連載 32: 『じねん 傘寿の祭り』  三、 タルト (10)

三、タルト ⑩

「<しののめ>のママに言っといて、長生きして下さいって。この結末を見ずして逝っちゃうんじゃないわよ、って。」                                                                                                黒川と永く暮して来たんです。今はどうすればいいか、どういう風にしかできないかは、私が一番知ってますヨ。元女房に任せて。永い闘いになるだろうなと思ってます。仕方ありません。                                                                                                         闘い? そうか、美枝子は闘っているのか。美枝子と黒川が、二人手を携えて「明日に向かって」発ったのは、七七年だった。裕一郎・高志たちの職場バリケード占拠闘争の開始も同じ七七年だった。                                                                                                                        闘いという言葉の響きを遠くに聞いている己の今を思った。美枝子が百貨店勤務の悪戦の中でも手放さず抱えていたもの、父親から「出て行ってくれ」と言われるほどの行動へと衝き動かしたものを想った。                                              

裕一郎は、座って首まで浸かるにはやや深い湯舟に中腰で立ち、結局は核心部分を何も聞き出せなかったなぁと考えながら深呼吸した。黒川にとって、何故沖縄なのか? 「さあ、好きなんでしょ」や「女の匂い」では解らない。これ以上のユウくんの件での質問は詰問となるだろう。どうして、それでもユウくんを連れ出す強引に挑まなかったのか? 黒川とユウくん二人の日常生活は成り立つのか?                                                                                                                                     冷たい水滴が、歌詞のような「天井からポタリと背中に」ではなく、頭に落ちて来る。常連の観光客か近隣の馴染み客か、数人の初老の男たちがここでの作法を示すように、腹から上を湯から出して湯舟内の隅の段に座り、ひそひそ声でもなく大声でもなく談笑している。その場の空気が大きくゆっくり呼吸を繰り返して、湯・浴室・休憩室・建物、その全てに溶け込んで行くのだと思え心地よかった。緩やかで掴み所がなくとも解き放たれていて遠慮は無い、それが湯という場の本来の姿であり役割だ。                                                                                  休憩室に戻って寛ぐと、さっき仕事へ戻る時間を気にした美枝子が、椅子から立ちそうになりながら留まって語った場面を静かに思い出せた。                                                                                                                                                                     「だから今は、黒川が何を吹聴しても、世間様からひろしを棄てた母親だと言われてもいいんです。その方がひろしが救われます。ひろしにはハハは松山の旅館を手伝わなきゃならないと言いました。私はやがていつか、必ずひろしを引き取ります。私には今、それを強行する力もないし、それをすれば、心臓に爆弾抱えている黒川は死にますよ。だから、それ、出来ませんの」                                                                                                                     「じゃ、もう時間ですから」と立ち上がって、美枝子は席に言葉を残して行った。「選び棄てる」・・・。                                                                                         「ひろしに選択させるのは忍びないと思ったのよ。選択というのはどちらかを選び取ることではなく、どちらかを選び棄てることですもん。」                                                                                                                                                

                                                                                                                                              

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