Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category

交遊通信録・歌遊泳: おおたか静流(しずる)

またまた友人からの「歌送信」です。
 
これは、いいなあ。
未来といくつかの可能性への希望を棄てない者への、癒しと応援歌であるような・・・。
いい歌・いい歌手・いい歌唱を ありがとう。
 
  おおたか静流(しずる) {年齢不詳} H.P    http://www.sizzle-ohtaka.com/                                                                                                                       「声のお絵描き」と称するワークショップを主宰。                                                                                               声による即興演奏を、大人から子供まで、プロもアマも交え、
さまざまなバリアーを越えるべく、あらゆる人を対象に、                                                    これまで世界各地で行って来た。
NHK教育TV『にほんごであそぼ』で音楽製作・歌唱・出演。
アメリカ・ルーマニア・マケドニア・ヨルダン・日本等、世界行脚中。【ウィキペディア】より
 
 
『アカシアの雨がやむとき』 http://www.youtube.com/watch?v=GEodr7rHYw0&feature=related                                                                『悲しくてやりきれない』 http://www.youtube.com/watch?v=8JG0S9v2Yg4                                           『戦争は知らない』 http://www.youtube.com/watch?v=GjbZcOOYcUU&feature=related
『花 –すべての人の心に花を– 』 http://www.youtube.com/watch?v=FPGMsifqRgg&NR=1

交遊通信録: 『地中海人』 『境界をまたぐ越境人』、 と労働運動。

帰阪
 
二つの集まりに参加する目的もあって、仕事の区切りを調整して帰阪した。
そのひとつは、学生期の古い知人=某労働組合役員T氏の新たなスタートの激励会。
もうひとつは翌日の、民族差別を煽り、不況下の若者の憤懣を排外主義へと誘導する
「ネオ・ナチ」的団体の「逆草の根」運動への、抗議・反撃の京都:円山野音での集会だ。
両方の集まりで某大時代の古い友人達と会った。
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 「激励会」は企画当初に、気のおけない仲間による居酒屋での集まりと聞いていたのだが、
T氏の立場・役職・運動の質と幅広さ・人柄などから、そうはならず多人数の会であった。
公務員の労働運動に在って、T氏は民間・下請・少数者の労働運動との相互乗り入れ、
労働運動の外側の様々な運動(部落・在日・沖縄・人権・平和)への取組を通じて、
大阪の自治体労働運動が相対的左派であり続け、運動領域の相対的広がりへと歩む
その牽引車であったと参加者からの賛辞が続いた。
某大からいわゆる「労働戦線」へ進んだ者はかなりいるが、T氏の組織内外での
「セイジ」や「清濁併飲」もあろう、いわば「原則と応用」に腐心した活動を想うとき、
「労働運動をした」と言える数少ない人物だと思う。
歴史に名を残す「名委員長」だろう。こころから「ご苦労様」と申し上げたい。
(ぼくはと言うと、目的意識的に「戦線」へ行ったのではなく、民間零細での、思いつきとヤケクソの劇場(激情)型争議をしたに過ぎない)
T氏は「**委員会」の労働者側**や、労働における人権をサポートするNPO団体など、
新たな場で活動を続けるという。だから激励会だと主催者が言った。なるほど。
68年、当時としてはめずらしい学生服姿のT氏と長時間話した記憶がある。
その記憶から、会の参加者発言の激励言辞までの彼の数十年の時間、
そこに流れるある「一貫性」に敬意を表します。
某大学***の突**長 M氏によれば、
「高校時代剣道していた T はムチャ強かった。逃げない下がらない。
 ワシは最も信頼していたんや!」、だそうだ。
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円山公園の集会の方は、900名(主催者発表)の参加で、
円山公園から、日曜日で賑わう 四条河原町、解散地点:京都市役所に向かう。
「多民族の共生社会を」
「高校無償化から朝鮮学校を排除するな」
「在特会らの朝鮮学校への襲撃を許さないぞ」
「ネオ・ナチ団体による市民への攻撃を許さないぞ」
「排外主義は戦争への地ならしだ」
などプラカード掲げシュプレヒコールを続け、デモした。
要所交差点には、コスプレ軍服を着た「在特会」の若者が
「日本人の誇りを棄てるな」とか「恥を知れ!」と叫んでいる。
不況・失業・社会的不安・・・そこに「排外主義」「愛国主義」が周到に分け入る。
倒錯した怒りが少数者・異邦人に向かう・・・・、繰り返されてきた構図だ。
何が「誇り」であり、何が「恥」なのかを「知る機会を奪われた」若者の言動が悲しい。
 
