Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category

交遊録: サポート・ユニオン with YOU 総会を傍聴する

「サポートユニオンwith YOU」 第五回総会。(五月10日、茨木市:ロ―ズWAM)

withYOU 第五回総会20150512

大内裕和さん講演:
家計(親他)の状態→当然バイト+奨学金という名のローン(正に貧困ビジネス)→バイト先は正社員並みの拘束時間と違法と責任過多の<ブラックバイト>→

勉学に費やす時間が現実的に無い(職場の要請から講義への出席を削る)→ひたすら正規雇用を目指す就活→にも拘らず非正規社員→(正規雇用となったところで)奨学金の返済→若年勤労者に高負担→結婚の断念・・・

(写真は深夜一人勤務バイトの過酷で悲惨な実情。片付け・休憩・トイレのいとまも無い。明け方一人でこの下げ物の山を処理するのだ。)

深夜独り勤務
知性を求め社会を構想する余裕も時間も無い。「反知性主義」に取り込まれて行くのも無理はない。親を含め正規雇用を目指す就活は『今だけ、金だけ、自分だけ』の内向き排他の人生哲学を育んでしまふ・・・。
この貧困状況の構造的連鎖、「関西学生アルバイトユニオン」の学生の発言と大内裕和氏の講演は、出口なき現況と、兵士リクルートまで展望した財界と「取り戻す派」政権の深謀を明らかにしてゆく。しかしある可能性を示していた。
50年前の学生と違い、彼らは労働社会・消費/生活現実の渦中に在って、頭でっかちではない「構想」へと辿れる地についた「論」を準備しつつある。そこに可能性を視たい。もちろん、多くは、連勤(連続勤務)自慢や連徹(連続徹夜)自慢をしながら、現実に順応し「ブラック」を前提として受容れ、そこを回避することを揶揄したりもする。が、この倒錯した「受容れ」が虚構だと心底では知っているに違いない。サポートユニオンwithYOU に限らずユニオン運動が、困難な事態に在る学生と繋がる道理と必然が見える。大内裕和

これから学生になって行く子女を持つ若い母親父親に、現実を伝えたい。

交遊録: ヴェトナム戦争時 反戦米兵をかくまう

5月9日。
ヴェトナム戦争時、反戦脱走兵を匿った、
ベ平連(ヴェトナムに平和を!市民連合)の取組みを支えた市民の一人、米兵を自宅に匿った小山氏(元日放労)の秘蔵フィルム公開と講演(クレオ大阪西:西九条)に参加した。
48年前、1967年、空母インピレピッド四水兵脱走。
鶴見俊輔氏は、「(匿うことは)平和憲法を持つ国民の権利であり、義務だ」と語り、のべ1000人が自宅提供・転々と場所を変えた移動などに協力したが、密告・口外、ゼロ。

反戦米兵
ヴェトナム戦争には、日本は沖縄米軍基地からの出撃など「関与」があり、全国民的反戦運動が展開されてもいた。
会場で不勉強な若者が言った「冷戦構造下の米ソ代理戦争だ」と。そうではなく、仏領インドシナ~日本の短期占領~戦後仏の再介入~ディエンビエンフーでの仏軍敗北撤退~米介入という、アジアへの欧米(+日本)の侵略に対する「民族解放闘争」であり、それへの共感と支援だった。
今日、秘密保護法・集団的自衛権行使・壊憲の世、この反戦米兵を匿って第三国に脱出させた事件は大きい。その深い意味を噛み締めたい。

小山氏は、後年だが、ワシらの争議(1977~)組合と日放労が同じ旧東区ということもあり旧知の仲。数々のご助言をいただいた6歳年長の先輩です。

交遊録: 4/2~4/5 初めての済州島

3月29日 集会

3月29日(日)14:00~
講演と証言の集い『語り継ぐ済州島四・三事件』(聖公会生野センター:KCC会館)に参加。

証言者:高春子(コ・チュンジャ)さん(8歳のとき帰国して「四・三事件」を経験。渡日して後年夜間中学で文字を学び2013年「部落解放文学賞記録部入賞」)の発言に圧倒され、言葉もありません。

4/2~4/5「済州四・三事件犠牲者慰霊祭」に参加させていただきます。済州島は初めてです。半端に知っただけの身が、四・三渦中から脱出渡日した青年がKey人物として登場する駄小説(『祭りの海峡』2006年)を書いたのだが、それは軽挙妄動の類だという自覚が、ぼくにはある。行こうと考えていたところ、金文男さんに声を掛けてもらい参加させていただくことに・・・。

