡にへばりつく大衆的抒情と「訣別」することを通してしか、出来はしないと考えたのだろうか。そして、それに成功しただろうか? そこは各自の評価だ。』 辺りの言い回しで、ぼくの水準からは「精一杯」の阿久悠の挑みへのエールとご理解願いたい。もちろん、阿久悠・ジュリー歌も次の三つの阿久悠:代表曲と同様に、基本的には「演歌」ではある。 『ジョニーへの伝言』(74年) http://www.youtube.com/watch?v=b5z94O4-ZgA 『津軽海峡・冬景色』(77年) http://www.youtube.com/watch?v=38on-Pw7MRo&feature=related 『雨の慕情』(80年) http://www.youtube.com/watch?v=P0I3moSIU4M
ところで、その「日本の歌謡にへばり付く」「大衆的抒情」とは、いかなるものなのか? 吉本隆明は古い論考『日本のナショナリズム』(64年)の中で、 『冬の夜』(ともしび近く衣縫う母は 春の遊びの楽しさ語る)、『赤とんぼ』(お里の便りも 絶え果てた)、『青葉の笛』(一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ)、『七里ヶ浜の哀歌』(真白き富士の根 緑の江ノ島)、『故郷』(兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川)、などを取上げた後、 『ある種の愚者たちは』『日本の大衆にのみ固有なものであるとかんがえている。かれらは、ロシアやアメリカには大衆のセンチメンタリズムが存在しないものと錯覚しているらしい。』『大衆のセンチメンタリズムは、そのナショナルな核にしたがって質がちがっているというにすぎないのを知らないのである。』『ボートが沈んだとき中学生たちは、いかにもがき苦しみ、われ先にと生きのびようと努めたか、という大衆の「ナショナリズム」の裏面に付着したリアリズムを忘却するように書かれている。』『わたしたちが大衆の「ナショナリズム」としてかんがえているものは、この表面と裏面の総体(生活思想)を意味するもので』あって、『その表現にすくいあげられている一面性を意味しているのではない。』 と述べている。 確かに、『故郷を離るる歌』(ドイツ民謡」)とか、『埴生の宿』(イングランド民謡)とか、『ともしび』(戦地に赴く若者とその恋人=1942年作、ソ連時代の歌)などたくさん思い付く。 これらは、大衆的抒情が「そのままでは」国家意志に回収される危うさの中を浮遊していることの論証になるだろう。
ぼくも、社会的(あるいは政治的)な主題の喪失・忘却・放棄や土着のロマンチシズムが覆う歌謡は、作り手と聞き手の往還の中で増幅・再生産されて行ったと思うし、それは今も変わらないと思う。ぼくが求めているのは、吉本の言葉を借りれば「表面と裏面の総体」を掴む歌謡だ。決して、無味乾燥な政治性や思想性過剰な「思想歌」「プロパガンダ歌」「メッセージ歌」ではない。そんなものに、生活総体を射る「力」などない。大衆的叙情・センチメンタリズムというものの一面性同様、ぼくらが持つ政治的・社会的な怒り・不満・目標・理想を並べ立てたところで、それもまた一面性なのだ。
次々回(⑤/5)、初期中島みゆき歌詞を取り上げる。そこに、前回書いた 『自身に棲む「大衆的抒情」「センチメンタリズム」「土着的浪漫」との「訣別」と、それらへの回帰ではない「復権」。「切れて」「繋がる」。』 が、潜んでいるかも・・・。 「復権」。 それは、国家意志・地域社会の黙契・企業の没我要請・宗派の排他的教義・党の独善と非複数主義、「個」が見えない政治性、 などから影響・誘導・支配を受けないものとして、それらへと回収されることのないものとして、 かならずや社会性・普遍性に繋がっている個的世界を確保しようとする、「個」の内側に宿る固い意志によってのみ可能なのだ。 そのことを共有できるような「演歌」が、心に届くのだと思う。 それは、熊沢誠が各個人の個的体験(とされてしまった過労死)の葬列を、あえて「くどい」ほど書き綴ることによって、 「個」のかけがえのない「生」(夫婦・家族・労働・希/夢・人並みの欲・趣味・こだわり事)の重量覚知から、 つまり情理によって導かれた個別性への拘泥から、全体性(社会性・普遍性)を描き出した作業に、ちょっと似てはいないか? ☆熊沢誠:著『働きすぎに斃れて』(2010年、岩波書店)← http://www.yasumaroh.com/?p=5251
歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために ②/5
演歌における多頻出「語」
過日、阿久悠・ジュリーに関する過去の文章を加筆修正して当ブログに掲載(http://www.yasumaroh.com/?p=5779)したところ、早速知人からお叱りを頂いた。 曰く、『阿久悠が日本の歌謡にへばりつく「大衆的抒情」と訣別している、などとはとうてい思えない。阿久悠の現代・都会「演歌」には、同じものが「へばりついている」と思う。』 現代・都会「演歌」、うーん上手いこと言うねぇ。頭に「現代」や「都会」と付けたところで、「演歌」であることに変わりはないと言っている。それに関しては、全く同感だ。 ぼくが言いたいのは、阿久悠作詞に於ける挑戦、そして映像的であることによる「歌」の「抒情」「語」拘束からの仮解放である。 http://www.youtube.com/watch?v=BNfs8dL0hjg http://www.youtube.com/watch?v=hNZ4VvMaYt4&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=3AszYpnrpUE&NR=1
過日ブログで取り上げた歌詞は次の通り。彼の「違う演歌」への挑みが、「切れて」「繋がる」映像が、垣間見えないか? 「身体の傷なら直せるけれど 心の痛手は癒せはしない」(『時の過ぎゆくままに』75年)、 「思い出かき集め 鞄につめこむ気配がしてる」(『勝手にしやがれ』77年)、 「傷つけ合うのが嫌いだからと ずるずるみんなを引きずって」(『憎みきれないろくでなし』77年)、 「片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を」(『サムライ』78年)、 「あなたには帰る家がある やさしくつつむ人がいる」(『LOVE抱きしめたい』78年)、 「男がピカピカの気障でいられた。ボギー、ボギーあんたの時代はよかった」(『カサブランカ・ダンディ』79年)。
「大衆的抒情」の世界的一般性と「日本の」特性について考える為に、昨09年作った、歌謡曲に登場する「語」(名詞・動詞に限る)から特に多いものを探ったメモを添付する。歌謡曲は、これらの「語」の組合せによって作られてもいるが、それには理由がある。ぼくなりに気が付いたことを、次回ここに書くが、今日はまず、その一覧を見て欲しい。
【Uta-Net 歌詞検索】より
タイトルあるいは唄い出しに、その「語」が含まれる曲数の一覧。(09年7月筆者集計)
凡例: 例えば、語「時」なら、時代・時間・時・時に・時計、など「時」が含まれる「語」のすべてが該当。 タイトルにも歌詞にもその「語」があれば、重複カウントされている。 また、例えば、『なごり雪』なら「雪」、唄い出しの「汽車」「待つ」「君」「ぼく」「時(計)」、など全ての項目に重複カウントされている。 狙い: 実際『なごり雪』は、後の歌詞も「季節」「最後」「呟く」「春」「窓」「唇」「さよなら」「ホーム」など、下記の多頻出「語」のオンパレード構成となっていて苦笑する。『なごり雪』こそは「演歌の王道」を歩んでいるのだ。 高齢者には「ニュウ」ミュージックでもあるこの歌は、昔も今も老若男女に受け容れられ支持され続けている。もちろん、メロディーの美しさが大きな要素だが、ぼくらに刷り込まれた「語」感と、そこをくすぐる「演歌の王道」を行く歌詞とは響き合い抱擁し合うのだ。「言葉」化されることを待っているぼくらの大衆的抒情と、「語」の側の時代を超え時間を経て培われた吸引力は、決して侮れない。世とぼくら自身に沁み付いている。