デモの後「K大校友連絡会」のメンバーは「精進料理」(実に美味かった)の店に向かった。
(下京区寺町四条下ル中之町570。 『彌光庵(みこうあん)075-361-2200。http://www.mikoan.com/index.html
(店主は89年に浄土真宗の得度<僧侶になる儀式> を得た女性僧侶、工藤美彌子さん)
 
酒が入ると、その日はめずらしく
プロレタリア独裁・搾取・疎外・強制力・暴力装置・・・・一部、20世紀の死語(ぼく的には?)も登場。
何とも学生っぽい議論に花が咲いたのだが、
目指すべき社会について
①出版・放送・言論・表現の自由。自由な選挙による議会制度(単独政党制の排除)。
②市場経済と「市場の失敗」に対応する公共部門と、公的規制。
③権力から自立した、労働運動・市民運動の保障。
④社会保障・社会福祉・セイフティネット。
(熊沢誠、1993社会新報ブックレットから剽窃)
を言いかけたところ、すぐさま
『まさに今日我々が対峙してきた団体の「表現の自由」も例外なく承認するのか?』
『あのような自称「市民運動(?)」を強制排除しないのか?』
『旧体制へ戻ろうとする労働運動が登場するだろうがどうする?』
と返された。弱いところを突かれて困った。
 
学生期・労働運動・争議・職場バリケード占拠・自主経営・・・その都度「負け続けて」来た。
そして「負け続けることをやめ」ようとは思わない。
けれど、その日々からぼくなりに掴んだ①~④は、ぼくなりの仮到達だ。
『品川宿君はいつまでも「夢見る夢子ちゃん」やなぁ~。人々の善意を前提にするのは勝手だが、
  悪意やその暴力を考慮していない「論」には、説得力おまへんヨ!』 う~ん・・・。
周りに、意外なほど「原理主義」(?)が生きていることに驚いた。
それぞれの時間に育まれた思想が、もし
その道中の「体験」や「現実の政治」や「運動」に晒されておらず、
つまり、「現在」と「これまで」の自身とは無縁に、過去の「教条」として持ち出されているのなら、
聞く必要もない。
だが、決してそうではないようだ。みな「ひと通り」見聞きし身に刻まれたことあった上で言っているのだ。
 20世紀の社会主義国が、ほぼ例外なく「一党独裁」「自由選挙による議会の不在」
「労働運動や市民運動の不承認(あっても完全統制下での)」によって運営されて来たのは事実だ。
そのミニチュア構図も、それぞれの「左翼体験」(?)で痛く知ってもいよう。
次の機会にヒントを貰おう。
粛清と収容所、暴力と強制移住、人間と人の創意の圧殺・・・なぜそうなるのか?を、
その問いを回避しては成るはずのない、何と命名しようがいいのだが「在り得べき」人の社会を、その構想を・・・。
たぶん、いま関わる行動や考え自体の中にも、自身の日々の「労働」「生活」その運営思想の中にも、
それは含まれていなければならないと思うからだ。
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 「激励会」のT氏のスタートも、ぼくらのフリー・ジジイの冷や水も、
ジョルジュ・ムスタキの『地中海人』や 金時鐘の『境界をまたぐ越境人』と
手を繋ごう・組もうとする想いを共有する限り、そして、運動内の在るべきカタチを模索する限り、
全く別のことをしているのではない・・・、そうでありたい。                                                              もちろんT氏は労働運動とその関連で、ぼくらは仕事や生活の合間にと大いに違うのだが・・・・・
(Photoは、左:コスプレ軍服の青年。 右:解散地点の若干の混乱)

交遊通信録&歌遊泳: ジョルジュ・ムスタキ、『地中海人』、パリ五月・・・

Sさん。

いい歌を送っていただいき、ありがとう。http://www.youtube.com/watch?v=coiXF-PqgGQ 。                                                       金子由香利:『時は過ぎてゆく』の作者ジョルジュ・ムスタキ・・・。 ウロ記憶を確かめようとウィキペディアを見ました。                                                                                             「なるほど」の満載でした。                                                                             いい歌は簡単に生まれはしない、と改めて思いました。その奥に裏に向こうに、時代があり人がいる、想いがあり思想がある、愛があり、                          そして闘いがある。