【参加者交流会で】                                                       写真は、交流会でぼくの駄作(『祭りの海峡』)に触れて皆さんに告げて下さった(素人はそれだけで大感激)金時鐘さんと、今回ぼくを済州へ連れて行ってくれる呉光現さん・梁優子さん。

 

 

 

済州島と沖縄

4月2日から5日まで知人の案内で 『済州四・三事件犠牲者慰霊祭』 に参加させてもらう。。
今、21世紀沖縄と1948年済州四・三事件との、時代・事態の違い個別性と同時に、その類似性を思わずにおれない。済州は、戦後一地域での最大・未曾有のジェノサイドだった(犠牲者3~6万と言われている)。
東アジアの地政・アメリカの意志・本土政府の野望・本土と島・宗主国と植民地・島内の民意・軍政/暴虐・「祖国統一選挙実施」「南単独選挙阻止」という原初の希い・普天間返還は決して辺野古新基地ではないという大儀・島内民衆間分断・・・多くの共通項を想う。
21世紀沖縄は、(辛うじて)拷問殺戮なき「1948年の済州島」という潜在要素を含みもって進んでいる。アメリカの軍事、日本政府の軍事国家構想は、その思想的原理においてジェノサイドを内包している。
21世紀日本、日本政府の立位置は、曲がりなりに存在(?)する先進国的擬制民主主義が無くば、反対派島ぐるみ殲滅なのだ。
そういう東アジアを俯瞰しつつ、島民間・親族間の悲嘆を想い、先日聞いた「大きな済州」「小さな済州」その両方への入口(の欠片)を掴みたいと想う。

Wikipedia:

済州島四・三事件(さいしゅうとうよんさんじけん)は、1948年4月3日在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊韓国軍韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す[2]。アメリカと韓国軍政府による「南単独選挙」に対し「祖国統一選挙」を求める南労党済州は4月3日、旧日本軍の銃火器と、農具を改良した粗末な武器と、500名という少数で武装蜂起する。

韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。

済州と沖縄

 

 

 

 

 

 

交遊録: 2015済州四三事件犠牲者慰霊祭「慰霊の旅」

3月2日FBより

食事会参加者顔合せ食事会。
団長:呉光現さん(犠牲者遺族会会長)はじめ12名、いい集まりでした。
4/2~4/4 短期間ですが、ご遺族の想い・1948年という時代・島内親族内事態の悲嘆・本土⇔島という地政・・・少しでもそれを噛み締め、東アジアの構造的闇に迫りそれを開いて行く想いへと育めたら…‥と話しました。団長から少し事前レクチャーを受け、あとは楽しい食事会。いい旅になりそうです。ー この写真に写っている友達: 福井 正敏金 文男呉 光現Makiko Hashimoto浅井 敏嗣李 信恵栗原 佳子松浦茂岸野 令子

交遊通信録: 「関大校友連絡会」第10回 反戦・反格差 市民セミナー

「関大校友連絡会」よりお知らせ 【乞! 拡散】

第10回反戦・反格差市民セミナー
〈グローバル競争国家への転換を撃つ〉
(テーマ)「国民と社会の動員ー戦前の歴史と今日の動きから
―権力によるマスコミ支配の企て―」
(講師)矢野宏さん(「新聞うずみ火」代表。関西大学社会学部講師)
(主催)関大校友連絡会
(会場)大阪市立西区民センター第4会議室(定員60名)。入場無料。
(地下鉄千日前線/鶴見緑地線「西大橋」下車3分。大阪市立中央図書館北側)。
( 日時)2015年3月22日(日)14:00~17:00 (受付13:30~)。

講師紹介
矢野宏さん 1959年12月生まれ
読売新聞大阪本社元記者黒田清さんが市民ジャーナリズムを目指して主宰した「黒田ジャーナル」の元記者。その意思を受け継いだ月間ミニコミ誌「うずみ火」の代表として活動。現在「うずみ火講座」、「ジャーナリスト養成講座」等、市民ジャーナリズムとして多彩な活動を行っている。関大社会学部講師。著書「大阪大空襲訴訟を知っていますか」「在日挑戦」他。
国民の目線で権力を監視するのはジャーナリズムの不可欠な使命です。「秘密法」を先駆けに進行する情報統制社会化の流れはマスメディアの萎縮を射程にしており、NHK、朝日問題も合わせてマスメディアの分断・取り込みの企図がうかがえます。国民と社会の動員は先ず言論・報道機関が狙われるのです。
国民が主権者としての権利を行使する為には正しい情報が不可欠であり、その為には情報の消費者に留まるのではなく、ジャーナリズムへの権力や外部の圧力・介入に対してジャーナリズムを孤立させず共に立ち向かう姿勢が求められます。今回の市民セミナーでは、進行する安倍政権の国民と社会の動員に対抗する為「権力によるマスコミ支配の企て」について歴史に学び、今を考える機会となることを願っています。
「改憲国民運動」の影が迫りつつある予感の中で・・・

