Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category
2012年の訃報. また 得難い人たちが逝ってしまった。合掌。
1月 林光(1931、80) (カッコ内数字は、生年と没年齢) セリフの無い映画、新藤兼人監督『裸の島』(1960)の音楽は、50年以上経った今も鮮烈に耳に残る。 林さんの音楽に、敗戦時14歳・大人前少年の原風景が見え基調音が聞こえる、というのは変ですか? 2月 淡島千景(1924、87) 元タカラジェンヌだそうです。何と言ってもオダサク=織田作之助『夫婦善哉』(1955)での森繁との絶妙の夫婦役です。淡路惠子さんら遺された後輩の言によれば、現実の交流では「兄貴みたいな存在」だったそうです。芸名の由来は「淡路島 かよふ千鳥の なく声に いく夜ね覚めぬ 須磨の関守」だし、スクリーン上では、決してそうは見せないこういう役者の値打ちは、ぼくならぼくの現実の交友関係でも得がたい女性なのだなぁ。 3月 吉本隆明(1924、87) 当ブログ2011年8月の記事: 『吉本隆明「反核異論」異論』 http://www.yasumaroh.com/?p=12371 4月 安岡力也(1947、64) 父親がイタリア人、母親が日本人。そのハーフだったとは知りませんでした。祖父はシチリアン・マフィアだそうで・・・。 ぼくと同年生れ。それがどうした?・・・ですが、何か親近感あるんですな。 5月 新藤兼人(1912、100) 遺作『一枚のハガキ』(2011)を公開時に観ることが出来たのは幸い。大竹しのぶが最高でした。 『清作の妻』(66年、脚本)などにも一貫して流れる、民の「生」(それも女性の)の側から「国家」「天皇」を射通す、臓腑に沁みついた反軍国・反国家主義の脈は生涯揺らぐことがなかった。 等身大のゲバラを描いた『チェ28歳の革命』のベニチオ・デル・トロによるロング・インタヴュー(2011)を「日本映画専門チェンネル」で観た。映画を愛する者二人の圧巻のトーク番組だった。ベニチオが多く深く新藤作品を観ていたのには驚かされた。機会があれば観られたし(確か、50分前後の作品としてネットに在って、ダウンロード可のはず)。 6月 伊藤エミ(1941、71) ザ・ピーナッツの姉の方。沢田研二:ジュリーの元女房。ぼくは、ピーナッツには珍しく演歌調の『大阪の女(ひと)』が好きだと言っては笑われてます。「まるで私を責めるよに 北の新地に風が吹く」の替歌詞で唄うのですが、その自虐歌詞の内容は恥ずかしくて、ここではナイショです。ジュリーとの間に息子が居るのだそうだ。 同月 地井武男(1942、70) ぼくの東京単身生活開始と相前後して始まった(2006・4~、テレビ朝日系)東京旧市街や各沿線案内の『ちい散歩』は、不規則な現場業務のぼくにとって時々観ることが出来た貴重な「東京案内」だった。 俳優座養成所へ第15期生として入所。同期には原田芳雄、林隆三、太地喜和子、赤座美代子、前田吟、夏八木勲、高橋長英、竜崎勝、秋野太作、栗原小巻、小野武彦、村井国夫、三田和代など錚々たるメンバーがいた。う~ん、スゴイ面子。 8月 津島惠子(1926、86) 戦後第一期女優の一人かな・・・。ぼくにとっては、原節子・岸惠子・高峰秀子・久我美子らとともに「戦後」という語に付いて回る、実際には出遭ったことのない焼跡・闇市と、それを乗り越えた「知性」や「戦後女性」を象徴する顔なのだ、もちろん彼女たちの黄金期は知らない。『七人の侍』は、若武者:木村功が農村の娘(津島)を「たぶらかす(?)」のではなく、身分制度上の現実や結ばれること叶わぬ未来と村での烙印付き将来を度返しして、一瞬の「恋」の方を選択する村娘の力強い自立をこそ見たいと、友人(女性)が言って、妙に「なるほど・・・」と納得した記憶がある。 その友人は、言葉に見合うその後を見事に生きている、と感じている。 同月 山本美香(1967、45) ジャパンプレス所属。2003年イラク戦争時、バグダードから独自のレポートを送り続けた。本年、シリア内戦取材中、政府軍の銃撃に斃れる。戦場報道での殉職だ。父親も朝日の記者だったそうです。 9月 アンディ・ウイリアムス(1927、84) 世界的にヒットした、映画『ティファニーで朝食を』の主題歌『ムーン・リバー』(61年)も、翌々年の『酒とバラの日々』も好きですな。 映画「ティファニー」を観たのは62年15歳の高校一年の時。オードリーさんへの先入観からかぼくが幼すぎたのか、ホリー(役名)を『ローマの休日』や『尼僧物語』の延長上で観ていた。映画でオードリーがベランダ前の窓際で歌う素人歌唱はホント良かったですな。いや、アンディの歌唱が世界に広げたんですが。 10月 大滝秀治(1925、87) 滝沢修亡き後、大滝秀治が引き継いだという舞台、『炎の人ゴッホ』と『巨匠』。 1944年、ナチス・ドイツ占領下ポーランド。ワルシャワ蜂起直後、鉄道爆破への報復を為そうと、小学校校舎に追い詰めたメンバーの中から、知識人を四人銃殺すると宣言して身分確認を始めるゲシュタポ。 簿記職の身分証明しか持たない歳老いた旅役者は、自分が俳優であることを証明するために台本なしで「マクベス」のモノローグ(ひとり言)を演じて見せ役者の矜持を示す。それはすなわち、死を選択することなのだが・・・。木下順二晩年の作:『巨匠』。 観たかったなぁ~~。 滝沢修・宇野重吉・北林谷栄・大森義夫・芦田伸介・加藤嘉・清水将夫・下条正巳・下元勉・鈴木瑞穂・佐野浅夫・内藤武敏・米倉斉加年・奈良岡朋子・吉行和子・南風洋子・樫山文枝・日色ともえ・高田敏江・他、新劇史に名を刻む錚々たる面々が在籍した劇団民藝の、宇野亡き後の法人代表だったそうだ。 近年の「つまらん!お前の話はつまらん!」(大日本除虫菊社の水性キンチョール?のコマーシャル)は、頑固で不器用だが、曲げることない信念を抱えて生きて来た老人の喜劇的「悲哀」を、数十秒の中で見事に表現していた。ぼく選「テレビCM」ベストワンです。あのCMに、新劇の歴史への矜持とおバカTVへの異論とを重ねると、テレビ界に対する「つまらん!お前の話はつまらん!」に聞こえるのだ。 