【ウィキペディアより転載】

1934年、ケルキラ島出身のギリシャ系ユダヤ人の両親がエジプトに亡命中に生まれた。フランス系の学校に通っていたが、民族など様々なトラブルがあり、自らを「Méditerranéen-地中海人」と見做すようになる(ヨーロッパ各国、アフリカ、アラブの文化が混在した無国籍ないし多国籍の意)。17歳の時にエジプトからフランス・パリに出る。1968年に当初ピア・コロンボのために作り、69年に自身も吹き込み大ヒットした『Le Métèque』(邦題「異国の人」- 直訳すると差別的な意味としての「よそ者」もしくは「ガイジン」といっていいだろう。)前年68年のパリ五月の余熱の中で、フランス社会でタブーともいえた「Juif -ユダヤ人」という単語をロマンチックに謳い上げ、自由を求める時代の気風によって、ムスタキは初めて歌手として広く認知されたといえる。

1969年に発表した『Le Temps De Vivre』(邦題「生きる時代」-同名映画の主題歌)では 「聞いてごらん、五月の壁の上で言葉が震えている。いつかすべてが変わると確信を与えてくれる。Tout est possible,Tout est permis -すべてが可能で、すべてが許される」 と五月革命時の有名な落書きのスローガンを曲にして歌った。                                 

1972年の『En Méditerranée』(邦題「地中海にて」あるいは「内海にて」)では、70年代に入っても(「政治の季節は終わった」とされていも)、独裁政治に抗するスペイン、ギリシャの民主化運動に捧げて 「アクロポリスでは空は喪に服し、スペインでは自由は口にされないが、地中海には秋を怖れぬ美しい夏が残っている」 と歌い、まだ発売される前の1971年にフランコ独裁下のスペイン・バルセロナ公演で発表する。                                                                     

ムスタキは常に社会変革の運動に心をよせ、五月革命の最中に、そして90年代に入っても度々、自身の曲に、ストライキを闘う(女性)労働者たちに捧げて 「闘う者に名はつけられない。しかし人はそれをRévolution permanente-永続革命と呼ぶ」 と歌った 『Sans La Nommer』(邦題「名も告げずに」)がある。           

また、ムスタキは2007年フランス大統領選挙において、フランス社会党のセゴーヌ・ロワイヤル候補支持を表明、5月1日の「ロワイヤル支援集会」に参加した。 *********************************************************************************************************************************************

のちに『壮大なゼロ』と揶揄される68年「パリ五月」。                                                                                                 それは、美しき五月のパリ(作者:不詳パリ市民、訳・歌:加藤登紀子)の歌とともに、あの時代の若者の心に 刻まれている、か? http://www.youtube.com/watchv=m9vdTyuUj0                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            1.赤い血を流し 泥にまみれながら
  この五月のパリに 人は生きてゆく
  ※オ ル ジョリ モァ ドゥ メ ア パリ
   オ ル ジョリ モァ ドゥ メ ア パリ
2.風よ吹いておくれ もっと激しく吹け
  青空の彼方へ 我等を連れゆけ
  ※繰り返し
3.年老いた過去は いま醜く脅え
  自由の叫びの中で 何かが始まる
  ※繰り返し
4.ほこりをかぶった 古い銃を取り
  パリの街は今 再び生まれる
  ※繰り返し
5.歌え 自由の歌を 届け 空の彼方へ
  この五月のパリに 人は生きてゆく
  ※2回繰り返し
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  *映像『フランスパリ五月革命-1968』 http://www.youtube.com/watch?v=4MRFUQ8lxIg&feature=player_embedded  

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歌遊泳&交遊録: 友あり 遠方より歌届く

古い友人が「ほら、これちょっとええでしょ?」と
お気に入りの歌を送ってきた。
なるほど・・・・と聞き入っている。
『貴方を捉えたに違いない、珠玉のベスト三曲。納得して聞いています。 ありがとう。 』 と返した。
送られて来た歌は、云わば
ある非転向(イデオロギーのことではなく、もっと大きな意味で・・・。構え・価値観・人柄などのその奥の根本の精神)
を謳い上げている。
例えば吉田拓郎。
同世代同業の誰彼が、「お上」が喜ぶ映画の主題歌を歌い「天皇」が授与する文化勲章を貰うことがあっても、
きっと、彼は貰わないだろうと想像できる。
送り主はと言うと、ぼくが知る限り
ささやかに生き、子を産み育て、働き、貧困を好む訳ではないが裕福は肌に合わず、
挽回可能な難題と、生活維持可能な範囲の収入を甘受して生き、
事に臨んでは、生来のビビリ症ゆえドキドキしながらも、気が付けば周囲が驚く「舞台」に立ってしまふ・・・そんな人だ。
これらの歌が、この人に棲んでいることに何の違和感もない。
歌の好みは人生の一部だ。
 
