Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category
ほろ酔い交遊録:カミ君続報③
【私事 カミ君その後】
デンマーク人:カミ・ニルソン(元イラン人:カームラン・タビビアン)。
カミ君は神の子か (笑) !? 1990年代に10年間 不法滞在イラン人だった時も驚きの強運で、次々と難題を乗り越え生き延びた(92年我が社{ 施工業の労組自主経営企業の飲食事業部 }にバイトで勤務)が、今回も多くの方のご尽力で魚卸業社が出している店、それも本人の希望通り「魚料理と寿司の店」で見学・研修させてもらうことになった次第。
デンマーク(ホテルの食堂に勤めている)へ帰ったら、将来寿司店をやりたい。日本人の妻が欲しい(?)・・・と永年の夢を語っている。
趙博さん・呉光現さん・川瀬俊二さんやワシの友人、多くの方から助言をいただきました。北摂ユニオンの江坂セントラルホテル争議以来の付合いの河崎さん・茨木で居酒屋「ゆんたく」を経営していた黒肥地さんに店を紹介いだだいたのです。特に黒肥地さんにはご尽力いただきました。彼女は「茨木ゆんたく」閉鎖後、「井上水産」という「魚料理と寿司の店」にパートで入ってます。自身の職場に引き合わせてくれたわけです。店もよ…く受容れて下さったことです。カミ君がいい加減だったら彼女の信用にかかわるのです。みんな、カミ君の人柄を認めてくれたのでした。
がんばれ、カミ。
井上水産様・黒肥地さん・河崎さん、本当にありがとう!
帰国する月末まで、短期間ですが「井上水産」に居ますので、この間相談に乗って下さった方々や、1990年代の不法滞在イラン人としての彼を知る人も、もし時間あれば是非訪ねてやって下さいね! 23日(日)・28日(金)は確実に居ります。地図付けときます。
【画像】
*上左:黒肥地さん非番の日にお店に依頼してくれたの図
*上右・中左:カミ君勤務風景。
*中右:勤務後数人のお客さんと歓迎会
*下:デンマークの勤務先で職場仲間と
ほろ酔い交遊録:カミ・ニルソン大阪滞在記②
9月11日。
デンマーク人:カミ・ニルソン(元イラン人:カームラン・タビビアン)君の
大阪滞在記続編。
市内である集まりがあり、ワシはその会の後カミ君と食事する予定だった。
会が終わり呑み会に参加するに当たり、たまたまその集まりで、難民・国民国家・民族・EU・貧困・外国人労働者・自主管理社会主義などの言葉が出た会だったので、カミ君の同席を申し出たところ了解をもらった。心斎橋から向かったカミ君は、多少迷ったが昔(1990年代)オーバー・ステイ数年のイラン人としてキタもミナミも知る土地勘を活かし程なく到着。(カミ君は、ワシらの労組自主経営企業体で92年から短期1年半バイトをした。長い詳細は先日9月6日投稿済ゆえ割愛)…
デンマークでは「言語」「社会常識」のスクールに通い、政府指定の社会奉仕的作業に就けば生活出来る程度の収入と住居が提供される。4年間続ければ「国籍取得」出来る制度がある。カミ君は、あと数か月後晴れて国籍取得だ。いま、そのスクールはシリア人で溢れているという。
ほろ酔い交遊録:【奇妙な寄合い】~国境・民族を超えて~
【奇妙な寄合い】~国境・民族を超えて~
デンマーク人(90年代半ば日本在オーバーステイの元イラン人):カミ・ニルソン51歳。
在日朝鮮人二世(浪速の歌う巨人パギやん):趙博61歳。
「アジール空堀」世話役(25年前、カミの雇用主):橋本康介70歳。
日本人(国籍取得 元イラン人、京大卒、貿易商):ムハンマド・シャジャリ60歳。…
*シャジャリ氏とは、清真人氏の紹介で30数年前に知り合った。
1977年スタートしたワシらの労組自主経営事業体が、店舗設計施工という本業以外に1990年代に居酒屋・他の経営にも手を伸ばしていた時期。
93年たまたま知り合ったギリシャ人(当時の自称)を飲食部門のホール係バイトで雇用した。カームラン・タビビアンという。彼はよく働き、上司にも仕事仲間にもお客さんにも好かれ1年強働いた。ギリシャ人の自国呼称:エリニキを知らず、他国の者だとワシにバレた。訊くと、オーバーステイのイラン人。当時20代後半のイケイケ外人。
書き切れない量と事情のいきさつを経て、ワシらの事業体を去って数年後、ワシらの本業と関連事業が破産(98年)したころ、自ら入管へ出頭し自費でイランへ帰国した。
2014年2月、ワシの携帯に彼から電話。何と、デンマークから。デンマーク国籍取得を目指し「語学」「社会常識」のスクールへ通い、政府指定の作業をして住居と給与が与えられる。
2015年に「たこ焼き」「お好み焼き」「焼きそば」のレシピ研究だとかで来日。その時はあと二年で国籍取得だと言っていた。今、デンマークでは国籍取得スクールには圧倒的にシリアの人が多いという。う~ん・・・。
その彼が先月の彼の懇願に応じて発した、ワシの「招請状」「身許保証書」で、またまたやって来た。今回は「寿司を知りたい」だ。あと数か月で国籍取得らしい。どうなることやら・・・。
で、顔の広いパギ、イラン人保護の通訳もしているシャジャリ氏(カミの相談役を押し付けた?)、ワシ、カミの会となった。ミナミのゲストハウスに投宿するカミの支援を話し合った。
趙さん、シャジャリさん、お忙しい中ありがとう!