それを検証もなく「琴線」などと持ち上げて呼ぶ論者がいるなら、いかがわしい限りだ。素朴で無垢な、そのままではいか様にも弄ばれる危うい情感、まさに大衆的抒情の核心ではないだろうか? 国家・郷土・戦争・教義・党・日本の企業風土・・・、回収先はいくらでもある。 ところで、下の表は、歌のジャンルを一切問わないので、数は盛り場歌謡に影響されたりもしているが、それらは、おんなと男の立派な艶歌です。 全体でのベスト9は、①君・あなた・お前 ②時 ③夜 ④空 ⑤愛 ⑥風 ⑦恋 ⑧花 ⑨夢 である。その理由、そして各欄の最多「語」の理由、そこを探り歌謡曲に於ける大衆的抒情の在処を考える糸口としたい。他に、種類が多くて正確なカウントができなかったが、「生物」という項目を作れば花:約3800、木・樹:約950、鳥:約900である。また、モノ名詞・情感・想念・抽象の「語」、動詞、人の心の動き、などで記載できなかったものは多数ある、ご容赦。 「ひとり」1019、「ふたり」534、「水」675、「森」263、「火」523、「炎」192、、「音」1001、「鐘」105、「影」632、「群」166、 「都会」249、「詩」257、「香・匂」479、「乱」188、「流」1428(時間含)、「消」655、「終」1170、、「過ぎ(る)(て)」602、 「追」529、「逃」247、「回」360、「飛」846、「咲」845、「散」468、「踊」422、「落」696、「崩」51、「堕」57、「迷」429、 「惑」179、「発」180、「起」254、「鳴」473、「燃」281、「憧」117、などが、いい歌詞の中にあるのですが・・・
中島みゆき歌が「演歌」だと断ずる人の言い分は、おそらく、それが下記の表の多頻出「語」の組合せという 「演歌の王道」の枠内にあるという確信に拠っているのだろう。 ぼくは、「演歌主義者」なので、それがどうした?という立場だ。 歌は、すべからく演歌なのだ。 艶歌・怨歌・厭歌・縁歌・宴歌・焔歌・援歌・演歌、だ! 問題は、自身に棲む「大衆的抒情」「センチメンタリズム」「土着的浪漫」との「訣別」と、それらへの回帰ではない「復権」。 「切れて」「繋がる」。そこなのだ。
区分 | 語(名詞・動詞)、曲数 | 寸評 |
季節 | 春1415、夏1763、秋438、冬588、季節657、 | 夏を好むが、熱・暑ではないんです。わかります。 |
気候 | 暖117、熱・暑155、涼・爽39、寒・凍256、 | |
気象現象、自然 | 雨3078、風4095、雪1178、霧335、雲776、嵐213、波791、晴554、光・輝1981、闇583、 | 雨ではなく「風」か |
地理的場所等 | 海1892、浜294、川・河916、道2091、山538、岬155、島321、丘・坂652、草(草原)975、 | 草、意外に多いですね |
時間帯 | 夜明け434、朝1537、午後274、夕・夕日・夕暮486、たそがれ177、暮756、夜5238、 | 歴史は夜作られる? |
人的時間① | 生2433、命635、死379、人生478、若・青年397、少年290、少女・乙女305、子供261、 | |
〃 ② | 時5319、昔・過去410、最後439、現在・いま812、未来531、明日933、昨日388、初571、 | 時・時間・時代。 |
行動・動作・伝達 | 旅1049、走・駆955、泳110、歩1253、卒業128、遊255、休206、疲273、眠・寝1228、 話935、告206、語508、叫178、呼554、囁・呟134、伝404、泣1493、笑1490、歌1492、 | 人は本来、歩く。眠る。 |
最後は、泣いて笑って歌うのか | ||
社会性・共同性 | 仕事・働261、祭165、闘・抗・集・絆368、村59、世1653、街2505(共同性なのかどうか)、 | 働・闘が歌になりにくいのは解る |
人工的場所 | 駅・ホーム787、港398、空港18、校舎・学校・教室183、窓430、扉228、ビル178、 | やはり駅か。別のホームも混入 |
天体 | 星2035、月2328、太陽868、空4182、宇宙231 | 空、多いんですね |
