Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category
交遊通信録・歌遊泳: おおたか静流(しずる)
交遊通信録: 『地中海人』 『境界をまたぐ越境人』、 と労働運動。
交遊通信録&歌遊泳: ジョルジュ・ムスタキ、『地中海人』、パリ五月・・・
Sさん。
いい歌を送っていただいき、ありがとう。http://www.youtube.com/watch?v=coiXF-PqgGQ 。 金子由香利:『時は過ぎてゆく』の作者ジョルジュ・ムスタキ・・・。 ウロ記憶を確かめようとウィキペディアを見ました。 「なるほど」の満載でした。 いい歌は簡単に生まれはしない、と改めて思いました。その奥に裏に向こうに、時代があり人がいる、想いがあり思想がある、愛があり、 そして闘いがある。
1934年、ケルキラ島出身のギリシャ系ユダヤ人の両親がエジプトに亡命中に生まれた。フランス系の学校に通っていたが、民族など様々なトラブルがあり、自らを「Méditerranéen-地中海人」と見做すようになる(ヨーロッパ各国、アフリカ、アラブの文化が混在した無国籍ないし多国籍の意)。17歳の時にエジプトからフランス・パリに出る。1968年に当初ピア・コロンボのために作り、69年に自身も吹き込み大ヒットした『Le Métèque』(邦題「異国の人」- 直訳すると差別的な意味としての「よそ者」もしくは「ガイジン」といっていいだろう。)前年68年のパリ五月の余熱の中で、フランス社会でタブーともいえた「Juif -ユダヤ人」という単語をロマンチックに謳い上げ、自由を求める時代の気風によって、ムスタキは初めて歌手として広く認知されたといえる。
1969年に発表した『Le Temps De Vivre』(邦題「生きる時代」-同名映画の主題歌)では 「聞いてごらん、五月の壁の上で言葉が震えている。いつかすべてが変わると確信を与えてくれる。Tout est possible,Tout est permis -すべてが可能で、すべてが許される」 と五月革命時の有名な落書きのスローガンを曲にして歌った。
1972年の『En Méditerranée』(邦題「地中海にて」あるいは「内海にて」)では、70年代に入っても(「政治の季節は終わった」とされていも)、独裁政治に抗するスペイン、ギリシャの民主化運動に捧げて 「アクロポリスでは空は喪に服し、スペインでは自由は口にされないが、地中海には秋を怖れぬ美しい夏が残っている」 と歌い、まだ発売される前の1971年にフランコ独裁下のスペイン・バルセロナ公演で発表する。
ムスタキは常に社会変革の運動に心をよせ、五月革命の最中に、そして90年代に入っても度々、自身の曲に、ストライキを闘う(女性)労働者たちに捧げて 「闘う者に名はつけられない。しかし人はそれをRévolution permanente-永続革命と呼ぶ」 と歌った 『Sans La Nommer』(邦題「名も告げずに」)がある。
また、ムスタキは2007年フランス大統領選挙において、フランス社会党のセゴーヌ・ロワイヤル候補支持を表明、5月1日の「ロワイヤル支援集会」に参加した。 *********************************************************************************************************************************************
のちに『壮大なゼロ』と揶揄される68年「パリ五月」。 それは、『美しき五月のパリ』(作者:不詳パリ市民、訳・歌:加藤登紀子)の歌とともに、あの時代の若者の心に 刻まれている、か? http://www.youtube.com/watchv=m9vdTyuUj0 1.赤い血を流し 泥にまみれながら
この五月のパリに 人は生きてゆく
※オ ル ジョリ モァ ドゥ メ ア パリ
オ ル ジョリ モァ ドゥ メ ア パリ
2.風よ吹いておくれ もっと激しく吹け
青空の彼方へ 我等を連れゆけ
※繰り返し
3.年老いた過去は いま醜く脅え
自由の叫びの中で 何かが始まる
※繰り返し
4.ほこりをかぶった 古い銃を取り
パリの街は今 再び生まれる
※繰り返し
5.歌え 自由の歌を 届け 空の彼方へ
この五月のパリに 人は生きてゆく
※2回繰り返し *映像『フランスパリ五月革命-1968』 http://www.youtube.com/watch?v=4MRFUQ8lxIg&feature=player_embedded
****************************************************************************************************************************************** 金時鐘さんが語る『負け続けることをやめた時が本当の敗北だ』という言葉が沁みます。 ムスタキが異境に在って、「地中海人」というアイデンティティに辿り着き生きるように、 故あって故郷を断ち海峡を越え「在日」を生きる時鐘さんもまた、 「境界をまたぐ越境人」(←http://www.kis-korea.org/greetings/message_2.html)だ。 そこに、ぼくらが学ぶべき多くのことがある。( http://www.kis-korea.org/greetings/message_5.html)
歌遊泳&交遊録: 友あり 遠方より歌届く