http://www.youtube.com/watch?v=g0w_-e-caBw 11月 森光子(1920、92) 没直後の当ブログ記事 『森光子さんの「放浪記」』 :http://www.yasumaroh.com/?p=15790 12月 小沢昭一(1929、83) 川島雄三『洲崎パラダイス赤信号』『幕末太陽傳』今村昌平』『エロ事師たちより・人類学入門』・・・、沢山観ましたが、浦山桐郎『青春の門』(1975、77)での蛇足的なナレーション(劇外人物として作者の分身として登場)役は不本意だったと思えてならない。浦山さん、悪いのですが、実際、興醒めでした。観客をもう少し信用してやって欲しい。 小沢昭一・仲谷昇・加藤武・フランキー堺などは、旧制麻布中学の同窓。 地井武男の俳優座養成所、大滝秀治の民藝、小沢昭一の麻布中学・・・。なるほど、手塚治虫が中心に座る「ときわ荘」に、藤子不二男・赤塚不二夫・寺田ヒロオ・石の森章太郎らが吸い寄せられるように住み着き、刺激し合い育ち合ったように、旧制麻布中学には面白い面々が集って来る引力が在ったようだ。そうした磁場は確かにあるものだ。 小沢は、各地に残る民衆芸能の研究でも知られ、レコード『日本の放浪芸』の製作、著作『ものがたり・芸能と社会』『小沢昭一的・流行歌昭和のこころ』などを出版。 また「マスコミ九条の会」の呼びかけ人でもあった。各界にこういう人が少なくなって行くようだ。 出でよ、継ぐ者たち。
本年の教訓: いやぁ~、友は大切だ!
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それではみなさん、本年も閲覧と辛口ご意見 有り難うございました。 来年は仕事を減らしてもらい、鈍ったカラダを鍛えることを兼ねて、少しは動きたいと思います。 世はホントの意味で「正念場」に差し掛かっています。猪瀬とは違うカタチの「全共闘のなれの果て」を示さんとアカンね、なぁ同輩! ワシらのマクベスを諳んじて見せようぜ。 では、よいお年を(そう気楽に言えないのですが・・・)
2013年追記: 2012年12月30日 ベアテ・シロタ・ゴードン(1923、89) 両親がウクライナ系ユダヤ人の米国女性。GHQ民生局の一員。 日本国憲法草案制定局に配属された、当時22歳。 憲法24条=男女平等条項制定に尽力した。 ジェームス三木作『真珠の首飾り』など憲法成立史に詳しい。
通信: 尖閣・竹島の現実的解決案 に遭遇
「9月14日朝、尖閣諸島付近の日本の領海に中国艦船が六隻も侵入」とのニュースが流れた。メディアはいささか興奮気味に領海・侵犯・主権などの言葉を(意識的に?)繰り返し連発していた。 某知事の購入計画ブチ上げ以来、香港の活動家の上陸、日本の国会・地方議員などの上陸、中日各界が互いに声高にナショナリズム・国家・民族・主権を叫び、街頭行動や有名人挙げての発言、反日デモと来ての、中国艦船侵入だ。事態はエスカレートしており、15日には中国全土各市でかなりの規模の反日デモがあった。 同じ15日に、たまたまTVで自民党総裁候補の記者クラブでの共同インタヴュー番組を観た。一様に「毅然とした態度」「海保の強化」「しっかりと対応」などと、民主党の対応を責める割には抽象的でよく解からない。前日だったか、朝日報道ステーションでも、古館氏の尖閣問題に関する質問「直ちに何をしますか?」にも「断固として」「海保の能力充実」などが繰り返された。中国がそれでも領海侵犯や上陸を強行すればどうするのです?と古舘氏は食い下がっていたが、具体案など誰にも無いのだ。 たぶん古舘氏は、「単身中国に乗り込んで」とか「相手のトップとの会談」などの返答を期待したのだろうが、そうした大見得は相手の強(したた)かさからして可能性低いと見ての発言自重だろう。が、「しっかり」「断固」の繰り返しでは・・・。それは、民主党も同じで、実は誰にも妙案は無い。「民主党の軟弱が・・・」論も、「某知事が火に油・・・」論も、事態の構造を考えれば、それが根本の問題なのではない。枝葉末節だ。 「いや、日本に正当性があるのだから」と言っても、そこは相手も「正当性」を持っていると主張している。歴代日本政府の言い分が歴史に照らして、国際法に照らして妥当だと言われても、互いに国家の最高機関・最高責任者の名において「我が領土である」と内外に宣言してしまっているのだ。前言撤回は構造上からも無理だ。 某知事やTV頻出の論客は、いずれも勇ましいのだが、中国がそれでも領海侵犯や上陸を強行すれば?の問いに「物理力・軍事力を行使する!」とでも答えるのか? 勝てないし、人命の殺傷を伴うぞ。国是に反する。 ぼくは、2010年11月のブログ( http://www.yasumaroh.com/?p=8800 )で、明の琉球行「冊封使」がしばしば寄港していたと知っても、 日本が、日清戦争(1894~95)の戦勝に乗じて(下関条約には記載なく)実効支配したのだと知っても、 海人のものだ以上の線引きに与することは保留したい、と書いた。 そして、中国のものでもヤマトのものでも明治政府のものでもありはしない、と書いた。
今、具体的で根本的で、無効に見えて実は一番有効な解決策(だと思われる)案を準備している人が居ると聞き、その案を入手した。日本だけが引き下がるんじゃないのだ。互いに「我が領土」と言っているのだから、そこは互いになのだ。その一線を超えられるか、という課題は、為せば「東アジア」総体が世界から尊敬を得るばかりでなく、「北東アジア共同の家」構想への一里塚にもなる。案をここに転載する。 当ブログ読者諸氏、どう思われます? ネット・ツイッター等で波を広げる動きを作ろうと考えているらしい。賛同する? 現在、この案に添える「アピール文」(仮題:戦争無き互恵の為に、歴史的妥協を)を検討中だそうだ。
【案】 文案第一号 Ø戦争なき互恵の未来のために誇らしき歴史的妥協を! Ø荒れ狂う領有権主義への歯止めシンボルとして、非武装共同管理緩衝地帯の創設を! Ø所有者なき海の尊厳を海に返還しよう! Ø国家に見放されてきた離島の矜持を国家から独立していることの矜持として花咲かせよう! Ø両地域を民族的敵愾心の発生装置から和解の発生装置へと変換しよう!
