Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category
交遊通信録: 品川宿急襲の女たち
女史三名(様)の 品川宿急襲に遭う
月が変わって五月。一日、さっそく同世代元気バアさん(本人たちは姉さんのつもり)三名の急襲を受けた。 某生協の機関紙の敏腕記者(取材・撮影・簡潔にしてツボを外さない文章)の女性、その生協の理事で今春勤務先を定年退職したという女性、この二人は古い友人。もう一人は、天然酵母のパン製造・販売を夫と共に27年にも亘り続けている強者(?)女性。 何事かと訊けば、同日 福島であった『福島の子どもたちを放射能から守るための集会』(於:ホリスティカかまた。13:00~17:00)の帰りだという。 翌日(5/2)の文部科学省・厚生労働省との交渉『子ども年間20ミリ・シーベルト基準の撤回を求める政府交渉』にも参加するので、「今夜泊めろよ!」という次第。当事務所の三階には雑魚寝なら4~5人は泊れるので、もちろん快く承知した。 品川宿『たそがれ自由塾』近くの「美味い」創作料理居酒屋に案内し、痛飲となった次第。 当塾近辺の街並みや、旧東海道の趣を残す雰囲気がすっかり「お気に召された」三人は、それぞれぼくの3倍量以上の酒と料理を、美味い美味いと楽しみつつ、福島の報告をしてくれた。 翌日、文部科学省・厚生労働省との交渉についても、帰路、新幹線東京駅へ見送って小一時間報告を聞いた。楽しくも心強いご「一行様」だった。再訪歓迎といったところか・・・。
男と女が、それぞれの関わりの世界(勤務先・得意先・近所・友人知人・他)へ、この情報の発信から『脱原発』へ向かう声を広げるべき事態だと痛感する。緊急には、福島での「子ども年20ミリ・シーベルト基準」の撤回へと進むよう強く思うところだ。 もし、地域や男女によって事態への受け止めに「温度差」なるものがあるのなら(実際あるのだが)、それは大きな錯誤だ。 例えば、東京は福島~茨城~首都圏と地続きで、事態の推移によっては「現地」となり、千葉県北部などは200km圏内ですでに「現地」だし、何よりも全国に原発があり、地震・津波は地域・場所を問わず「潜在危機」として云わば「公平」に全国を覆っている。それは、男女に関係の無い事柄なのだ。
以下は彼女らの報告
【福島集会】 原発震災復興・福島会議、福島老朽原発を間考える会 共催。 県内外から250人参加。
* 本来の国の」基準は年1ミリシーベルト。(これとて、ICRPが10万人に5.5人ガン死とする数値) * 年20ミリシーベルトなる基準は、原発労働者が白血病を発症し労災認定を受ける線量に匹敵し、ドイツでは原発労働者に適用される最大線量に相当する。子どもは地表に近く、土を触り土埃を吸い、土に塗れて生きている。かつ、成長期の胎児・乳児・幼児・学童・生徒には被ばくの影響は、大人の10倍以上とも言われている。 * 長崎体験を振りかざして福島県の顧問(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)に居座る長崎大学の山下氏は「100ミリでも大丈夫」と公言して県内の「世論」形成に多大な影響を発揮した。 その数字の実態とは、100万児童のうち5万人はガン死しなさい、という数字である。と言うのは、ICRP(国際放射線防護委員会)が言う、「年100ミリシーベルトで200人に一人がガン死」という甘い(ICRPは実態より10倍甘いと言われている)想定を採用しても、10倍なら20人に一人、つまり子ども100万人で5万人ガン死となる。 * 年20ミリという基準は、何としても撤回させなければならない。 * 集会は、まず「地域別」に集まり意見を出し合い、さらにそこでの論議を基にシャッフルして「避難・疎開」「除染・放射能防護・測定」「知識・情報を広げる」「基礎知識学習」の4チームに分かれ議論を詰める・・・という工夫がなされていて、実に充実した集いだった。 党や労組には無いスタイルだった。それぞれの「ホーム」「土俵」に持ち帰り、全国にこの動きが広がることだろう・・・。 * まずは、翌日文部科学省・厚生労働省に対し、「子ども年20ミリシーベルト」基準の撤回を求める要請を行なうことを決めた。
【文科省・厚労省交渉】 参議院議員会館:講堂350名参加。 * 年20ミリ基準(毎時、3.8マイクロシーベルト)は、そもそも労働基準法で18歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」(毎時、0.6マイクロシ-ベルト)の6倍以上の線量。 * 国内外の1074団体が撤回を求めている。 * 「安全委員会」の20ミリ基準の決定プロセスを問う。 * 4月19日の決定は、「その場に居る委員でまず論議した」「不在の委員に電話で諮り、最終的に『差し支えない』との見解をまとめた」「正式な委員会は開かなかった」「議事録は無い」(5月1日、朝日新聞) * 「管理区域」は作業禁止域ですね、同じ20ミリシーベルト基準は「管理区域」と同等ではないのか? に対して「校庭は労働現場ではない」などという「人を食った」答弁まで飛び出した。 * そして誰も居なくなった(?)・・・。交渉の中で、同席した「安全委員会」事務方は「安全委員会として、20ミリシーベルトでよしとは誰も言っていない」なる発言が飛び出す始末。 * 交渉には、福島現地から、国が「安全だ」とする(毎時、3.8マイクロ以下だった小学校校庭など場所)から採取した土壌が持ち込まれ、官僚に「あなた! それを舐めなさいよ?」との声が上がって、官僚は顔面蒼白。当然だ!
