交遊通信録: 9月19日 靭公園~なんばデモを回避して生駒へ

足腰不調で靭公園を回避して、生駒へ来てよかったぁ~。
千夏さん、パギやん、ご準備のみなさん、ありがとうございます。
1989年、居住某市に千夏さんに来て頂いたのですが、当時と変わらぬ彼女の迫力に会えました。持参した当時の画像をご覧いただくと「憶えてるぅ~」。マネージャー鈴木さんは、ワシのニックネームまで憶えておられてビックリ。いや~、27年前です。

添付画像にあるように、「しごと・くらし・地域を結ぶネットワーク」という構想を抱えて、労働運動・生活者課題・地域コミュニティ・・・、ユニオンの組織形態そのものを、再構築しよう・それぞれ別個に在る運動領域を「ぐるみ」で連帯できないか?という試みのスタート時期でした。ユニオン運動草分けのY氏や、今は亡きWさんが寝食を惜しまず奮闘されていた。1989%e5%b9%b4%e5%8d%83%e5%a4%8f
そのユニオンと居住某市の市民運動「民主教育を育てる市民会議」・女性・地区労・市労連・教組などがいっしょになって取組んだ集いに千夏さんをお呼びしたのでした。「ぐるみ」は政治的側面での統一戦線だけではどないもならんという直感だったでしょうか?
ワシらの構えに千夏さんが「意気に感ず」と応じてくれての来阪でした。

本日のお話に、27年前と変わらぬ熱情を聴きました。

「私はばばあになりたいの、三浦雄一郎や加山雄三になりたくないの。だから薬ものみたくないし、どこか痛くなったらまたお願いってお医者に言ってる』
ありがとうございます、同年生まれの千夏さん。自らを「ババア」と称されましたが、ワシはその「ジジイ」を目指したい。

「めだかの学校」を準備した、当時30~40代だった女性たちも、千夏さんが言った「ババア」として今も活躍しているだろう、きっと・どこかで。%e3%82%81%e3%81%a0%e3%81%8b%e3%81%ae%e5%ad%a6%e6%a0%a1

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