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連載③: 『じねん 傘寿の祭り』  プロローグ (3)

プロローグ③

 確かに現役なのだろう。ことの実際は知らないが、ユウくんの母親美枝子から聞かされた話には、その現役のことも含まれていた。                                                           黒川は握った手をまだ離さない。                                                                                                                                          黒川自然。奇妙な男だ。自然は号ではなく本名で、「じねん」と読む。確かに自然児のジジイだ。沖縄へ来て一ヶ月を経ずして妻が去り、年が明けた一月には早くも裕一郎に電話を寄越していた。裕一郎は経営していた会社を失い、友人の会社の下請会社に仮勤めして現場単位で管理を請負っている初老フリーターであり、内装関係の仕事をしていたのでギャラリー開設に好都合だ。独り身で動き易かろうし、住いと食事を保証してやれば来るかもしれない、そう考えてのことだろう。                                                                                                                                   電話で聞かされていた。                                                                                                沖縄では、陶芸・版画・絵画などの展示会を企画して遣り繰りしている。普段は自宅応接室をギャラリー代わりに使い、馴染みの客に在庫を安値で売り捌いて凌いで来た。そうやって沖縄へ来て半年を辛うじて生きて来た。が、常設の小さくとも真っ当なギャラリーを持てば、百貨店や展示会場に取られるマージンも省け、この苦境を打開出来ると思う。君は内装業界に居ると言うし、どうだい気晴らしに沖縄に来て、ぼくを手伝わんかね?比嘉真にもしょっちゅう会えるぞ!                                                                                                                                                                                 女房?来てすぐ消えたよ。ひろし?もちろんぼくと一緒に居るよ。誰があんな女に渡すもんか。                                                                                            メシ?もちろんぼくがこさえているさ。ギャラ?食事付部屋付風呂付で手取り十七万円でどうかね。どうだい、来ないかね?                                                                                                                                                         電話攻撃は三月にOKを出すまで、週一回のペースで続いた。今四月、裕一郎は那覇に居る。モノレール駅に繋がる陸橋で、こうして黒川自然に手を握られて立っているのだ。                                                                                                                                                                   確かに、黒川の吸引力は強烈なのだが、裕一郎には別の期待もあってやって来た自覚が確かにあった。風の便りに亜希が沖縄に居ると聞いていたのだ。ようやく黒川が手を離した。                                                                                                                                        

階段を下りて夕暮れ道を歩き始めた。                                                                                                      急勾配の坂道を上ると、ユウくんが「こっち、こっち」と手招きしながらの数歩先を小走りに駆けて行く。裕一郎は話しておくべきだと覚悟して、横を歩く黒川に顔を向けて切り出した。                                                                                                                          「実は、来る途中お逢いして来たんです」                                                                                                                          「あいつに? どこで?」                                                                                               「松山に立ち寄りました。ユウくんのことも気になって・・・。美枝子さんお元気でした。」                                                                                                                                                         「いいよ、当然だよ。君としては知りたいよね、あいつが何故、去ったのか。ぼくのビジネスの実際はどうなのか。ひろしと二人の生活はちゃんと出来ているのか、と」                                                                                                                                                                         「いえ、商売のことはともかく・・・」                                                                                                                                                                                                           「いいんだよ。事前調査だろ? だいたい、なんで松山なんだ! あいつ、どうしていた?松山で。やはり、叔父の温泉旅館に居るんだろう? 気の毒に・・・、ふん、結局あの旅館を頼ったんだ。絶縁同然だった母方の実家に頭下げたんだな。意地も誇りも棄てたってことか」                                                                                                                                    「そんな・・・独りで生きて行くんですし。そこの従業員寮暮らしです。温泉旅館も不景気で、仲居さんしてると言うてはりました。故郷で出直すと言うか・・・」 

                                                                                                                                                             

連載②: 『じねん 傘寿の祭り』  プロローグ (2)