=確認事項=
* 5月6日までに、<文科省>安全委員会の判断について、見解を示すこと。放射線管理区域と同レベルの汚染で子どもが遊ぶことについて、見解を明らかにし、文書で回答すること * 同日までに、<原子力安全委員会>決定過程にかかわった専門家で、20ミリシーベルトが安全とした専門家はいなかったことを公に表明すること。 * <原子力安全委員会>福島県のアドバイザーの山下俊一氏が、「100ミリシーベルトまで安全」とふれまわっていることに関して、原子力安全委員会は、事実を調査し、これが事実であるならば、指導すると述べた。これについては、即刻結果を明らかにすること。
【参考資料】
☆ 5月2日交渉詳細 http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/negposq_20110502.htm
☆ 田中優氏講演会:『原発・放射能を正しく知るために』 USTREAM 5月2日配信 http://www.ustream.tv/recorded/14428383
☆ 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー山下俊一氏の見解など http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-254.html
新幹線東京駅へ彼女たちを見送った。よく学び、私利でも押付けでもない邪心なき行動・どこかからの指示や誘導ではなく自らの内から湧き上がる自分の言葉、その言動に、思わず声をかけた。「あんたら、ええ女になったなぁ~」と。 もちろん「あなた、ええ男になったなぁ~」と返って来はしなかった。チャンチャン♪~~~
九条改憲阻止と沖縄米軍基地撤去に自分なりのスタンスで与する・脱原発へは私利やしがらみと切れて起つ・・・・、これは我が世代の責務ではないだろうか?
通信録: 孫正義氏記者会見 企業家の公理への可能性
孫正義氏に見る経営者・企業家の社会的役割の可能性。
-彼の覚悟には、原発に物言わぬ**労働組合を万余重ねても届きはしない-
古い女友達がソフトバンクの主宰者、孫正義氏の自由報道会議主催になる「覚悟」の記者会見映像を送って来た。
http://www.ustream.tv/recorded/14195781 【是非とも開いて、見て欲しい!】
約90分と少々長いのだが、時間を忘れてジックリと見聞き出来た。原発の何たるかを説いている。 かつ、エネルギー政策に関する代替案を提言している。 発言の骨子は、次の通り。 ①そもそも福島はIAEAからも指摘されていた「老朽」原発。 ②世界の廃炉年限は平均22年。 ③世界の原発建設ラッシュは終っている。原発依存度は減少している。 ④日本だけが、なおも作り続けようとしている。 ⑤30年で総点検、その結果により「さらに10年OK」なる国内基準の、10年と言う長期の根拠を問う! 中性子を浴び続けた格納容器の鋼鈑は20年ではモロくなっており、30年は耐用年数限界。福島は40年。 ⑥原子力がコスト安という神話は事実か? 誰が、どの積算で言っているのか? 事故対応コスト、安全対策コスト、廃炉費用は含まれているか? ⑦太陽光発電のコストが、2010年の次点ですでに逆転して原子力より安くなったことをご存知か? ⑧誰が、何故、原子力が安いと「言い続け」て来たか。電力会社の「私利」が、何故「政・財・官・学・報道・労」をまとめられたのか? 電事連に飲み込まれた自民党、電気労連・連合影響下の民主党という構造的「翼賛」が原発異論を封じ込めて来たのではないか? ⑨太陽光・地熱・風力・潮力・太陽熱・・・あらゆる可能性への研究・開発が、原子力偏重・資金集中で阻害去れて来たのではないか? 現に、スタート時にせっかく世界トップファイブに4社も入っていた、日本のソーラーパネルメーカーが、今やトップテンにシャープ1社だ。誰かが妨害している、誰だ? ⑩原発を、今一気に全廃出来ないとしても、新たには作らない・54基をひとつひとつ廃炉にして行き、急いで代替エネルギー開発に集中するべき。 ⑪「自然エネルギー財団」を設立する。 ⑫東北に、復興・雇用機会創出も込めて「東日本ソーラー・ベルト構想」を実現すべし。 ⑬我々は原発情報のウソ(安全、コスト安・他)に「洗脳」されて来た。だが、実際を知ったのだ。知った以上、何もしないのは、子・孫・この国への背信行為だと思う。妨害・バッシングは覚悟している。企業家の責務を痛感するのだ。 エネルギー政策の転換への覚悟 を政治の求め、そのことへのいささかの不自由・一時通過する価格高の甘受を人々に求めたい。 以上。
戦後、例えばホンダの本田宗一郎、ソニーの盛田昭夫・井深大、リコーの市村清など、私企業の私利を超えて、いわば公理・道理に生きた企業創業者がいた。政治家にも石橋湛山や宇都宮徳馬、司法には砂川裁判の伊達裁判官など、この国の、一面では公理・道理を「思想」「政治的立場」を超えて実践した人物がいた。 今、原発「戦後」ではなく「戦中」だが、この戦争に巨大企業グループと自身の命運をも賭けて発言・行動する孫正義氏に、戦後の公理・道理に生きた創業者を見る思いだ。
私事ながら、義父(妻の父:故人)は、山陰の小都市で小さな企業(衣料商社)の番頭で、もちろん左翼ではないのだが、新事業を起業(商社機能だけでは先行き危ういと、生産工場を提案・準備・実施に奔走して立ち上げる。街から離れた郡部過疎村に雇用の場を創出した一面もあった。当時その地には珍しい工場内保育所もあった)したり影の経営者役・参謀役に徹した人生を終えた。没後、義父が創設した生産工場は、残念なことに受注先=メーカーに乗っ取られることになる。 七〇年当時、娘と結婚すると挨拶にやって来た「過激派(?)」の最後尾のそのまたオッカケ程度の軽挙妄動の公判中の若造に、不満と不安を隠してこう言った。 「ヤスマロ君、左翼でもなんでもいいのだ。ただ『こころざし』のない者はいただけない。志があればこの世でことを成せるかどうかに拘わらず、人生を全うできる。要は志だ」と。若き日の戦後の物資乏しき混乱期に、賀川豊彦の鞄持ちをしていたという義父の個人史を、没後数年の後に知った。 義父の言葉を思い出させる孫正義氏の会見だった。 ちなみに義父の名は【正宜】で、字は違うが「マサヨシ」であった。
交遊通信録: 地震・津波・・・。
東日本巨大地震
電話やメールありがとう。東京は激しく揺れまして驚きましたが、当方無事です。 大船渡・陸前高田・宮古・相馬など、津波被害も合わせた震災被害の大きさは尋常ではありません。 取り合えず、東京で揺れただけでオタオタした品川爺の2日間です。
3月11日。 中目黒の現場に居た。「東京は時々揺れるわい」と軽く受け止めていると、やがて激しいグラグラがえらく続く。 次第に強くなる揺れに「えっ? 第二関東大震災?」と怯える。阪神淡路大震災の際の激しい揺れを思い出す。 現場の資材が崩れ、立てかけていた建具が倒れた。施工間もない大型のガラススクリーンが揺れている。 そのガラズに仮固定してコーキングの凝固待ちのガラスの棚が落ちた。 正直、阪神淡路大震災を思い出して立ち尽くすのと、現場状況が心配で離れられないというのが半々。足元が揺れるのは、根本的存在不安に駆られる。揺れが収まるのを待った。余震が続き、さらに大きいのが来るのか?などと考え、**に逢わずに果てるのか・・・などといつもの癖で単身赴任の身を大げさに思ったりする。 夕刻、帰ろうとするとJR・地下鉄・私鉄、全て運休。タクシーは数少なく、長蛇の待ち客。バスは来ない上に超満員。 仕方がない。幸い品川宿の庵まで、直線で5Km、山手通りを真っ直ぐ歩けば6Kmほどか?90分ほどで帰れるだろう。そう思い定めて歩き始めた。 何と、大東京の勤労者の多くが同じ選択をしている。道は歩行者のラッシュとなっている。 二時間以上かかって北品川に至り、旧東海道の見慣れた風景に辿り着く。 丸の内から蒲田まで歩くのだという人、羽田まで行きますと言う人。旧東海道の夜道を処狭しと大勢の男女が黙々と歩いている。高齢者も歩いている。脱帽!
