つぶやき&歌遊泳: 【おさななじみ】異論

【おさななじみ】にみる『公的記憶の改竄又は無化』
 
1963年発表 作詞:永六輔 作曲:中村八大 
 
おさななじみの 想い出は 青いレモンの 味がする 閉じる瞼の そのうらに おさない姿の 君とぼく                                                                             お手々つないで 幼稚園 つみき ぶらんこ 紙芝居 胸にさがった ハンカチの 君の名前が 読めたっけ                                                                           小学校の 運動会 君は一等 ぼくはびり 泣きたい気持ちで ゴール・イン そのまま家まで かけたっけ                                                                             にきびの中に 顔がある 毎朝鏡とにらめっこ セーラー服が よくにあう 君が他人に 見えたっけ                                                                                        出すあてなしのラブレター 書いて何度も読みかえし あなたのイニシアル何となく 書いてやぶいて捨てたっけ                                                                          学校出てから久しぶり ばったり逢った二人とも アベック同士のすれちがい 眠れなかった夜だっけ                                                                                 あくる日あなたに電話して 食事をしたいと言った時 急に感じたむなさわぎ 心の霧が晴れたっけ                                                                               その日のうちのプロポーズ その夜のうちの口づけは 幼ななじみのしあわせに かおるレモンの味だっけ                                                                             あれから二年目僕たちは 若い陽気なパパとママ それから四年目幼な子は お手々つないで幼稚園                                                                                おさななじみの 想い出は 青いレモンの 味がする 愛の印の幼な子は 遠い昔の君と僕
 
永六輔は、作詞時期=63年当時に高校生か大学生(つまりは16~22)である諸君の少年期を拝借し、彼らが自身の近未来から、個人史を振り返える。
そんな設定で、時代・世代を問わず歌える歌を作詞したに違いない。そうだとは思う。
しかし、当時30歳の永が1933年生まれ、歌い手の初代デューク・エイセスが30年代後半生まれの若いパパ・ママ達であってみれば、                                                                 聞き手がそこで「作り手の幼少期、初恋、結婚なのだ」として聞いたとしても、
それは聞き手の責任ではない。事実、当時誰もがそう聴いたのだ。
  
さて、ぼくの言い分。
歌詞から主人公カップルの年齢を推理すると、
学校出て数年後再会しプロポーズ、
で2年後若いパパ・ママとなり、さらに4年後の今(63年)、
子が幼稚園へ通っている。
整理すると、大卒22歳+数年+2年+4年=30歳前後
ということになる。高卒だとしたら26歳前後。
従って、彼らの生年は、
1963(歌発表年-30=1933 33年(昭和8年)前後、
敗戦時12歳で、戦後を18年間生きた、そういう世代だ(高卒ならマイナス4歳)。
彼らが戦争期を小学生として過ごした体験は強烈に刻印されているはずで、
はたして歌詞にあるような幼児期だっただろうか・・・?
幼き日々の記憶に、わだかまって沈殿しているものこそ、「生」の核心だ。
描かれている世界は我が世代(1947年生)を含む戦後世代の幼児期のように思えて仕方ない。
何故か? 戦争の影、その不在なのだ。
 
歌には、敗戦期を挟んで、戦前戦後を生きた少年少女の証しが、全く無い。 都市部在住なら空襲や疎開もあったろう。
地方を含め、物資不足・勤労動員・ひもじさや父不在、
そうした戦争期の社会構造や風景の中で生きたはずだ。
敗戦後、ギブミーチョコレートと声を上げジープの後ろを追ったかどうかはともかく「進駐軍ジープの排気ガス」、                                                                            焼跡・闇市の雑踏と喧騒、進駐軍・価値混乱・戦後の諸改革を目の当たりにして生きたのだ。
自身でなくとも、父や母、兄や姉、身近な者の「戦争」を因とする受難も見たはずだ。 
 痛苦の記憶の味・匂い・香りを、                                                                                     「青いレモンの味」一本へと変換する装置こそが、公的記憶の無化装置であり、
大衆と呼ばれる存在の生きて行く為の方法論なのだろうか・・・? その装置がこの歌にはありはしないか?
ぼくのようなひねくれ者が聞くと、敗戦を12歳で通過した者の飢餓感や悲哀なんぞは、
明るい未来に彩られた所得倍増社会を生きる者には邪魔だと言っている、と聞こえなくはない。
作者が、当時のサブ・カルチャーの多くと同じく
たとえ無自覚であれ(自覚してであれ)「もはや戦後ではない」という掛け声を容れ、
公的記憶を改竄しその無化に手を貸していると言われてもしかたあるまい。
そう言われては、他で戦時下の児童の体験談などを反戦論として語って来た永は辛かろう。
で、我らは、
戦争期・敗戦期の公的記憶を改竄し無化するような「愛国政治」「衆愚文化」「勲章文化「お上ヨイショ言説」・・・、
そこには決して与しないぞという意志を持っていたい。
それが、我ら「民」の存在論的可能性ではないだろうか・・・? 
自分たちの記憶を結果として無化しては、在日・沖縄・など少数「他者」 の受難の「記憶と現在」への想像力を持ち難いのではないだろうか?
 
【参考1963年という年】
映画:「にっぽん昆虫記」「武士道残酷物語」「拝啓天皇陛下様」「真田風雲録」
歌謡:「長崎の女」「高校三年生」「美しい十代」「こんにちは赤ちゃん」
事件:吉展ちゃん事件、松川事件全員無罪、大阪地裁吹田事件全員無罪、狭山事件
商品:電機蚊取機ベープ、コーンフレーク、
造語:カワイコちゃん、三ちゃん農業、ピンク映画、OL、
価格:ビール115円、銭湯23円、大卒初任給\19,400、
 
【1963年に30歳前後だった人々】
作詞者:永六輔が、まさに33年生まれなので、歌の主人公をその世代と仮定する。
1963年に30歳前後(1932、33、34年生れ)はこんな人々(現在74~77歳)だ。
32年:岸恵子、船村徹、滝田ゆう、仲代達也、小田実、遠藤実、渡辺美佐子、
33年:江藤淳、岡田茉莉子、渡辺貞夫、南田洋子、永六輔、伊丹十三、
34年:児玉清、財津一郎、大橋巨泉、山田太一、皇后美智子、米倉斉加年、
 
学童疎開②
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
例えば彼らをウィキペディアで引くと、共通体験、頻度最多事件は学童疎開なのだが・・・。
台東区(旧下谷区)生れの永自身も「学童疎開」の体験者だ。

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