たそがれ映画談義: 耳に残る幼き者の叫び-①

『蝶の舌』 (1999年、スペイン) 監督:ホセ・ルイス・クエルダ 出演:フェルナンド・フェルナン・ゴメス、マニュエル・ロサーノ。

1936年2月、スペインでは選挙で左派が勝利、「人民戦線政府」が誕生する。                                                                 同年7月右派ファシストが反政府クーデターを開始、8月モロッコに本拠を置くフランコ軍が本土に上陸、内戦状態に突入。                                    内戦は国際化し、イタリア・ドイツは反乱軍支援、欧州各国は不介入宣言、ソ連は人民戦線政府に戦車・大砲・飛行機など武器援助、各国からは義勇兵が駆けつけ、人民戦線内に「国際旅団」も作られた。アーネスト・ヘミングウェイ、アンドレ・マルロー、ジョージ・オーウェルなどが、それぞれの思想・立場から参加。                                              

共和国政権の内部は、穏健共和派、自由主義者、社会党、親ソ共産党、反スターリン派(POUM、オーウェルはここに参加)、労働組合では社会党系UGT、アナキスト系CNT(人民戦線には参加していない)といった具合の混成だったが、現代思想と20世紀政治運動の百貨店だったとも言われ、内部混乱は激しかった。加えて右派ファシストの妨害、国際的包囲網。政策決定・実施には、難渋を極めた。

 (廃墟と化したゲルニカ)  

廃墟と化した ゲルニカ                                                                

37年4月、フランコ反乱軍を支援するヒットラー・ドイツは、空軍コンドル部隊を北部バスク(保守層も支持する、反中央の自治政府)に差し向け、『ゲルニカ』に対して「都市無差別爆撃」(ピカソ「ゲルニカ」)を実施。                                                                    37年5月、バルセロナ市街戦では親ソ派共産党は、アナキストの排除、反スターリン派の排除(つまり内ゲバ)を徹底して行なった。                                                  39年1月バルセロナ陥落、39年3月マドリード陥落。フランコ派勝利。                                                    市民戦争・内戦・市民革命・・・色々な名称で呼ばれている現代史の縮図、スペインの3年間。

さて、『蝶の舌』は36年春から同年夏(ファシスト反乱の最初期)までの、混乱があって緊迫していても、「人民戦線政府」が輝いていた短い時間を背景にしている。とっつきにくくとも少年モンチョが心を開くことが出来た老教員グレゴリオは、教育と社会に信念を持っていて、それを穏やかに実践するベテランだ。喘息持ちのモンチョは入学時に[おもらし]をして出遅れるが、学校に馴染ませてくれたのは、先生だった。野に出て命を伝え感じさせてくれたのは先生だった。蝶に渦巻き状の舌があること、欄の花をメスに贈る鳥:ティロノリンコのことを教えてくれたのは先生だった。                                                                          36年夏、老教師グレゴリオはモンチョとの交流の場面で言う、 「人にいってはならん、これは秘密だ。あの世に地獄などない。憎しみと残酷さ、それが地獄の基となる。人間が地獄を作るのだ」(作者は、この会話に加え、ラストシーンで軍ファシストの後方に神父をウロチョロさせ、怒りを込めてカソリック教会が果たした役割を暗示している)
 そして短い夏の終り、退官講話の席でこう語る。「誰も、春に愛を交わすために古巣へ帰る野鴨を、止めることは出来ません。羽を切ったら泳いで来ます。脚を切ったらくちばしを櫂にして波を乗り越えます。その旅にいのちを賭けているのです……。いま、人生の秋を迎えどんな希望を持てるのか……実は少し懐疑的です。オオカミはきっとヒツジを仕留めるでしょう。」グレゴリオはこの政府と自分達の運命を覚悟していた。

田舎町にもファシスト反乱軍の暴虐が押し寄せる。「共和派」が拘束され連行されて行く。その中に町長や老教師グレゴリオが居た。街の人々は、連行する側のファシストに媚びて、口々にグレゴリオらをののしっている。                                                                             母親に「あんたも言いなさい」と促され、モンチョも言う。「アカ!」 「アテオ(無心論者)!」・・・・。詰め込まれた護送トラックの荷台に立つグレゴリオ、石を投げつける少年たちの輪に入ってしまうモンチョ・・・。 モンチョが最後に発する言葉・・・あゝ、それはこの映画のタイトル「蝶の舌!」であった。                                        親愛と尊敬の情を、このようにしか表現できなかった少年の無垢な心に、ぼくは嗚咽した。グレゴリオとモンチョの交流交感はこうして圧政と社会によって断ち切られたが、21世紀の今も、深く繋がって生きているのだ。それが、痛切の記憶というものだ。 

 1936年、国民的詩人:フェデリコ・ガルシア・ロルカはファシストに虐殺される。四方田犬彦は書いている。                                   『ロルカの死は悲痛きわまりないものである。その悲痛さを克服するためには、何をしなければいけないのか。                                        それは祈ることではなく、記憶することだ。記憶が、たどたどしく築きあげる歴史から、われわれは学ぶことはできる 』と。                                                                       記憶とは そういうものだ。   

余談ですが、故:アジェンデ・チリ大統領はバスク系の人です。                                                                 1973年9月11日、サルバトール・アジェンデ 最後の演説 (ピノチェト軍が包囲する、サンチャゴ・大統領府「モネーダ」より) http://www.youtube.com/watch?v=SG3f08LVwhE

                                                                        

 

                         

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