Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category

擬似達成感という魔物ゆえに、勤労者は口を噤むのだ

引退間際男の気付き

商業施設やオフィスの施工の現場管理という仕事柄、「誰が悪いのでもない」が、しかし「何かが不適切」であるに違いない、施工現場に付きものの「不都合」にしばしば(いや、ほぼ毎回)苛まれるのだ。某現場

今月の初旬から開始した某現場(某有名駅高速バス・ターミナル隣接の飲食店)は、たぶん「どこにでもある」不都合に遭遇して難渋した。                                                                                                                                   個々の事象は、時間さえあれば順次解決できる範囲の出来事であり、一々凹んだり切れたりしていたのでは現場管理は務まらず、そこを調整して切り抜けるのが、まぁ、云わば「仕事」であり、他に行き先とてない高齢者のぼくに、経営者0氏が「働く場」を提供してくれている理由ではある。                                                                                                                                     しかし、今回の「不都合」には、ややビビらされ、肝を冷やした。時間さえあれば・・・の、その時間がないのだ。                                                                                                                                                         お店のオープン前の「スタッフ・トレーニング」「試作調理開始日」から逆算して、工事終了=引渡日が設定されているのだが、約20日の工事期間では工期が不足し工事の最終段階での「バタバタ」「ごった返し」は前提ではあった。                                                                                                                                                              その上、そもそもの工事契約の遅れによる準備不足、図面の未定や「保留」箇所の多さによる工事の遅れ、入居施設事情で明渡し(工事開始)の遅れ、短い工期の更なる圧縮・施主意向情報の流れの錯綜、施主と設計者・営業担当者の間にある「勘違い」「思い違い」、などが連日発生した。                                                                                                                                                                                           だが、理由を知れば知るほど、事態の原因にはそれぞれ、施主・貸主ビル側・元請会社・営業担当者・設計者・下請たる我々それぞれに、「言い訳」ではない事情があり、誰かを悪者にして気を晴らすような手法ではコトは進まない。幸い、関係する全て人々がそのことをよく承知する「賢者」(ぼくを除く)だったので、各位の協力・援け合いで完成に辿り着いた。                                                                                                                                                                                                  工事が残っている中で、お店側の資材搬入・バイトスタッフの教育が始まったが、24日の最終日深夜にまぁ何とかなったのではある。(体力的には、正直おそらく限界だった)

思えば、それぞれの関係者は雇われ者つまり「勤労者」である。自身の失点を覆い隠す為ではなく、上からの評価を恐れてのものでもなく、たぶん、最後の「美酒」(?)を味わうが為に、早朝や深夜の作業に、あるいは「やり直し」に、口を噤んで動くのだ。その行動を支えているのは現場工事の、大げさに言えばある「美学」への執着だと思う。                                                                                                                                                                                                                 この擬似ではあってもある種の「達成感」に違いない地点に向かう心や態度や労力の、「出どころ」と「行き先」を、国家主義者や新自由主義者に手渡してはなるまい。だが、つくづく労働組合や左翼は、その回路を築いては来れなかったなぁ~と思う。ぼく自身がそうだった。現場からの引退時期が近付いて気づく「遅過ぎた気付き」のわたくしです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              同時に、その超階級的(?)な無欲の心情を掠め取って来たのが、国家であり、支配者であり、企業論理であり、宗教団体であり、時に(排他的)家庭であったと強く思う。そのことは畢竟、協働や連帯を標榜しながら達成感の「出どころ」と「行き先」に無理解または無関心だった「左翼」の、永遠の苦手課題でもありそうだ。実は、この「出どころ」「行き先」こそが、「労働の地」と労働の「方法論」を巡る一丁目一番地なのだが・・・。                                                                                                                          労働組合が一番強かった時、社会的影響力を最も保持していた時、賃上げ競争に汲々とし、いや、逆に言えば賃上げ実績によって人々を吸引しようとし、もちろん権利や福利や雇用を巡る「組合的」成果も挙げたのだが、この一丁目一番地については、21世紀型労働の前触れたる高度成長経済期以降の労働環境や労働内容の多様化の前で築く回路を持てなかった。一部で語られた「論」はと言うと、古い労働倫理だったり、奉仕論議だったり、硬直した赤色勤勉論だったと言えはしまいか。それ以外は、ほとんどが「物取り主義」だったのであり、いずれも一丁目でも一番地でもありはしない! 「イッポンをトリモロス」(某首相)より、本来の『労働の地』を「取り戻し」たい。                                                                                                                                                                                                          今、世はますます「労働の地」に足を着けて立つという、働くことの「方法論」から、隔たった業務に充ちている。どうすれば取り戻せるのかと熟慮しているうちに、21世紀社会は加速度を得て変化している。労働の地が泥土なのだ。                                                                                                                      例えば、施主の意向が、カラーの画像やスケッチとなって、瞬時にして遠方から工事現場に届くのだ。ぼくが、この仕事を始めた1970年代末、そうした資料を抱えて半日かけて足で運んだのだものだ・・・。IT企業の勝ち組起業者の勝ち誇った言辞にムカっ腹を立てているぼくらの遠吠えは、どうすれば有効なものとして生存できるのか、それともこのまま朽ち果てて行くのか・・・。

