【私事-康介家の2月11日異論】
先日、名古屋に住む娘一家と茨城県へ移住した末息子一家を除いた、在阪の二人の息子・その妻・孫たちが集まって「新年会」をすると連絡あり出掛けた。
あれこれ各近況や孫エピソードなどを聞き、呑喰いして、何で今夜?と思いきや、「明日はお二人の結婚記念日ですよね」と来た。そうだったか・・・え~っと、48回目か。
息子の妻が言うには「この人、2月11日はお二人の結婚記念日を国中が祝ってくれているんやでと聞かされ、半信半疑ながら幼な心に本当かも・・・と聞いていたそうですよ」。
確かにそう言ったな・・・。

1971年、ワシは東京で働いていて相方は故郷に戻っていたのだが、各種事情でワシの地元北摂の2月上旬での式会場を探していた。
安い公共施設はことごとく満杯で、仏滅で空いていた2月11日の市民会館の狭い集会室で式をした。
その日程設定とワシらの衣裳(和装)に、教条左翼ガキが「何という日にちに、何たる衣裳で・・・」とイチャモンを付けた。

憚りながら、国体を護持した国家のインチキ神話に由来する建国記念の日も仏滅も、当方には関係ない。また和装が好きなのはワシらの趣味(又は美意識?)だ。放っておいてくれとも思ったが「あぁ、これだから左翼はアカン」と強く想った。彼らはレーニンさんが、ロシア衣裳でロシア帽を被っても何も言わないだろう。
やがて父となり、子らに前述の「冗談」を繰り返し言ったのは確かだ。48年前式当日、司会を引受けてくれたS氏とは今も共に非教条左翼(?)の言動を張っている。
因みに、ワシたちの労組自主経営企業のカレンダーでは、もちろん2月11日も4月29日も休日になっておらず出勤日だった。