今日3月12日は、8時に山手線が動くと言うので、品川に出たがJRは動いていない。京急も品川止まりで都営浅草線との合流点泉岳寺までは行っていない。 仕方がない、泉岳寺まで歩いた。これが、またまた歩行者ラッシュ。ノロノロ歩き。 ようやく泉岳寺駅に着いたが、駅の1Km手前でドン詰まり。駅へ入れない人々で大渋滞。 三十分後、地下駅にようやく降りることが出来た。ホームはまだ先だ。 泉岳寺(都営浅草線)-大門(都営大江戸線)-六本木(日比谷線)-中目黒。9時45分に現場着。 職人さんの半数はすでに来ていて、KEYを持つぼくを待っていた。頭が下がる。
地震・津波・・・。被害の大きさに人間の無力を思う。 震度5でオタオタした品川のたそがれ爺は、ようやく被災地の実情と人々の惨状を想う。大変だ・・・~~~ 「たそがれ」てもシッカリしていろよ! 自身に声かけをして現場は始まった。 添付画像は、昨夜の旧東海道歩行者ラッシュと、今朝の泉岳寺駅改札前の混雑。 日本の勤労者は「それでも職場へ急ぐ・・・」。う~ん・・・。
津波被害・原発・・・、これから全体像が大きくなりながら明らかになって行くのだろう。 津波映像のすさまじさに家・家族・私財・思い出の品々・・・一瞬に全てを失った人々の心中が思いやられ「ぼくならとても耐えられない」と絶句。 避難所生活・暖不足・水・食料・衛生・・・言葉もないが「頑張って下さい」
ほろ酔い通信: 女優七変化
真木よう子
NHK『龍馬伝』の「お龍さん」役(男前・一途にして、腹が座って情深き、実に素晴らしい「お龍さん」だった)でブレイクした真木よう子のことは、 それまで『パッチギ』の女番長役(やがて看護師になる役)や、TVドラマ『東京フレンズ』、映画『揺れる』で知ってはいた。 東京へ赴任した頃、現場が遅くなり帰宅して何気なく点けた深夜TVドラマ、大塚愛・瑛太主演のプロを目指す素人バンドの青春群像劇『東京フレンズ』を観て、飛び飛びだったが何度か観た。ぼくにはこのTVでは『パッチギ』のあの女優だとは思い浮かばなかったのだが、、大塚愛や小林麻央らの青春ものの中で、独り「はすっぱ」な女を演じていてマイナーに輝いていた。前後して『揺れる』で山路ふみ子賞(新人賞)を取ったらしいが(上段右から二番目の写真が受賞会場でのもの)、一部の監督が「使ってみたい女優だ」と注目したらしい。 仲代達也の「無名塾」出身で、二十歳そこそこの頃、仲代と些細なことから大喧嘩となり飛び出し、未だに口も利かないというのは有名だそうだ。 ともあれ、NHK『龍馬伝』前後から、TVと映画『SP』や、飲料のCMや、資生堂インテグラ化粧品CMに抜擢され大モテだ。『パッチギ』『揺れる』『お龍さん』、最近の『SP』・・・、都度表情や雰囲気が違い「女優」を感じさせてくれる。高倉健が「高倉健」を、吉永小百合が「吉永小百合」を演じることになるほどに個性が先行しているのなら、この女優は「役」の都度私的個性を投げ打っている・・・、と言う意味で「女優」なのかも知れない。 小百合さんの最高芝居とぼくが思っている『細雪』(83年)で、三女雪子の怪しい魅力を引き出して撮った故:映画監督・市川崑は「君ぃ~、女優は七変化でないと・・・」と言ったそうだが、確かに上の15葉の写真(ほぼ年代順)には、岸恵子・小泉今日子・中山美穂・伊藤美咲・篠原諒子・田丸麻紀などが居る。
真木よう子PhotoStory『わかれうた』というのがあって、みゆき姉さんの歌が流れるのだが、姉さんが「真木よう子さんならOKよ」と快諾したそうな。なるほど・・・・。 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=GG10MYX9Tl4
発言も中々筋金入りで、『SP』完成発表会で「女がかっこいい時代を作りましょう」とぶち上げ「男の真似をするのではなく、女が女のままかっこいい時代」とやったそうだ。女性性を掴みあぐねた七〇年若者世代男女には堪える言葉だ。芸能誌によれば、同世代の男性には恐れられてかモテず、伯父さんにモテて来たのだが地位や業績を築き上げた男には興味なく、出来れば互いに力になれる未完成な存在を求めて来たという。結婚した相手はリリー・フランキーに師事して脚本等の修行をしている元俳優だそうだ。女児がいる。 たまたま初期「真木よう子」を駄小説ヒロインのイメージキャラクターにした関係で、ちょいはまっている。芸能情報誌には、顔や胸の整形をしているとか、民族名:金蓉子(キム・ヨンジャ)という在日女性だとか書かれている。真偽のほどは知らないが、そのことも併せ、女優根性や精神の筋肉質を見る思いがする。 だが、そもそも、ぼくの知る女性なるものの多くは、七変化は無理でも誰だって五変化くらいは、いや十変化も十二変化もして生きて来たぞ。 恋人・妻・母・勤労者・姉・妹・娘・女の子・・・、戦友・親友、そして愛人・ときには**のように・・・ってか? そこへ行くと男が変化できず、しなやかさと変幻を奪われて生きているのなら、それは各種教条のせいではあるまいか? 深夜酔って電話して来た某岐路に立つS君、人生七変化ですぞ!手放さず持つべきは、変化(へんげ)を貫いて持続する「志」だ!