 
吉田拓郎 『ファイト』 作詞・作曲:中島みゆき)
 
加藤登紀子 『時には昔の話を』 (作詞・作曲:加藤登紀子)
 
金子由香利 『時は過ぎてゆく』
(作曲:ジョルジュ・ムスタキ、訳詩:古賀力)
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彷徨う友へ: カルメン・マキ ふたたび

カルメン・マキ
2月20日(土)、カルメン・マキさんが、いちばん多く公演に使って(愛用して)来た横浜・桜木町のドルフィー。
当方、某シーサイドの工事現場事情が流動的で予約できなかったのだが、
日ごろの行いが良いのか、現場(当日は、ガラス屋さんの工程)作業が
5時前に終わり、片づけをして6時から横浜へ向かったよ。
幸い京急で一本、京急横浜の二つ先の駅「日の出町駅」下車徒歩3分、
開場10分後に到着。
                                                   前回に続き、喜多直毅さん作曲の「ありがたき 不幸せ」に感電。
不安定な音階を漂う歌はあがた森魚をふと思い出させるも、
もちろん喜多・マキの独特の雰囲気。
当夜はその喜多直毅さんがヴァイオリン奏者として参加、幸運。
この歌、CDにならんのかねぇ~。
喜多直毅・・・・天才だ! ← http://web.me.com/nkita/NAOKI_KITA/Top_Page.html
 
当日カルメン・マキさんは黒装束で登場。 ひと言「喪中ですので・・・」。
やはり浅川マキさんのことで、「かもめ」と「ふしあわせという名の猫」を唄った・・・
眼にはいっぱいの泪が溢れていた。
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【カルメン・マキ ブログ 1月22日。より転載】
浅川マキさんは私にとって今更言うまでもなく特別な存在・人であり
私がこうして歌ってこれたのもマキさんがいたからだと言っても過言ではない。
私が多大な影響を受けた日本では唯一の歌手である。
他にも素晴らしい人はたくさん居たし今も居るけれど誰もマキさんには及ばない。
40年前、今にして思えばマキさんの第1回目のあのステージを
今は無き新宿「蠍座」で体験した時に(そう、あれは体験だった)
すでに私の歌手人生は決まっていたと言ってもいい。
あの時から浅川マキさんは私の指針だった。目標だった。
でも誤解してほしくないのは、私は浅川マキになりたいわけではないし、
なれるものでもないし、なりたいと思ったこともない。
マキさんの、唯一無二の確固たる自己表現に衝撃を受け胸を打たれたのだ。
私には何ができるのだろう・・・と。
そうしてあれからの長い道のりの中で、あっちへ行ったりこっちに来たり
紆余曲折あって試行錯誤を繰り返しながら辿り着いたところは
私はいつも、どんな時も、私自身であるべきだ ということ。
そしてそれは当り前のようでいてとても難しいことでもあるということ。
マキさんはそれを私に教えてくれた。 
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彼女は大の映画ファンでブログなどで鋭い映画評を書いている。
当夜は大好きな映画からと言って『道』監督:フェデリコ・フェリーニ。 主演:ジュリエッタ・マッシーナ)の主題曲を歌ってくれた。
ジェルソミーナの薄幸の生涯が浮かんでくる素晴らしい歌唱だった(確か、作詞はマキさん自身のはず)。作曲:ニーノ・ロータ。
 