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交遊通信録: 22年前の『ワンワールドフェスティヴァル』

2月8日 ワンワールド・フェスティヴァル に『シャプラニール』が出店したようで、
バングラデシュ物産の販売係をして帰宅した家の主との笑い話・・・。

幼かった末息子が、帰宅したワシらに「売れた?」と訊く。食べたいのだと思い、「ごめん、ぜ~んぶ売れて、もう無いねん」と言うと、深い息を「フーッ」と吐いてニッコリして「そうか」と言う。ん?
前夜から大騒ぎして、大きな寸胴を持ち出し150~200食作り、早朝からワッセワッセと出かける両親の「生業」を、彼はたぶん「露天商のカレー屋かな」と思っていたようだ。「食べたい」よりも、売上げを優先しての、「安心」の「フーッ」だったのだと知った。いつも完売して大喜びした日々が昨日のようだ。末息子は屋台のテキヤ親父のような風貌と人格の父を、正確に見てはいたようだ。高校教師となった末息子は現在、娘三人の父親だ。
よ~し、来年は**年振りに作るか(笑)!
(Photoは1993年の同フェスティヴァル)

ワンワールド

ほろ酔いチョコ: 義理チョコでもない

名古屋方面で、夫(パティシエ)と共にケーキ屋を営む長女(アラフォー)から、チョコケーキ 5本到着。義理チョコかと思いきや、数が多過ぎてハテナ?  
普段からチョコマニアの女房が、友人から依頼を受けた品の冷蔵宅配便に便乗して己れ用に2本購入したものだった。そうか確かに、口の悪い娘も、チョコ盗み喰い常習犯の女盗賊も、ぼくには何の義理もなかろうて・・・。
けれども、メチャ美味い ♪ ♪ 。

上 ●ケーク・サン・ヴァランタン・ルージュ 
マールドシャンパーニュ使用
チョコレート生地にラム酒やグランマルニエに漬け込んだフルーツを合わせ、
上部にはグリオットチェリーの コンフィチュールを加え、ビターチョコでコーティングした ケーク。 
下 ●ベラベッカ・サン・ヴァランタン 
イチジクなどのドライフルーツやナッツがぎっしり詰まったベラベッカ
これにチョコレートを加えることで、さらにコクが増しほのかにカカオが香るベラベッカ。

 

チョコ

ほろ酔い「論」提起: 「隣国論」

素人が「構想」しながら、知識と時間不足を理由に手つかずの学問課題があります。どなたかやって下さるか、既存の良書を紹介して下さい。 その学は名付けて『隣国論』!

アイルランドvsイングランド、イギリスvsフランス、フランスvsドイツ、ドイツvsポーランドvsロシア、トルコvsギリシャ、北欧相互&ロシア、日本vs朝鮮、日本vs中国、等々。隣国はほぼ例外なく敵対して来た。民族や政経の「剥き出しの血肉」が触れあい、ネイションの形成に動員した「ナショナリズム」が衝突する隣国同士。取り巻く地域政治事情や、民族的歴史事情だけではない、隣国ならではの「力学」を俯瞰する視点を相対化できないか? 歴史・民族・地域事情・世界事情だけでは、説明し切れない「力学」が浮かび上がるかも知れない。 とりあえず、下記の本を紹介された。

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交友通信録: キムパプ

韓日共作版「恵方巻」

脚の不具合で東京現場をカンニンしてもらい、年始からずっと大阪です。2月中の復帰を目指して整形外科でのリハビリと整骨院でのマッサージの毎日。かなり良くなりはしたが、よう分からん。
12月、品川で歩道と車道の境界縁石を踏み外し、左足甲の靭帯損傷(ねんざ)~右脚に体重かけての歩行~右脚付け根に金属的痛み~付け根の痛みと右脚膝から下のしびれ、それがなかなか治らない・・・歩けばエライ痛い。てなことで、情けない。
東京赴任9年目にして、初めての「体調不具合による現場欠場」です。
デモ等街頭行動に参加できない「悲哀」(?)も噛み締めて(?)いる。

