連載 27: 『じねん 傘寿の祭り』  三、 タルト (5)

三、タルト ⑤

「与謝野晶子。熱き血潮。黒川は私の血潮に触れたのよ。そう思わされてしまったのよ」                                                                                                                                                                              「ご馳走様。で、黒川さんは道を説いたということですか・・・」                                                                                                          「違うのよ。黒川は、クリスチャン鉄幹とは違うわよ。いい夢を見させて貰ったって言ってるの。あなた、大の大人に、それも憎からず想っている男に『全てを棄ててでも君が欲しい』なんて言われてごらんなさい、女はアウトよ。死ぬの生きるのと、週に一回博多から松山へやって来て必死のパフォーマンスするんだもの。女はみんな、きっとそういう場面を待ってるのよ」                                                                                                                                                                      「博多の家庭は?」                                                                                                                                       「それよ。ふた月後、黒川は言葉通り家庭を棄てた。私は母と叔父に懇々と説教され、ずっと臥せっていた父が、最後に私を睨みつけて小さな声で『出て行ってくれ』って言って、二百万ある私名義の貯金通帳をくれた。何しろ、父に会わせてくれと表で声を張り上げ、三日三晩、家の前に立ってるのよ。恥ずかしくて、顔を上げて道を歩くことも出来やしない。・・・。信じられる?」                                                                                                                                                                  「ドラマみたいですね」                                                                                   「世のドラマたちに悪いでしょ」                                                           

美枝子は、面白おかしく語る口調の向こう側で、結果的に、たぶん正直に白状しているのだ。                                                                                                                   浪速大の彼は裕一郎の記憶に照らすまでもなくリーダーなどではなく、闘争学生ファンのお嬢さんが引っかかりそうなまがいものだということ。客観的には彼に棄てられたのだという事実と失意。そこから出られなかった日々の空虚。黒川の家庭を壊し己の両親と叔父の善意を踏みにじった悔恨。その上で、それでも私は黒川との道を選び取ったのだ、と。                                                                                                                                                                                             裕一郎には、当時の美枝子の自称「血潮」を哂う気など全くない。                                                                                                美枝子さん、貴女の百貨店勤務での悪戦、それを支えた未熟で危うい「血潮」。それと無関係に生きた者たちに、決して哂わせはしない。                                                                                                    

美枝子は何度も「全共闘」と口にしたが、当時吸った空気から育んだ彼女流「血潮」こそが、全共闘から浴びた毒気が遺した「成果」なのだとしたら、そして「もっと、違う何かがあるはずだ」という底なしの欲求なのだとしたら、欲求が充たされ手にするはずの「至福のひと時」への渇望だとしたら、それは糾されなければならない。                                                                                                                        たぶんおそらく、同じ空気を吸った誰もが、どの時点でかその空疎に気付き生き直して来たはずだ。美枝子も黒川との生活で、その受け取るしかない「厖大な請求書」を目の前にしたことだろう。                                                                                                                                                                                                                   裕一郎は想う。「大言壮語」はさすがに恥ずかしく、「夢想小僧」が何かを実現することなどないと知って自重してはいても、「気付き」「生き直す」術を掴めず生きる今日の己は、間違いなく当時の黒川だと。美枝子が百貨店勤務の八年の日常と、業務やプライベートの人間関係によっても揺るがないものを持ち続けたのなら、そしてそれが「あの時代」の空気にその因があるとしたら、美枝子は時代の負の部分を見落として来たのだろうか? いや、見たいものだけを見てきたのだろう。今、去った男の「まがいもの」ぶりよりも、その「いい男」ぶりを言い募るように・・・。                                                         自分もまた同じではないのか? とそう裕一郎は想う。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

                                           

                                                                                      

                                         

                                                                                                                             

                                                                                                             それは、美枝子が浪速大学で見かけたという一場面に象徴される「時代」への、関わりの度合いの濃淡を超えて「良きもの」だけを抱いていたいという甘い郷愁であり、儚い願望なのだ。だが、例えばある友は、あの時代の極北をたぶん見、「良きもの」と「その逆のもの」、その両方を己が人生に刻むスタイルを築こうとして来たと想う。自分には出来なかった。なら、見届けることなく去った者、刻むことなく棲息する者であるという意味において、裕一郎と美枝子、二人は同類なのか。そこから出られないことそのことが、同類者が受けるべき「罰」なのか。                                                                                                                                                                 当時、美枝子より二十歳年長だった黒川は、五十にして「大言壮語」ならぬ「大言恋愛」を敢行し、父母と叔父からキャリア娘を奪い、家庭を棄て「明日に向かって撃」ったのだ。そして、今日なお「厖大な請求書」など知らぬとばかりに、受取を拒否し続けている。それは、ひとつの奇跡の作品だ。                                

☆画像。左:69年浪速大学、マイクを握る高志。  右:新宿駅西口地下広場、いわゆるフォークゲリラ。                                                                                     

                                                                                                               

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