Archive for the ‘たわごと 書評’ Category

読書: 『写楽 閉じた国の幻』 著者の謎解き方法論への共感

島田荘司著、新潮社、¥2500                                                                                                                                                                                     通説への異論は思想であり人生観である。                                                                 迷路「写楽探し」を解く方法論の原点Keyは、島田が描き出す板元:蔦屋重三郎の心意気にこそある。

「Fortuin in,Duivel buitenn」(オランダ語)
「フォーチュン・イン、デヴィルズ・アウト」(英語訳)
「福は内、鬼は外」(和訳)・・・                                                                      主人公佐藤が、あるきっかけ(上記の奇妙なサインのある江戸期の絵の発見)から、18世紀の大江戸で「福内鬼外(ふくうち・きがい)」と名乗ったと言われているあの著名人を追うことから始まる「写楽探し」は、とてつもない結論への序章だ(この線は結ばないのだが)。                                                                                        何という壮大な、「通説」への異論の体系! 何という「開かれた」思考回路!もちろん島田説に脱帽し納得もしてしまふ。「専門家の写楽学」への挑戦であり、もちろん小説を超えて通用する説であり、在野の「学」の意地である。                                                                                                                                                                                           けれども、島田説は、あれかこれかの謎解き選択に核があるではない。そこにあるのは、世の「通説」に、異を唱える者の・それに抗う者の、孤立無援の立ち位置だ。それは、謎解きを超えた生き様なのだ。選択ではなく、異次元への跳躍・「閉じた」発想からの跳躍なのだ。「通説」(この場合固有名詞の如何を問わず、「写楽」は絵師の誰かに違いないという通説)が生まれ、支持され、学ばれ、市民権を得て行く、その「閉じた」構造総体を相手に立たねばならないのだ。「通説」を生み出し、保障し、定着させる力・・・、「あれ」だ。                                                                                               島田は、この「写楽探し物語」と島田版:蔦屋重三郎像によって、読者に、不遇と悲哀を甘受する「在野的学び」と「異論」の原点、「閉じた国」の闇を解く思考回路をこそ提示している。                                                                                                                          写楽を探す際の前提は、「蔦屋によってヒットし」「有名」であるのに、何とも奇妙な下記①②③。そこを考えることがスタート地点だと島田は言う。                                                                                                                      ①何故、何処にも写楽の存在や生活の痕跡が一切無いのか? 表に出せないのか?                                                                        ②何故、誰も「俺が写楽だ」と名乗らないのか? 名乗れないのか?                                                       ③何故、誰も「実は彼が写楽だよ」と告げていないのか? 告げられないのか?                                                                                                              当時の江戸状況下で、①②③は、どういう場合に起こり得るか、そこを解いて行くべきだ・・・と、ここに島田の立論スタンスがある。                                                                                                                                                                       それは、ぼくが少しはかじる「古代史」でも同じで、例えば(ほんの一例だが)、学者によって五世紀天皇の誰かだとされる「倭の五王」に関するあれこれが、何故記紀に記載されていなのか? から考えてみる・・・とか。                                                            

ふと、『楽浪海中倭人あり』(漢書地理志)、『建武中元二年(57年)、倭奴国 奉貢朝賀す。使人自ら太夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす』(後漢書倭伝)、三世紀『魏志倭人伝』邪馬壱国、五世紀・宋への『倭王武の上表文』、607年隋への『日出処の天子』の国書、663年「白村江の戦」での「倭・百済連合軍」が「唐・新羅」に大敗北、そしてやがて「日本」が登場、旧唐書:《倭伝》のあとの《日本伝》『或いは云う、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併(あわ)せたり』・・・・・・、その「倭国」史の謎を思ふ。                                                                                      それらの謎が、列島内部の「通説」・「公認史」をいくらひねくっても明らかにならず、前2世紀~7世紀までの全「東アジア史」の中に晒されて初めて、おぼろに姿を現すのだという、ぼくの日ごろのこだわりが頭をもたげる。                                                                                                                                                                                                                                        己が、組織が団体が党が国家が会社が家族が、自らを把握するには、他者の中に晒されねばならない。そこから逆照射するアングルが必要だ(個人としては、全く出来ていないのだが)。そうでなければ、「親バカ」的礼賛か近親憎悪をしか生まない。海・海峡・他国・他文化・他民族、互いに照らしあうその相互関係の俯瞰。それが是非とも必要な条件だと思う。現在日本の課題一例に即して言えば、沖縄に照らされ日本が在る、日本の闇を受けて沖縄が喘いでいる。その関係把握に、構図を解き明かす回路が垣間見えている。                                                                                                知念ウシさんはインタビューで次のように語っているが、日本-沖縄の関係の核心を突いている。                                                                                                                 『沖縄は早く自立した方がいいなどと議論されますが』 『日本の方こそ、沖縄への依存をやめて独立してほしい。沖縄が自立を進められないのは、日本が沖縄という植民地に従属しているからです。植民地とは本国が依存するものです。』 (朝日新聞:8月24日付朝刊)