時代に即した立位置・立論・行動原理を・・・、とは言うが、何かを売り渡すことなく・何かを毀損することなく、それを実行するのは難しいことだ。                                                                                                                                                    幸か不幸か(たぶん幸いにして、だと思うが)ある種の現場性から遠くはない、ライトブルー・カラー(ホワイトカラーとブルーカラーの中間)の職種に従事してきたぼくの実感だ。熊沢誠の労働論・労働組合論が、いったい「何を言っているのか」について、労働現役最終盤に来て、ようやく解りかけているわたくしです。労働組合現役だったころ一体何を考え何を目指していたのやら……。

濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ     斉藤史

 

五月雨 さみだれ、 五月晴 さつきばれ

息子の女房から新生児の「赤ちゃん体操」の画像付きメールを受け取った。                                                                               そう言えばぼくの孫は六人になったのだったなぁ~。 残念ながらぼくと女房のDNAを継がされてしまっている娘や息子のアホダラDNAが、                                                                                                                                彼らの配偶者のDNAで幾分かは弱まることを願っているが、この怪しい世情に孫たちが健やかに育つことを祈るばかりの爺です。

 メールへの返信:6月14日                                                                            

ba3-thumb-640x480-31[1]お写真拝受                                                                                                               へぇ~、○○君、大活躍ですな。                                                                                                                    赤ちゃんらしくよう肥えて、ええですね。                                                                                                                       

関西は晴天続き?                                                                                                                                               東京は正に梅雨。                                                                                                                                         昨日の雨が今朝もしとしと続き、                                                                                                                                                   朝6時からの工事資材搬入(JR○○駅 バスターミナルの隣)は、                                                                                                                  早朝の為、搬入バイト要員を確保できず、品川塾メンバーで対処。                                                                                                                         ビショビショ、クタクタ、血管切れそう・・・。                                                                                                                               

                                                                                                                  ところでこの雨について、貴君は知っていようが、ワシは最近知ったことがある。                                                                                                                          このしとしと雨=梅雨=旧暦五月の雨が、「さみだれ」=「五月雨」だそうです。                                                                                     本来、田植えのころの恵みの雨だそうです。                                                                                                   なるほど、そう知れば俳句の趣も違ってきて奥深い。

 五月雨をあつめて早し最上川 (芭蕉)

氾濫しそうな濁流を思い描き、暴風豪雨を想像して来たが、                                                                                                                 旧暦五月の雨、つまり、このしとしと雨=梅雨時の雨が「五月雨」だそうな。                                                                                                                      森や山に含まれた、永い期間の厖大な五月雨が川に集まり、やがて、                                                                                         その川々が最上川という一本の大河に飲み込まれ、急流を形成している。                                                          読み手の周囲の田園風景と急流との鮮やかなコントラスト。                                                                          検索してみると、梅雨の一段落後に詠んだみたいですな。川下りの舟上だそうです。                                           元々「あつめてすずし」だったとか・・・・・・。最上川

「五月晴」も違うな。と思い検索してみた。                                                                          来る日も来る日も雨という、うっとうしい梅雨時に、                                                                                                                                        イレギュラーに、ある時 スカッと晴れ渡る日がある。                                                                                                                                梅雨時の、その意外な奇跡の晴れ日を「五月晴」と言うそうで、                                                                   こんにちのゴールデン・ウィークの晴天ではない。人々の感慨も、値打ちも違ふ。                                                                              「五月雨」も「五月晴」も、中学・高校生でも知っていることらしく、無学の爺は恥じ入るばかり。

「五月晴」の日(ちょっと続いてるそうだが)に 手足マッサージ体操?                                                                                    元気に育て・・・。

 

「論評に値せず!」と捨て置けるほど微勢力ではない。

論評に値しない!と多くの人が呆れている。維新の会橋下共同代表の最近の言動だ。                                                                                          右翼中校生程度の歴史認識に基づく浅識が、彼の場合「自己切開」「自国史検証」の自省的スタンスを欠いている為、どんどん肥大化して行く。                                                                                                                                                                    元々、発言する度に「調べもせず浅い情報と雰囲気で」思い込み内容を「事実」のように強い口調で言うので、次回には前回内容を一層強固に主張するしか道がない。そういうエンドレスのサイクルに入っていたのだ。その構図がとうとう政権党のカッコ付きの民主主義者や友党から「論評に値しない」と言い切られる事態に至った。

昨夏「橋下政治の本質」を、ぼくは「公的事業の一層の民営化・教育や福祉の場を競争一色に・効率化と言う名の「公」事業切捨て・その必然としての公務員労働叩き・新自由主義とナショナリズム」を「度し難い幼児性・独善性に基づく攻撃性と懲罰主義で強行する圧政」と、規定した文をブログアップした。                                                                                                                              今回、その幼児性・独善性・攻撃性は、奇妙な被害者意識とそれこそ自虐史観に立って「欧米も同じことをしたのに、日本だけが世界から非難されている」と展開される。「おかあちゃん、ボクだけが非難されるよ」と訴える狼少年虐めっ子の言い分のようだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   そういう主張こそが、「日本だけが世界から非難される」根拠なのだという構図が何故解らないのだろう・・・。                                                                                                                                                                                                                 従軍慰安婦問題・沖縄植民地観・侵略の定義・歴史認識・沖縄集団強制死に軍関与は無い・君が代斉唱強制・公務員バッシング・権利剥奪・教育の場の競争と強権統制・改憲・・・・                                                                                                                                                                                                それらは根が一つの事だとよく解る。それらは、やはり、別々にことではないのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     そこを市民が理解できるように発信してくれたのだ、と橋下の「反面教師」振りを語るには、包囲は強固で逆クーデターは進行中だぜ!                                                                                                                                  開いた口塞がらない、言語道断、論評に値しない!で放ってはいけない。若い人に何が・何処が・どう間違っているか、伝えたい。                                                                                                                           