【太宰と吉本の会話(1947年)】 太宰:「おまえ、男の本質はなんだか知ってるか?」 吉本:「いや、わかりません」 太宰:「それは、マザー・シップってことだよ」 吉本独白:『母性性や女性性ということだと思うのですが、男の本質に母性。不意をつかれた。』 (雑誌『東京人』、08年11月号) ←【 つぶやき: 太宰と吉本 生涯一度の出逢い 】
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ほろ酔い通信: 爺の軽転落、若い女性の言葉ハンカチ
弁慶の・・・
二週間前のことだ。 年齢なのか元々の反射神経愚鈍なのか、現場で軽転落した。 大したことはないのだが、その原因や落ちっぷりに少々(いや大いに)落胆している。事態はこういうことだった。 某現場で99パーセント仕上がり、あとは備品を並べるだけになっていた。引渡し直前で、クリーニングを終えた床などを汚すまいと、 当然「土足禁止」。ソックス又はスリッパや上履で行動している。 壁面に設置した絵画の額が傾いていて、それを直そうとした。脚立に乗ればいいものを、たまたま電気屋さんが使っていたので、 デスクにブルーシートをかけ、その上に乗ることにした。イスからテーブルに移動した(つもりだった)。 ところが、「ソックス状態」で滑りやすく、しかも移動時の目線は、遠近両用メガネの近視レンズ・遠視レンズを遊泳して混乱している上に、
真下のイス・テーブルの境目を見る際には、裸眼でレンズの下方の隙間を視ることになる。
目測が微妙に違ってた、そこへ「ソックス」。テーブルに足をかけた瞬間、滑ってしまった。 踏み外した足は、ガックン・ガックンと向う脛を二度強打する始末。
そりゃ弁慶様でも我慢できないだろう・・・。 脛は、上部と下部にふたつの打撲痕を残し、翌日から大いに腫れてきた。
一週間後でも、まだ腫れは引かず、痛みもあった。
出来事翌日だけは歩行困難休んだが、現場事情でそうも行かず現場に詰めた。 「現場引退勧告」を受けているのだろうか?*************************************************************************************************************
そんな折に、友人の縁者K繭子なる若い女性の「短い言葉とイラストを、ハンカチに織り込んだ作品」の個展に出かけた。 高円寺にある「アール座読書館」という、ドリンク一杯で静かに読書できるいい空間だ。
繭子さんのコーナーに座り、ハンカチを手に取る。ハンカチの言葉には短く語る副読本なるものが別途添えられている。 席の小さなモニター画面にはPhotoスライド・ショウという趣向。 副読本を読み、スライド・ショウに見入って居た。 ・・・短い濃い言葉が沁みて来る。
不覚にも、人目もはばからず、席で****・・。
人が生きて行く数々の場面で、出遭うべきそして持続すべき、
一番大切なことと、それを抱いて行く気概と宣言。
ハンカチ刺繍というカタチに表現した痛々しくも瑞々しい感性に打たれたことだった。
出会いと別れ、没入と破綻と回生と・・・。 「手ばなす」「ぜんぶ」などなど。
副読本にはこうあった。「ぜんぶ」:「ぜんぶ持ってく。ぜんぶ捨てない。」
それを覚悟し・行ない・持続する者だけが、「手ばなす」ことも出来るのだ、
と教えられて、「引退勧告」を受容れるのなら「ぜんぶ」との距離と関係を考えよう・・・と思ったことだった。
通信録: ぼくらに棲み付いている「宗主国性」
=前頁続き= その女性作家は、有名な『ある神話の背景』(73年)で、いわゆる「聞取り」を重ね「軍命はなかった」論を展開した。 クリスチャンである彼女が「集団自決」の見本(?)として持ち出す話に『マサダ集団自決』というのがあるそうだ。
