交友録: 趙博ライブ 荒川土手にて
12月1日(木)
東京短期出張の用件が午後早い時刻に終われば本日中に帰阪する積りだった。夜遅くなるなら、当然事務所兼社宅にもう一泊で帰阪は明日2日。
その中間、夕刻17:00前に終わった。どうするか迷ったが、パギのFB記事を思い出した。
「突然ですが」との前口上のある、12月1日のライブ案内だ。会場は、記憶ではそして直感では、朝鮮にゆかりの名「ほうせんか」だった。植民地時代、日本への抵抗歌として、朝鮮の人々に歌われ続けてきた歌と同じ名だ。場合によっては、ライブに参加して明日帰ろうか・・・。気になってスマホでそのFB記事を開いた。
会場は京成線八広駅近くの『ほうせんかの家』とある。ネットで調べてみた。…
『関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会』とある。住所で地図を検索すると聞き覚えのある「四つ木橋」が在り、荒川河川敷は近くだ。川を往来するには橋を渡らねばならない。橋の両端に「関所」を設け朝鮮人を炙り出したと聞いたことがある。
瞬時に行こうと思い起ち、開場の18:30を目指した。
会場は狭い旧居酒屋を改装した、追悼碑建設運動の拠点だったようだ。隣の敷地にその追悼碑があった。壁面や書棚には、「虐殺」の資料がある。古い遺骨発掘の写真がある。東京各地に組織された「自警団」の画像がある。
聞けば、地域の人々は父母・祖父母・近隣から聞き事態をよく知っているという。これまでのところ、追悼碑建設に妨害や襲撃はなかったそうだ。
近年の各種ヘイトクライム、排外主義や国家主義の蔓延、政府や某知事の暴言、架空の敵を作り出し人々の「悪意」「邪心」「劣情」を戦争に向けて組織する深い闇。払い除けたい。
ここでの趙博ライブに来てよかったと想いつつ、先程事務所に戻った。
1923年の当の現場で聴くある「重量」と、2016年日本全国を現場予備地へと向かわせようとする「悪意」とが、重なって迫って来る。抗いたい。
趙博がライブのトークで言ってたけど、今日の韓国のあの街頭デモに馳せ参じる若者、それを含め、3.1独立運動、済州4・3、朴正熙クーデター前の4月革命、光州蜂起、などが「公的記憶」として各家庭内で語り継がれているに違いないと。ほぼ30年に一度の民衆決起には、代を継いだ「民主主義」の家庭内継承があるのではないか? 父がどうだった、祖父はこうだった、叔父がこないした…などなど。 日本はどうか? 2.1ゼネスト不発、60年安保闘争、60年代末の学生反乱・・・・継いでいるか? 一回性、やって終わりじゃないのか?と。 日本人は次代に語り継ぐどんな「公的記憶」を持っているのか?と。総懺悔や所得倍増やバブルとその崩壊じゃないのかね?と。 耳痛いのぉ~。