Ken Luckbook
おー懐かしい!シャジャリさん。彼の兄も一緒に北新地で飲みましたね。シャジャリさんとは数年前まで年賀状を交わしていましたが・・・カミがいた南のバーに行もきましたね。もう20年になりますか・・・?
橋本 康介 研ちゃん。
諸事情(言葉の問題、他のバイトとの行き違い、その他)で、ワシらの企業を辞めた後、彼独特の「人懐っこさ」を武器に「支援者」を得てミナミの小さ店舗を「又借り」できて、開店したのが何と「ギリシャ・バー」(笑)。壁にはエーゲ海の碧と海岸崖の白い建物の絵が掛かっていたねぇ。まぁ、インチキと言えばインチキだが「エーゲ海気分」でカクテルでも呑んだ客は別に不快には思っていないだろうから「OK」なのだ。
トマトとルッコラ(かな?)とキノコにチーズがたっぷり入ったギリシャ・オムレツというメニュウもあって、なかなか美味しかった(笑)。
ワシは実のところ、不法滞在だった彼の知恵と工夫を全く怒ってはいない。尻拭いした案件(**関係、ヤバイこともあった)も多少はあったが、むしろ出会いに感謝している。けど、ギリシャに詳しい客が来たらどうすんの?と不安だったなぁ~。
交遊録:川口真由美 サンダルの緒を切らすの巻。クラウデイア・カルディナーレ
ちょっとコーヒー・タイム
【君は C.C. を知っているか?】
『サンダルの鼻緒切らして京三条 裸足が掴む かの浜の熱』
…
サンダルの緒を切らした川口真由美さんが、履物店を探して裸足でアスファルト路を歩く顛末がFBに投稿されていた。
裸足が似合う女優(1960~70年代のイタリア女優)クラウディア・カルディナーレを思い出し、返信したら「C.C. 知らないんです。調べますね」。そうか、うちの娘と同世代のはず、知らないわけだ。このC.C.さん、川口さんにちょっと似てるとも思うので、調べさせるのも申し訳なく下記にワシがまとめまっさ。
往年のイタリア映画への未練の情ですな。
【C.C.資料】(まとめbyワシ)
1950年代前半デビューのフランス女優ブリジッド・バルドーをB.B. (Brigitte Bardot)と呼んだのに対して、遅れること数年、1959年『刑事』ラストで「アモーレ・アモーレ・ミオ」のテーマ曲が流れる路上、逮捕され警察車で護送される愛人を追い続け走る女の役で、世に認められたイタリア女優クラウディア・カルディナーレをC.C. (Claudia Cardinale)と呼んだ。
(両者の年齢は4歳違いと聞いている)
いずれも戦後女優の枠を超えていた。B.B.が道徳や規範を超えたいフランス現代娘の、奔放さをやや退廃的に都会的に打ち出した女優だとしたら、C.C.は戦後間もない頃のイタリアン・ネオリアリズム映画群(戦後直後の『無防備都市』『戦火のかなた』『自転車泥棒』『揺れる大地』他)が変化を遂げる曲がり角に登場した、それらの映画の主人公たちの云わば「思想的」「階層的」な子弟を映し出す、野生派とか場末派と称された女優だった。
大雑把に言って(大雑把は嫌いなのだが)B.B.が中産階層子女の反逆を体現していたとしたら、C.C.は下層階層・労働者層子女の強(したた)かな庶民的な生命力を体現していた。
画面で素足だったかどうか記憶は曖昧だが、『刑事』のラストシーン、『鞄を持った女』の海辺のシーンは、ワシの中では素足でなければならないのだ(笑)。それほど素足が似合う女優さんだった。
代表作品:
『刑事』(1959年、ピエトロ・ジェルミ監督)
『若者のすべて』(1960年、ルキノ・ヴィスコンティ監督)
『鞄を持った女』(1961年、ワシの青春の一作です)。
『ビアンカ』(1961年、19世紀末フィレンツェの娼婦。相手役はベルモントだった)
『山猫』(1963年、ルキノ・ヴィスコンティ監督。ランカスターの渋さにKO)
『ブーベの恋人』(1963年、ブーベ役はジョージ・チャキリスだったな)
この後、ハリウッドに進出して多くの作品(「ピンクの豹」「サーカスの世界」「プロフェッショナル」「ウエスタン」他、)に出たが、ハリウッドはC.C.を消費され消えて行く女優の一人としてしか見ていなかった。登場人物的にも、役者的にも目ぼしいものはない。彼女にのみ責任が有るのではなく、イタリア映画界自体の斜陽化・衰退が進みイタリアン艶笑劇・ポルノまがい映画・エログロナンセンス物が続いた。イタリア映画よ どこに行った?という時代が続く。ハリウッドはヨーロッパ女優の多くを喰い尽くしたとも言える。