竹島(独島)・尖閣(魚釣)諸島領有問題に対する解決策の提案 竹島および尖閣諸島の領有権をめぐる日韓-日中の国家紛争を永久的に解決する方策として以下の提案をおこなう。
1.竹島(独島)は日韓両国の共同管理区域とし、両国はその領有権を永遠に放棄し、その旨を国際社会に通告する。 2.竹島(独島)は一切の軍事施設をおいてはならない非武装の無人地帯として共同管理される。 3.竹島(独島)ならびに協議のうえ決定された範囲の周辺海域に対する漁業権を両国は放棄し、その海域を漁を禁止された漁業資源保護区として共同管理する。 4.同海域に漁業資源以外の天然資源(石油、天然ガス、レアアース、等)が発見された場合は、その採掘を凍結するか、採掘する場合は完全に均等の出資に基づく共同管理採掘会社を設置し、その採掘資源を均等に両国に配分する。
同様の条約が尖閣(魚釣)諸島に関して日中両国によって結ばれる。すなわち、 1.尖閣諸島(魚釣)は日中両国の共同管理区域とし、両国はその領有権を永遠に放棄し、その旨を国際社会に通告する。 2.尖閣(魚釣)諸島は一切の軍事施設をおいてはならない非武装の無人地帯として共同管理される。 3.尖閣(魚釣)諸島ならびに協議のうえ決定された範囲の周辺海域に対する漁業権を両国は放棄し、その海域を漁を禁止された漁業資源保護区として共同管理する。 4.同海域に漁業資源以外の天然資源(石油、天然ガス、レアアース、等)が見つかった場合は、その採掘を凍結するか、採掘する場合は完全に均等の出資に基づく共同管理採掘会社を設置し、その採掘資源を均等に両国に配分する。
通信録: **さん、セイキョウ・リジ やめるって? やめたらアカンで!
半「公」的存在の社会的使命 と 社会的アドヴァンテージ
**運動? **の闘い? **組合? **生協? **NGO? 【生協のはじまり】 世界で初めて生協が誕生したのは、1844 年、イギリスのロッチデールという小さな町の職工28 人が「ロッチデール公正開拓者組合」の店を作ったことにはじまる。当時イギリスの労働者は、産業革命のあおりを受け、低い賃金と高い物価、悪質な商品に悩まされていた。
何とか苦しい生活から逃れようと考えた末、週2 ペンスの積み立てを続け、1 年かけて1人1 ポンドずつのお金を出し合って、安心して利用できる自分たちの店を持った。この店が生協のはじまりで、その時に決めた運営原則は「ロッチデールの原則」として世界中の生協の中で今も受け継がれている。( http://202.252.170.6/research/staff/kado/06ch2.pdf#search=’ 生協の理念と歴史 より) 営利目的ではない社会的営みが経済活動を伴う時、中枢メンバーは初期運営理念のよほどの反芻確認と運営を支える人々への各種配慮に努めないと、その営みは持続しないし変質すると思う。そのことには無頓着なのに維持出来ているという不可思議が続いているなら、それはその営みが経済活動に純化し、中枢メンバーの経済基盤が安泰だからに過ぎない。そしてそこには、間違いなく一般企業のような風土が育っているはずだ。 恣意的な人事・奇妙な労務政策・業務の外注・専従職員のモチベーションの溶解・初期理念に基づいた活動の形骸化・意思決定作法の不可解・参加者の発意の減少・パワハラ・不当労働行為・専横・私利・・・・・・などが目立ち始めれば、その組織は経済的領域以外では「死に体」だということだ。そして、しがみ付いている虎の子の「経済的領域」自体が、やがて大崩壊するか、モーレツ企業顔負けの「儲け主義」として存続するか、のいずれかを選ぶことになるのだ。かく言うぼくはその轍を踏んだ身だ。天罰も食らっている。だから、他者のことはいっそうよく見える。 分かりにくい文でしょう? そう、具体を書けば何処の何を言っているのか関係者には分かるので控えているのだ。いや、言わせてもらおう。
品川宿『たそがれ自由塾』:塾頭として、ハッキリ言っておく。(団体戦、個人戦とも いつでもOKやで。応酬しますか?) 実質賃金減少+消費税アップ攻撃の世、扱い額が巨大化したからと言って、活動費基準と職員や理事の報酬を上げることなく、すでに十分な報酬を得ている中枢メンバーの報酬をたとえ数万円でも上げるなら、今すぐ「生協」の看板を降ろして営利企業だと公言しなさい。 政治課題を取上げるに、選挙での特定候補応援はOK、反原発は政治的に過ぎるなどという恣意的な線引きを再び行なうつもりなら、 直ちに政党支部にでも名称変更しなさい。 パワハラ、恣意的な人事異動、職員への退職勧告を繰り返すなら、「生活」「協同」「組合」の、その、いずれの言葉も返上しなさい。 友人の会社は、自己破産したが、手形の裏判も借入の個人保証も当然彼が担い彼個人も自己破産した(債務、ン憶円)。これは特別なことではなく、世の中小零細企業・一人親方の個人事業主は、誰も皆そうしたリスクを抱えて経営している。 そちらではどうだ? 専務か常務か知らんが、ナンボのリスクを負ってるンや?まるで、「親方日の丸」やないのか! 税法上も、固定資産税や法人税における非課税特例(優遇税制)を受けている。 それは有り余る資金で御殿(?)等々を建て続ける巨大宗教団体への優遇税制のように不当なのか? 決してそうではないのだ。 なぜか?・・・ 戦後の農地改革・婦人参政権などを始めとする戦後改革の一環で1948年に成立した『消費生活協同組合法』にも明記されている理念によっている。