連載 25: 『じねん 傘寿の祭り』  三、 タルト (3)

三、タルト ③

「七〇年に卒業してすぐ、ほら<いよてつ>の<まつやまし駅>にくっ付いてる百貨店あるでしょ、あそこに勤めたのよ。翌年改築オープンということでもう工事始まってた。その年は総合職を多く取ったのね、もちろん女性もよ。実際、すごい勢いだったのよ。数年後、四国一だと豪語するんだけど事実です。21世紀になって関連会社への貸付総額が年間売上を超えるという異常財務体質から潰れて、全国の店と同様あそこも他の大手百貨店に引き取られたけど・・・」                                                                                                                                                                              百貨店では周りの男性社員は社内派閥に絡め取られ、査定に怯え出世を求めて汲々としている。京都の四年制女子大で、「全共闘」の影響も受けたと何度も口にする美枝子の「もっと、違う何かがあるはずだ」と思い続けた感性に、彼らの言動が響くことはなかった。「勤めびとの勤勉や処世を、どこかで私、せせら笑っていたのね、分かりもせず…。自分だって同じ働き方なのにねぇ」                                                                                                                                                                     

女性社員はお相手を探すことしか考えていない。地元名士の子女が沢山居たけど、彼女たちはさっさと相手を見つけて辞めて行くか、親絡みで元々決まっていた相手と結婚するまでの腰掛から降りては次々と消えて行った。「寿退社という私に言わせりゃ不名誉なネイミングを、本人たちが喜んで使っていた時代よ。今もそうだけど・・・」                                                                                                                                                                                      ここがその場所ではないとしても、探せばきっと仕事の中に自分を表現できる世界があるはずだと思いながら、職場から一歩も出られなかった。性格なのか、与えられた仕事をキチンと果たさないと気がすまなかった。「やっぱり女だな」なんていう陰口を絶対言わせたくなかった。「その分忙しくて、ほんとよく働いたと思うわ」。七七年夏、三十になっていた。勤続八年目の「お局様ね」。私、店の中枢って言うかまあ総合職でしょ、男の「できるもんか」という本音と、女の「いい気になって」という妬みに囲まれて、出口は見えず入口には戻れず焦っていた。男と居たい結婚したいというのではなく、ここで上り詰めてやろうというのでもない。                                                                                                                        「このままでは引き下がれない。そんな感じよ。解かります?」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「ちょっとは、解かるつもりです」                                                                                                                                                                                           「97年に、東電エリートOL殺人事件というのがあったでしょ、憶えてる? あの女性の心の闇にはいろんな要素があると思うけど、何か解かる気がするんです。変ですか? 昼間の職場の鬱屈を、夜街角に立って客を取り女王様になって晴らすような壊れた心理。そんなのも働いていたような・・・。大企業の、職場の男支配、今はどうなんです?」                                                                         叔父からの勧めに乗ろうかとも考えた。独創的な温泉を作る・・・、そんな空想もした。けれどずるずる返事を延ばしていた。                                                                                                                                                                                                          そして夏の終わり、黒川に逢ってしまった。展示会の準備と開催・後仕舞いをいっしょにしたのよ。黒川には博多に妻子があると最初から知っていた。作品を観て作家名をピタリと当てる。焼物を見て黒川が言う価格はドンピシャリ。部で発行するパンフレットの間違いを正確に指摘する。焼物の贋作を言い当てて、部長が業者に突っ返し会社の被害を食い止めたこともある。だが、飄々としていて自慢しない。若い社員からも好かれ、毎晩誰彼を引き連れて飲み歩いていた。所帯じみていない、年齢から言えば当然なのだが何でもよく知っている、夢を語り「業界の異端児」と呼ばれるだけあって、いわゆる「男気」もある。経済力もたぶんありそうだ。もう眩しかったのよ。普通の男なら誰もが失っているものを持ち続けている、当時の私にはそう見えたのね。「だってそういう男、中々いないわよ」。                                                                                                                        それが、生きるということ、働くということの「自己責任」を放棄した者だけが味わうことのできる、麻薬のように止められない至福のひと時なのだと、今では承知している。その「ひと時」には「厖大な請求書」がやがて廻って来ることも・・・。                                                                                                                                    けれど、その秋、「恋に落ちたのよ」。                                                                                                                              いっしょに汗かいて仕切った展示即売会の成功を、上から褒められ達成感に浸っていたと思う。博多へ帰る黒川を見送るはずの駅で、「祭り」の終わりを受け容れられない子供みたいに、私の方から、黒川の袖口を摘まんで「もう一日いらっしゃれば」と声を掛けてしまった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

                                                                                                                                                                                                                                                           

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