大リーグに進出したが、個性と能力を発揮できない野球選手と似ていなくもない。
ともあれ、戦後ヨーロッパ映画最後の女優さんのひとりだったと思う。
ワシのイチ押しの代表作は『鞄を持った女』。続いて『山猫』。
交遊録:瀑一人・埴生美伽による子近現代恋愛絵巻への期待
昨夜(8月21日)は天満「フラット フラミンゴ」でのシャンソンライブへ
もちろん、美伽子さんの磨いたシャンソンはさらに説得力を増していた。 それ以上に、
「マックザナイフ」に乗せての『お定のモリタート』(通称「安倍定事件」より)はすこぶるGood!
後半部の「宵待草」「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」を含め、ワシはある冊子を思い浮かべていた。明治~昭和つまり20世紀日本の恋愛物語の一大歌絵巻を構想したら面白かろうと、独り頷いて居りました。…
埴生さんの歌相が、近代を追って走った明治、大正ロマン、軍靴の昭和、戦後焼跡闇市・・・、それらの風景と匂い、街の色と音に近づいているように思えたのです。
生意気ですが、10年後も観たい聴きたい・・・なんちゃって。
(画像右は1979年、平凡社「別冊太陽」『近代恋愛物語50』)
恋は時代というもの総体の鏡だ!
交遊録:趙博・中川五郎・川口真由美「みんなで共謀しナイト」
「みんなで共謀しナイト2018夏」
8月10日(金)京都は木屋町の「わからん屋」へ出かけた。
「みんなで共謀しナイト2018夏」のパギ+中川五郎+川口真由美+裏猫キャバレーのジョイントライブだ。四条から高瀬川沿いを北へ歩くと、その昔今宵の介助人に連れられた界隈の景色が蘇る。
中川五郎さんの「ピーター・ノーマンを知っているかい?」をはじめて聴いた。23番まであるロング「バラッド」だ。時間の都合で数日前急遽15番に圧縮したという唄いを披歴してもらった。圧倒的だった。震えた。
趙博の「青春の光と影」で「青春」の対語としての「白秋」を知り(青春・朱夏・白秋・玄冬。だって)、川口真由美さんのいくつかの歌にはいつもながら腹の底からのパワーをもらった。…
裏猫キャバレーさんのコーヒー・ルンバ(替え歌)は絶品。
「共謀しナイト」は、例えば熊沢誠が言う『感性が鋭敏なはずの広義の表現者--例えば俳優、歌手、タレント、作家などの政治的発言が、結集して、政治家の欺瞞、憲法や沖縄や基地、核兵器禁止条約などにふれて、現政府をきっぱりと批判する意見表明に踏み切れば、世論は変わる。』へのささやかでも根強い、大きな動きへの架け橋だ、と思うのだ。
「ピーター・ノーマンを知っているかい?」。
(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2018年6月15日号)
1968年のメキシコシティ・オリンピックにオーストラリアの白人アスリートとして出場、陸上男子200メートルの銀メダリスト。金メダルはトミー・スミスで世界新、銅メダルはジョン・カルロス。二人は米国の黒人アスリートだ。
当時の米国は人種差別撤廃、ベトナム戦争反対の波が高まっていた。表彰台でトミーとジョンが一対の黒手袋を分け合い、その拳を高く掲げた「ブラックパワー・サリュート」の写真は世界のメディアに流された。ピーターも二人に同調し、二人が胸につけた「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」のバッジをほかの米国選手に借りて胸につけ意思表示した。
オリンピック後、三人はそれぞれの国から制裁を受けたが、ときは流れ、米国でトミーとジョンは名誉を回復、人権のために戦った英雄として2005年に「ブラックパワー・サリュート」をする巨大な銅像も建てられたが、オーストラリアのピーターは2000年のシドニー・オリンピックに招待されることもなく、悲運のまま06年に心臓発作で他界した。