それはともかく、家にいることを「悪用」なさるお方の、「恵方巻では気に食わんやろから、あんさんお得意の韓国風を作らしたるわ」との指示命令を受け、「キムパ」を作らされた。近所に住む息子たち宅にも配り、息子・その妻・各孫たちに「美味っしい!」とおだてられ、悪い気はしないジジイです。
「恵方巻」とは、節分の夜に、太巻き寿司をその年の恵方(今年は西南西)に向かって、無言で願い事を思い浮かべながら丸かぶりするのが習わし(出所は諸説あり)とされていて、セブンイレブンが1998年に「恵方巻」と名付けて全国発売したそうな。今や、昔からの名前のように思われている。商魂によるネイミングで、○○Day商品と同じノリやね。10418248_643472605764871_1007072110886881770_n[1]

【キムパ、材料と下ごしらえ】
*ニンジン: 細長く5㎜角棒状に切って甘辛薄味で煮る。
*しいたけ: 甘辛濃い味で煮る。細切りする。
*出し巻玉子: 細長く7㎜角棒状に切る。
*たくあん: 同じく細長く棒状に」切る。
*キュウリ: そのまま7㎜角棒状に切る。
*牛肉甘辛焼肉: 醤油・酒・砂糖・みりん+コチュジャンで味付け
*キムチ: 細かく切る。
*かいわれ

*メシ: 半切りに炊きたてごはんをあけ、ごま油少々+焼酎+塩を加え、煎りゴマを 振りかけ、団子にならないよう切るように混ぜる。

【巻き方】
まぁ、巻き寿司と同じ。上方1~2cmほどはごはんを敷かず、糊しろに空けておく、ゴマ油を接着剤として塗る。具は下方から3~4cm辺りの位置に並べたら上手く巻けるで。硬すぎず、柔らかすぎず巻くのだが、一・二度失敗して要領を掴む。
日本の巻寿司より直径が小さくそれが美しい。(今日は12本巻いた)
それから、食材は全て「コープ自然派」のものでっせ!

通信録: 思潮社 北川徹氏・金時鐘さん・細見和之氏 往復書簡公開

『現代詩手帖 2014年11月号』に、

「金時鐘+北川透+細見和之 『往復書簡』」が ◎特別掲載されている。10629649_602588209853311_6741869424616038534_n[2]2012年、「第三回鮎川信夫賞」で細見和之氏の『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』が最終選考に残ったが、受賞を逃した。北川透氏が賞の贈呈式で講評を行い、その内容は『現代詩手帖2012年8月号』に掲載された。一部を抜粋する。

『金時鐘さんはついこの前まで、北朝鮮を評価していました。』『細見さんが取り上げている「新潟」という詩集は、社会主義リアリズムの典型を書いた、と本人が言っている詩集です』『金時鐘さんは』『影響力のある知識人ですね。その場合の思想の責任。これは北朝鮮で抑圧されている人びとに対する責任、という問題まで含むわけです。』『一人の在日の、非常に困難な思想の歩みを強いられた詩人が、そこで過ちを犯す、矛盾したことを書く、十分に説得力のない発言をするということは、ある意味では当然のことです。』

この事実誤認・個人史の歪曲に、もちろん細見氏も金時鐘さんも、北川氏と思潮社に抗議書簡を発したが、誠実な反応はなかった。(2014年3月3日現在)。

 

 

この経過を知ったぼくは『ムラと、ある名誉毀損』なる一文を書き、細見氏・金時鐘さんにお伝えした上で、ブログにアップし、知人友人に送付し、同じものを思潮社ホームページ読者コーナーに投稿した(2014年3月7日)。読者として、精一杯思潮社の出版社としての誠意を求めた。

http://www.yasumaroh.com/2014/03/07/%e3%83%a0%e3%83%a9%e3%81%a8%e3%80%81%e3%81%82%e3%82%8b%e5%90%8d%e8%aa%89%e6%af%80%e6%90%8d/

 

その後の細見氏・金時鐘さん・北川氏・思潮社の遣り取りの詳細は知らない。知らないが、今回11月号に3人の『往復書簡』が掲載されたと時鐘さんから便りを頂いた。

北川氏は「訂正はありえても謝罪は絶対しない」との基本姿勢は変わってはいないのだが、ここは、思潮社の良識を観るべきだろうか?少なくとも、細見氏・金時鐘さんの「言い分」が「公」にされたのだから。

 

『現代詩手帖 11月号』をどうぞ。

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