公開の原則・民主的管理・教育促進などが謳われ、『生じた利益は全組合員に帰属する』とその協同性が高らかに宣言されている。それは、まるで9条のように輝いて尊いのだ。 つまり、一般企業以上の規模の商いをしても、経営陣(と言って悪ければ執行部)は世の企業主に比して限定的なリスクで、「親方日の丸」のようで済まされるのは、生協が「社会的存在」だからである。つまり「公」を抱えて存在しており、「私」企業ではないのだ。 「消費生活協同組合法」施行規則 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23F03404001001.html 薄給で勤めろ、ボランティアしろ、極貧に耐えろなどとは言ってない。 われらと我等の事業は「公」でもある、そのことに恥じない対応、襟を正した佇まいに戻りなさい。そう申し上げている。すでに一般企業水準と同等かそれ以上の報酬を得ているではないか。 各種取組・教育の活動費・必要資金はいつも不足し、ときに「やる気のある者」の自腹じゃないですか! 雨の日も嵐の日もやって来てくれる、配送部門のお兄さんの労働条件はどうですか? 兄さんと話し合ったことありますが、いろいろ聞いてますよ。 組合員理事さんは、幼い子を抱え自分の仕事を持ち、残った僅かな時間で時に深夜に企画書を書き・情宣チラシを作り・通信を発信している。 これら、活動費や配送職員・組合員理事さんの待遇考慮(保育体制など)に優先して、一握りの者の報酬を上げなければならないとは、とうてい思えないのです、消費税アップを前にして・・・。 現在の活動領域を越え、 地域の子育て「力」の復権(若いお母さんへの子育て教室、学童料理教室など)、福祉や高齢者の自立・共生(ケアハウス、グループホーム、特養など)、生活総体を対象に新たな挑戦(男性高齢者予備軍への家事炊事教室など)も構想していると聞けばこそ、 生協活動に集って来る有意の人々の「やる気」を挫くような対応には、あえて厳しく申し上げた次第。 ワシを怒らせるな! 以上。 「生活」「協同」「組合」、その原点に立って下さい。生協を取巻く消費経済状況の困難さは承知しております。 お心当たりの団体からの返答を待ちます。当方、もちろん公開での討論でもOKです。
ぼやき: 民主党政権を嘆いても・・・
【民主党政権七大罪】国民各階層を貫く対抗戦線=社会的左派の形成を一から創る営みに、出来る範囲と方法で尽力すること、そうすることが、 曲りなりにも在ったその一つの存在の、自業の解体過程に無力だったぼくたち敗残者に、「残」された仕事だ。
【安保防衛】 何と自民党防衛政策ブレーン(軍事イデオローグ)、民間人学者(?)の森本氏を防衛大臣に任命。 日米安保(軍事同盟)を直ちに根本改変できないのは理解できるが、沖縄基地問題・日米地位協定・各種密約の開示・他、自民政権には出来ない戦後日米関係の別の展開へのキッカケを作ること完全放棄だ。それが人事に顕れた野田首相の本音。 (野田氏は集団的自衛権行使容認論者。それは、松下政経塾の塾是でもある。ちなみに現政権の松下政経塾出身者は、野田氏、玄葉外務、松原国家公安、など。党には前原政調会長、樽床幹事長代理、原口元総務相、福山哲郎など多数) さながら、松下政経塾政権だ。旧民主党、日本新党、松下政経塾、旧社会党、旧民社党、さきがけ、旧自由党、他 その「反自民」寄せ集め集合体には、当然ながらいまだ「綱領」さえない。 【安保沖縄】 欠陥機種オスプレイの普天間配備を強行。普天間~辺野古案を推進。1945年に米に売り渡した沖縄、基地集中の沖縄、普天間撤去・海兵隊撤収から戦後日米安保体制の見直しへと進む、その第一歩を刻もうとしない。だから防衛大臣人事もこれだ・・・。 【勤労、生活】 非正規・派遣・パート等、経営効率化の為の野放し財界寄り雇用形態が続いている。抜け道や逆手運用(一定期間後の正規採用回避の為の期限前解雇など)への再度の法改正は進まない。 【エネルギー政策】 大飯を再稼動するし、「脱原発」への方向性は打ち出しもしない。「原子力規制庁」設置法案(民主党案)には当初無かった文言「安全保障に資する」ことを書き加え(自公提案)、「核」を「安全保障」と絡ませる保守派の本音に同調。核廃棄物対策・廃炉プラン無し・アジア等への原発輸出・原発基軸を前提にした各種政策。 【農業、対米】 安全基準・国土条件に合った生産方式などを無視、工業製品・医療・保険・労働・にも拡大・・・・のTPP。「公平」な競争とは名ばかり、アメリカンスタンダードを強制するTPPを推進か? 軽自動車の税優遇措置がアンフェアだって? 【教育・子ども】 旧政権の教員バッシング・国家主義統制を放置。歴代文部科学大臣のコメントはどの政権の発言か分からぬ状態。 子ども手当て騒動も、現金支給などではなく「学校給食無償」「高校無償」、保育所増設など待機児童対策に当てよ。 【政治運営手順】 消費税アップは、税と社会保障費負担(健康保険・雇用保険・労災などの総計)の収入に対する比率から言えば自ずと有り得べき論議かもしれない。が、負担率増論議よりも、使い道論議を・・・という風土構築の努力がない。しかも、選挙を経ずして消費税アップは決めないとしていた約束の堂々たる破棄・正面突破は、民主主義否定の暴挙と言うしかない。