5月20日追記:                                                                                                                         現に朝刊の世論調査報告によれば、橋下発言を「大いに問題がある」とした人は32%、「ある程度問題がある」が43%、合わせて75%が「問題あり」と答えているが、安倍自民の支持率は上がり、参院選比例区投票先を自民とした人は何と49%と空前の数値を示している。                                                                                                                                しかし、日頃の言動や国会答弁に明らかな通り、安倍氏の歴史認識は橋下とほとんど変わらないどころか、一層強固で年季を重ねているのだから、「世論」なるものの二重・三重の屈折はこの国の深層実相か。                                                                橋下氏の妄言は「反面教師」どころか、逆クーデター勢力の「後方援軍」となって受け容れられるのだから「世」は怖い。                                                                                                                                                                                                         

橋下氏に進呈:                                                                                      弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。(弁護士法第一条)

 

国民栄誉賞と背番号96

背番号3氏は、愛すべきキャラクターの国民的スターだったが、                                                                                   背番号96氏はいただけない。

 

国民的に人気は高いが、遠の昔に引退した長島茂雄氏と日米野球界で活躍し引退した松井氏を引きずり出しての「国民栄誉賞」授与という、ややピンボケの、これまでの授与とは異質な儀式が去る5月5日:東京ドームであった。                                                                                                                                                                            授与式の後、投手松井・打者長島・捕手巨人監督原の「始球式」形式のパフォーマンスがあり、そこに登場した安倍首相は何と96番の背番号を付けてアンパイア役をしたという。                                                                                                                                                         「改憲は、96条から行くぞ」との決意表明だとネットにあった。国民栄誉賞は元々が歴代政権の「恣意的な」人気取り政策的面があったが、96番を付けるとはこの賞利用の魂胆を示して正直だとネットは言うが・・・。                                                                                                                                                                                                                                                                                  いや私は第96代首相でして・・・との言い訳も準備しているそうな。悪乗りの類だ                                                                                                                  

ところで、安倍首相の盟友にして、ある面で自民党の上を行くとも言える某政党の綱領から・・・。                                                                                                         どう読むかは各自の歴史観・世界観・思考の世界性によるので、好きに読むしかないかな。                                                                                           『日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる』(「日本維新の会」綱領)                                                                                                                                                                                                                                                                              えっ? 現行憲法ゆえに孤立しているというのは何時のどの案件を指しているのか?                                                                                                                     現行憲法ゆえに軽蔑されているというのは、いったい何処の誰から、どのように?                                                                                                                 そういう捉え方こそが「幻想」だろうが・・・!                                                                                                                                                                     かつて近隣諸国の主権を奪った者が後世にそれを伝える責務を放棄し、又、植民地として扱って来た一部地域の施政権を戦勝国に売り渡し(今なお全く同じ扱いを続け)たその日を、自国の「(擬制)主権回復の日」として祝うという神経。                                                                                                                                 その神経と歴史認識こそが、「孤立」を呼び込み「軽蔑」の対象となるのだとぼくは考えている。                                                                      

2012年12月、安倍首相街頭演説

 

我らと日本国憲法、共に1947年生まれだ。 死ねまへん!

自民党・維新の会・みんなの党が進める、「まず、96条から」は手続論か? そうではなく「国のカタチ」総体変更への入口だ。                                                                                                     両院で2/3以上で議決というハードルは異常か? 否! 米・英・独・仏・伊・韓を見よ。いずれも2/3に準ずる要件を課しているぞ!                                                                                                                       狙いは9条だけか? そうではなくすでに雇用・労政・教育・教育などの領域で、実質改憲を推し進めている者どもの、「憲法三大原則」={基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄解体の総仕上げ=公式放棄なのだ。                                                                                                                                      9条を含む総体変更・戦後民主主義の全面解体なのだ。「戦争」をできる国へ、天皇を元首とする民主主義否定の国へ、民の抗い・闘いを根絶やしにする国へ・・・・。それが「自民党草案」に堂々と書かれている中身だ。

現行憲法(青)と比較しながら、自民党草案(赤)が如何に「国のカタチ」変更・「憲法三大原則」解体への道であるか、あらためて見ておきたい。                                                                                                                                                  第一条:                                                                                                                【現行】天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。                                                                                                                                  【自民草案】天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

第三条:                                                                                                           【自民草案】国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。

第九条一項:                                                                                                               【現行】日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。                                                                                                           【自民草案】******最終行を変更********、国際紛争を解決する手段としては用いない(注:決意の削除)

第九条二項:                                                                                                                                                                              【現行】前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。                                                                                                                         【自民草案】前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない(注:集団的自衛権、米他同盟国の戦争への参加を想定)

第九条の二:(注:九条二項の削除に代わって新設)                                                                                                                            【自民草案】                                                                                                ①我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
②国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。 
③ 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。 
④ 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。 
⑤ 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。                                                                                                                                                                                                                  (注:その他の公務員{例えば国家公務員・府職員・教師} は国防軍の軍法会議で裁かれるのだ)

第九条の三:(注:総動員体制ですな)                                                                                                                                    【自民草案】国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

