駄エッセイ: 池田浩士氏 ある冊子に見る若き日の想い

池田浩士講演FB先日、池田浩士さんの講演会『ファシズムとボランティア ―自発性から総動員へ』に参加して、FBにチョコっと投稿した際、女房が奥さんの妹さんの高校時代の友人で、女房は池田さんのファンだと書いて、女房に「恥ずかしくカッコ悪いことを書くな!」と叱られた。

 

カッコ悪いついでに、女房が「お宝」だと秘蔵(?)していた「ある冊子」を家探しした。

押入れの、子らに配るはずがそのままになっている幼児期の絵や、片付けようにも手が付けられない数千枚のバラバラの写真、学生期の駄文や労組関係や各種活動資料などに混じってそれは出てきた。1966年、池田氏がご結婚に際して配布された『渚なみ』という名の冊子である。奥様やご友人たちの文章もあって、なかなか読みごたえがある。それが何故、女房の手許にあるのかよくは知らない。奥さんの妹さんから頂いたのだろうか?

池田さんご本人には、無断公開はもちろん非礼なので、表紙をスキャンし、どうやら女房が「お宝」扱いして来た根拠らしいある一文の要旨だけを、紹介することを赦していただきたい。渚なみ 20160802

 

1966年といえば、丁度50年前だ。50年前に若き池田浩士氏が書いた文には、今日なお色褪せない、社会主義に於ける創造性・表現・自立自律を巡る譲れぬ見解が記されている。その後の池田氏の研究・論考へと発展する原点といった趣だ。若き日に立った地平と同じ地平(もちろんその深化発展した地平)に立つことの稀有さと尊さを想う。

その一文は「マニキュア」という題で、文学研究会の機関紙からの転載だ。大学3年時とある。

三人の学生旅行の船上で出会った高校生少女のマニキュアを巡る話だ。少女は「何処とはなしに好きになるような可愛らしさ」を湛えて、甲板の手摺によりかかって海を見始めた。それに見惚れる池田青年。当時(1961年)普段は好きではなかったマニキュアが、池田青年の中で「美しいもの」「好ましいもの」に変貌して行く様が、甲板・海波・船上を渡る風の中でスリリングに瑞々しい文章で描写されてゆく。

 

船上で、学生間の論議がある。

「マニキュアって好きか?」「どうもいただけないな」から始まる論議は、好きな子がある日マニキュアをしていたら、その子が嫌いになるか?「いやならない」と進む。

その後に青年池田はこの寓話からこんな「思想」を披歴している。

『ルカーチがやっきになって否定しようとしている反動的ブルジャア文学が、ルカーチに言われずとも否定されねばならないことはよくわかっている。ナチスに協力し、或いはナチスを黙認したドイツ作家は当然責められなければならないこともよくわかる。それで居て何度読んでみても好きで好きでたまらないという作品がなくはないのだ。それどころか、それらの呪縛から抜け出られずにジタバタしている有り様なのだ。それに対して、社会主義リアリズム文学論の何と貧弱なことよ!』

『文学作品の価値は単に作者自身が典型を捉えたかどうかよって決まるのではなく、如何にしてその典型を形象化しえたかによって決まるのである。ある一定の社会から抽出した典型をどのような虚構を通し、どのような美学的手段によって形象化するか、』

『私はリアリズム文学論を否定するものではない。私はマニキュアにだけ目をつむったり、あるいはこれをこじつけて正当化したりすることなく、マニキュアの「美」をも含めた全体的な美しさを生み出すのに貢献するような理論の確立をリアリズム文学論に要求しているのだ。』

(1966年、池田氏ご成婚時の冊子『渚なみ』所収、1961年慶応大学「外国文学研究会機関紙より転載」

 

池田浩士氏のその後の思想的営為の実際は誰もが知るところだが、その歳月は、池田氏がここで披瀝した「思想」の深化作業にある意味「殉じた」時間でもあった、と嬉しくなる。

ある人の、青年期の思考が、初期に例え稚拙で驕慢で錯誤に満ちていたとしても(池田氏の場合は学生を超えた論考です)、その原初の「精神綱領」を持続し、旗となるまで立ちつくしている姿は美しい。

話は飛ぶが、1991年に「立風書房」から金時鐘さんの集成詩集『原野の詩』が出版された。890頁に及ぶ分厚い書籍だった。¥6500だったが、女房の分と友人の分とで3冊購入した。我が家のバイブルだ。

その巻末の解説 『いま、金時鐘を読むということ』 こそは池田浩士氏の文章であった。

引用したいが、一部を切り取ることなど出来ない持続する「思想」が詰まっている。『渚なみ』「ルカーチ」『ヴァイマル憲法とヒトラー』(岩波現代選書)「金時鐘」・・・それは一つのことの変容態だ。

女房曰く、冊子『渚なみ』のある一文が、地方から大阪の大学へ来て、右往左往していたであろう自分の、社会主義小僧が吐く凡百の各種「決定論」や「ねばならない」症候群への違和感や、どう見ても「ヤクザ」「チンピラ」にしか見えない野郎(ワシだ)への視角を、大いにHELPしてくれたそうだ。

訊いてはいないが、その一文はこの「マニキュア」に違いない。

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