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はてさて、小選挙区に支持政党候補者の居ない選挙民が、次善の策として民主党に投票したのは、この政権が「社会民主主義的」的政策や運営を少しはするだろうと、淡い期待を抱いたからだと思うが・・・。 上に挙げた七つの領域の一つでも「社会民主主義的」的政策を採れよとは思うが、やはり七つはそれぞれに別のことなのではなく強く繋がり結びついている事柄なんだと改めて思い至る。そしてやはり、政権や政党ではなく、それぞれの領域の現地・現場の抵抗戦の有無が全ての始まりだと改めて強く思う。総評の解体、社会党の消滅、小選挙区制・労働者派遣法の成立(やり過ごし)、各種規制緩和の波、新自由主義経済の猛威・橋下の登場・・・。 社会が一つの流れにあればこそ、それを阻止するのは現地・現場の抵抗線だと肝に銘じたい。
例えば、反原発の集会デモに参加して、日本の基幹産業の大手労働組合の隊列に出会ったことがありますか? 原発・安保・沖縄に関して大労組と民主党((の内の大方の傾向)は、ぼくらと同じ方向を向いているとは思えないし、最近の国会事情を見ていると、民・自・公の三党連立政権かい?と言いたくなる有り様。 次期総選挙は、その大連立か、それともハシズムかという最悪の選択の選挙なのか? そうさせない為には、現場・現地、労働現場・生活現場・消費現場での目に見える民の抗いの積み重ねしかない。 例えば、橋下の違憲アンケートには、保留しようが何をしようがアンケートを実施したこと自体が「憲法違反」「不当労働行為」「労組法違反」だと、大阪の「市民職員連名」の法廷闘争と労働現場闘争を開始すべし!
通信: 爺バカ連休
何年かぶりにゆっくりしたGW
アレとコレがやや具合悪く、眼も霞んで気になる。 診察プラス休養気味の連休は、帰阪して多めに取った。 四月末。能勢の先、篭坊温泉から篠山へ抜ける山道で、掘り出し物のピザ・ハウスに遭遇。 屋外の窯もテーブルもGoodで、ピザはおいしゅうございました。 *兵庫県篠山市曽地中586-7 KUWA MONPE:クワモンペ (鍬ともんぺ からのネイミングだそうです) http://tabelog.com/hyogo/A2807/A280702/28027411/dtlrvwlst/2066489/
五月連休の数日、名古屋方面へ泊りがけで出かけた。 昨秋フランス菓子店を開業した名古屋の娘夫婦から女房に「連休中保育園が休みで、数日孫を看てくれ」と依頼があり、「あんたも来なさい!」と同行させられた次第。 店は個人商店の悲哀、パティシエの夫君はもちろん、接客レジ担当の娘も抜けられないのだが、馴染み客も増え、まずは何とか初期軌道には乗ったかな? といったところ。 【雑誌:『cafe-sweets』12年6月号、柴田書店刊。より】
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女房と二人掛かりで、保育・買出し・炊事・家事をこなした。孫はちょうど5日に三歳の誕生日で、市内:港区金城埠頭に在る『リニア・鉄道館』に連れて行った。これが、特段のファンではない当方でも充分に楽しい中々の施設(三歳児も大喜びでホッ・・・・)。鉄道ファンにはたまらない場所なんだろうな。 ところで、予告編を観て、必ず観ようと思っていた映画(『オレンジと太陽』 http://oranges-movie.com/ )が、大阪ではまだ上映が始まらず、名古屋では上映中だ。 それを観てやろうと思っていたのだが、甘かった。孫君と女房が許してくれない。 帰京して神保町の岩波ホールで観るとするか・・・。 孫の笑顔を見て 健やかに育てと思うにつけ、この映画のこと「幼児期・親からの情愛」等、何人も奪ってはならない乳幼児期の黄金の時間の個別性と公共性の深さを想うのだった。 http://www.youtube.com/watch?v=V7V-wJYlggc (上記映画案内クリックしてご覧あれ。 さすれば、映画を観に行くことになると思うけど)。
通信録: 逆説「何故 橋下はイヤミ氏を処分しないのだろう」(赤川次郎)
赤川次郎、朝日に投稿
3月2日、大阪府立和泉高校の卒業式で校長の中原徹氏が教頭らに命じて、君が代斉唱時に教師の口元をチェックし、君が代を歌っていなかった教師について処分が検討されている。 校長中原は、民間から登用という流れで弁護士から校長に採用された御仁だそうで、橋本知事(当時)の知人だという。 弁護士コンビのこの人権感覚・個人の信条無視、岡っ引き監視密告奨励の統治はどうだ! 赤川次郎氏が「朝日」に短文を寄せていたので。転載する。 ********************************************************************************
大阪の橋下徹市長は大阪府和泉高校の管理職をなぜ処分しないのだろう? 教師の口元チェックしながら、姿勢正しく心をこめて「君が代」を歌えたはずがないのだから。 それにしても生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。何と醜悪な光景だろう。! 橋下氏は独裁も必要と言っているそうだが、なるほど「密告の奨励」は独裁政治につきものである。 府知事時代、橋下氏は初めて文楽を見て、こんなもの二度と見ないと言い放ち、補助金を削減した。曰く「落語は補助金なしでやっている」。 舞台に座布団一枚あればいい落語と、装置を組み、大勢の熟練の技を必要とする文楽を一緒くたにする非常識。 客の数だけを比べるのはベートーヴェンとAKBを同列にするのと同じだ。文楽は大阪が世界に誇る日本の文化である。