プロローグ②

自身の会社を失った裕一郎は、三年近く前、旧友・吉田高志の口利きで数ヶ月の無職状態を脱し、ようやく職を得た。高志も経営陣の一員である会社の下請会社ノザキに押し込んでもらったのだ。現場単位の報酬で管理を請負い、ようやく食い繋いでいた。ノザキには、高志の会社の専属担当だと言いくるめ押し付けたのだろう。ノザキにしてみれば、それで高志の会社の仕事を確保できるのなら悪くは無いということなのだろう。ノザキの野崎氏は歓迎と言うほどではなかったが、嫌な顔をするでもなく受け容れてくれ、関係はまあ良好だった。                                                                                                高志の会社の営業・現場担当者の「お姉さん」=松下亜希と、現場最終日に現場打上げを口実にして呑んだ。その夜予定されていた黒川の送別会を思い出し、中座を申し出たところ、「その歳で沖縄へ移住やなんて興味あるなぁ。私も行っていいかな?」と求められ亜希を連れたのだった。去年〇四年の一〇月のことだ。ユウくんが妙に亜希になついて、「沖縄に来てね」「行こうかな、泊めてくれる?」「いいよ」と言い合っていた。黒川が「ひろしはぼくに似て面食いなんですよ」と言ったのだ。亜希が真っ赤になったのを憶えている。                                                                                                                                       持ち寄られた、おでん・ばら寿司・スパゲティ・肉じゃがと、裕一郎たちが駅近くで買って来たフライド・チキンという奇妙な取り合わせの送別会だった。隅で大人しく食べていたユウくんに、聞かされていたメーカーのTVゲームをプレゼントしたのだ。ユウくんが持っている型式のものに合うかどうかと冷や冷やして出したのを憶えている。ゲーム機はもうダンボール荷の中に仕舞われていて、ユウくんは「いま出して欲しい」とは言わず、「チチ、沖縄に行ったらすぐに出してね」と言った。ボクは我慢しているんだよと告げていたに違いない。沖縄へ行ってからのことを母親にではなく、父親に頼む様を見たその時、何か漠とした不安のようなものを感じたのだった。今、亜希のことを憶えていて訊ねることもそうだが、ユウくんには特殊な感覚が備わっている。男女のこと、その機微のこと・・・。                                                                                                                                    夫婦で沖縄へ行く・行かないと言い合っていたのだろうか。そこをきっかけに一気に噴出する、夫婦の積年の溝を嗅ぎとっていたのだろうか。確かに、送別会での黒川の妻美枝子は「行くしかないけど、行きたくはないのだ」と分かる表情だった。                                                                                                                                                      今思えば、ユウくんの予知能力・洞察力のようなものだった気がする。それまでにも、何度か顔を合わせ会話もした裕一郎のことはともかく、亜希を憶えていようとは。当時の、裕一郎の亜希への感情を、ユウくんは見抜いていたのだろうか?                                                                                                                    

「あのお姉さんはね大阪やで。あの後、北嶋さん、あのお姉さんの会社の仕事無くなったから、お姉さんとも逢えてないんや。ユウくん、ゲームは持ってる機械に合うたんやな、よかったな。上手うなったか?」                                                                                                                                          「北嶋さん、あのお姉さんのこと好きなんでしょ?」                                                                                                                                                      「永いこと逢うてないしなぁ、どうかな・・・。ユウくん、ゲームはどうや?」                                                                                   「うん。もう第三ステージだよ」ユウくんは得意気に語るのだった。                                                                                           ゲームには不案内で何のことか分からない。たぶん、段階があってクリアすれば次のステージに進めるのだろう。こっちは、次のステージどころか、元のステージにさえ立ってはいない。                                                                                                                                                ユウくんと肩を組んで陸橋を往くと、二人の影が陸橋の下の道路に伸びていて、親子コアラのように映っている。その影が、走る車に何度も轢かれた。陸橋を中程まで来ると、角張った頬、度の強い眼鏡、夕陽に紅く染まった銀色の長髪が目の前にある。黒川はまだ息切れていた。                                                                                                握手を求めた黒川が、差し出した裕一郎の手を両手で握り締めて言う。                                                                                               「とうとう来たね。よく決心してくれたね、褒めてあげるよ。これで百人力だよ」                                                                                                                                                                  「黒川さん、決心やなんて大げさな。ギャラリー出すまでですよ。ぼくはそこまでですよ。ちょい私用もあって来ましたが、沖縄旅行のつもりです。店の施工のお手伝い出来ればと思うて・・・」                                                                                                                                   「夏には帰るんだろう? こっちもそのつもりだよ。いいんだよ、それで。 ところで、私用って何だい? 女性か?」黒川が笑っている。                                                                                                                             「違いますよ、ぼく五十八ですよ、それはないでしょう」                                                                                                       「何を言ってる。八十前のぼくでも、そっちに関してはまだ現役だよ。引退は早すぎるぞ、若いくせに」

連載①: 『じねん 傘寿の祭り』  プロローグ (1)

08年から約七割は書いて来た第三作(自称「祭り三部作:最終篇」)を、ゆっくり添削しつつ連載します。                                                                                                                                               『じねん 傘寿の祭り』という奇妙なタイトルです。                                                                                        漱石の初期三部作は 「三四郎」は「それから」「門」を出た などと言われますが、                                                                当方のは『「笛」は「海峡」に漂い、「傘寿」板にしがみ付く』とでも表すしかないシロモノ。                                                   (02年『祭りの笛』、06年『祭りの海峡』、11年『じねん 傘寿の祭り』)                                                                                         連載することでなんとかエピローグへ辿り着けるんじゃないか、という囁きに誘惑されスタートします。                                       一回3~4枚分として、約100回連載かな…。主人公「じねん」には、モデルが居ますが、執筆に際しご本人・元奥様のご了解を得て書きました。                                                                            フィクションですので、基本線以外、実際とは大きく異なります。 お二人のご理解に感謝します。