第十一条:                                                                                                                                                         【現行】国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。                                                                                                                                           【自民草案】国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。                                                                                                                                                                                                                                                                                                   (注:「妨げられない」を削除している。)

第十二条:                                                                                                                                                         【現行】この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。                                                                                                                                                           【自民草案】この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

第十三条:                                                                                       【現行】すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。                                                                                                                                                                     【自民草案】全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない                                                                                                                                         (注:十二、十三ともに公益・秩序というが、誰が決めるのか? 為政者が決めたその公益・秩序に反していれば尊重しないと言っている。)

第十九条:                                                                                   現行】思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。                                                                                               【自民草案】思想及び良心の自由は、保障する                                                                                     (注:「侵してはならない」という為政者への強い縛り感の削除)

第二十条:                                                                                                              【現行】信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。                                                                                             【自民草案】信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。 
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 
③ 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない

第二十一条:                                                                                                                             【現行】集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。                                                                         【自民草案】集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
② 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。                                                                                                                                                                  (注:「公益及び公の秩序を害する」ことを目的としていると為政者が認定した結社には、集会・結社・言論・出版その他一切の表現の自由を認めない、と言っている。そこでは、反原発デモ・イラク戦争参加反対デモ・辺野古移転阻止行動などあらゆる抗議運動・表現が、「公益及び公の秩序を害する」の一点で「認められない」のだ)

第二十八条:                                                                                                                     【現行】勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。                                                                                                  【自民草案】勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、保障する。
公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる。この場合においては、公務員の勤労条件を改善するため、必要な措置が講じられなければならない。

第六十六条二項:                                                                                                                               【現行】内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。                                                                                                   【自民草案】内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。                                                                                                     (注:元軍人OKと言っている。文民統制の空洞化)

第九十六条:                                                                                                                                                                                                                                【現行】この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。                                                                                                                                                               ②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。                                                                             第百条:                                                                                                                         【自民草案】 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。                                                                                                                                                                         (注:無効投票を量産し投票率50%を作り出せば、有権者の25%越で可決となる)                                                     ②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。                                                                                                           (注:「国民の名で」が消えている。)                                                                                                                         

第九十七条:                                                                                                       【現行】この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。                                                                                                                【自民草案】全文削除

九十九条:                                                                                                                【現行】天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。                                                                                      第百二条:                                                                                                                                 【自民草案】全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。                                                         ②国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。                                                                (注:憲法擁護義務の主体が、為政者と公務員から国民へと変更され、かつ天皇又は摂政という文言が削除されている。第一条で元首となっていることと符号するが、天皇は憲法の上に在るとしている。憲法が、国家と法を「縛る」最高法規であるという「立憲主義」の正面からの解体である。)

 

かつて国民を戦争へと煽った大新聞・テレビ等は、ここでも再び口を閉ざし、遠慮がちに「9条」だけを言っている。そうではなく「憲法三大原則」=基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄、の解体、国のカタチの総変更が着々と進んでいるとは、何故か言わない。                                                                                                                                岸信介の孫、安倍は「押し付けられた」史観DNAに基づき行け行けドンドンと走っている。事態は戦後そのものの否定とマスコミの協力の下、「改憲レース」第四コーナーを回っているのか?                                                                                                                                                                                            ジョン・ダワーは言っている(『敗北を抱きしめて』2001年、岩波書店)。                                                                                                                                           『押し付けたとすれば、日本国民とGHQ左派の「短期同盟」が、旧勢力に押し付けたのだ』と。                                                                                                 なるほど、今日の改憲勢力にとっては「押し付けられた」のだ。そういう者どもに「改憲」を「押し付け」られてたまるか!

 

ウチナー  と ヤマトゥ の 4・28

昨日(4・27)の知花昌一講演会(クレオ大阪北)で、氏は「私もついに『沖縄独立論』に立たざるを得ません」と語っておられた。                                                                                                        容易く「独立」を語る安逸さを排し、耐えて禁句を封印し、「沖-日連邦論」的可能性に生きて来た知花さん。                                                                 その彼にして切らざるを得なかった舵・・・。再び、三たび、四たびの「沖縄植民地」認識に基づく発言・政策・現実・・・。【添付画像は「琉球新報」】                                                                                                              戦争末期、1945年6月下旬、昭和天皇は当月初め御前会議で決定された「徹底抗戦」方針の軌道修正に乗り出し、連合国との和平交渉へ踏み出すこととなった。その際「和平交渉の要綱」の「条件」の項で、『国土に就いては、止むを得ざれば固有本土を以て満足す』とあり、固有本土の解釈は「最下限沖縄、小笠原、樺太を捨て」と説明されている。つまり、沖縄は日本の「固有本土」ではなく、和平の条件として連合国側に捨てられるものと位置付けられていたのだ。                                                                                                                                                                                                                              敗戦後の1947年9月19日。
新憲法の施行から、わずか4か月余りのときに、“象徴”であるはずの天皇は、マッカーサーに「米軍による沖縄の半永久的な軍事占領を勧める」という秘密メッセージを送っている。 日本国憲法の効力及ばない地域にとって、分割米軍統治を決めたサンフランシスコ講和条約・1952年4月28日とは、何の日なのか?           