ピーターの葬儀で棺を先頭で担いだのはトミーとジョンだった。どのように悲運だったかは、23番まであるこの「バラッド」(物語り歌)にくわしい。
「ピーター・ノーマンを知っているかい?」の23番最終章はこう締めくくられている。
〈あれから50年の歳月が流れた 今の世界は自由で平等なのか? あなたのまわりで差別が行われたり 人権が奪われたりしていないか? ひとつの国や民族を排斥したり 酷いヘイト・スピーチが聞こえてこないか? たったひとりで立ち向かうあなた 自由と平等、人権のために でもあなたのまわりを見回してごらん あなたは決してひとりではない あなたのそばにはピーター・ノーマン あなたのピーター・ノーマンがいる〉
これが、この歌で五郎ちゃんが言いたかったことだ。等身大の五郎ちゃんが、等身大のあなたに向かって歌い、社会にプロテストする。ガチガチの真面目人間からはほど遠く、酒飲みで、スケベで、どこにでもいそうな、偉大な中川五郎。中川五郎は、日本で今一番のバラッドシンガーだ。
(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2018年6月15日号)
交遊録:趙博、浪曲に挑戦
広沢虎造『清水次郎長伝より「石松金毘羅代参」』
7月28日、台風の情報を気にしつつ「繁盛亭」へ・・・。大雨強風が来たらブルー・シートまくれ上がって、屋内水浸しやぁ~~。
銀瓶さんの韓国語版『時うどん』は見事。韓国語解からないワシにも(言葉は字幕スクリーンで読むのですが)そのリズムの良さが伝わって来ました。
パギ版広沢虎造『清水次郎長伝より「石松金毘羅代参」』にハマりました。銀瓶さんが言ってましたが、パギは実に「多才」だなぁ。
これを演(や)る心は、大衆芸能に観る「大正デモクラシーの匂いと、軍国ファシズムの重低音」その攻防と、それを「鷲掴みに根こそぎ丸ごと」「あっちへ」持って行かれた無念を繰り返すまいとの想いや、「いま」「今日」への鋭い文化・文明批評、声を枯らしての警鐘だろう。…
2018年、異議申し立てではないお涙頂戴の「不幸」もの・続出する難病悲恋もの・それを鷲掴みにする「家族」もの、それらを怒涛の迫力で覆う「戦記物+リアルバトル」「近未来殺し合い」・・・、アニメ・ゲーム等のサブカルは、あることの「前夜」夜空を彩る様相だ。
「次郎長伝」では、カッコいい男に描かれている次郎長やバカ正直な森の石松の像には、大衆の気分が仮託されている。卑怯なズル悪い奴・「お上」の末端組織などをやっつける次郎長一家、あるいは例えば森の石松が次郎長に準「タメ口」で喋る姿や、幹部子分たちの振る舞いに組織的頂点にひれ伏すのではない、アンチ・ピラミッド型集団モデルが描かれる(「大正デモクラシ―もチラリ匂いまんねん」パギやん弁)。それらが大衆から支持された理由かもしれない。
できれば「石松金毘羅代参」を挟んで、前段の「代官斬り」から次の「石松三十石船同中」まで、「アジール空堀」で演(や)ってくれないかなぁ~。
打上会で、ちょこっとそんな話ができた。
通信録:大阪北部震災3
【ご褒美はコープ自然派素材 冷やしうどん】
地震の数か月前に、食器棚の観音開き戸が気になった女房が、食器棚に簡易引っかけ錠を買っていた。付けようとしたが、戸のガラス枠部が額縁状になっておりその段差が邪魔で取付けできず放置していたらしい。
地震時に開き戸が開いて食器の約7割が飛出し破損した無念と、買っていたのに放置した厭避感がよほど悔しいかして、「なんとかしてや!」と半指令。
そこは元店舗設計施工業、補修・美装という名のゴマカシ技を発揮。
ほとんど使ったことのない彫刻刀を持ち出し、開き戸のガラス枠部の額縁状の段差を何とか受け金具がフラットに付くよう削った。削って木地剥き出し部はこげ茶色の水性ペンでカモフラージュ。ついでに、ガラス面には飛散防止シートを、霧吹き駆使して貼った。まぁまぁ、不自然ではないようには見える。あぁ、しんど。…
ご褒美は、特製冷やしうどん(作るはもちろんワシ)
【材料】
冷凍うどん、錦糸玉子、なごみつゆ(これ実に旨い万能つゆ)、しょうが、ネギ、大葉、プチトマト、しいたけ甘煮、のり(以上コープ自然派素材)。
某社製熟成ハム(陣中見舞に某氏がお送り下さった品)