理解力不足を棚に上げ、自分の価値観を押し付けるのは、「力強い指導者」などとは全く別物である。 過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間に未来を託するのは、地図もガイドもなく初めての山に登るのと同じ。 一つ違うのは、遭難するとき、他の全ての人々を道連れにするということである。 *************************************************************************************************
【付録】: kentaro氏の右記ブログ( http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2012-03-10 )の最高裁判決の読み、優れているぞ。
通信録: 夕暮れ桜・禁煙・年末に目撃した事故
橋からの桜
事務所兼自宅を出て、黒湯天然温泉:天神湯へ向かい旧東海道を歩いた。陽が永くなったなと実感する。 目黒川を跨ぐ『品川橋』に差しかかると、荏原神社前の両岸に満開近い桜が観える。立ち止まって眺めた。 夕暮れ時、川面を渡って来る風を受けてつい深呼吸した。まだ禁煙から20日程度の、しばしば「煙草恋しい」禁煙初心者の身だが、「タバコやめてよかった・・・」などと思いたいからだろうか、いまやってみた深呼吸の味が確かにこれまでと違っているように思えるから不思議だ。
2月3月の過密スケジュール(大したことはなく、ぼく的には・・・と言う程度なのだが)の後半、現場で「経験したことの無い背中の痛み」に遭遇。現場進行中は、マッサージやシップで誤魔化していたが、一段落着いた後、さすがに近くの医院へ走った。 心電図・血液検査・脚の血流検査などなど・・・。 近くの「船保高輪病院」を紹介されたが帰阪予定。4月初め大阪であれこれ検査に至った。 狭心症、脚の血管年齢89歳などと言われて困惑・狼狽。ニトロールやサルポクレラートを渡された。心筋梗塞や脚の閉塞性動脈硬化症に至ったのでは困りますぅ~。 とうとう、タバコを止めた。
昨年末、この橋の少し先200M北に在る天神湯に向かう途中の信号で、高齢者が車に撥ねられる場面に遭遇したのを思い出していた( http://www.yasumaroh.com/?p=13608 )。 後日、その高齢者が一命を取り留めたと聞いて、「あぁ、良かった」そう思ふと自身が救われて行く気がしたのだ。 一部散り始めてもいる桜を観て、橋の欄干から顔を突き出してもう一度深呼吸した。
通信録: ある市長選(4月8日投開票)結果報告
ある市長選:結果 大左翼よ出でよ
先日、選挙戦のさ中にコメントした関係もあるので、一応4月8日の投票結果について書くしかない。 ハシズム派市議:32,000、前々回善戦の女性市議:24,000、左翼政党(共産党ではありません)市議:12,000、という「統一候補ならハシズムを阻止できた」という考え込む結果だった これをどう読むかは、 現在の橋ズムの威力・根深さをどう観るか?という、相手の過不足ない評価。 だから、反ファシズム陣形の軸をどこに置くのかという歴史の教訓も汲み取っての、社会科学的思想的の評価。 いわゆる「社会主義勢力」(とその思想)も、自称「市民派」の女性議員も、21世紀社会への「有効性」や「自立」への真摯な自己評価。 などに関わり、極めて今日的な根本思想を問われる命題です。 だから、ぼくには、いまここで明言するだけの「智恵」も「思想」も「覚悟」もない。 ただ、開票翌日の当選者のニュース画像には
『「維新」の風やまず 大阪・茨木市長選で維新副支部長が初当選』との解説コピーが付いていた。 その風が、過去のタレント候補ブームや**ブーム等の一過性とは違い、21世紀初頭のグローバリズム下の不況・雇用不安・中低所得勤労者層の社会的解体過程での『21世紀型ファシズム』の相貌をして吹き荒れているとの受け止めをするぼくには、ハシズム派連戦連勝の阻止が何よりも重要と思えた。侮れない、芽はどんどん育っているぞ・・・と思っている。 読売のあの独裁的「主筆」氏さえ「ナチス・ヒットラー登場に酷似している」と論評している。( http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120411/stt12041103150003-n1.htm )
20世紀の人民戦線が、ファシズム荒れ狂う1930年代のスペインやフランスで試行錯誤を繰り返した歴史をチラリと知ってはいる。だが、その時代、ナチスなどファシズムの脅威が目の前に在り、労働者・市民は社会主義革命への「信頼」(「信仰」と書きかけて訂正した)を棄ててはいなかった。 1932年、アンドレ・ジッド、ロマン・ロラン、アンドレ・マルローらの呼びかけによるアムステルダム国際反戦大会からの国際反戦潮流の流れの中、34年2月ドイツでのナチス政権掌握を経て、34年4月フランスで社+共+急進社会党によるレオン・ブルム政権=人民戦線政府が、選挙での圧勝を得て成立した。 が、人民戦線という呼称そのものが、マルクス・レーニン主義からする「社会主義革命に向けて」「何が有効なのか」という、戦術論に基づいたネイミング(ブルガリア、ディミトロフ氏)であり、当時の社会主義の総本家たるソ連(スターリン)は、20年代~30年頃の『社会ファシズム論』(社会民主主義はファシズムの双生児であり、ファシズムに優先して打倒すべき対象)(社民主敵論)の凄惨な実践から、ナチス政権誕生後の「人民戦線推進」へと大きくブレている。 