追悼・三國連太郎さん(享年90歳)

2013年04月14日午前9時18分、三國連太郎さんがご逝去されました。                                                       少し長いのですが、哀悼の意を込めて1999年の毎日の記事を全文転記させていただきました。

追悼・徴兵忌避の信念を貫いた三國連太郎さん:(毎日新聞:特集ワイド「この人と」1999年8月掲載)

 徴兵を忌避して逃げたものの、見つかって連れ戻され、中国戦線へ。しかし人は殺したくない。知恵を絞って前線から遠のき、一発も銃を撃つことなく帰ってきた兵士がいる。俳優・三國連太郎さんは、息苦しかったあの時代でも、ひょうひょうと己を貫いた。終戦記念日を前に、戦中戦後を振り返ってもらった。【山本紀子】

 ▼暴力や人の勇気が生理的に嫌いでした。子供のころ、けんかしてよく殴られたが、仕返ししようとは思わない。競争するのもいや。旧制中学で入っていた柔道部や水泳部でも、練習では強いのに、本番となると震えがきてしまう。全く試合にならない。それから選抜競技に出るのをやめました。

 −−どうやって徴兵忌避を?

 ▼徴兵検査を受けさせられ、甲種合格になってしまった。入隊通知がきて「どうしよう」と悩みました。中学校の時に、家出して朝鮮半島から中国大陸に渡って、駅弁売りなどをしながら生きていたことがある。「外地にいけばなんとかなる」と思って、九州の港に向かったのです。ところが途中で、実家に出した手紙があだとなって捕まってしまったのです。

 「心配しているかもしれませんが、自分は無事です」という文面です。岡山あたりで出したと思う。たぶん投かんスタンプから居場所がわかったのでしょう。佐賀県の唐津で特高らしき人に尾行され、つれ戻されてしまいました。

 −−家族が通報した、ということでしょうか。

 ▼母あての手紙でした。でも母を責める気にはなれません。徴兵忌避をした家は、ひどく白い目で見られる。村八分にされる。おそらく、逃げている当事者よりつらいはず。たとえいやでも、我が子を送り出さざるを得なかった。戦中の女はつらかったと思います。

 ◇牢に入れられるより、人を殺すのがいやだった

 −−兵役を逃れると「非国民」とされ、どんな罰があるかわからない。大変な決意でしたね。

 ▼徴兵を逃れ、牢獄(ろうごく)に入れられても、いつか出てこられるだろうと思っていました。それよりも、鉄砲を撃ってかかわりのない人を殺すのがいやでした。もともと楽観的ではあるけれど、(徴兵忌避を)平然とやってしまったのですね。人を殺せば自分も殺されるという恐怖感があった。

 −−いやいや入ったという軍隊生活はどうでした?

 ▼よく殴られました。突然、非常呼集がかかって、背の高い順から並ばされる。ところが僕は動作が遅くて、いつも遅れてしまう。殴られすぎてじきに快感になるくらい。演習に出ると、鉄砲をかついで行軍します。勇ましい歌を絶唱しながら駆け足したり、それはいやなものです。背が高いので大きな砲身をかつがされました。腰が痛くなってしまって。そこで仮病を装ったんです。

 −−どんなふうに?

 ▼毛布で体温計の水銀の部分をこすると、温度が上がるでしょう。38度ぐらいまでになる。当時、医者が足りなくて前線には獣医が勤務していました。だからだまされてしまう。療養の命令をもらって休んだ。また原隊復帰しなくてはいけない時に、偶然救われたのです。兵たん基地のあった漢口(今の湖北省武漢市)に、アルコール工場を経営している日本人社長がいた。軍に力をもっていたその社長さんが僕を「貸してほしい」と軍に頼んだのです。僕はかつて放浪生活をしていた時、特許局から出ている本を読んで、醸造のための化学式をなぜか暗記していました。軍から出向してその工場に住み込み、1年数カ月の間、手伝いをしていた。そうして終戦になり一発も銃を撃たずにすんだのです。

 −−毛布で体温計をこするとは、原始的な方法ですね。

 ▼もっとすごい人もいました。そのへんを走っているネズミのしっぽをつかまえてぶらぶらさせたかと思うと、食べてしまう。「気が狂っている」と病院に入れられましたが、今ではその人、社長さんですから。

 −−前線から逃げるため、死にもの狂いだったのですね。

 ▼出身中学からいまだに名簿が届きますが、僕に勉強を教えてくれた優しい生徒も戦死していて……。僕は助かった命を大切にしたいと思う。そう考えるのは非国民でしょうか。

 −−三國さんのお父様も、軍隊の経験があるそうですね。

 ▼はい。シベリアに志願して出征しました。うちは代々、棺おけ作りの職人をしていました。でも差別があってそこから抜け出ることができない。別の職業につくには、軍隊に志願しなくてはならない。子供ができて生活を安定させるため、やらざるを得なかったのでしょう。出征した印となる軍人記章を、おやじはなぜだか天井裏に置いていた。小さいころ僕はよく、こっそり取り出してながめていました。

 −−なぜ天井裏に置いていたのでしょう。

  ▼権力に抵抗する人でしたからね。いつだったか下田の家の近くの鉱山で、大規模なストがあって、労働運動のリーダーみたいな人を警察がひっこ抜いていったのです。おやじはつかまりそうな人を倉庫にかくまっていた。おふくろはその人たちのために小さなおむすびを作っていました。またいつだったか、気に入らないことがあったのでしょう、おやじは駐在所の電気を切ったりしていた。頑固で曲がったことの嫌いな人でした。

 −−シベリアから帰ってから、どんな職業に?