乗り物 | 汽車・列車389、船517、バス254、飛行機75、車1031(クルマではなく車全て)、 | 汽車よりも船か・・・ |
人称 | 私・ぼく・俺1925、君・あなた・お前10618、我々・我ら・ぼくら・仲間695 | そりゃそうでしょう |
情感 | 喜113、怒・恨193、哀・悲1152、苦202、傷・痛765、楽473、涙・泪1839、 | 泪には全て含まれるもんね |
想念 | 故郷・ふるさと364、希・願587、夢3375、心2349、思い出535、忘1013、諦142、欲243、 酒・酔885、遠655、帰る770、待つ989、棄・捨259、切れる・果てる・絶える・離2657 | 夢。 人は、これなしでは生きられないのだと思う。 |
男女 | 男1155、女2376、出会(逢)438、抱1116、惚161、別・さよなら2258、恋3916、愛4138、 | さよなら(だけが)、恋、愛 |
婚姻・血縁 | 妻・女房2372、夫・だんな11、夫婦・めおと73、母・おふくろ276、父132、 | 当然でしょうな。 |
身体 | 顔1168、目1876、口・唇765、声939、耳245、腕203、手2494、指611、爪107、背中345 | 手が最多とは・・・ |
つぶやき: 菅内閣、「日米共同声明の修正」あるべし
<菅首相>普天間移設、出口見えず 「日米合意を踏襲」
6月4日22時27分配信:毎日新聞 【転載】
菅直人首相は鳩山由紀夫前首相から外交課題として、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題と「東アジア共同体」構想の具体化を引き継いだ。しかし普天間問題では「県内移設」を明記した日米合意に沖縄側の理解が得られず、党内の意見対立も根強い。菅氏は4日、「日米合意踏襲」を明言したが、沖縄の合意をいかに得るかが最重要課題の一つとなりそうだ。
「日米」の最大の懸案が普天間問題だ。菅氏は同日夜の党代表就任記者会見で「日米合意を踏まえると同時に沖縄の負担軽減を重視する。しっかり腰を据えて取り組みたい」と述べ、党・閣僚人事を決めるうえでも、大きな要因と位置付ける考えを示した。
菅氏は「私について、外交的な発言が少ないとおっしゃる方もある」と述べ、東工大時代、「平和の代償」などの著書で知られる国際政治学者の故永井陽之助氏の薫陶を受けたことを紹介。会見でも「数日前から『琉球処分』という本を読んでいる。沖縄の歴史も私なりに理解を深めていこうと思っている」とアピールした。
今回の代表選を通しては、「日米重視」か「沖縄重視」かの党内意見対立も浮かび上がった。菅氏がどちらに軸足を置くかが注目される。「日米協調」。前原誠司前国土交通相らを中心とするグループ「凌雲会」(約40人)が「菅氏支持」の条件に挙げた項目だ。自ら盛り込んだ前原氏は「菅氏が受け入れた」と判断した上で「支持」を明言。一方、集団的自衛権行使に慎重な議員有志から成る「リベラルの会」(約20人)の近藤昭一衆院総務委員長らも「将来の国外・県外移設を目指すべきだ」との考えを菅氏側に伝えた。菅氏陣営の推薦人名簿には前原、近藤両氏が名を連ねた。
上のPhoto、左の二葉は4日夕から、『菅内閣は「日米共同声明 撤回」に向けて動くべし』と、キリスト者らが行なったキャンドル国会包囲行動。 7時からは、首相官邸前抗議行動の「辺野古実」(辺野古への基地建設を許さない実行委員会)と、「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」の人々も合流。 右は「沖縄タイスム」速報。
同世代、70年代末市民運動出身の菅氏。在学中に司法試験パスし東大全共闘各位の弁護に奔走したという仙石氏。彼らの、理想と現実の狭間に在って苦闘を経て培ってきた方法論、政界を渡ってきた清濁対処、その「力」を発揮して欲しい。しかし、それは、「代議」の壁を破る「民」の直接性、実力闘争(非暴力)の後押しによってのみ可能なのだ。
戦後そのものの見直し。それは、移転先をどうするかを越えて、国民的課題だ。 戦後は終っていない!
