たそがれ映画談義: 「公」務の原圏・・・『オレンジと太陽』

『オレンジと太陽』

マーガレット(主人公)のような公務員を一人も居なくするのが橋下行政だと思う。

連休中に滞在した名古屋で観るつもりが果たせず、帰京してから神保町の「岩波ホール」で観た。 http://oranges-movie.com/                                                                                                                                     チラシのコピーにこうある。『母と引き離され海を渡った13万人の子供たち。英国最大のスキャンダルといわれる“児童移民“の真実を明らかにし、幾千の家族を結び合わせた 一人の女性の感動の実話。』                                                                                            えっ、13万人も? それが永く闇に埋もれていた? しかも「揺りかごから墓場まで」の社会保障大国、あの大英帝国で?                                                                                                                                                                                                                                                                             何と累計13万人(19世紀から1970年代まで)もの孤児や貧困家庭の幼児をふくむ子どもたちが、題名の「オレンジと太陽」の通り「オレンジがたわわに実り陽光が降り注ぐ」国であると教えられたオーストラリアへ、実の親の承諾も本人の同意もなく、政府の認可を得た慈善団体や教会を窓口機関として、強制移民させられていた。                                                                                                                      主人公:公務員マーガレットは、オーストラリアで成人した女性から英国に居るはずの母を捜してと求められたのをきっかけに、政府が関与する大掛かりな強制移住のシステム総体を解き明かす途に就くこととなる。実際それは、いわば「棄民」であり合法的な「処分」、「棄童」だった。彼女は、捨て置けない「事実」の調査と「棄童」された個人の救済(親を探す。出自を明らかにする。出来れば再会を実現する)に乗り出す。ソーシャルワーカーという言葉は、日本では国家資格「社会福祉士および精神保健福祉士」のことだそうだが、彼女の乗り出しがまさにソーシャルなワークだ。

オーストラリアへ何度も脚を運び調査し、証言を得てゆく。強制移住先のオーストラリアでの実態は、頼る者とて親しかない無力な幼児が耐えるには苛酷過ぎる様相だった。教会や孤児院に収容され、建設、労務、下層労働者として酷使された児童労働、暴力や性的虐待の実体も明らかになって行く。                                                                                                 そもそも人間の子は、生誕からして他の哺乳動物(生れたその日に立つ馬・鹿など)に比べ極めて未熟な状態で生れ出るが(脳が肥大した為、産道を通れる間に生れ出なければならない。からだそうだ)、その後も実に無力で乳幼児期を通して母性の情愛と育児努力に包まれ、はじめて人間になって行く。その過程は、一生を左右するほどの力を持っている。そこに欠落や不具合があった場合、人は多くの場合、個人の知恵と努力、社会の援護で克服して来た。が、修復や再構成に至らない例も多くあるところだ。母子の関係は公的なのだ。私的個的であって、その「私」性「個」性を保障する関係性総体が「公」的なのだ。                                                                                                                               オーストラリアの教会や孤児院で成長し、英国から来た日の記憶がある、そうだあの埠頭・・・、母国に母がいるかも知れない。                                                                                                                                                                                      私の母は? 私は誰? そう訴える人々・・・。その心情に触れて心を揺さぶられない観客は居るまい。                                                                                                                                                                                マーガレットの奮闘が始まる。公務員の努力の真髄とはこういうことだよ橋下さん、と、怒りでワナワナとなった。「公」的な努力や、「公」的な意義や意味と言うものは 元々数値化には馴染まないものたちだろうが。                                                                                      

三つのことが頭の中をクルクル巡って、神保町から水道橋へ歩いた。昔(1972)水道橋に事務所を置く会社に勤務していた時、よく食った「天丼屋」に向かった。その店はまだあって、追加トッピングに「きす」を頼んで、当時と同じことをしてみた。 当時と変わらず美味かった。                                                                                                                                               (一)                                                                                                                                                                                                      マーガレット像は、チラシの「***を実現させた一人の女性」から連想される「不屈の女」などではなく、調査対象者の押し寄せる苛酷な過去・心情・心傷に同化して、で我が身がいっぱいいっぱいになってしまうタイプ。泣いたり・めげたりもする。ちょっと特筆しておきたいのが、マーガレットの夫(マーヴ)氏のことだ。凹むマーガレットには、彼女をいつも支える夫が居る。夫は我が事として援護する。仕事柄の係わりなのかもしれないが、保健省との資料公開請求の交渉にも同席して抗議する。彼女の長期オーストラリア行きの間の家事などもこなす。一方が集中して取組んでいる意味ある事柄には他方が援護・助力する・・・。 互いにこの夫婦のようでありたいと希って来たが、どうもねぇ・・・まぁ落第ですが。  この夫婦、好きですなぁ。                                                                                                                                                                        (二)                                                                                                                                                        マーガレットがジックリと腰を据えて調査する必要から、仕事のシフト変更依頼を恐る恐る申し出る場面で、仏頂面の上司が特段の配慮を示すのだが、その場面の上司、良かったね。働いて来た時間の中で、ときにこういう人に出遭ったね。こうした善意と気配りをする人は無愛想だよね。当方、久しく出会ってないが、現場仕事では職人さんから「暖かいもの」をしばしばいただいている。世の職場にはもう無いのかな。大工場の労働組合に、ぼくが現場で職人さんから貰っているものが生きているのだろうか?                                                                                                                                            ここでの本旨は、マーガレットの要請以上の時間と立場を保障する、ことの重大性に気付いた行政当局の対応だ。行政は効率と数値化じゃないんです橋下君。業績を数値化する、損益を企業的にはじき出す、教師は生徒の学業成績の昇降で評価する・・・、そうか? そうなのか?                                                                                                                                     たとえば教師が、マーガレットが直面した難題の 100分の一の課題(例えば超問題家庭)に取組めば(そりゃ、取組むのが本来の「公」務員だろうけど)、時間と体力と精神力を奪われ橋下が言う「成果数値」が下落するのは目に見えているかもしれない。 ハシズム、クソ喰らえ!                                                                                                                                                                                                                                                                                             (三)                                                                                                                                                                       我が母のことを思っていた。乳幼児期を乳母の許で過ごし、三歳児で実家に戻り、実母になつかず実家に馴染まず、結果母子は互いに不幸な関係を続けた。母は現在満92歳で、特養施設に入居している。さすがに体力的には年相応の状態だが、頭脳明晰にして口達者。乳児期の母に対し、溢れる母性を発揮し(実子を喪った直後だった)、我が子のように慈しんで接してくれた乳母、その乳母の記憶が大正・昭和・平成を生きた母の「自分史」の核であり、出発地であり到着地だ。 『八日目の蝉』とこの度の『オレンジと太陽』で母のことを強く思い返した。                                                                                                                                                           http://www.yasumaroh.com/?p=8236

私は誰? そう問う天与の権利が、人間というもの全てに等しく具わっているのだ。                                                                                          どのような権力であれ、団体であれ、それを否定することは出来ない。                                                                    

なお、この映画の撮影中、2009年11月にオーストラリア政府が、2010年2月に英国首相が、初めて公式謝罪を行なったそうです。

 

 

Leave a Reply

Search