ほろ酔い交遊録:カミ・ニルソン大阪滞在記②
9月11日。
デンマーク人:カミ・ニルソン(元イラン人:カームラン・タビビアン)君の
大阪滞在記続編。
市内である集まりがあり、ワシはその会の後カミ君と食事する予定だった。
会が終わり呑み会に参加するに当たり、たまたまその集まりで、難民・国民国家・民族・EU・貧困・外国人労働者・自主管理社会主義などの言葉が出た会だったので、カミ君の同席を申し出たところ了解をもらった。心斎橋から向かったカミ君は、多少迷ったが昔(1990年代)オーバー・ステイ数年のイラン人としてキタもミナミも知る土地勘を活かし程なく到着。(カミ君は、ワシらの労組自主経営企業体で92年から短期1年半バイトをした。長い詳細は先日9月6日投稿済ゆえ割愛)…
デンマークでは「言語」「社会常識」のスクールに通い、政府指定の社会奉仕的作業に就けば生活出来る程度の収入と住居が提供される。4年間続ければ「国籍取得」出来る制度がある。カミ君は、あと数か月後晴れて国籍取得だ。いま、そのスクールはシリア人で溢れているという。
話は大いに盛り上がったが、話が行きつくところは、グローバル新自由主義に対抗し得る、日本の若者や安部政権支持の人びとに届く言葉、
「左翼言辞が生きた言葉として有効だった」時代を体感していない世代に届く言葉、「我らのグローバル」の活きた言葉を探したい、
かつて有効だった「大きな物語」に代わる今届く「我らの物語」を打ち出したいなあ、だった。