つぶやき: 新首相(菅氏らしいが)は、鳩山無謀を引き継ぐのか?
6月3日 普天間基地は撤去、米海兵隊は撤退を!意見広告(5.15)報告集会。
【山内徳信参議院議員】
鳩山が「最低でも県外」(気分であっても)と公言する一方で、
「嘉手納統合案」などと打ち出し一貫して対米スタンスを「県内」で進めた外相:岡田、防衛相:北沢、前原国交相、徳之島案暗躍の平野官房長官は
皆同罪。宇宙人の気まぐれであれ、対沖縄に約束公言した方向性とは違う動きを、最初からしていた連中は同時辞任してしかるべき。
そもそも、辺野古を明記した「5.28 日米共同声明」を出してから、ハイさよならの鳩山は、確信犯です。
辞めるのに声明出し、対米荷物を遺したことが「責任」です。
辞めるなら、声明出せません、よって辞めます、が筋やろ!
新内閣(菅氏らしいが)は声明の修正協議をすべし。できないなら、衆参同時選挙あるべし。
で、選挙では、全民主党候補者に次のようなアンケートを取り、その内容を見た上で投票すべし。
①日米共同声明:辺野古案に賛成ですか? 反対ですか? ②普天間移設先を沖縄県内に探すべきですか? 撤去・国外移設するべきですか? ③日米共同声明はどうしようもありませんか? 修正協議を開始すべきですか? (五大紙にこのアンケートを取るように要請の手紙送って下さい)
この回答によって投票すべし。
つぶやき: 鳩山は退陣せよ! 社民党、政権に留まる道あるべし・・・
5月29日 沖縄タイムス: A.M6時54分発信
【社説】
『日米共同声明』首相の退陣を求める 沖縄を再び切り捨てた
日米安全保障協議委員会(2プラス2)が28日に発表した日米共同声明は、鳩山由紀夫首相の選挙公約で県民の期待が高まった
県外・国外移設を完全否定し、「対等な日米関係」を目指すとした政権公約を破棄するものになった。
【東京】
政府は28日、臨時閣議を開き、米軍普天間飛行場をキャンプ・シュワブ名護市辺野古崎地区および隣接する水域に移設する政府
方針を閣議決定した。同時に、閣議に先だって開かれた基本政策閣僚委員会で政府方針への署名を拒否した社民党党首の福島瑞穂
消費者行政担当相を罷免した。福島氏は罷免後に会見し「沖縄を裏切ることはできない。これ以上沖縄に負担を押しつけることに
荷担(かたん)はできない」と署名拒否の理由を語った。社民は党首の罷免を受け「連立政権のあり方に重大な決定をせざるを得
ない」との抗議声明を発表。党内では連立離脱の声も上がっており、30日の全国幹事長会議で最終判断を下す。政府方針は日米
共同声明を踏襲し、普天間の移設先として「キャンプ・シュワブ辺野古崎地区およびこれに隣接する水域」と明記。今後の政府の
姿勢として(1)基地負担の沖縄県外、または国外への分散(2)在日米軍基地の整理・縮小に引き続き取り組むこと―を盛り込
んだ。福島氏は会見で、鳩山由紀夫首相が辺野古埋め立てを「自然への冒涜〓」と発言したことに触れ「辺野古から始まって辺野
古に戻ったことに激しく失望している。私を罷免することは、沖縄を切り捨てることだ」と鳩山首相の姿勢を強く批判した。
※(注=〓は「さんずい」に「売」の旧字)
写真は28日:18:30~ 首相官邸前で抗議する人々(ぼくも参加しました)。 夜景高層ビルの手前、シルエットが官邸。
日本(ヤマト)の大報道機関には、三つのタブーあり。アメリカの戦争・日米軍事同盟・天皇。
歌遊泳(歌詞研究): 演歌の向こう側と「切れて」「繋がる」ために ①/5
「阿久・大野・ジュリー」組が駆け抜けた70年代最後の五年間