【以下、文芸評論家・山崎行太郎ブログ: http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/ より】 マサダというのは、ヘブライ語で「要塞」の意味で、西暦73年、ローマ軍に追いつめられたユダヤ人960名が集団自決した場所だそうだ。 西暦70年にエルサレムがローマ軍によって陥落させられた後のユダヤ人の最後の拠点で、 三年間持ちこたえたが、西暦73年に陥落、その際、ここに立てこもっていたユダヤ人は、ローマ軍に降伏するより集団自決を選んだそうだ。 曽野は言う。 『日本人とユダヤ人の大きな違いは、マサダの自決をどう評価するか、において見ることができる。イスラエルでは、マサダの集団自決を、非人間性や好戦性の犠牲者として見るどころか、そこで自決した960人の人々を、ユダヤ人の魂の強さと高貴さを現した人々として高く評価したのであった。しかし沖縄では、集団自決の悲劇は軍や国家の誤った教育によつて強制されたもので、 死者たちがその死によって名誉を贖ったとは全く考えてもらえなかった。』(06年4月『集団自決の真実』前書き)-「ある神話の背景」再版- 曽野は、これを美談、自決の鏡としてしばしば持ち出す。 **************************************** 彼女の考えを示す発言: *大型台風被害について、 「一晩くらいの事で何でそんなに避難者を甘やかすのか、避難するなら健常者は食糧寝具くらい自分で避難所に持って来るのが普通」 *新潟県中越地震について、 「避難者は甘え過ぎだ。寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。 必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」 【その辺ってどの辺だ?窃盗の勧めか! (品川宿たそがれ野郎)】 (参照: http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-174.html http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/5123ac27fa4a13fed8c3eee97200a646 他)
国家の為、天皇の為、民族の大義の為の「殉死」を尊いとするのは、彼女の勝手だが、その「尊い」「殉死」を軍・兵士の「自決」に求める、あるいは自身に求めるのなら同意はしないが、ひとつの考えとして認めよう。 だが、沖縄で、座間味島・渡嘉敷島で死を遂げたのは、指揮官でも日本軍兵士でもなく、強制集団死に追いやられた民間人島民であり、 米軍上陸に際して日本軍陣形を漏らすスパイとされ日本軍に処刑された島民なのだ。殉死・自決を称えたいとしても、指揮官を先頭に軍民全員がユダヤの大義に殉じたとされる2000年も前の『マサダ』(「史実じゃない『神話』だ」との説もある)と、沖縄の現代の強制集団死には、大きなそして根本的な違いがある。 敗戦を14歳を間近にした13歳で迎えた文学少女の自己解体を押し留める「思想」が、何故、準植民地であった、ヤマトではない沖縄の、離島の貧しくひもじい人々に、いわれもなく被せられ代行を強要されなければならないのか? 「憶えにくいので」と彼女自身が作った下記の慶良間諸島の島名覚え歌にその答えがあるように感じるのだ。 『慶良間ケラケラ、座間味ザマミロ、阿嘉アカンベエ』・・・。(ウィキペディア) 彼女にとって、沖縄-琉球は他者なのだ。本来、自己があって、五分の他者がある。が、ここでは、自己の内部矛盾を、自己の抱え切れないものを 背負わせてOKな他者なのだ。「宗主国」ヤマトの大義を圧し付けても、自己の「殉死」への憧れを代行せよと求めても、何を被せてもOKな 「絶対他者」、すなわち「宗主国」にとっての「植民地」なのだ。 それは、そのまま、現在の沖縄と日本の関係を映し出している。 沖縄の米軍基地を県外へ、と聞けば「本土の沖縄化だ」「全国基地化だ」としか反応できないぼくら自身(ぼく自身そう言って来た)に、 「宗主国性」の変異種など棲みついてはいないと言い切る自信は、ぼくには無い。