 
カルメン・マキ略歴がドルフィーのHPにあるので、興味あれば覗いて下さい。
コアなファンが寒風の中、遠方からやって来ていて、
バーボンも進む、幸せないい夜でした。

ほろ酔い通信: 脚本家と役者さん

『たとえば、愛』
大原麗子ファンのM氏へ
 
ユー・チューブで豊島たづみさんをたどっていた時、
目的の『とまどいトワイライト』http://www.youtube.com/watch?v=TD1A9DyL6tE&feature=related を開き、
それがTVドラマ『たとえば、愛』79年)の主題歌だと初めて知った。
そうだったのか・・・。
生活や仕事、熱中事項を抱えていて見逃した映画やTVドラマはあるのものだが、
よほど忙しかったのか「見逃した」という自覚さえない。
そのドラマは、ぼくの記憶情報には無いのだ。
79年といえば、勤めていた会社の破産を受けて職場バリケード占拠を続け、
労働組合による自主経営会社を立ち上げて2年。食うや食わずで(いまもそうだが)、
必死のパッチではあった。
が、自宅でも、輪番で泊り込む職場でも、TVドラマは観ていた。
たまたま縁がなかったのだろうか・・・。
今日『とまどいトワイライト』を開いたとき、そのドラマの断片篇をふと覗いてみた。
(注:以上、すぐ規約違反で消されるかも・・・)
いや~、役者もセリフの掛け合いも素晴らしいねぇ。
どなたか全編持ってません? ビデオ化もDVD化もされてないようで・・・。
 
大原麗子さん、
2009年8月没(享年:62歳) 合掌。 
浅丘ルリ子さんの弔辞は印象的でした。
 
【テレビドラマデータベース】より
『たとえば、愛』
1979.1月~4月、毎木曜日、22:00~放映、TBS。
シナリオ:倉本 聰、出演:大原麗子・原田義雄・津川雅彦・桃井かおり・荒木一郎・石田えり・・・
深夜放送の人気DJ九条冬子(大原麗子)は、六助(原田義雄)と離婚して1年後に別の男(津川雅彦)と再婚することに。 
冬子をめぐる愛を描く。
 
 いやぁ~、クセモノ役者たちの働き盛りというか、かがやく個性の火花が散っていて引き込まれます。
倉本 聰さんのシナリオはスゴイですなぁ~・・・・。このドラマ、ちゃんと全部観たい!
倉本さんのドラマは、
TV版『赤ひげ』(72年NHK、小林桂樹・あおい輝彦)(数回しか観ていない。黒澤流、超人:新出去定ではない小林桂樹の赤ひげは実にいい)、
『6羽のかもめ』(74・75年フジ、夏純子・中条静雄・高橋英樹・蜷川幸夫・加東大介・長門裕之・他)、
『前略おふくろ様』(75・76年日テレ、萩原健一・梅宮辰夫・火野正平・桃井かおり・他)。
『ライスカレー』(86年フジ、中井貴一・時任三郎・藤谷美和子・陣内孝則・北島三郎・他)これは、息子が録っていたビデオがまだ我が家にある。
他に『北の国から』 『拝啓、父上様』 『風のガーデン』(緒形拳さん遺作)など多数。
毎度毎回、納得・脱帽です。役者がいつもと違うのです。個性を発揮するのです。
役者がその作品を気に入っていることが伝わって来るのです。

交遊通信録: 辺野古新基地建設反対! 普天間基地即時撤去!

 

 

 

 

 

 

『辺野古の海をまもる人たち-大阪の米軍基地反対行動 (田中佑弥 編・著、東方書店)の人々へ

http://www.tohoshuppan.co.jp/2009ho/09-11ho/s09-152-7.html 

1月30日16時38分配信 時事通信:
社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)は30日、都内で開かれた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設に反対する集会であいさつし、「辺野古に基地を造ることは不可能だ。社民党が許さない」と述べ、鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官が辺野古への移設の可能性を排除していないことをけん制した。
福島氏は「普天間飛行場の県外・国外移設(実現)へ全力を挙げる。(移設先の決定期限とされる5月までの)数カ月、こん身の力を込めて頑張り抜く」と強調した。集会は市民団体や労働組合の主催で、約6000人(主催者発表)が参加した。 

AM:5;30:起床
AM:7:00:西新宿現場スタート
PM:1:30:現場中断
PM:2:20:日比谷野音 ものすごい熱気
PM:4:30:現場再開 その後富士に沈む夕日拝観
PM:8:30:新宿思い出横丁で モツ煮込み+焼酎

国会前に座り込む「9条改憲阻止の会」の親爺の言葉が沁みてくる。

『 「OCCUPIED OKINAWA」。
 ヤマトが 明治政府が そして日米が、沖縄を占領し続けて来たのだ。
   「戦後」というもの総体が、そのことを与件として成り立って来た。
   沖縄はその丸ごとの見直しの開始を、求めている。 』 

民主党政権、平野官房長官!                                                                               名護市長選結果を「斟酌(しんしゃく)しなければならない理由はない」って?                                                    蹴り上げてやろうかと思ったと言う議員もいたらしい。

 

 

画像『普天間基地問題』            http://www.youtube.com/watchv=W1KvvbqUU4&feature=player_embedded                                                                               

名護市長選結果: http://www.youtube.com/watch?v=TEvg_uD8r8U&NR=1

                                       

交遊通信録: 団塊厄介?