ジュリーッ! ジュリー:沢田研二が歩いてきた途、トップには立たない途には、「どメジャー」を忌避する、ある「美学」があったと思う。 考えてみれば、ジュリーは全盛期にも大いなるマイナーだった。いま、九条の危機を謳い、ネット上で、あれは非国民だと、 下品かつ暴力的な攻撃に晒されているらしい。(YouTube に在った『我が窮状』は、何故か消去されていて、現在見当たら ない。また、アップして欲しい) (あっ、Yahoo Videoにあった。http://video.yahoo.com/watch/3605408/9947720)←歌詞内容には疑義ありですが、それは別の機会に・・・。
2009年8月稿 再録
70年代末、ジュリーは、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫の歌にピタリ乗って、いい歌唱を届けてくれた。それは日本の歌謡に へばりつく、いわば大衆的抒情とは「切れた(い)」という刃を秘めた歌詞群だった。事実、色恋・花鳥風月・故郷・家族的「情」 希望や夢・別れ等を、聞き手に媚びて謳う従来の日本の大衆歌謡の歌詞とはどこか異質だった。 阿久悠・大野克夫・ジュリーのトリオは、「よかった」「あんたの時代」の最後の時間が今、まさに終ろうとする日々を、 何かに急かされ咳き込みながら、ひたすら駆け抜けたのだろか。ここでは、彼らが、75年から79年までの、わずか5年間に 集中して世に出した、連作:全8作品を振り返ることにする。8曲のほとんどが、ある「終焉」を前にした者の「喘ぎ」のように 聞こえるのはぼくだけか?時代は、すでに曲がり角(70年前後)を曲がってからかなりの時を経ていた。そして、ぼくらが 三者の5年間の「歌パフォーマンス」の意味を味わって聴く間もなく、70年代があわただしく過ぎて行った。 (阿久悠が書く男性には密かに頷けるのだが、女性への照れ・茶化し・皮肉のような視線は、当時の我を見るようでつらいところだ)
『時の過ぎゆくままに』(75年) 「身体の傷なら直せるけれど 心の痛手は癒せはしない」 http://www.youtube.com/watch?v=kYtRqhPEGh0&feature=related 『勝手にしやがれ』(77年) 「思い出かき集め 鞄につめこむ気配がしてる。」 http://www.youtube.com/watch?v=JX3dHdTt9OI&feature=related 『憎みきれないろくでなし』(77年)「傷つけ合うのが嫌いだからと ずるずるみんなを引きずって」 http://www.youtube.com/watch?v=0zn3zCCEaZs 『サムライ』(78年)「片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を」 http://www.youtube.com/watch?v=_Met9KGlyeQ 『ダーリング』(78年)「すべてがわかったといってくれ 世界中に発表してく」 http://www.youtube.com/watch?v=SMRn7IS-0mA&feature=related 『LOVE抱きしめたい』(78年)「あなたには帰る家がある やさしくつつむ人がいる」 http://www.youtube.com/watch?v=d712HJnMX_Y&feature=related 『カサブランカ・ダンディ』(79年)「男がピカピカの気障でいられた。 ボギー、ボギー あんたの時代はよかった」 http://www.youtube.com/watch?v=PxT4-8AGfek 『OH!ギャル』(79年) 「女の辞書には不可能はないよ 女は誰でもスーパー・スター」 http://www.youtube.com/watch?v=yBwgJxGAzpE&feature=related 《今、文字ヅラを追えばいささか恥ずかしくもある・・・》 《若い人へ:ボギーとは映画『カサブランカ』などに出演した役者ハンフリー・ボガードです》
