「アジール 空堀」 12月15日 『高野陽子 アイルランド&ウチナー ライブ』

12月15日(木)18:00~
『高野陽子 アイルランド&ウチナー ライブ』満席盛況・ご好評を得て、無事終了。

有名な「サリーガーデン」「シューラルーン」などのアイルランド民謡の旋律と響き・高野さんの声質に魅了されました。発声法には全く知識が無いのですが、ナチュラルで飾らない独特の発声だな~と感じます。そして、それは続いての、旋律・リズムの全く違う沖縄の恋歌・哀歌に言い表せない不思議な力で受け継がれ、「てぃんさぐぬ花」「安里屋ユンタ」「十九の春」の高野流歌唱には、全く違和感は無い。
食事後、アイルランド訪問記、スペイン・サンディアゴ巡礼記(その一部100㎞を走破なさったそうだ)のスライド上映とトークは素晴らしく、参加者の多くが「行ってみたい」と呟いていました。
セカンド・ステージでは、会場のリクエストから「スカボロフェア」「花」などもあり、満足の集いでした。

話は飛びますが、オスプレイの墜落事故などの暴虐を見るにつけ、アイデンティティ・排他的なナショナリズムでなはい「自己決定権への想い」が、グローバリズムに対抗できる大きな根拠地ではないか?と思うのです。そう思わせてくれたライブでした。%e9%ab%98%e9%87%8e%e9%99%bd%e5%ad%90%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%96%ef%bc%92

アイルランド、スコットランド、カタルーニャ、バスクなどのヨーロッパの独立運動、太平洋ではグアム、パラオ、ツバル、ニューカレドニアなどの独立や独立運動、その文脈から台湾先住民族・沖縄(琉球)や東アジアを見るとき、そこに生まれ永い民族の歴史と文化に育ち、住み暮らす者の「第一義」的大義が、いわゆる「プロレタリア国際主義」や「革命」にあるのではなく、それは「結果」なのだと思えるのだ。現地からの発言が「独立」「自己決定権確立」に終始するかに見えるのは、先進国・宗主国に生きる者の思考・信条・感性に欠落(個人の責任ではなく、文字通り《意識は状況によって決定される》というドグマの通りに)している視座ゆえかもしれない。

逆に、被支配少数者、独立・自己決定権確立を希う者は問うだろう、「では聞く!貴方の社会変革論の、あるいは左翼政党の、どの頁に、我らの《自己決定権確立》が主要なテエマとして記載されていると言うのだ?」と。それは、すぐれて当事者たる我らの課題だ。「イデオロギーよりもアイデンティティ」と言うのは、まさにそこなのだ、と。革命によって変革されることは全体の「部分」なのだ、と。ニワトリが先か?玉子が先か?、ではなく、元々ニワトリ・玉子の体系・文脈では及ばない人間社会に巣食う「業」なのだ、と。

 

Leave a Reply

Search