ぼくは、今、彼女より5歳年長のある女性詩人を思い浮かべている。 同じく軍国日本の末期に女学生であり、年齢から言えばその女性詩人が彼女たちの前に立ち、軍事教練を仕切っていた上級生だと捉えても、時代と世代の構造としては分かり易い。その数年の差(実は半当事者と少女の違いは大きいとは思うが)を強調したいのではない。その違いを相対化できるか否かの、思想的構えや深度の差を言いたいのだ。 優等生であり、四百人の女生徒の軍事教練を率先して推進し、軍務教官から褒められる軍国少女でもあったという女性詩人の、戦後間もない時期の痛々しくも鮮やかな回生の記憶だ。 だが、その詩人は、彼女のように他者に己が美学(?)=『神話』を、しかも筋違いに押し付けて、幼い「美学(?)」の崩壊を回避し続けて生き延びるのではなく、慟哭の自己解体を経て回生を遂げた。 聖心女子大英文科卒のインテリ・クリスチャンよ! その痛苦と誠実を少しは知れ。 ーーーーーーーーーーーーーーーー-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夏草しげる焼跡にしゃがみ/ 若かったわたくしは/ ひとつの眼球をひろった/ 遠近法の測定たしかな/ つめたく さわやかな!// たったひとつの獲得品 (茨木のり子「いちど視たもの」より)
ほろ酔い通信録: 年末・年始 あれこれ
年末から帰阪している。記憶に残る年末・年始となりそうだ。
年末: 女房の呼掛けで、息子三人(調理人・教員)の妻の親が、「**夫妻の親の会」(仮称)に集まって忘年会をした。 いささか珍しい集いかもしれないが、茨城・奈良・大阪から娘宅訪問を兼ね駆けつけての参集でもあった。 娘の夫の両親の呼びかけ、その一人は自称「たそがれ野郎」・職業不詳の怪しげな男。その男の息子の女房の親という縁とは言え、 よくぞ参集して下さったものよ、 と感謝の気持ちでいっぱいだ。 同世代が七人、それぞれ初対面(我が夫婦を除いて)でもあったが、すぐに打ち解けて呑んで食って、それはそれは楽しい会とはなった。 盛り上がった勢いで「毎年は無理でも、二年に一度は集まろう」との提案もあり、当方が大社長・高級官僚ではこうは行かないよな、との身勝手な言い分に、女房から「何を開き直った自慢をしとるんや? 老年フリーター君!」と早くも当然の突っ込みあり。 ともあれ、息子とその妻の組合せの妙への「なるほど」感が倍化した忘年会だった。
年始: 元日、子や孫が我がボロ家に集まり、孫の成長を喜ぶよりは、我が年齢を再確認させられたことだった。 三歳女児の言動に、何故か書いている小説モドキに登場させた女性たちのことばかり想っていた。 偏差値・体力・職業・収入・キャリア・・・そんなことはどうでもいい(とは言わないが、そして基礎的な「人間力」を身に付けよと強く思うが)、 それよりも、孫よ!どうか「賢い、いい女」になってくれ! ますます若者が生きにくい社会ではあるけれど、顧みられなくなった価値、浮世偏差値では計れない価値、を生きる「おんな」 になってくれ! 爺はいつでも応援するぞ・・・とつぶやいていた。
**始め: 小説モドキ『じねん傘寿の祭り』のこと。 小説モドキで、間もなく(次章で)、裕一郎は亜希と再会する。 再会は本島の玉城方面の海岸沿いだったのだが、粗原稿に目を通していた親しい女性読者から、「再会シーンは、是非離島にして欲しいわ」との要望通信があって、簡単に「ええですよ」と返した。その読者は、青い空、澄んだ海を背景にした再会を期待したのか・・・。 ちょい書換え変更すれば済むだろうと、ぼく自身嵩をくくっていた。 黒川にはダウン症の息子ユウくんが居り、日帰往復可能な島でないと、辻褄が合わない。しかも、設定されている経済状態からも、飛行機で石垣島日帰り・・・では不自然なのだ。日帰可能な離島で、海が綺麗で、ヒロインが居るに相応しい景色で・・・と難しい。 美しい慶良間の海を思い付き、「あのこと」を気にしつつ、つい渡嘉敷島にしてしまった。高速艇で那覇から35分だ。船の出航時刻表、ヒロインは何をして食っているのか、景色、土地勘・・・、グーグルアースで調べたり、観光案内HPを繰ったり、と苦労した。小説モドキに、慶良間諸島の「強制集団死」を半端にアレコレ書くつもりはもちろん無いがより知っておくべきだと、知ってるつもり事項を紐解いていろいろ読んでいた。 で、つくづく、「強制ではない」「大義に殉じた尊い自決だ」と主張する某女性作家の幼い日からの「美学(?)」とその処理方法にへばり付き、あまねく国民に行き渡っている「宗主国性」を想った。(次頁へ続く) 登場人物の再会場面を何処にするか・・・それが、こんなに大仕事だとは思わなかった。渡嘉敷島に変更したばっかりに、いや「したおかげで」、その女性作家の倒錯の意味に出遭い考えることも出来た訳だ。 物語を知っているその読者が、たそがれ野郎が近い離島・慶良間方面を選ぶだろうと踏んで、「離島にして欲しいわ」と要望して、「強制集団死」を熟考させようとしたのだと思えてならない。
交遊通信録: 今年も 得がたい人が逝ってしまった