 ▼架線工事をする電気職人になりました。お弟子さんもできた。おやじは、太平洋戦争で弟子が出征する時、決して見送らなかった。普通は日の丸を振って、みんなでバンザイするんですが。ぼくの時も、ただ家の中でさよならしただけ。でも「必ず生きて帰ってこい」といっていました。

 −−反骨の方ですね。

 ▼自分になかった学歴を息子につけようと必死でした。僕がいい中学に合格した時はとても喜んでいた。ところが僕が授業をさぼり、家出して、金を作るため、たんすの着物を売り払ったりしたから、すっかり怒ってしまって。ペンチで頭を殴りつけられたり、火バシを太ももに刺されたりしました。今でも傷跡が残っています。15歳ぐらいで勘当され、それから一緒に暮らしたことはありません。

 −−終戦後はどんな生活を?

 ▼食料不足でよく米が盗まれ、復員兵が疑われました。台所まで警察官が入って捜しにくる。一方で、今まで鬼畜米英とみていたアメリカ人にチョコレートをねだっている。みんなころっと変わる。国家というのは虚構のもとに存在するんですね。君が代の君だって、もっと不特定多数の君なのではないか。それを無視して祖国愛を持て、といわれてもね。

 −−これからどんな映画を作りたいと思いますか。

 ▼日本の民族史みたいなものを作りたい。時代は戦中戦後。象徴的なのは沖縄だと思います。でも戦いそのものは描きたくない。その時代を生きた人間をとりまく環境のようなものを描こうと思う。アメリカの戦争映画も見ますが、あれは戦意高揚のためあるような気がします。反戦の旗を振っているようにみえて、勇気を奮い起こそうと呼びかけている。

 ◇国家とは不条理なものだ

 三國さんは名前を表記する時、必ず旧字の「國」を用いる。「国」は王様の「王」の字が使われているのがいやだ、という。「国というものの秘密が、そこにあるような気がして」

  「国家というのは、とても不条理なものだと思う」と三國さんはいう。確かにいつも、国にほんろうされてきた。代々続いた身分差別からすべてが始まっている。棺おけ作りの職業にとめおかれていた父親は、全く本意ではなかったろうが、シベリア出兵に志願して国のために戦った。そうして初めて、違う職業につくことを許された。この父との確執が、三國さんの人生を方向づけていく。

 学歴で苦労した父は、息子がいい学校に入ることを望んだ。しかし期待の長男・連太郎さんは地元の名門中学に合格したまではよかったが、すぐドロップアウトしていく。三國さんは「優秀な家庭の優秀な子供がいて、その中に交じっているのがいやだった。自信がなかった」という。

 時代も悪かった。中学には配属将校といわれる職業軍人がいた。ゲートルを巻いての登校を義務づけられ、軍事教練もあった。

 学校も家も息苦しい。だから家出した。中学2年のことだ。東京で、デパートの売り子と仲良くなって泊めてもらったこともある。中学は中退してしまう。父は激怒した。中国の放浪から帰ってきた時、勘当された。家の近くのほら穴で「物もらいと一緒に寝起きした」という。道ですれ違おうものなら、父は鬼のような形相で追いかけてきた。

 その後、三國さんが試みた徴兵忌避は、不条理な国に対する最大の抵抗だった。後ろめたさはない。圧倒的多数が軍国主義に巻き込まれていく中、染まらずにすんだのは、「殺したくない」という素朴な願いを持ち続けたためである。

 「国とは何なのか、死ぬまでに認識したい。今はまだわからないが、いつもそれを頭に置いて芝居を作っている」と三國さんは話している。

 

沖縄タイムス社説  主権回復の日? 

社説[政府式典と天皇]政治利用の疑いが強い

4月15日(月)9時27分配信

 サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に、政府主催で開かれる「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」には、根本的な疑問がつきまとう。
 はっきり言ってこの式典は政府主催の行事にはなじまない。安倍政権は自らの勇み足を認め、政府式典を取りやめたほうがいい。そもそも天皇・皇后両陛下は、式典出席を望んでいるのだろうか。あえて推測すれば、とてもそのようには思えない。
 昭和天皇は戦後、全国各地を巡幸し、戦後巡幸が一段落した後も、国体や全国植樹祭などの行事に出席するため各県を訪問した。だが、激しい地上戦の舞台となり米軍政下に置かれた沖縄には、戦後、一度も足を運んでいない。
 1975年初訪米の際、「米国より先に沖縄にいくことはできないか」との意向を周辺に漏らしたといわれるが、沖縄に反対論が根強く、実現しなかった。
 87年に開かれた第42回国民体育大会(海邦国体)への出席も、病気のため急きょ取りやめになった。戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領を進言した「天皇メッセージ」の問題も、ついに本人の口から語られることはなかった。昭和天皇の晩年の歌が残っている。
 「思はざる病となりぬ 沖縄をたづねて果たさむ つとめありしを」
 現在の天皇の沖縄訪問は、皇太子時代を含めると、すでに9回。昭和天皇が果たせなかった「つとめ」を自分なりに意識して果たそうとしているようにも見える。
    ■    ■
 昨年12月、79歳の誕生日に際して記者会見し、沖縄についてこう語っている。
 「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに、日本全体の人が皆で沖縄の人々の苦労している面を考えていくことが大事ではないかと思っています」
 この言葉を、足し算も引き算もせず、字義通り解釈したい。記者会見では「沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全員で分かち合うということが大切」だとも語ったという。
 「4・28」式典への出席は、政治利用の疑いが濃厚だ。
 安倍政権から式典出席を要請され、「国民統合の象徴」である天皇は、あっちたてればこっちたたず、の状況に追い込まれている。
 今回の式典開催は、自分の歴史認識を強硬に押し通そうとする安倍晋三首相の「イデオロギー過多政治」の典型である。
    ■    ■
 自民党は以前、4・28を「主権回復記念日」にするための国民の祝日法改正案を国会に提出したことがある。今回の政府主催の式典は、その流れの延長にある。
 だが、沖縄にとって4・28は真逆の日だ。立法院は62年2月、「施政権返還に関する要請決議」を全会一致で採択した。国連の「植民地解放宣言」を引用しながら、沖縄分離を「正義と平和の精神にもとり」「国連憲章に反する」と厳しく批判している。