島田は、「通説」が生れる根拠に、副主人公片桐教授が言う「国粋主義」などが介在していることを明確に述べている。前例踏襲・ことなかれ・自己滅却と権威依存・・・それらの合体と永い時間、それが歴史的謎解きや「学問」世界をも「国粋主義」などに道を譲ってしまうのだと言っている。
「写楽謎解き」が、実ははぼくらの「通説」信仰の根拠を炙り出すのだ。
この国の歴史の謎解きに、神聖にして至高の権威が介在し、「アカデミズム」がなおその呪縛から解放されていないとすれば、この一書は大いに参考になるに違いない。
己を見つめ把握するに、教育・受信情報・友・師・親・・・我が身に棲む幾多の他者が必要なように、
列島古代史を論ずるに、「古代東アジア」の地政学的俯瞰が不可欠なように、
「写楽探し」には、当時の社会と世界、「閉じた国」からの跳躍が求められたのだ。
それにしても、島田の積年の慧眼と執念に思わず拍手してしまう。

主人公=佐藤が、片桐教授という「女神的存在」(しかも、彼女は生まれながらにして海を・血を・国を・閉じた属性を超えているのだ)に救われるという設定に、島田の「男の本質はマザー・シップである」(太宰)に似た、ことの本質に迫る者が抱える共通の想念を見た。                                                                 

主人公佐藤は、挫折と現在進行形の不遇・失意・病に在って、「通説」なるものの「勝組性」を思い知らされるのだが、そもそもそうした「勝組」が真の「学問」であったためしは稀だ。あるいは逆に、ある不遇にこそ「異論」であって「真実」である宝が生きているものかもしれない。
「写楽探し」は実は何探しなのか? への考えが、読む前と読後で違うと読者が感じるならば、島田の目論みの九割は成功しているのだ。そして、ぼくはそうした読者であった。もっとも、島田説が学術的評価(多数派になれと言いたいのではない。こころある識者からの評価も生れて欲しいと思っている)に耐え得ると直感してもいる。                                                                                    島田の「仮想」写楽が、中村座・市村座・河原崎座の寛政六年五月の興行(画はこの舞台だと特定されている)を、観ることが出来たのか否か? の結論に至るラストの大団円は中々にスリリングで楽しめもします。                                          

                                                   

読書: 小論集『日本語は美しいか』。 「美しい国」論との同根性を読む

『日本語は美しいか』(遠藤織枝他、三元社、¥2300)

「日本語は美しい」と主張するこれまでの言い分は「日本語」を母語とする者によって、「日本語」で語られ・書かれて来た。そのことに対して、「いささかアン・フェアだろうが…」と思って来た。それはまるで、ある社(党でもいいのだが)の風土・人心・歴史 etcを、他ならぬその社の社長・役員・従業員、つまり内輪のみで称え合っているような「親バカ」的構図だと思ったからだ。                                                                              はたして日本語は美しいのか? 言語の美しさとは何のことか? また、各言語には備わった醜美の等級などあるのか? そもそも、どうやって他言語の醜美度を測りかつ比較するのか?                                                 本書は「日本語は美しい」なる論の、恣意性・虚構性・いかがわしさの、発生メカニズム・国家や支配層の関与・話し手(母語話者)の受け止め方などを、日・中・韓・ニュージーランドでの調査、歴史・文献などをもとに明らかにして行く。若い(かどうか知らないが)学究者たちの小論文集だ。                                           ぼくのような、日本語に無頓着な、言葉素人にも分かり易い一冊だ。                                

「日本語は美しい」なる説の根拠・来歴は、日本でしか話されない地域言語「日本語」の、虚構の世界性・アジア盟主性を無理にでも確立したい者たちが、母語話者に当然備わっている「馴染み」「愛着」を巧みに利用しそこに「美しい」を加味して推進した構図のようだ。しかも、他言語など知りもしない推進者たちは「簡潔で単一」「澄み切っている」「敬語こそ美しさの根拠だ」と言いながら、「世界に類例のない敬語が乱れている」と危惧してもいる。                                                                                           ならば、澄み切って単一のはずの言語を、アジアに広める任務の教員に見られる各「方言」は困ったものだと、何故嘆いているのか? アジア共通語を画策した者たちが、日本語を「完成」させようと躍起になったのは、実は、それほど、未完成で、多数の方言があり、敬語も各階層で違い、狭い島限定の地域語であることを、推進者自身が承知していたことの証左でもあろう。                                                                                                                                                                                                                                                                あるいは、「簡潔」と言いながら、敬語の「難しさ」を言うが、では、難しさイコール美しさなのか? また、類例がないはずの敬語の格付けが日本語よりうんと複雑なインドネシア語は、より美しいのか?                                                                                                         言語にはそれぞれに美しさがあり、その言語の内部での「美しさ」を磨くしかないのではないか。それは、他者の受容と己の明確な自己主張によってのみ初めて可能性が垣間見える、「自立と連帯」のように難しい。

そもそも、日本語を巡る「美しさ」への心情経路は次のような超飛躍三段論法ではなかったか?                                             『我は、美しいものが好きなのだ。だから、我が好きなものは美しいに違いないのだ。                                                                  我は家族・親類縁者・我が故郷が好きだ、それらの人々・社会が好きだ、その集合体である「ニッポン」が好きだ。                                                                                                          話されている言葉=「日本語」も好きだ。ゆえに、我が好きな「日本語」も「日本」も「美しい」のだ。 文句あっか?』                                                                                                                                                                                                            橋本信吉・金田一・三木清・吉川幸次郎・日夏耿之介、といった高名な学者も、この論の外には居ない。                                                              当時の時局柄か、中国出自の言葉への劣等感を裏返した敵意に充ちてもいる。日本人なるものの構成史のように、列島に「ことば」が先行して原生していたのではないのだから、日本語も何らかの「寄せ集め」であることは自明なのだが…・・・。                                                                                          

