駄エッセイ:『年をとる・・・。それは己が青春を 歳月のなかで組織することだ』
『年をとる・・・。それは己が青春を 歳月のなかで組織することだ』
(ポール・エリュアール)。
この春3月、遠方へ転居した三男(高校教員)の荷造り最終日に、何の役にも立たないがまぁ様子を見に行ったワシ。ジジイが3人の孫娘と「お別れ」したのだった。
その際「不要品」シールを貼ったダンボール数箱の中に「本」と書かれた比較的軽いものを見つけた女房が、「これシャプラニールに送るから貰うで」と持ち帰った。…
送り先はバングラデシュの貧農やストリートチルドレン支援のNGO団体で、女房は30年以上そこに関わっている。本を送って「ブックオフ」へ、その収入がカンパという仕組みで、数年前にも送ったが、その時は7千円になったとか。
で、6月地震騒ぎで本棚が倒れ本が散乱した時、同じく送るべくダンボールに詰めた。その時、息子宅から持ち帰った分を一緒に詰めようと箱を開けた。
中に、90年代に大学入学した息子にハズミで渡した本(1988年、講談社「学生時代に何を学ぶべきか」)もあった。それは、画像にある通り錚々たるメンバーによる、本のタイトル通りの珠玉の言葉群だ。それを「取戻し」た(?)訳だ。
中身はパラパラ見ただけなのだが、それに惹かれて購入した背表紙にはこうあった。
『年をとる・・・。それは己が青春を 歳月のなかで組織することだ』
(ポール・エリュアール)。
地震後に送った箱がいくらになったかは聞いていない。
小田実が書いている。
「スクール」の語源はギリシャ語で「ヒマ」という意味である、時間がたっぷりあって、「考える」作業を行なう場所が「学校」だ。 と・・・。
奴は読んだのか?読んでいないのか? ワシが、背表紙しか見てないように、30代後半になった奴も読んでいないような気がする。お互い、学生期もその後もバカだった。
で、今、ワシが読んでいる(笑)。
「己が青春を 歳月のなかで組織する」というのは難しいことだなぁ。
誰だって、錯誤に塗れた稚拙で傲慢な「青春」は恥と悔いの坩堝だ。けれども、同世代・近似世界を生きた者の多くは、他者の識域の剽窃・他者の実体験の僭称・かつて掴み損ねた実感の後追い獲得などを排し、それぞれに自分の言葉を探し、借りるのではなく、掴み損ねたのならその理由と中身を、「今」の自身の実感に照らして掴もうとしている。彼らは、確たる指針を出してくれる「人」「組織」「団体」に委任したり、その提起に従ってそれこそツアーのように「内」と「外」へホイホイ「出かける」愚から離陸して来たはずだ。「出かける」なら自身の脚と気で行なうと決めている。
「内在的自発性」と「歳月のなかで組織する」を共有できるとき、それが友かもしれない。
彼らは、属性で人を括るレッテル貼り人間観や「成果主義」「効率論」とは隔たった場に居たいと思っているのだ。だが、お前の、そうではない者への過剰な嫌悪があるとしたら、それは対象に自身を観るからではないのか? と知人に言われた。 対象の言動に、自身の空疎な歳月を埋め合わす虚構の言動を観て嫌悪する・・・、ある種の近親憎悪じゃあないのか? と・・・。カラッポなワシ。アチャ~!