【照屋寛徳ブログ】                                                             4月28日は「屈辱の日」、沖縄問題の原点の日 -1952.4.28-http://terukan.blog44.fc2.com/blog-entry-173.html                                                                                                  

たそがれ料理教室: コープ自然派:豚バラ肉ブロック・チキンコンソメを使ったアジア丼

旧東海道品川宿『たそがれ自由塾』特製  アジア丼レシピ

外で美味いものを食えば「うん、これは美味い!これの材料は何々で、調味料はどれどれで、調理手順はここうで、隠し味はきっとこれで…」と、                                                                                                                                 どうやって作ったのかを、店や人に訊くことなく己の直感と経験と知識(主観的で思い込みの)だけを動員して作り、何度かの失敗を経て似たものに辿り着く。                                                                                                                            これが、塾頭康麿の癖であり、「たそがれ調理人」(?)の矜持(?)である。                                                                            これまで、「塾頭チャンコ」(蒲田のチャンコ屋***亭の味)「ベンガル:ホウレン草カレー」(本場バングラデシュ直伝)「特製お好み焼き」(つなぎにマル秘の工夫)などヒット(?)を飛ばして来た。                                                                                                                           7~8年前、さる無国籍料理店で、「特製美味いウマイ丼」なるメニューに遭遇。あれこれ知恵を絞りその再現に挑んだ。これが、なかなか辿り着かない。数回目に、食った人全員が「これは美味い!」と絶賛してくれる仕上がりとなった。見本にした丼とは違うものになったが、確かに美味いので、ここでストップ。「自由塾アジア丼」と名付けて自由塾オリジナル・メニューの四品目に加えた。 ここで、レシピを公開します。

-4人分-

【材料】                                                                                                                                  ① 具用:                                                                                                                                       キノコ=しいたけ、シメジ、マッシュルーム・エリンギなどから二種                                                                             乾物=ドライトマト3片程度                                                                                                                                                                                  野菜=ピーマン・ニンジン、ネギ、(キュウリなど冷蔵庫の余り野菜OK)                                                                                                           生のも=タコ・豚バラの塊(コープ自然派:大浦さんの豚バラ肉ブロック200g程)                                                                                                                                                                                                                           貝柱(今回初めて使った。ゆえに無くてもよい)                                                                                                           ② トッピング用:                                                                                                                   じゃがいも・レタス・水菜・ミニトマト10個程度・玉子3個

【下ごしらえ】                                                                                                       ①  ツユ                                                                                                                           300CCの和風だしを作る。これに無添加チキンスープ(例:コープ自然派チキン・コンソメ粉末一袋)を加える。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 醤油大匙3、薄口醤油大匙2、みりん大匙3、塩小匙1、砂糖大匙1/2、酒(ワインでも可)大匙3、鷹の爪大3を入れ、弱火で200CCに煮詰める。                                                                                                                             火を止める際、貝柱を放り込む。                                                                                                    ② 材料の切り方                                                                                                           どのように切ってもOKだが、ドライ・トマトは小刻みに、タコは2~3㎝に切る。豚バラは3~4㎝角、7~8㎜厚が望ましい。                                                                                                                                他の素材は野菜炒め程度に切る。                                                                                                                                                                        トッピング材は、ジャガイモは5ミリ厚にスライス、ミニトマトは1/2に、レタス・水菜は口に運び易いように。

【作り方】                                                                                                                                  ① トッピング                                                                                                                          スライスしたジャガイモを、塩・コショーして薄っすら焦げ色までソテーする。やや硬めで降ろす。余熱で食べ頃になる。                                                                                                                                      玉子はスクランブル・エッグのスクランブル手前状態のものを作る(Photo参照)                                                                         ②具                                                                                                                                                                                  A 塩コショーした豚バラを両面焦げるまでソテーして、別の皿に取っておく。                                                                        B 続けて同じところで、タコを少々炒め、ツユ(貝柱ともども)を流し込み、1分。                                                                                    C キノコ・乾物・野菜を炒める。                                                                                                                                          D ここCに、取っておいた豚バラAを加え、ツユB(タコ・貝柱入り=大きすぎたら切る)を加え、1分。

 

【盛り付け】                                                                                                                                       丼椀のご飯の上に、具を乗せ(ツユは好みで増やせるよう、多少残しておく)、                                                                                                                                                  レタス・水菜・ミニトマト・ジャガイモ・玉子をトッピングしてOK。ツユだく希望には追加を…。

 