「日本語は美しい」なる論が、「美しい国」を標榜した某首相の意図と瓜二つの論理立てで主張されて来た経緯がよく解る一冊だった。敬語や女性言葉も、家父長制を支えるツールの一つだと言えるが、男の学者どもは「敬語を中心にした女性言葉こそはその美しさの根幹だ」とその社会性・歴史性・支配性には、あえて(?)目をつぶっている。                                                                                                                                                       これを超えて、日本語への相対観・距離感を保った上で、他との比較でなく、かつ、何らかの恣意性に与することのない、「日本語」の「個性」にも独自に備わっていよう「美しさ」「繊細さ」「深さ」について、知り学ぶことは大切なことだと思う。それによってこそ、ぼくらは歴史と他者と自身に出会う可能性へと進めるのだから…。                                                                                                                                       我が**は美しい、我が**は愛しい、我が**は素晴らしい、我が………、その親バカ性と排他性。 肝に銘じたい。                                                              ここでも、「切れて」「繋がる」がKEYなのだ。 

品川塾空説:                                                                                                                                                                                  ひょっとすれば、日本語は、海洋系基礎単語身体語・数詞(ヒ・フ・ミ・ヨ)・発音+北方文法+中国・朝鮮の概念語や他の                                                                                                                                                    多くの要素から紡ぎ出されたのではないか? ならば、その合成成立史はすごいことだ。日本人なるものの構成成立史と無関係ではないはずだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                  『楽浪海中倭人あり』の倭人は日本語の原型を話していたか?違う言葉だったか? 卑弥呼はどんな言葉を話してしていたか?                                                                                                                                                                                                            倭の五王は? 隋の煬帝に国書を送った倭国の王=日出る処の天子=多利思北孤=タリシホコ は?                                                                                                          「白村江の戦」では「百済・倭連合軍」はどんな会話を成立させていたのか?                                                                                                      柿本人麻呂の 『大王之 遠之朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所思』は、本来どのような言葉と音だったか?                                                                                                       【通説読み: おほきみの とおのみかどと ありかよふ しまとをみれば かみよしおもほゆ】                                                                                                                                                                                                                                    日本語の原圏は古代史と離れて語られるべき事柄ではない。 残念ながら、そこが未明なのだ。
                                                                                                                             追記:                                                                                                                    ぼくが、心底美しいと思ったのは、北原白秋『からたちの花』です。「みんな みんな やさしかったよ」…。                                                                                                              日本語が美しいのか、それとも、刷り込まれた日本語浅知識の判断基準に照らして、その中で「これは美しい」と感じたのか…?。 後者でしょう。                                                                                               美しさは、比較しようもない言語種にではなく、言語によって「幻想」される情景・心情・世界を美しいと感じる心に宿るのではないでしょうか?                                                                                                                       その美しさに見合う、あるいは適する「言語」-「発音」「抑揚」「語感」「語順」「構成」であるかどうかは、「日本語」しか知らない者には解りようもなく、ただ「日本語としては」、「知っている日本語の中では」、「この表現、構成は」 美しいのではないか? と思うばかりだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       『からたちの花』 http://www.youtube.com/watch?v=nC9-40wKDfM&feature=related                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

                                                              

読書: 「鎮魂歌」ゆえに「応援歌」 熊沢誠著 『働きすぎに斃れて』

熊沢誠著:『働きすぎに斃れて』(岩波書店、¥3200、380頁) -勤労者の価値観の総体変更への勧めだと読みたい-                                                       本書を手に取ると、ズシリと重く(岩波書店、¥3200、380頁)、読むとそれは、書かれている事態の重さと著者の想い(怒り、鎮魂、共感、無念、遺された者への応援歌)が積もった重さであった。  が、一気に読んだ。

感想を書こうと思いつつ、今日までその「重さ」に圧倒され、又苦手な社会科学書の中身を伝えたいという柄にもない欲に邪魔されて書けなかった。ぼくとて、映画を見て胸詰まったことはある、例えば一昨年の『ぐるりのこと』(橋口亮輔監督)。小説を読んで落涙したこともある、例えば昨年の『八日目の蝉』(角田光代著)。  だが、これまで社会科学の書物を読んでそれはなかった。ところが、本書を読み進めていてそれに遭遇した。

本書は、読者の多くが「これは私のことだ」と思える、日本の労働現場を覆う「強制された自発性」の果てに「斃れるまで働く」者の葬列に寄り添う者・立ち会う者からの、鎮魂と告発の書なのだ。背表紙にはこうある。

『死にいたるまで働く人々、それはまるであなた自身の姿ではないか――。ふつうの労働者が「しがらみ」に絡め取られながら限界まで働くことによって支えられてきた日本社会。そのいびつな構造が生み出した厖大な数の過労死・過労自殺の事例を凝視し、日本の労働史を描き出す。現状を変えていくための、鎮魂の物語。』

労使関係論の学者、科学者熊沢誠が、込み上げる感情に筆を奪われまい、「科学的」でありたいと、抑制・苦闘した跡が、行間のそこここに溢れているのだが、その感受性に裏打ちされた筆致は、さながら作家が書いた「物語」の様相を呈してもいる。もし、これを情緒的だと言う者がいるなら、そうではないと断言しておきたい。

優れたドキュメント映画がそうであるように、優れたルポは人の心を揺さぶるのだ。 情緒的なのではなく本質に迫っているのであり、「物語」なのではなく調査・資料に基づく詳細なルポである。情緒の物語が、涙を流したところで終わるのなら、これはそこから始まるのだ、直接性の世界が・・・。