5月、佐藤慶さんが亡くなり、これで大島渚映画常連の個性派四男優全員が逝きました。 93年戸浦六宏、03年小松方正、04年渡辺文雄、そして今年佐藤慶。 いまどきの役者を見ていると、「あんたは何をしたくて役者やってるの?」と問いたくなりますが、 映画が『踊る』( http://www.yasumaroh.com/?p=8388 )亜流を垂れ流している以上、役者を責めても始まりません。 作品に「志」がないのは、映画に限ったことではありませんから・・・。
1月: 浅川マキ、 小林繁、 ジーン・シモンズ(『エルマー・ガントリー』のシャロン役は貴女だから嫌味なく治まった)、 サリンジャー 2月: 立松和平(『光の雨』。賛否はありましたが・・・)、 藤田まこと 3月: 植木等(モーレツとは違う勤労者文化を公然と唱えた?それはエリート内スーダラなのだが・・・) 4月: 井上ひさし(ご遺作『一週間』読ませていただきました)、 北林谷栄、 ばばこういち 5月: 佐藤慶(『人間の条件』新城役以来、一貫していましたね)、 デニス・ホッパー 7月: つかこうへい(貴方に育てられたという役者がいっぱいです。みんなスゴイ)、 森毅 8月: 三浦哲郎 9月: アーサー・ペン(『俺たちに明日はない』)、 小林桂樹(NHK版『赤ひげ』は秀逸)、 谷啓 10月: 池部良(『早春』と『死んで貰います』 http://www.yasumaroh.com/?p=3842 ) 11月: 星野哲郎、 脇田憲一 (脇田さん。6月術後退院され、宇和島コムミューン評伝を仕上げようとしておられた。http://www.yasumaroh.com/?p=6821 http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2 「民の叛乱」、それへの庄屋層・知識人の立ち位置、党ならざる者ども・・・ その自立と共同による「大規模叛乱と自治」、への果てなき想い。さぞご無念なことだと思います。 合掌!)
【追記】 12月28日:高峰秀子(戦中の『馬』は65年ごろ観た。『二十四の瞳』を公開当時母に連れられ観た記憶がある)
通信: 9条改憲阻止の会 連帯ニュース転載
9条改憲阻止の会 連帯ニュース 2010年11月11日 第83号 転載
日本の今日・明日を決する沖縄知事選が告示された
■日本のマスメディアは故意に無視を決め込んでいる感のする沖縄知事選挙である。ちなみに 我が家で購読している11日付けのA新聞には沖縄知事選告示の記事はどこにも載っていなかった。それでいつもコンビニで手に入れるT新聞を買いに走った。こちらも一行も記事は見当たらなかった。掲載は夕刊ということになるかも知れないが、マスメディアは四十七分の一の知事選挙に過ぎないと見なしている気がする。普天間基地移設―辺野古新基地建設問題を最大の争点するこの知事選挙が制度的な一地方選挙でないことは明瞭である。日米関係、そしてひいては中国や韓国などの東アジアでの関係に大きな影響のある選挙であり、これは国政選挙に匹敵するといえるのである。僕らは普天間基地撤去と海外移設を掲げる伊波洋一さんを支持してきたけれど、 あたためてその支援を訴える。伊波さんの当選で日米関係の見直しと基地問題解決の突破口が開かれることを僕らは期待しているし何とか橋頭保を築いて欲しいのである。
■ある集会で「琉球弧の自己決定権の樹立」が掲げられていた。沖縄の地域住民だけでなく琉球弧 とよばれる地域にある住民の自己決定権の樹立は住民の意思による政権の決定であり、言葉の真の意味での自由と民主制の実現である。今度の沖縄知事選にはこの命運がかかっている。そしてこれは本土でも自由や民主主義の実現のはじまりになる。官僚とメディアの支配下にあり、官僚主導政治は背後のアメリカ支配政治を含めて国民(民衆)の自己決定的な運動や行動なしには変えられないからである。アメリカのオバマ政権も日本の菅政権も彼らの誕生を担った部分からの失望をかっている。この失望からの脱却は国民の自立的な意思の表現や行動なしにありえない。僕らは沖縄知事選が持つこの側面もはっきりと自覚し伊波洋一さんの支援をしたい。(文責 三上治)