通信録: ある市長選(4月8日投開票)結果報告
ある市長選:結果 大左翼よ出でよ
先日、選挙戦のさ中にコメントした関係もあるので、一応4月8日の投票結果について書くしかない。 ハシズム派市議:32,000、前々回善戦の女性市議:24,000、左翼政党(共産党ではありません)市議:12,000、という「統一候補ならハシズムを阻止できた」という考え込む結果だった これをどう読むかは、 現在の橋ズムの威力・根深さをどう観るか?という、相手の過不足ない評価。 だから、反ファシズム陣形の軸をどこに置くのかという歴史の教訓も汲み取っての、社会科学的思想的の評価。 いわゆる「社会主義勢力」(とその思想)も、自称「市民派」の女性議員も、21世紀社会への「有効性」や「自立」への真摯な自己評価。 などに関わり、極めて今日的な根本思想を問われる命題です。 だから、ぼくには、いまここで明言するだけの「智恵」も「思想」も「覚悟」もない。 ただ、開票翌日の当選者のニュース画像には
『「維新」の風やまず 大阪・茨木市長選で維新副支部長が初当選』との解説コピーが付いていた。 その風が、過去のタレント候補ブームや**ブーム等の一過性とは違い、21世紀初頭のグローバリズム下の不況・雇用不安・中低所得勤労者層の社会的解体過程での『21世紀型ファシズム』の相貌をして吹き荒れているとの受け止めをするぼくには、ハシズム派連戦連勝の阻止が何よりも重要と思えた。侮れない、芽はどんどん育っているぞ・・・と思っている。 読売のあの独裁的「主筆」氏さえ「ナチス・ヒットラー登場に酷似している」と論評している。( http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120411/stt12041103150003-n1.htm )
20世紀の人民戦線が、ファシズム荒れ狂う1930年代のスペインやフランスで試行錯誤を繰り返した歴史をチラリと知ってはいる。だが、その時代、ナチスなどファシズムの脅威が目の前に在り、労働者・市民は社会主義革命への「信頼」(「信仰」と書きかけて訂正した)を棄ててはいなかった。 1932年、アンドレ・ジッド、ロマン・ロラン、アンドレ・マルローらの呼びかけによるアムステルダム国際反戦大会からの国際反戦潮流の流れの中、34年2月ドイツでのナチス政権掌握を経て、34年4月フランスで社+共+急進社会党によるレオン・ブルム政権=人民戦線政府が、選挙での圧勝を得て成立した。 が、人民戦線という呼称そのものが、マルクス・レーニン主義からする「社会主義革命に向けて」「何が有効なのか」という、戦術論に基づいたネイミング(ブルガリア、ディミトロフ氏)であり、当時の社会主義の総本家たるソ連(スターリン)は、20年代~30年頃の『社会ファシズム論』(社会民主主義はファシズムの双生児であり、ファシズムに優先して打倒すべき対象)(社民主敵論)の凄惨な実践から、ナチス政権誕生後の「人民戦線推進」へと大きくブレている。 いずれにせよ、社会主義革命を思考のてっぺんに据えて、そこに向けて何が有効なのかというマルクス主義者の戦術ではなく、現に日々進行する橋ズムを阻止する陣形、その21世紀的な思想的拠点を提示する言葉・行動・思考こそが求められているのだと思う。 そもそも反ファシズムの思想的拠点そのものは、マルクス・レーニン主義の20世紀型教条とは、多くの要素で相容れないとも、ぼくは考えて来た。言論・出版・放送・表現・結社の自立・自尊、議会の尊重と複数政党主義、政権から自立した労働運動・市民運動、他、・・・・ファシズムに抗う者が求める思考・思想・構え、その核心に対して、最もその対極に立ったのは、もちろんファシズムであるが、 もう一方で他ならぬ権力奪取以降の社会主義国を含む マルクス・レーニン主義の20世紀型教条だったことなんぞ知らないよと、ぼくは、決して言いたくはない。
ある友人がこう言っている。 『その女性市議が後から手を挙げた以上、君らが彼女を支持するなら、そのスタンスは実はこうだ。左翼政党市議とその選挙母体に、 「橋ズムに勝つために候補を一本化すべし。そして勝つ可能性は女性市議にある。立候補を取り下げるべし」と言えるのかどうか? なのだ。 そう言い切れる人物や勢力を身内や周辺に持っているかどうかが、21世紀大左翼の条件やで』 と。 う~ん、難しい。