読者には、否応無く、本書が言う通りの「強制された自発性」に追われた昨日・今日の職場があり、「名ばかりの管理職」の激務に苛まれる明日の仕事がある。人生の大きな部分を占有している労働の「場」、出口のないその「場」を変えてゆく方策を掴まなければ、「燃え尽きるまで働き」「斃れる」のは「ひと事」ではなく明日の自身かもしれないという、追い詰められた者の臨場感が在る。

証券マン・教師・トラック運転手・介護士・ファミレス店長・電気工事者・自動車工場・設計技師・精密機器産業・銀行員・システムエンジニア・・・、そこには「名ばかり店長」「派遣や請負の非正規社員から管理職社員まで」の葬列があり、「いじめ」とパワハラがあり、ブルー・ハーツの歌のごとき「弱い者が夕暮れ さらに弱い者を叩く」という風景があり、それを奨励して「統治」する日本の労働現場の「構造的ひずみ」、つまりは成果主義・ノルマ・強制された「自発性」・提案や反省文の強要・連帯責任・度外れたサービス残業・全面屈服を前提に成る人事考課・派遣請負化・・・積年の労使共謀による合作たる「共助風土の解体」が在る。

裁判や労災認定申請の過程の記録を駆使した、50を超える詳細な実例記述は、斃れてしまった当事者の無念を超えて、「死に立ち会う者」の心労と共感を超えて、企業への怒りを超えて、制度・人的環境(仕事仲間、労働組合)への告発を超えて、実は当事者に撥ね返って来る課題を抑制的に・控えめに浮かび上がらせてもいる。

その「超えて」に必要な方法論を、労組や周囲が「示して欲しかった」、自身が仲間・家族などの助力を得て「見出して欲しかった」という鎮魂・無念の記は、一義的に個人に責があるのではないと解明する論証だ。

映画『ぐるりのこと』を思い出していた。

この映画は、待望して身籠った子の死から、こころのバランスを崩しやがてこころを病んで行く妻、その妻を何とか支えようとする夫。妻が再生への入口に立つまでの夫婦の日々を描いている。靴修理の仕事から「法廷画家」に転職した夫は、最近の、凶悪・悲惨・冷酷犯罪の裁判と関係者を目の当たりにする。 人や社会との関係も成立し難い病に沈んで行く妻を支えようとする夫の、こころを広げ浄化し高めて行ったものが、逆に「法廷」で知る眼を覆いたい事実だったことを通して、ある「可能性」を示していた。事件の悲惨、被害者の無念や打ち砕かれた未来・希望、加害者のこころの闇・・・、その「公的」意味を自己の内に刻み蓄積できた者だけが持ち得る、ある「可能性」を・・・。

そして又ぼくは、昨日のニュースが伝えた制度開始一年の、「裁判員」体験者へのアンケート結果を考えていた。アンケート結果は言う。大多数の人が、「社会全体のことを考えるようになった」と答えていると・・・(裁判員制度自体への評価は保留とします)。 人は、個々の悲惨や受難の具体を知ることを通してこそ、「社会全体」を考える「能力」を持っているのだ(とばくは確信している)。

又、情理を尽くした誠実な記述をもって、読者を「労働」と「日本の労働現場」の全体を思い起こさせる「場」へと導く、その「力」を持っていた。加えて、事態は今日の明日の我が事なのだから・・・。

本書は、ぼくのような社会科学書苦手者に棲む「苦手」理由を覆して、その論旨を一般読者に届け得た、たぶん数少ない書物だと思う。それが、著者の「隠し切れない」感受性に負っていることは間違いない。

労働→生産→購買消費生活→社会的位置→夫婦・家庭→趣味娯楽→子を巡る願い→労働→生産→・・・・・。 勤勉に付着している、出来れば「出世又は安定」したいという「在ってしかるべき意識」、購買・消費の底にある「誘導された欲望」、家庭運営の基本に居座っている「人並み」な水準を家族に与えたいという「横並び強迫」、けれども自身の労働、明日また繰り返す労働は、その「欲望」を前提にした「不要不急のモデル・チェンジ」に類する作られた消費欲望に相応する生産の、自身によるその再生産なのだ。環状にしてエンドレスの、この強固な輪。そのどこか一箇所でも「断ち切る」ことが出来たら、強固に見え不変に思える輪は、形状を維持できず見る見る溶解し、姿を変え、風景は変わるのではないか? 企業が、そして多くの場合労働組合までもが、その輪を打ち固める側に在る限り、ぼくら自身が、まず、その輪の切断可能な箇所を「エイヤッ」と「断ち切る」。ぼくらのそうした挑みが、勤労と生活を覆う自身の価値観総体の変更(下記の著者結語にある「集団主義」)への、出発点だと思うのだ。それは、「自己責任」論と聞こえそうでそうではない、ささやかでも根本的な、生きることの「自己決定」なのだ。   玉子が先かニワトリが先か?  企業の政策や職場の人的環境や労働組合自体の、永い変更への架橋を築くためにこそ、いま玉子が先なのだ。「反:自己責任論」に立てばこそ、いま、ぼくたち自身が「価値観の総体変更」を獲得するために、時に頑ななプライドに縛られ、時に生活的強迫や弱さから、時に上昇志向から、そのままにして来た輪の一部を、「断ち切る」のだ。そう思って部厚い本を読み終え、再度開いたりしていた。