【時代背景】                                                                                                                        二〇〇五年四月~同年九月七日

【登場人物】                                                                                                                                                                                                                                                                                  黒川自然(じねん): 何ゆえなのか、高齢にして沖縄へ移住した画廊オーナー。(七十八歳)                                                                                       黒川裕: 自然のダウン症の息子。                                                                                                         黒川美枝子: 裕の生母。(五十七歳)                                                                                                                                         北嶋裕一郎: 自然から頼まれ、ギャラリー開設までとの約束で沖縄に来た団塊フリーター。(五十八歳)                                                                                                                          吉田高志: 裕一郎の学生期からの友人。全てを失った時期の裕一郎に仕事先を用意した。(五十八歳)                                                                                                                                    吉田(篠原)玲子: 高志の妻。裕一郎唯一の女友達。(五十六歳)                                                                                                          松下亜希: 高志の会社の元社員。沖縄に流れ住んでいる。(二十九歳)                                                                                    知念大空: 沖縄で陶芸・琉球ガラス・の工房兼店を営む。自称「作家」でもある。(四十歳)                                                                                                                     知念太陽: 大空の伯父。高名な陶芸家。(五十四歳)                                                            比嘉真: 沖縄の反戦版画家。その生き様を通して裕一郎に「沖縄」を伝える。(六十九歳)

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じねん 傘寿の祭り 

プロローグ ①

 那覇空港から「ゆいレール」でふた駅。高架駅の改札を出ると、駅舎に繋がる陸橋を、見覚えのあるズングリ姿が踊るように走ってやって来る。ユウくんだ。もう夏を思わせる四月の西陽に照らされ、頬と頭髪が紅く染まっている。改札口へ吹き上げて来る熱気を受けて、ユウくんの額に噴出した汗が輝いていた。                                                                                                                                 大阪での記憶があるのか、きょう直前に父親から教えられたのか、ユウくんは大きな声で「北嶋さぁ~ん」と呼びかけている。                                                                                                 北嶋裕一郎はユウくんの後方に、長い銀髪の老人を認め苦笑した。陸橋へ上る階段の途中に立ち止まり、左手で手摺に摑まり右手を振っている。父親黒川自然だ。息切れているに違いない。大学教授のような独特の語り口調を、そのまま形にしたようなどこか不自然な姿勢を保ち、背を反らして伸ばしていた。                                                                                                                             ユウくんが勢いよく体をぶつけて来て言う。                                                                                         「北嶋さ~ん、逢いたかったよぉ」                                                                                                                     「半年も経つのに、おじさんの名前を憶えてるんやな」                                                                                                                                 「うん。北嶋裕一郎!」                                                                                                                    「ほお、下の名前まで憶えてくれてるんか?」                                                                                                                    「ゲームくれたし、北嶋さんの裕一郎のユウはぼくのひろしと同じ字だって、チチに聞いたよ。北嶋さん、あの時のお姉さんは?」                                                                                                      そうなのだ。去年十月の終わり、大阪北部の衛星都市。黒川自然が沖縄へ発つ直前、駅前の彼の自宅店舗に積み上げられたダンボール箱を壁側に移動させ、床に場を作りブルーシートを敷き、黒川夫妻とユウくん、夫妻の永年の馴染み客や友人数人に何故か自分も混じって、黒川一家の送別会をしたのだった。黒川は那覇の百貨店での陶芸展の都合で明日発ち、ユウくんと母親美枝子は荷の積み出しや後片付けもあって二日後に発つのだと聞いた。                                                                                                                                                                                                     黒川のギャラリーでは新参者である裕一郎が送別会に呼ばれたのは、沖縄の版画家・比嘉真の縁だった。何年か前、大阪に常時展示してもらえるギャラリーを探していた比嘉に、黒川を紹介したのだ。比嘉とは二十五年以上前に互いの苦境を援助し合って以来の関係、黒川とは同じ街に住む者同士であり駅前の居酒屋の呑み仲間でもあった。裕一郎が仲を取り持ったのだ。                                                                                                                                              比嘉は最初一・二度ギャラリーにやって来たが、活動領域も広く忙しくまた遠方でもある。当初黒川への比嘉の業務上の要望は、裕一郎が取次いでいた。比嘉の作品を気に入っていた夫妻は、駅前で呑んだついでに一杯機嫌で立ち寄るだけで何を買うわけでもない裕一郎を、いつも歓待してくれた。年に四・五回訪ねただろうか。                                                                                                                                     夫妻の一粒種たるユウくんは、くろかわひろし、黒川裕なのだ。ユウくんが父親のことをチチと呼ぶことは行く度に見聞きしていた。今、久し振りに「チチ」と聞かされると時間と距離は一瞬にして消えてゆく。                                                                                                            そう、「あの時」は現場管理していた施工現場が終了した打上げの帰り、黒川一家の送別会にたまたまその「お姉さん」と同行したのだった。                                                                                                     

                                                                                                                                                                                               

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