たそがれ映画談議:クロサワとミフネ

11月9日(木)、BS朝日の「ザ・ドキュメンタリー」
『黒澤明☓三船敏郎!! 未公開音声が語る2人の真実』を観ました。

65年『赤ひげ』が黒澤・三船のコンビ最後の作品だった。
黒澤は68年『トラ・トラ・トラ!』でハリウッド方式と衝突し事実上解任され、69年初めてのカラー映画『どですかでん』で復権を期すが、興業成績奮わず作品への評価も厳しいものだった。「世界の」クロサワが自傷事件(報道では28ヶ所自傷の自殺未遂)を起こしたのは71年だった。「もう終わりかな?」と誰もが思ったが、黒澤は再起する。ソ連での映画作りだ。
当時世間は、黒澤・三船不仲説を振り撒いていたが、三船は自社スタジオも持つ自身の三船プロの責任者として多数の社員を抱える経営者、映画・TVをこなし八面六臂の孤軍奮闘。黒澤がソ連で制作した『デルス・ウザーラ』(75年)にも出たいと願いながら実際その時間もない状態だったと番組は語る。75年ソ連極北東の撮影現場に黒澤を訪ねる三船の姿があった。
黒澤その後の、80年『影武者』85年『乱』90年『夢』の評価・好嫌は様々だ。

97年12月の三船の葬儀に、体調不調で列席出来なかった黒澤が送った直筆弔辞は、息子黒澤久雄によって代読された。翌98年、追うように黒澤は逝く。
二人の信頼と信義は濃く深い。

 

Leave a Reply

Search