著者の結語はこう「全体」を語っている。

『80年代以降の新自由主義がなお勢力を保ち、働きかたの「個人尊重」論がもつ惰力としての受難の「自己責任」論によって、目前の働きすぎとワーキングプアの併存すら一定不可避なことと見なされもする現時点では』 『形成されるべき労働者像とはおそらく、価値基準としては、自分にとってかけがえのないなにかに執着する「個人主義」を護持しながら、生活を守る方途としては、競争の中の個人的成果よりは社会保障の充実や労働運動の強化を重視する「集団主義」による――そうした生きざまの人間像であろう。』

【余談】(以下の感慨はぼくばかりではないだろうと想像します)

①学術書では、裁判資料の引用時に、裁判官氏名の記載が当然なのだろうが、裁判官の「諭し」や「叱咤」にはある「誠実」が読み取れて、時にそこに聞き流せない重量があったと認めたい。氏名表記の連続に仕事仲間や労組が、裁判官から「諭される」(裁判官が保持している「人権感覚」さえの欠如を指摘される)がごとき事態への、著者の想いが伝わって来て本書の立ち位置が沁みて目からウロコ。

②中部電力主任焼身自殺の事例。激務から「限界」にいた夫に対して、妻が「声さえ掛けられなかった」ことに、被告代理人たる女性検事が「何故」「カクカク云々と声掛けしなかったのか」と追求する場面がある。著者の記述の底に、「おんながおんなを貶めること」の二重に屈折した「権力性」への怒りを読んだ。女性が「国家」の意向(威光)を背に語る構図の引用に、著者の、女性観や女性へのまなざしや共感を垣間見たのは、ぼくだけの読みすぎだろうか・・・?。 

読書: ねじめ正一著『荒地の恋』

ねじめ正一著 『荒地の恋』(文芸春秋、¥1800)を読んだ。
面白かった。痛ましかった。羨ましかった。
 
***************************************************************
 戦後詩を牽引した「荒地」(あれち)。
識者は、戦後詩の出発も完成も「荒地」の同人達の手によって成ったといっても過言ではない、と言う。
同人は、田村隆一・鮎川信夫・衣更着信・黒田三郎・中桐雅夫・北村太郎・吉本隆明ら多士済々。
実際、文字通り現代詩・戦後詩の格闘の最先端に立って、詩的荒野を切り開いた面々だ、と聞いた。
『荒地の恋』は、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」
http://d.hatena.ne.jp/exajoe/20070524)と詠った詩人:田村隆一の、
その妻:明子と、 田村の学生時代からの親友にして「荒地」同人:北村太郎との
「熟年」の「不倫」の「恋」を描くのだが、
罪深くスリリングで、耽美で破滅的な関係を描きながら、
炙り出され浮かび上がる背後の「荒地」世界・・・。
還ってゆくところ魂のふるさとは、「荒地」なのだという身に刻印された宿業と、
明子も太郎も、当人たちの関係よりも結局は「荒地」を愛したのだという屈折と、
そのてっぺんには田村隆一という巨壁がいたという事実と、
最初の妻(あなた、わたしを生きてくれなかったわね)と息子を  同時に喪い、
忘れる日などない北村の喪失感と、
・・・・と、     ・・・・と。
後半残り三分の一に来て、俄然引き込まれる。泣けて困った。
「荒地」の面々が次々逝く。黒田三郎・中桐雅夫・鮎川信夫・・・・そして北村太郎本人。
人は、願おうが願うまいが、死に向かって生きているということの無常が迫る。
お互い激しく罵り合い陰口を叩き合い、信頼しあった仲間・戦友・・・
人は、男も女も、皆、それぞれの地でそれぞれの暮らしに在って、それぞれの課題にそれぞれの方法で、
それぞれの闘いを生きて来たのだ、今もそのはずだ。
むろん、ぼくの場合は、たそがれるのが精一杯の 品川宿居残り野郎。
『荒地の恋』は、彼ら「荒地」派の 死に向かって生きる(生き抜く)魂を淡々と描いて秀逸。
われらは、こんな「戦」友を持っているだろうか・・・。
友はぼくを友と思っているだろうか・・・?
人生は、死までのモラトリアムなのだろうか・・・?
(添付の田村隆一・北村太郎の画像、ええねぇ~! 世界を相手にする者の顔だ)
【荒地派、没年】
黒田三郎:1980年1月(60歳)
中桐雅夫:1983年8月(63歳)
鮎川信夫:1986年10月(66歳)
北村太郎:1992年10月(69歳)
田村隆一:1998年8月(75歳)
衣更着信:2004年9月(84歳)
追記
吉本隆明:2012年3月(88歳)