味わいの臍

貝柱の風味、豚バラの焦げ目、ジャガイモの口の中ニュートラル効果、                                                 生野菜のシャキシャキ感、そして、何よりタコの歯触り・香り、ドライ・トマトの隠し風味。

 

                                                                                                                         

朝日新聞社 書評サイト BOOK asahi.com(12年版)より  「高見順賞」

【2012年3月29日掲載】

〈ことば〉詩人の金時鐘さん

高見順賞の贈呈式が都内で開かれ、詩集『失(な)くした季節』(藤原書店)で昨年、在日韓国人として初めて選ばれた金時鐘(キム・シジョン)が1年遅れの賞を手にした。昨年の贈呈式は3月11日。奈良県在住の金は新幹線の中で被災し、午後8時すぎに東京駅着。徒歩と地下鉄で深夜0時前、飯田橋の会場に到着し、待ちうけた詩人の佐々木幹郎らに迎えられたが、式は延期された。
「東日本大震災は、現代詩という日本の詩の在りようをも破綻(はたん)させずにはおかなかった。観念的な思念の言語。他者とかみ合うことの全くない、至って私的な内部言語。そのような言語で詩が書かれるいわれは、根底からひっくり返ってしまった」
「心ある表現者ほど、自分で自分の言葉をのみこまずにはいられないこの1年だった。日本の詩からかけ離れて生きてきた83歳の在日定住者の金時鐘を、この授賞によって日本の詩壇の仲間の内に入れてくれたことも、現実認識における日本の現代詩の変動のしるしと受けとめている」

 

【2012年4月6日掲載】 

命がけの強靱な詩語 高見順賞の辺見庸『眼の海』

命がけで生みだされた、これほど強靱な詩の言葉はまれだろう。辺見庸(67)の詩集『眼(め)の海』(毎日新聞社)が高見順賞を受賞した。東日本大震災以後に書かれた詩ばかりだが、悲嘆や鎮魂の震災詩ではない。3・11を文化的、歴史的、地球的な視点からとらえる姿勢に貫かれ、とりわけ震災後の言語状況に対する危機感は深い。                                                                                                                                〈類化しない 統(す)べない かれやかのじょだけのことばを/百年かけて/海とその影から掬(すく)え/砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ〉(「死者にことばをあてがえ」から)                                                                                                                                      この詩をはじめ、第1部「眼の海」の27編は震災直後から、〈わたしの死者たち〉に背中を押されるように集中的に書かれた。故郷の宮城県石巻市は壊滅的な被害を受け、友人らが亡くなった。自らの表現をささえる土台としての故郷が失われた衝撃は大きかった。                                                                       反動で何も書けなくなった時期を経て、第2部「フィズィマリウラ」の24編には思索の深まりがある。フィズィマリウラとは辺見が名づけた、正体不明の異形のもの。目に見えぬ放射線のように、みぎわをさまよう。オサマ・ビンラディンの美しい顔も、アラビア海から三陸の海に流れつく。                                                                                   
「ビンラディンの暗殺、中東や北アフリカの争乱、欧州の信用危機と、3・11の前後から世界は暴力的な気配に満ちている。そんな状況の中で3・11を重層的にとらえ、俯瞰し、変な言い方だが突き放して、宇宙的な視点から見たかった」                                                                                                                                                                                                                                                                                                    高見順賞の選考会で『眼の海』は、〈あらゆる『まがい』や『ごまかし』を切り捨てた、ことばだけで挑む、苛烈な営為〉(藤井貞和)、〈これまでの現代詩の現実認識をゆるがす見事な詩集〉(荒川洋治)と、                                                                                                                                                           詩人たちから圧倒的な評価を得た。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        3月の贈呈式で辺見は語っている。「言葉と言葉の間には屍(しかばね)がある。おびただしい死体から言葉が薫(くゆ)りたってくる。私がいま享受している奇(く)しき生も、おびただしい死から押しだされるように生まれてきた」                                                                                                                                                       死と破滅への予感は、昨年、中原中也賞を受けた最初の詩集『生首』(毎日新聞社)でも濃厚だった。                                                                                                       辺見のなかで詩と散文に境界はない。詩は散文へと変容し、再び詩へ戻り、ときには散文のなかに詩が内包されている。黙示録を思わせる文明論集『水の透視画法』(共同通信社)が昨年、詩集中心の藤村記念歴程賞で最終候補になったのは象徴的だ。                                                                                                                                                    
「ただ、詩は散文より、もっと深い水深で、激しい水圧に耐えながら書く」                                                                                                                                                                 
2004年に脳内出血で倒れ、05年に結腸がんを患った。残りの命をかけて3・11を考えぬき、表現し、死者に言葉を届けたい。                                                                                                                                                                                                     〈アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である〉――ユダヤ系ドイツ人哲学者テオドール・アドルノの命題が脳裏にある。あれほどの殺戮(さつりく)と苦悩を経てしまった世界で、美しいだけの詩など書けるのか、という問いかけとして。                                                                                                                                                               「3・11を体験した今、私たちの言葉も以前と同じであっていいのか。この国には言葉が人に届かない危うさがある。震災直後に放映された、とってつけたような優しさを強調するテレビCMのように。震災を表現する言葉も、もっと自由であっていい。関東大震災の焼け跡を歩き、『あゝ愉快と 言つてのけようか。/一擧(いっきょ)になくなつちまつた。』と詩に書いた折口信夫のように」

 

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