いずれにせよ、社会主義革命を思考のてっぺんに据えて、そこに向けて何が有効なのかというマルクス主義者の戦術ではなく、現に日々進行する橋ズムを阻止する陣形、その21世紀的な思想的拠点を提示する言葉・行動・思考こそが求められているのだと思う。 そもそも反ファシズムの思想的拠点そのものは、マルクス・レーニン主義の20世紀型教条とは、多くの要素で相容れないとも、ぼくは考えて来た。言論・出版・放送・表現・結社の自立・自尊、議会の尊重と複数政党主義、政権から自立した労働運動・市民運動、他、・・・・ファシズムに抗う者が求める思考・思想・構え、その核心に対して、最もその対極に立ったのは、もちろんファシズムであるが、 もう一方で他ならぬ権力奪取以降の社会主義国を含む マルクス・レーニン主義の20世紀型教条だったことなんぞ知らないよと、ぼくは、決して言いたくはない。
ある友人がこう言っている。 『その女性市議が後から手を挙げた以上、君らが彼女を支持するなら、そのスタンスは実はこうだ。左翼政党市議とその選挙母体に、 「橋ズムに勝つために候補を一本化すべし。そして勝つ可能性は女性市議にある。立候補を取り下げるべし」と言えるのかどうか? なのだ。 そう言い切れる人物や勢力を身内や周辺に持っているかどうかが、21世紀大左翼の条件やで』 と。 う~ん、難しい。
通信録: ある市長選 行政の『舟を編む』
ある市長選:市政の『舟を編む』
年間で一番の現場錯綜重なり期である2~3月を、仕事仲間の足を引っ張ることなく(?ですが)何とか乗り越えて先週末に帰阪した。 早朝、深夜、半徹夜、完徹夜を繰り返し、もちろんマイッタのだが、一番感じているのは、平常時の体調に戻るのに時間を要するなぁ~、という実感だ。4月第一週を在阪し休養に当てさせてもらうことにした(雇用主に感謝)。 実家に戻ると、居住市では「市長選」の真っ最中。2004年に市長選に挑んだ女性市議(その時はあわや当選という僅差の善戦だった)も立候補する4候補による激戦が始まっていた(4月8日投開票)。維新の会派市議、みんなの党系(維新の会候補選びに敗れた)医療関係者、旧社会党一潮流系市議、そしてその女性市議だ。 この女性市議は、04年の市長戦でぼくも何度か選挙カー運転手のボランティアをしたり、逆に07年拙著作の帯に評を書いてもらったりと、いささかの交流もあって考えの近さや人柄を知っているので出来る範囲の応援をしようと考えた。
2月初旬、三浦しをん著『舟を編む』のお薦め紹介のメール( http://www.yasumaroh.com/?p=14019 http://www.yasumaroh.com/?p=14034 )を送り(気に入った読物があると、何人かの友人知人に告げる癖がありますので)、2月の中頃だったか『舟を編む』を巡って電話で会話した時には「市長選立候補」には触れていなかった。秘していたのか、決断前の迷い中だったのか・・・。
ハシズムの震源地大阪では、現在一種の「熱狂時期」で、弁護士にあるまじき常軌を逸した偏執的「公務員叩き」「教育・教員バッシング」「同僚告発者優遇の強権・懲罰統制統治」の嵐の真っ只中。しかも、先般の大阪市長選の結果にも現れているように、反ハシズム派が統一候補(共産党も立候補を見送る英断を下した)を立てても勝てない「選挙民の支持」を得ているのだ。
もし、これに勝つという可能性を第一義に考えるなら(考えるべきだとぼくは想うが)、立候補者の個々の政策・政治主張の経歴・立候補表明時期の後先など度外視して臨むべしだとぼくは考える。ここで、ハシズム派に勝つことの意味は大きいとぼくは想う。 当選者複数の議会選挙ではなく当選者一名の首長選挙であり、市政運営という60%以上「超党派」的課題の運営トップの選択であり、「勝てない」を前提とした「議会での賛成反対実績羅列」「政治主張連呼」に意味がある選挙(そういう選挙もあるとは想う)ではない以上、いち早く手を挙げた旧社会党一潮流系市議、前々回善戦して文字通り「無党派」という隘路・悪路を歩んで来た彼女、その一本化が望ましいのだが・・・。事態はぼくのような外野が考えるほど簡単ではなく、様々な互いに譲れない経緯があるようだ。
4月1日朝、調整して時間差で同じ駅で出陣式を開いた二陣営には、近隣の市在住者を含む友人知人労組関係者を多数見かけたが、そのほとんどが旧社会党一潮流系の聴衆の中に居た。
大げさに言えば、課題はファシズム台頭期の勢いへの過不足ない評価と、1930年代ヨーロッパの人民戦線を含め、ファシズムへの対抗陣型の作り方・在り方を巡るスタンスなのだろうか・・・? 両陣営の「罵り」が苦しい。 http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6927;id=01#6927
いずれにせよ、地方行政の多くの部分は『舟を編む』に近く、かつ今回はハシズムに勝つという大目標があると思うのだが、政治への関わりの薄いぼくには語り得る言葉も無い。 が、ハシズムは待ってはくれない。
訃報: 吉本隆明逝く
吉本さんが亡くなった。 吉本さんには、人類が辿り着いた科学(原発を含む)への残念なスタンスを見せ付けられ失望(http://www.yasumaroh.com/?p=12371) したが、氏が切り拓いた思考の構えへの提言の数々・・・その真価は失せはしない。思索する人間・生活する人間・独り起とうとする人間、その思想的拠点を指し示してくれた。 40数年前に著作に出遭って以来、幾多の領域で「追っかけ」をして来た。87歳という。考えてみれば、我々もすぐそこなのだ。 改めてすごい人だと想う。死ぬまでにもう少し理解は進むだろうか・・・。