たわごと書評: 坂の下の曇り空  劇画『「坊ちゃん」の時代』を読む

リ・ダイアリー 09.9.30
【勉強をして来なかった者の、劇画三昧】
> 散逸したという龍馬の「幻の憲法草案」(薩摩に、長州に、幕府に、朝廷に、土佐山内にも配慮して変更した「船中八策」の前の大元素案)には
> 幕府はもちろんだが、天皇も無くして共和制とする旨記載されていたという。(だから暗殺されたという説を支持します)                     
>反幕府藩連合の新幕府ではない、永く実政治に関与しなかった朝廷を担いでの王政でもない。                                                                                              > 藩・幕府・朝廷の力学域から脱した異次元のステージの構想であった。
> 「奉還」先は「やがてあるべき何モノか」(たぶん共和制国民国家)
> であるはずだ、とする考えに至っていただろう。
> それが、龍馬の「公」であろう。来年のNHK大河ドラマ(福山雅治だそうだ)はもちろん、他の龍馬伝からも消されているという。
>
> 劇画『「坊ちゃん」の時代』(文・関川夏央、画・谷口ジロー、全五巻、双葉社)を読んだ。
> 西欧文明を受容しつつ疑い、疑いつつ受容する(関川夏央)。
> 開国の幕末から日も浅い明治人は、圧倒的西欧文明に向き合おうとするとき、
> 国家・国権・国威の拡大と近代的自我の確立とを重ねてしまふ誘惑に駆られた。
> (笑うな!帰属先(教団でも党でも株式会社でもいいのだが)の充実発展の中に、自己の確立を
>  重ねては悦に入っていた御仁を5万と知ってるぞ。「個」が帰属先と未分化なのは、
>  何も前世紀・前々世紀にのみ限った現象ではない。人が属性に依って生きることの傍証だ。)
> 近代化の渦に在って「絶望し」「かく善く生きよう」(関川夏央) と苦闘した
> 鴎外・漱石・二葉亭・・・・啄木・平塚らいてふ・菅野須賀子・幸徳秋水・・・・
> 明治人は、国家・天皇・政府・法・宗教・諸規範を超えてあるはずの
> 「公」を探していたのだ。国民国家はすでに、ヨーロッパにおいて侵略的経済活動単位にして、
> 排他的ナショナリズムの元凶との正体を曝しその幻想は崩壊しつつある。
> 明治政府は、天皇を「公」として盛り立てる策を次々と打ち出し、返す刀で
> そのことに抗う不敬の輩への、天皇の逆鱗や容赦のない課罰力を
> 天下に示す機会を密かに(堂々と)準備していた。「大逆事件」がそれだ。
> 天皇以外の「公」が登場し薩長革命の構図が崩れるを極端に恐怖する、
> 最後の維新革命世代たる山県有朋による、多くの無関係者を含む
> 「この際、根こそぎ」的な、24名に死刑(12名無期に減刑)という
> 容赦のない前代未聞の暴虐であった。
> 「このとき日本の青年期たる「明治」は事実上終焉した。そして昭和20年
>  (1945年)の破局に至るレールの上を走り始めたのである。」(関川夏央)
> (「公」なき日本は、この破局後も江戸瓦解からなお地続きのままを生きる?)
>
> 一方、対ロシア「戦争」に多大な犠牲を強いられた民は
> 西欧の一部には違いないロシアとの戦争勝利に、「西欧と肩を並べたぞ」意識、
> 国威の拡大を自己の確立にダブらせる思想(「気分」)、
> それにすがって自己を支えたのだ。軍国昭和へ走る街道の初期道だ。
> 現実は、戦費総額=国家予算の4倍で戦争継続の余力無き明治政府が、
> アメリカに仲介を依頼、賠償金なき講和を「勝利」と喧伝したに過ぎない。
> 日露戦争後のポーツマス講和会議の結果に人々は「軟弱外交」と抗議し
> 各地で「戦争継続」要求の大衆街頭行動まで繰り広げたという。
>1904~1905年(明治37年~38年):「日露戦争」、
>1910年 (明治43年):「大逆事件」、 
>1910年 (明治43年):「日韓併合」。
> 100年後の今日から見ると、この三つがワンセットだったとハッキリ見える。
> 西欧化を目指し西欧と戦い、天皇制強権国家を完成に向かわせつつ、アジアを奪う・・・。
> 西欧と伍すためにアジアを奪う? 薩長主導の明治新国家の国家目標の核心だと言える。
> 添付画像は『「坊ちゃん」の時代』第三巻 『かの蒼空に』 の表紙、この巻は啄木が主人公。
> 啄木の実生活は一面「とんでも」男なのだが・・・http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-2.html 

> 稀代のC調寸借王・生活破綻者・無用の人たる彼にしてようやく見えることもあったのだ。 
> 無用の人、啄木は「大逆事件」「日韓併合」の同時代に在ってこう詠んでいる。
> 『何もかも行末の事見ゆるごときこのかなしみは拭ひあへずも』
> 『秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔撫でて吹く』
> 『地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く』