団塊モンスター
 
理路整然・善意と独善・自信過剰の団塊オヤジたち
「団塊モンスター」がいたるところで人々を困惑させているらしい。
 
日刊ゲンダイによれば、
「ほらほらネクタイが曲がっているぞ」「ワイシャツがシワだらけじゃないか」
毎日のように相模原市役所を訪れ、頼まれもしないのに職員の服装や整頓状況を
チェックしていた団塊オジサン=名物クレイマー。
NHK視聴者コールセンターに意見を寄せるのはいいのだが、「そもそも龍馬とは・・・」と長々と
自説と世界観を一方的に語り始める。アルバイトの女性に語ってどうなるものでもあるまいに・・・。
大学病院で「何で待たせる」「誤診なら訴えるぞ!」と激昂する。
自分だけはという想いが強いのがこの世代の特徴。しかも「善かれ」と思っての善意と正義感が
出発点だから始末に悪い。「団塊」なる語は堺屋太一氏の命名で、
1947/48/49/50生れの所謂第一次のベビーブーマーたちのことで存命者は
47年222万、48年233万、49年235万、50年213万 何と計約900万人もいる。
「日野市団塊世代広場」の高野寿一理事長は「団塊世代はリタイア後少なからず喪失感
のようなものを抱えています」「プライド」と「スキル」があって云々・・・・。
 
そうか? そんなことはこの世代にのみ特徴的なことでも何でもない。
上記の三つの例は、単にその個人のおバカ加減の表れでしかない。
世代を論ずるなら、もう少し時代と歴史を背景に説得力ある説を立てて欲しい。
ところで、「そもそも龍馬は」ではないが、話が通じそうな相手と見るや即
「そもそも『日出る処の天子』とは・・・」とやらかすぼくは、『品川モンスター』なのかも…。
体験的に言うと上記三例には「ブログ」の立上をお勧めする。
かく言うぼくは、強制的(と言われそうな)に読まされるメールでの我が「駄説」に辟易した(に違いない)友人に、読みたい時に任意で開けるブログを勧められたのだ。
                                              意外な反応や応援にも出会えて、悪くはないですよ。
 

交遊 通信録:  ふと「ブラザー軒」

【ブラザー軒】 菅原克己
 
東一番丁、
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上がる。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。
 
 
 
 
 
 
事大主義、深刻、見せかけ、難解、それがいちばん嫌いだったので
                 ぼくは詩人になったはずだ。(菅原克己)
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*高田渡が『ブラザー軒』に曲を付けてます。

通信録&歌遊泳: 訃報 浅川マキ(享年67歳)

訃報 浅川マキ

若い知人が知らせてくれた。

『ブログ「たそがれの品川宿」でのカルメン・マキさんに関する記述が、                                                                                    私が京都で浅川マキさんのライブを観て聴いて得た感覚に近いと思えて、お知らせしました。』 と、あった。

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時事通信 1月18日14時51分配信 

浅川マキさん死去                                                                                                黒装束に身を包んだ独特のライブ活動で知られた歌手の浅川マキさん(写真)が17日午後8時、                                                  心不全のため公演先の名古屋市内の病院で亡くなった。67歳だった。                                                                               代表曲「夜が明けたら」「ちっちゃな時から」「ふしあわせという名の猫」「少年」「かもめ」    

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 『ふしあわせという名の猫』 http://www.youtube.com/watch?v=-U089XOr3WA&feature=related

自身のスタイルを貫いた、云わば「非転向」の生涯だったか・・・                                                                                            ぼくらより少し若い世代=「***に遅れて来た世代」の精神風景にドンピシャだったよと言われたりしているが、                                                                           どうなんでしょう。そうではなく、70年代初頭の迷える精神の、世代を超えた代弁者ではなかったか?                                                そして、それは今現在の若者に届く普遍性をもっている、と思う。

 

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