93年のTVドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(緒形拳、裕木奈江)は、ポケベルで呼び出し合う時代の、中年サラリーマンと親子ほど 年齢差ある女性との「不倫」ラブ・ストーリーだった。その頃にはもう初期携帯電話が普及し始めていたから、少し時代遅れの設定 と思えたが、普及が、脚本から映像化までの時間を追い越して行ったのだと納得した。ぼくは、80年代初めには仕事上の必要から、 高価な自動車搭載電話を持ち、やがて身近な誰も持っていない重い携帯電話を入手して「大社長か?」と嘲笑われた。 現場関係の親方連中は皆持っていたのだが・・・。 ( 資料:ポケベル・携帯電話の歴史←http://www.econ.fukuoka-u.ac.jp/~junji/rekishi.html ) 今、言いたいのはそのドラマの男女関係のことではない。男女間の「緊急」かつ「やむにやまれぬ(?)」交信のアナログ性に込めた 想いのことだ。ポケベルのディスプレイに表示される、送信相手を示すあらかじめ設定した数字以外には、字も言葉もない世界の、 相手と己の「切実さ」や言葉を超える「言葉」のことだ。それは、主役の座を携帯電話・メールに奪われるポケベルの短命性と、 移り行く伝達手段の男女関係以上に「はかない」過渡期性を暗示していて、両方のやがて来る「終焉」を告げていた。 電話→ポケベル→携帯→メールへの、わずか40年弱の伝達手段の驚異の変化は、「ボギー、あんたの時代はよかった」と嘆く者を 嘲笑うようなスピードで進行したのだ。阿久悠・大野克夫・ジュリーが、5年間に喘いで吐いたものは何だったのか? さらなる、3D・新バーチャル・それ以上の、通信革命の世を生きる若者が、「ボギーの時代」を「よかった」と嘆けた「阿久悠の時代」 は、ホントに「よかった」んだネと、嘲笑って言うかもしれない。阿久悠・大野克夫・ジュリーの70年代末の言葉(詞・曲・歌唱、その 総体)は、ぼくにとって、「勤務会社偽装破産と職場バリケード占拠闘争」 「労組による自主経営企業設立」などと重なって いる時期だ。これに対し、『お前のここでの時間は、60年代の「思い出かき集め」「ずるずるみんなを引きずって」、 「帰る家がある」ことをいいことに、「心に花束 唇に火の酒」とうそぶいて、「ピカピカの気障でいられ」る時間なのだろうが?』 と、 60年代の友から、暗黙の賛意とも揶揄とも言えない言葉を浴びて、ムカつきながら怯んでもいたのだ。 けれど、なお辛うじて健在だった「総評」が、「共助」という労働組合の建て前(?)思想が、「自主」という「思込み」が、「このまま」の 神話であり続けていては、早晩破綻することを、阿久悠らの「喘ぎ」のように的確ではないにしても、薄々「予感」してはいたのだ。
今、ぼくには、未来に関して、ひとつだけ確かだと考えていることがある。人と人の交信のアナログ性が、 後代から、「ボギーの時代」は「よかった」と嘆きも出来た『阿久悠の時代』こそ「よかった」んだと言われそうな、伝達・交信技術の 「予想も出来ない新技術登場」に晒されても、人と人の交信が抱え持つ「切実さ」や、言葉を超える「言葉」⇒【言葉・行動・抗い ・共助思考・儲からない学・詞・曲・歌唱】 が、不要となったり、その座を別のものに譲り渡すことなどないのだと・・・。 だから、あれとそれとこれは、復権できるのだと・・・。阿久悠は、そのことを言うために、「終焉」の前の「喘ぎ」を演じた(作詞した) のだろうか。それは、日本の歌謡にへばりつく大衆的抒情と「訣別」することを通してしか、出来はしないと考えたのだろうか。 そして、それに、成功しただろうか? そこは各自の評価だ。