たそがれ映画談議:『愛を綴る女』

23日(月)から月一度の東京詣に来ている。
今日(25日)業務が半端な時間に終わったので、品川への帰宅途中にある映画館へ。ヒューマントラスト シネマ有楽町。
作品『愛を綴る女』。望外の収穫だった。
監督:ニコール・ガルシア(女性) 主演:マリオン・コティヤール。
作品の出来映えを評価する力はないが、ワシには響いたのだ。
原作とは時代など変えてあるそうだが、フランスがヴェトナムやアルジェリアに介入していた1950年代半ば。
南仏プロヴァンスに家族と共に住むひとりの女性の、女・家・親・結婚・男・夫・愛・自由・死 を巡る根っこの不安と自立を、数奇なストーリーで描いてみせた。50年代という戦後間もない時代空間、戦後ではあってもなお他国に武力介入していたフランス。登場男性に戦前にスペイン市民戦争から越境して来た者、ヴェトナム帰還兵などが配置されているのも頷ける。家庭や社会の建前戦後社会なのに深いところで前時代封建、という屈折に敏感な主人公の、存在の「ねじれ」や「違和」と 彼女が想い描く「愛」との非和解的相克は「病」として表出されるしかない。主人公は、彼女にとっての「愛」を求めて彷徨する。
隣国のかつての内戦、戦後の植民地、それらが人々の生の在処にかかわりをもって重低音で聞こえて来る。内戦から生と死を超え脱出した者の「愛」の在り方に涙した。 『君に、生きて欲しくて…』

ワシらの戦後日本は、近隣国への過去の植民地支配に、隣国の内戦の地獄からの脱出者の身近なはずの生と死に、どのような音を聴いているだろう。それを聴くことは、「愛」のカタチや密度と無関係だろうか?
愛は徹底して個人的なのであり、そして逃れようもなく社会的なのだ!

コール・ガルシア(女性) 主演:マリオン・コティヤール。
作品の出来映えを評価する力はないが、ワシには響いたのだ。
原作とは時代など変えてあるそうだが、フランスがヴェトナムやアルジェリアに介入していた1950年代半ば。
南仏プロヴァンスに家族と共に住むひとりの女性の、女・家・親・結婚・男・夫・愛・自由・死 を巡る根っこの不安と自立を、数奇なストーリーで描いてみせた。50年代という戦後間もない時代空間、戦後ではあってもなお他国に武力介入していたフランス。登場男性に戦前にスペイン市民戦争から越境して来た者、ヴェトナム帰還兵などが配置されているのも頷ける。家庭や社会の建前戦後社会なのに深いところで前時代封建、という屈折に敏感な主人公の、存在の「ねじれ」や「違和」と 彼女が想い描く「愛」との非和解的相克は「病」として表出されるしかない。主人公は、彼女にとっての「愛」を求めて彷徨する。
隣国のかつての内戦、戦後の植民地、それらが人々の生の在処にかかわりをもって重低音で聞こえて来る。内戦から生と死を超え脱出した者の「愛」の在り方に涙した。 『君に、生きて欲しくて…』

ワシらの戦後日本は、近隣国への過去の植民地支配に、隣国の内戦の地獄からの脱出者の身近なはずの生と死に、どのような音を聴いているだろう。それを聴くことは、「愛」のカタチや密度と無関係だろうか?
愛は徹底して個人的なのであり、そして逃れようもなく社会的なのだ!

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