交遊録 もうひとつの明治への・・・
1月26日、某会の世話役会があり、その前段で仲尾宏先生のお話『明治維新とは何であったのか』を聴講した。
明治初年前後に中江兆民が想い描いた「国家像」と、 江戸から明治への移行期の社会・指導者/民衆の精神風景、明治初年の論客や政治家が抱えていた国家観・世界観・人権観・他国観・近代化方法観などとのズレを聴いた。
「大政奉還」から「武力討幕」、「王政復古」→「神裁政治」→「廃藩置県」→「藩閥政府」の混迷を経て、文明開化/脱亜入欧/殖産興業/富国強兵のスローガンの下、欧米に伍すを目指し拡張覇権路線からアジア侵略へ向かった明治国家の力学・・・・。
明治日本が方向を決定し、その後肥大し続け「外に侵略・内に人民抑圧の体制」=「帝国」の道を走り続けた日本は、その瓦解時1945年以後において「国体護持」と「擬制民主主義」を柱とする戦後国家を続け、2019年を迎えている。この約150年の原初の起点時期に「もうひとつの明治」の萌芽はあり得たか?
江戸末期~明治初年の論客・知識人・政治家はワシらが知る通りの実歴史の明治を選択した。そこがボタンの掛け違いの始まりではある。…
が、欧米の植民地となることへの恐怖・アジアの現状・遅れた工業化・労働者市民社会の未成熟など様々な条件下、彼らも市民社会も違う明治を構想・提示出来なかった(そりゃ一部には在ったのだが)。
先日『憲法9条・国民投票』という討論記録(自民改憲案支持・石破案支持・いわゆる護憲派・護憲的改憲派など14名の討論)の映画を観た。製作者から上映会をしては?と勧められてもいる。
「国民投票」を前提にした映画ではなく、憲法を考えることとは畢竟「国のカタチをどうするのか?」を巡る考察だ、と思い至る記録画像だ。
仲尾先生のお話を聴いて、この映画の上映会をもしするなら、江戸末期~明治初年の論客・知識人・政治家・いわゆる明治の元勲や渡航調査して近代立国へ急いだ面々の立脚点の「市民不在」「アジア強奪性」を見つめ、「アジア侵略始動」に「欧米と変わらぬではないか」と異を唱えた人々の気概と慧眼に想いを馳せつつ、9条論議・安倍懐憲阻止・憲法論議は明治初年と同じく『国のカタチをどうするのか?』を巡る課題だと考え取り組みたい、と考えた。
詐欺的手法であれ、現行憲法は安保法制を許したと指摘する声に「9条守れ」を超える立場を模索したい。