交遊録 労働相談
友人が「労働問題」でワシに相談を持ってきた。
ワシの労組時代は1975~1998年で終わっているし、後半は所属労組(設立時55名)が会社の偽装破産に抗して闘った職場バリケード占拠闘争(1977年から5年間)のその渦中に採用した労組自主管理経営企業の代表取締役(何と頼りない)だったので適任とは言えないぞ、と断った。
が、同年代の高齢者悲哀の理不尽事情、我がことと思い話を聴いた。
けれども、上記労組時代と経営を我が非力による「破産」(1998年)で終えて以降は、同業企業に拾われ外食全国チェーンの施工や、同什器家具の中国生産で月一は上海出張(4年間)や、沖縄の友人事業のヘルプや、某社東京単身赴任(2006~2016年、末期は殆んど大阪滞在)など、まぁ生きることで筒一杯だった。
が、信頼する旧友Y 君に連絡を取り、彼の紹介で相談者に同行して画像の某ユニオンの事務所を訪ねた。…
かつてのワシのような、カッカして性急で攻撃的な人物ではない、冷静なゆっくり話を聴くタイプの相談窓口のM氏が対応してくれた。
相談者の友人の氏名も案件の相談内容も、M氏のサジェスチョンや対策もここでは書けないが、いずれ形が定まれば了解を得て書くかもしれない。いま、言いたいのは別のことだ。
友人とM氏の会話を聞いていたワシは、労働運動が言いたい根本を何度も反芻していた。
労働者主権・職場の人権・産業民主主義・・・・・。そうだった、現象的な激烈さや無かったとは言えないワシら自身の過信、政治的下心の有無によらず存在した外部の「おだて」に勘違いした日々もあったが、目指したものは至ってシンプル、「労働組合を認めよ」「組合を企業運営の一方の主人公と認めよ」その攻防だった。暴力装置まで動員して組合破壊を試み、それに失敗した会社は「これで終わりだろ!」と会社そのものを破産させた(1977年)。
おっとどっこい、そうはいかんぞとばかりに、ワシらの労組の職場バリケード占拠(5年間)~労組自主管理経営が始まった(当初14名でスタート)。まぁ、毎月の金策に追われ続けた零細企業のオヤジを体験させてもらった次第。そのドタバタ劇を書けば、言い訳・泣き言・武勇伝(?)となるので割愛する。
先日、「労働組合つぶしの大弾圧を許さない12・8集会(関生反弾圧集会)」に参加して、しきりに遠くて遠くはない日々を振り返ったことです。ワシらが気楽に職場占拠できた時代と違い、財界・政権は「共謀罪」的破壊攻撃で臨んでいる。許してはならないと思う!
*画像は、先日12月8日の「関生反弾圧集会」。友人に同行した事務所。
ワシらの闘いの端緒となった1976年「ヨネミヤ58日間闘争」の新聞記事
その記録冊子『踏破』表紙。