彷徨う友へ: カルメン・マキ ふたたび
私がこうして歌ってこれたのもマキさんがいたからだと言っても過言ではない。
私が多大な影響を受けた日本では唯一の歌手である。
他にも素晴らしい人はたくさん居たし今も居るけれど誰もマキさんには及ばない。
40年前、今にして思えばマキさんの第1回目のあのステージを
今は無き新宿「蠍座」で体験した時に(そう、あれは体験だった)
すでに私の歌手人生は決まっていたと言ってもいい。
あの時から浅川マキさんは私の指針だった。目標だった。
でも誤解してほしくないのは、私は浅川マキになりたいわけではないし、
なれるものでもないし、なりたいと思ったこともない。
マキさんの、唯一無二の確固たる自己表現に衝撃を受け胸を打たれたのだ。
私には何ができるのだろう・・・と。
そうしてあれからの長い道のりの中で、あっちへ行ったりこっちに来たり
紆余曲折あって試行錯誤を繰り返しながら辿り着いたところは
私はいつも、どんな時も、私自身であるべきだ ということ。
そしてそれは当り前のようでいてとても難しいことでもあるということ。
マキさんはそれを私に教えてくれた。
ほろ酔い通信: 脚本家と役者さん
交遊通信録: 辺野古新基地建設反対! 普天間基地即時撤去!
『辺野古の海をまもる人たち-大阪の米軍基地反対行動』 (田中佑弥 編・著、東方書店)の人々へ
http://www.tohoshuppan.co.jp/2009ho/09-11ho/s09-152-7.html
1月30日16時38分配信 時事通信:
社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)は30日、都内で開かれた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設に反対する集会であいさつし、「辺野古に基地を造ることは不可能だ。社民党が許さない」と述べ、鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官が辺野古への移設の可能性を排除していないことをけん制した。
福島氏は「普天間飛行場の県外・国外移設(実現)へ全力を挙げる。(移設先の決定期限とされる5月までの)数カ月、こん身の力を込めて頑張り抜く」と強調した。集会は市民団体や労働組合の主催で、約6000人(主催者発表)が参加した。
AM:5;30:起床
AM:7:00:西新宿現場スタート
PM:1:30:現場中断
PM:2:20:日比谷野音 ものすごい熱気
PM:4:30:現場再開 その後富士に沈む夕日拝観
PM:8:30:新宿思い出横丁で モツ煮込み+焼酎
国会前に座り込む「9条改憲阻止の会」の親爺の言葉が沁みてくる。
民主党政権、平野官房長官! 名護市長選結果を「斟酌(しんしゃく)しなければならない理由はない」って? 蹴り上げてやろうかと思ったと言う議員もいたらしい。
画像『普天間基地問題』 http://www.youtube.com/watchv=W1KvvbqUU4&feature=player_embedded
名護市長選結果: http://www.youtube.com/watch?v=TEvg_uD8r8U&NR=1
交遊通信録: 団塊厄介?
交遊 通信録: ふと「ブラザー軒」
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上がる。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。
ぼくは詩人になったはずだ。(菅原克己)
通信録&歌遊泳: 訃報 浅川マキ(享年67歳)
訃報 浅川マキ
若い知人が知らせてくれた。
『ブログ「たそがれの品川宿」でのカルメン・マキさんに関する記述が、 私が京都で浅川マキさんのライブを観て聴いて得た感覚に近いと思えて、お知らせしました。』 と、あった。
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時事通信 1月18日14時51分配信
浅川マキさん死去 黒装束に身を包んだ独特のライブ活動で知られた歌手の浅川マキさん(写真)が17日午後8時、 心不全のため公演先の名古屋市内の病院で亡くなった。67歳だった。 代表曲「夜が明けたら」「ちっちゃな時から」「ふしあわせという名の猫」「少年」「かもめ」
自身のスタイルを貫いた、云わば「非転向」の生涯だったか・・・ ぼくらより少し若い世代=「***に遅れて来た世代」の精神風景にドンピシャだったよと言われたりしているが、 どうなんでしょう。そうではなく、70年代初頭の迷える精神の、世代を超えた代弁者ではなかったか? そして、それは今現在の若者に届く普遍性をもっている、と思う。