「アジール 空堀」10月  『古地図で辿る 真田丸~空堀 スローツアー』

%e7%9c%9f%e7%94%b0%e4%b8%b8%e6%83%b3%e5%83%8f%e5%9b%b3%ef%bc%9220161002「アジール空堀」10月1日(土) 

『古地図で辿る 真田丸~空堀 スローツアー』

 

雨天予報もあったからか多少キャンセルありましたが、当日参加もありガイドの西俣稔氏(「毎日新聞」木曜,『わが町にも歴史あり』連載中)が言うところの「ちょうどいい規模」(14名)の一行となりました。

JR玉造駅北改札集合~砲兵工廠側線跡~旧玉造村(商店街映画館全盛期街並み跡)~三光神社~伝承の真田抜け穴~真田山軍人墓地~真田丸跡~熊野街道~瓦屋:寺島藤右衛門「請地」(徳川拝領地)~瓦屋町「用水路」跡~「ギャロ」 全行程12,000歩かな。1800%e5%b9%b4%e5%a4%a7%e5%9d%82%e5%9c%b0%e5%9b%b3%e3%81%a8%e7%8f%be%e4%bb%a3%e5%9b%b320161002

 

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現代大阪に埋もれた秀吉期~江戸期~明治大正昭和を古地図で辿り、大坂から大阪への変遷、幾重にも折り重なる「戦い」、直近の戦争・・・、西俣さんのガイドは、ときにジョーク(ネタバレになるのでここには記さない)を交えながら、その悲惨と「浪速の民」との対比に貫かれている。「真田丸」は、その大きな物語の一断面ひとコマに過ぎない。脚に難のあるワシに合わせて歩いてもらい、16:30に瓦屋町「ビストロ ギャロ」に着いた。空堀商店街・谷町六丁目・瓦屋町一帯は、偶然にも先の大戦での「空襲」を免れた。現在、町屋がカフェや雑貨店などに再生され、若者や女性で賑わっている。「ギャロ」もその界隈の「瓦屋町」に在るのだ。

 

瓦屋町とは、大坂陣の時、紀州出身の瓦職人「寺島藤右衛門」が大坂城築城に携わり、徳川優勢」の中、城内の情報を徳川に提供、見返りに4万6千坪の土地を拝領し続けた。明治の初めまで大坂中の瓦を生産し続けた。古地図に「瓦屋:寺島藤右衛門請地」とある。

古地図(1800年ころ)によれば(見にくいがよく視ると解かる)、「ビストロ ギャロ」はその「請地」に沿って「畑」と通じる農業用水路(or排水路)の石垣際に立っていたのだ。%e3%80%8c%e3%82%ae%e3%83%a3%e3%83%ad%e3%80%8d%e6%a8%aa-%e6%b0%b4%e8%b7%af

その石垣は、あるいは後年積み替えられたかもしれないが、「水路沿いだったのなら納得」という位置に奇妙に遺っている。もちろん水路は埋められ現在は無い。

今、気付いたのだが、「ギャロ」所在地は瓦の積込み場ではなかっただろうか?重い荷=瓦は即舟積みが好都合。この水路を西へ進むとすぐ横堀川、横堀川を北進すると大動脈:「大川」だ。この☆印の地は現在、瓦屋町1-1-1だ。故あるのだろうか・・・?

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