 
> 『「坊ちゃん」の時代』(全五巻:双葉社刊)
> 第二巻『秋の舞姫』は鴎外が主人公だ。
> 巨大な先達でもあり、かつ違和の対象=西欧という山脈の前で
> のたうつ彼鴎外は、西欧への劣等感を埋め合わせるかのように、
> 異境に在って薄幸の女=舞姫との関係を持つ。
> (鴎外の深層心理を見透かすように、舞姫は実はユダヤ人だったのだ。
> 「舞姫」一篇は、西欧へのコムプレクス問題と、擬インテリは上昇志向を
> 何を棄てて成就して来たか? といふ二重テーマによって成立している。と聞か された記憶がある)
> 『「坊ちゃん」の時代』第二部によれば、ドイツ滞在時、鴎外はある夜、乃木希典なども同席していた宴席で
> 明治初期日本政府の招きで開成学校で教えたナウマン博士の言に噛みつく。
> 「日本は急速な西欧化を目論んでおる。その意気やよし、知識欲やよし。
>  しかし、残念ながら西欧化近代化の基礎となるべきキリスト教文化を
>  欠いておる。わたしは断言する、 日本が西欧と肩を並べる日はつひに
>  来たらず」というナウマン氏に、   鴎外は
> 「日本には古来、武士道があります。武士道は信と義との結晶です。
>  我々は、数千年心性を鍛えぬき、いま西欧の覇道から身を避けるために
>  たかが数百年の洋智を学んでいるのだ」と、気色ばんで言い返す。
>
> しかし、日本の歴史に明らかなように武士の登場は平安末期であるし、
> 言うところの「武士道」の暦は決して数千年ではない。
> ここで「武士道」と名付けて引っ張り出されたものは、より永い歴史ある
> ものとして、後年「やまと魂」として提出されたものに連なる「虚構」か?
> 誤解を恐れず言えば、数千年を耐え抜き持続されたものなど無いので、
> あえて「武士道」というものを持ち出すしかなかった、と思える。
> 西欧の「神」に代わるものとして「天皇制」を持ち出さなかった苦肉の言説の意味するところは大きい。
> 「天皇」が、世界の光の中に晒されたとき、それは「私」的な存在だと
> 明治知識人は承知していたのだ。
>青年「明治」は、より高次の「公」、揺るがぬ「公理」を探していた。
>
> 明治政府は、「天皇」「官」をもって「公」に代え、それに絶対権力を付与した。
> だがしかし、それは断じて「公」ではないのだ!
> 最終正義を持っている在り方は、それが教義・教祖であろうが
> 「天皇」であろうが、その先が無いのだから一種の思考停止状態を生み、
> 論理や疑義の発展の可能性を閉じてしまう。明治政府が天皇を絶対
> とした瞬間、軍国昭和と1945年が用意されたと言えまいか。
> 幕末と明治は地続きであり、明治が昭和を準備し、昭和は昭和で
> 人間宣言をして焼け跡に舞い降りた裕仁が、戦前と違う言葉を発する以外
> 戦前と戦後は同じであり、つまりは幕末から平成まで
> 時代は天皇の代替わりや、外的な事件によって区切られてなどいないのだ。地続きなのだ。
> 「公」なき、のっぺらぼう日本の時間が過ぎて行く。
> その裏では、しばしば「大逆事件」時の山縣有朋の役割を果たす
> のっぺらではない強面の巨魁が領導する事態が何度も繰り返された。
>
> 今日、この国で最も「公」に近いものは『憲法』だろうか? 
> 敗戦時のまさに「国体」の処置と、天皇の責任の曖昧さが、地続き日本、
> のっぺらぼう日本の、金太郎飴人心の、大きな原因だとぼくは思う。
> それはともかく、新左翼に「公」概念、「公共性」への意識が希薄ではあったとは認めたい。
> 某主義を語り、革命を謳った。党組織論を述べ、国家論を論じた。
> が、それらを越える「公理」「公」など抽象論だとして捨て置いたと思う。
> 多くの悲劇や惨劇が、そのことと無縁だとは思えないのだ。
> 明治の「主義者」には「公」が在ったか・・・?
> 幸徳秋水は日露戦争に際して、こう演説していた。
> 『ロシア平民と、われら日本平民とは同志であり、断じて戦うべき理なし。
> 愛国主義と軍国主義とは、日露平民共通の敵ならずや!』
>
【付録】
[漱石先生の大和魂観]
漱石先生は、こう言っている。
『東郷大将が大和魂を持っている。魚屋の銀さんも大和魂を持っている。
 詐欺師、山師、人殺しも大和魂を持っている。誰もみたものはない。
 誰も遭った者がない。大和魂 それ天狗の類か』 (『吾輩は猫である』)
******************************************************

書評: 脇田憲一著『朝鮮戦争と吹田・枚方事件-戦後史の空白を埋める-』(明石書店)

「青春の終焉」から「青春の復権」へ

イントロ部】
 三浦雅士はその評論集『青春の終焉』(2001年 講談社)の前書きをこう始める。

  ――「『さらば東京! おおわが青春!』
一九三七年九月二十三日、中原中也は、詩集『在りし日の歌』の後記の最後に、そう書きしるした。享年三十一。詩集原稿は小林秀雄に托された。
『還暦を祝われてみると、てれ臭い仕儀になるのだが、せめて、これを機会に、自分の青春は完全に失はれたぐらゐのことは、とくと合点したいものだと思ふ』
 小林秀雄がそう書きしるしたのは、四半世紀後の一九六二年。友を失った批評家は、生き延びて、六十歳を迎えていたのである。」――

続けて、青春や青年という語の起源と、発展し世に定着する過程、下って60年代後半に急速に萎んでしまった背景などを語っている。例えば「伊豆の踊子」では、青春がエリート層の旧制高校・帝国大学という制度による囲いこみによって維持された、つまりは階級による特権者の独占物であったと語り、主人公はまさにその青春に在り、登場する人々、踊子も栄吉やその女房も青春とは無縁だったと述べる。60年代後半の学生反乱こそは、そうした永く続いたエリート層・特権者の独占構造の大衆化を通じた解体過程、青春の終焉であったと言う。青年という語にはあらかじめ女性を排除する思想性が間違いなく付着しているし、それは保護者の会を父兄会と呼び、労組などでも若い男性と女性全部を一緒にした部会を作り、青年婦人部と呼んでいたことにも正直に表れているとつなぐ。

 事実、70年を前にしたぼくの学生期には、所得倍増の「成果」が創り出したその特権の大衆化の中で、青春や青年といった語は、臨終直前であり、やがて青春・青年はダサい気恥ずかしい言葉として姿を消した。三浦氏が言うとおり、青春文化・青年文化とは呼ばず、代わって若者文化と称したのだ。 (以下、カルチャー・レヴュー37号、http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2