【毎日新聞転載】
<吉本隆明さん死去>晩年まで独自の思考を重ねる
毎日新聞 3月16日(金)12時28分配信
書斎で仕事をする吉本隆明さん=東京都文京区で松田嘉徳撮影 |
戦後最大の思想家、吉本隆明さんが亡くなった。晩年まで衰えることなく独自の思考を重ね、筆を執り、日本と世界の状況に鋭いまなざしを向け続けた。思想界の「巨星」にふさわしい87歳での大往生は、「戦後」と呼ばれた時代の完全な終わりを告げるものといえる。【大井浩一】
終戦時、20歳だった吉本さんは文字通り青春を戦争の中で送った「戦中派」だ。自分がかつて皇国青年だったことを、戦後も一貫して公言していた。文学活動は詩作を通じ、生きる意味を徹底して問うところから始まるが、背景には敗戦に伴う深い喪失感と、一転して民主化を掲げた周囲への違和感があった。
「時代のイデオローグ」と見なされるようになったのは、1960年代の学生運動を通じてだった。60年の安保反対闘争では反日共系の全学連主流派と行動をともにした。運動の挫折体験を通じ、「自立」「単独者」と表現される隔絶した思想的立場を固めた。60年代末の大学紛争では、全共闘の学生たちの間で「教祖」的な絶大な影響力を持った。
吉本思想の特徴は、日本のアカデミズムにありがちな西欧からの“借り物”の学問と異なる点にある。そして、常に「現在」の問題を取り上げ続けた。70年代以降、批評の対象は心理学や宗教、古典など幅広い領域へ拡張を続けたが、民衆の立場に寄り添う「大衆の原像」という思考の立脚点は揺るがなかった。
ソ連・東欧崩壊のはるか前に社会主義体制の行き詰まりを喝破する一方、消費中心への資本主義の変質にも早くから注目し、先鋭な分析を加えた。豊かな文学性と生活感情からくみ出された批判の情熱と詩的な論理は、若い世代を含む広範な読者を魅了し続けた。
晩年は糖尿病による視力の衰えに悩まされたが、年に数冊の本を出し続け、思考の健在を示していた。2011年12月には石川啄木没後100年をめぐる毎日新聞の取材に応じたが、その後、体調を崩した。12年1月刊行の「吉本隆明が語る親鸞」が事実上の最後の著作となった。
◇評伝=誠実で穏やか 庶民的な雰囲気
記者が吉本隆明さんに初めて会ったのは1997年。既に70代だったから、晩年と言っていい。以来、2度の聞き書き連載などで度々話を聞いたが、偉そうなところはまるでなく、不思議なくらい肩の凝らない人だった。
語尾に「ぜ」や「さ」が付く東京の下町言葉で、話し出すと止まらなかった。誰が相手でも、誠実で穏やかな熱を帯びた話しぶりは変わらない。初対面の人は決まって「これが、あのヨシモトリュウメイなのか」と驚き、庶民的な雰囲気にひかれた。ある世代の人々にカリスマ的な影響力を持った秘密は人柄にもあったに違いない。
突き放した言い方になるが、世代を超えた「吉本人気」は、意外と自身の提供する話題性にも支えられていたのではないか。新進批評家として戦後論壇に登場した最初、当時はインテリ層の間で権威の高かった日本共産党や、花田清輝らの論客を相手に、舌鋒(ぜっぽう)鋭く論争を挑んだ。60年安保で学生とともに行動し、警官隊に追われ飛び込んだ先が首相官邸で、逮捕されたという話も有名だ。
サブカルチャーの分析を通じ消費社会の意味を論じた80年代には、盟友だった作家の埴谷雄高とも論争した。ブランドファッションを身に着けた吉本さんが女性誌「アンアン」に出たのを、埴谷から「資本主義擁護」と非難されたが、逆に倫理主義的なインテリの視線そのものに批判を加えた。96年には海水浴に訪れた伊豆の海岸でおぼれ、辛うじて一命を取り留めるという事故も報じられた。
熱烈に支持する読者の存在から“吉本教”などとも呼ばれたが、本人は組織の束縛を嫌い、あらゆる権威主義に反骨を通した。安保闘争の敗北後、谷川雁らと同人誌「試行」を刊行し(61~97年。途中から吉本さんが単独で編集)、主要な発表の場としたのもその表れだろう。
2011年の原発事故後も「反原発」批判の持論を変えなかった。「大衆の原像」に寄り添い、独自の道を歩んだ吉本さんの生涯は、独立した知識人の生きざまとして人々の注目を浴び続けるものだった。【大井浩一】
◇吉本隆明さんの主な著作◇
「固有時との対話」(詩集)1952年▽「転位のための十篇」(同)53年▽「マチウ書試論」54年▽「文学者の戦争責任」(武井昭夫と共著)56年▽「高村光太郎」57年▽「転向論」58年▽「芸術的抵抗と挫折」59年▽「擬制の終焉(しゅうえん)」62年▽「丸山眞男論」63年▽「日本のナショナリズム」64年▽「言語にとって美とはなにか」65年▽「自立の思想的拠点」66年▽「共同幻想論」68年▽「心的現象論序説」71年▽「書物の解体学」75年▽「最後の親鸞」76年▽「初期歌謡論」77年▽「戦後詩史論」78年▽「悲劇の解読」79年▽「世界認識の方法」80年▽「空虚としての主題」82年▽「『反核』異論」82年▽「マス・イメージ論」84年▽「重層的な非決定へ」85年▽「記号の森の伝説歌」(詩集)86年▽「宮沢賢治」89年▽「ハイ・イメージ論1・2・3」89、90、94年▽「母型論」95年▽「アフリカ的段階について」98年▽「日本近代文学の名作」2001年▽「夏目漱石を読む」02年▽「現代日本の詩歌」03年▽「吉本隆明全詩集」03年▽「詩学叙説」06年