「アジール 空堀」  紙芝居おじさん 鈴木常勝さん実演

 昨夜(6月23日・木)、「アジール空堀」集い『街頭紙芝居の奥は深いぞ』 紙芝居実演と、お話「紙芝居の底力とその哀史」。鈴木常勝さん。参加24名。紙芝居おじさん

子どもたちに夢を与え・想像力を育てもした紙芝居。かの時代に国・軍と一体化して進められた戦争への総動員は、命令・強制・戦闘参加要請でありながら、直接的には家族の絆・郷土への情愛の美談として登場する。敵や悪者の強調も姿を潜め善人ばかりの登場で充たされている。台詞と語りを全て入れ替えれば、一篇の「お涙頂戴」の「家族もの」「郷愁もの」として十分通用する出来栄えだ。 国に・国の意志に取り込むに当たって、紙芝居もまた家族や郷土や友情を拝借する道を歩む。それは明治の唱歌・童謡の道と同じだ。 「戦争はいつも美談仕立て」でやって来る。

童謡「われは海の子」は、一番は「煙たなびく苫屋こそ 我がなつかしき住家なれ」二番は「千里寄せくる海の気を 吸いてわらべとなりにけり」と終るが、四・五・六番では国策芬々と進み、七番では 「いで大船を乗出して 我は拾わん海の富。いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国」となる。苫で葺かれた家に生まれ、海の気を吸い育ったわらべ=「海の子」は、「海の国」の「軍の子」に成長する訳だ。 別れの切情を語り、卒業式などで唄われる日本版「蛍の光」(旧友との変わらぬ友情を謳い上げる内容のスコットランド民謡。スコットランドが独立すれば、これこそが国歌だと言われている)は、「開けてぞ今朝は 別れ行く♪」と神妙に唄われたものだ。が、この曲の三番四番を知れば、1881年(明治14年)日本版作詞者たちの意志がハッキリ見えて苦しい。
『筑紫のきわみ 陸の奥 海山遠く隔つとも   その真心は 隔てなく ひとえに尽くせ 国のため』
『千島の奥も 沖縄も  八洲のうちの まもりなり  いたらん国に いさおしく  つとめよわが兄(せ) つつがなく』
憲法を変えたい人々の集まりで、しばしば「家族」が強調され、家族と郷土への情愛を国家へと収斂したい言説が飛び交っている。身近には、小説『永遠のゼロ』は紛れもない「反戦・反軍の小説だ」と言って下がらない友が居る。「家族という病」とも言いたくはなる。 紙芝居師=鈴木常勝氏が実演してくれた『さるむこ』『チョコレートと兵隊』は、 家・家族・家業・男・娘などのKEYワードから視えて来るぼくらの「生きるかたち」「暮らすかたち」「リスク回避行動と差別意識」の深層を抉って興味深い。鈴木常勝さん 『さるむこ』: 一人で畑仕事で忙しい百姓の父は、ある日親切な「さる」に手伝ってもらった。つい「お前さんのような働き者がうちの3人の娘の誰かの婿で来てくれりゃ有難いがのう」と言ってしまう。「さる」は「ムラ」の者ではなく、「ソト」の者だ。 が、言葉を真に受けた「さる」はそれから足繁く父の一家へ通い手伝い、姉2人の断られたものの、3人の中の一番の器量よしの末娘の婿になると申し出る。末娘は断らず受ける。 経済的安定を望んだのか、父孝行なのか、「ソト」者の報復を過剰に意識したのか・・・。 が、婚姻直後「さる」は過重労働・偽装事故で怪死する。その死をニタリと見送る末娘。何ともシュール(?)でクール(?)な結末で紙芝居は終わる。ああこわぁ~! 『チョコレートと兵隊』 お父さんはよく働き優しくて頼りになるいいいお父さん。兄と妹の模範の父だ。 その父さんが、召集でお国のために中国戦線に行きました。やがて、戦地の父さんから手紙が来る。死と背中合わせの戦地でも、忙しい中「チョコレートの包紙」をせっせと集めて送ってくれるのだ。その包紙の内側に点数が刻印されていて100点でチョコレート一枚と交換してもらえる。父さんは5点・10点・20点と戦友からも貰って千数百点にして送って来た。添書きに「何も送れるものが無いので、これを送ります。製造会社に届けてチョコレートと交換して下さい。」兄妹は大喜び。 直後、役所から通知が来る。父さんは、戦地で果てた。 紙芝居師:鈴木常勝氏は言う。「センチメンタリズム基調のファミリズム漂う、チョコレートの包紙を集めている以外の時間の、中年にはキツイ軍務の・戦闘の・殺し合いの リアリズムは、どこかに隠され、気丈な妻は今後も銃後の母を演じ兄妹は強く生きていく覚悟を語る。菓子メーカーは「お父さんの所属部隊を知りたい」慰問の品を送るから・・・と言う。戦争は善人と美談の総動員に溢れている」と。 お話と街頭紙芝居実演を終えて、二つのことを想っていた。
① 過日(6月5日・日)「アジール空堀」の集いで、金時鐘さんが夫婦別姓への改憲派の言動に触れられ『改憲論者が、夫婦別姓に反対し家族のをことさら強調することの意味を考えたい。』と語らえたこと。
② 本日が、『蛍の光』が「八洲のうちの まもりなり」と言うその沖縄の組織的戦闘が終結したとされる1945年6月23日に因んだ「沖縄慰霊の日」であること。 鈴木さんの、さすがプロの話芸と説得力に脱帽!

Leave a Reply

Search