全文は、 http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2                                                              

書評:ヘルメットをかぶった君に会いたい

「世代」という「城壁あるいは党派性」を崩す試み

      鴻上尚史著『ヘルメットをかぶった君に会いたい』(集英社\1,700)

 懐かしい昔の曲を集めたCD集のCMを観ていた作者は、TV画面に【はしだのりひこ】『風』が流れる度に映し出される背景映像に目を止める。60年代末、ワセダの入学式前後の映像だ。その中の一人、大写しの女性に強く心惹かれる。学生運動なるものが「牧歌」的(?)であっただろう時代。ヘルメットをかぶった当の学生もまだ顔を隠すマスクなど着けてはいない解放感。色の違うヘルメットは華やいでさえいて仲良く交錯しているかに見える。そこに醸し出される薫り匂い・・・。

 作者は、いうところの内ゲバやリンチ殺人事件といった夥しい負の現象と思想の屍(?)を背負ったまま、やがて学生運動が終焉を迎えて行くその同時代に間に合うことなく、その「あと」にワセダに入学した者であった。例えば3億円事件(68.12)の時には、作者は小学校四年生の少年であったのだ。

 いま、画面に映っている一人の女性、「ヘルメットをかぶった君」の微笑みは何なのか? 一世代前の学生運動の云わば原初的精神、映像から垣間見える「牧歌」の正体、そこを知りたい。映っている世代への羨嫌がないまぜになった憧憬、祭りのような時空・その映像の中に「自分がいるんじゃないか」(鴻上)とさえ思わせる高揚、そうした感情の根拠を解きほぐして見届けたい。その世代の原初の声をどうしても聞きたい。そうした想いが「君に会いたい」となって込み上げてくる。作者の「ヘルメットをかぶった君」捜しが始まる。

貴女は何故こんなにもにこやかに微笑みながら、新入生らしき若者に語りかけているのか? この無防備な雰囲気の根拠は何なのか? それは意識して創られた演出なのか、自他への本気の信頼なのか? 貴女は今どこに居て、そしてどうしているのか?                                   会えば、知りたいと希う答を伝えてくれるか?

 ぼくは生年で括る世代論に与する者ではない。公的記憶(パブリック・メモリー)と生年とを重ねて語られる世代論のいかがわしさを、嫌というほど聞かされ辟易して来た者でもある。生れ年ではなく、記憶を刻んだ時間がその人の最初の時間だと考えて来た。否応なく自身に向き合わねばならないあの時間のことだ。

 にも拘わらず、ぼくを含めたあらゆる「世代」が持ち合わせている抜き去り難い排他性の根拠は一体何なのか? ぼくはそれを「世代という城壁」と呼んでいる。その城壁の内側には、ある「公的記憶」を共有する者が「同世代」であること以外何の根拠もない相互免罪の恩恵に預かって、棲み続けている。城壁は城内の自分たちと城外の他世代とを隔てていて、それは、ほとんど党の城壁に似ている。だからたぶん、それは「世代という党派性」に違いない。そうした城壁を意識して崩そうとする者は稀で、ぼくらは赦されて棲むことができる城内に留まっているのだ、共有する「公的記憶」それ自体を問うこともなく・・・。

 作者鴻上が成功したかどうかは別にして、『***君に会いたい』一冊は、ぼくとは違う世代からのぼくらの「世代という城壁あるいは党派性」を崩す試みである。

  さて情報だけは捜し出せた「ヘルメットをかぶった君」は、果たして現在もなおK派の現役活動家であった。五十代後半の彼女が、微罪で全国指名手配中であること、CM映像当時のK派全学連委員長の彼女だったらしいこと、ワセダのキャンパス内で起きた内ゲバ殺人事件の見張り役だったのでは? などが示されるに及び、作者の思想の片鱗、言わんとするものが見えて来る。

貴女のあの時の微笑みと、その後の時間との関係性を教えてくれ。 自分が体験したのではないという意味で「幻の過去」(鴻上)である時間への「激しい郷愁」(鴻上)と共感、貴女をいまなお党の「城壁」の内側に留まらせている「力学」への当惑と違和。

実はその明暗の両方を、我が身に棲むものとして引き取り解き明かさないことには、あの世代と交信することもその城壁を崩すことも出来はしないのではないか?

その「力学」がそしてぼくが、たぶん持ち合わせてはいないだろう大切なものを、ある女性詩人の詩に読んだことがある。優等生であり、四百人の女生徒の軍事教練を率先して推進し、軍務教官から褒められる軍国少女でもあったという女性の、戦後間もない時期の痛々しくも鮮やかな回生の記憶だ。

『夏草しげる焼跡にしゃがみ/ 若かったわたくしは/ ひとつの眼球をひろった/ 遠近法の測定たしかな/ つめたく さわやかな!/  たったひとつの獲得品』

(茨木のり子「いちど視たもの」より)

  そして鴻上が言っているような気がするのだ。ぼくら世代自身の団塊世代・全共闘世代なる論や、そして自覚的か否かによらず築いている城壁は、凍て付いてか火傷してか痛手を負って手にした「眼球」=回生を遂げる獲得品 などではない。 それはおそらく、いかがわしいものなのだ。たぶん「ヘルメットをかぶった君」以上に・・・、と。

 それぞれの城壁崩しを、ぼくならぼくが貴方なら貴方がする番なのだ、とこの一冊は問いかけているように思えてならない。

Search