映画談義: 下重暁子『家族という病』と、是枝裕和にとっての「家族」
熊沢先生が、ベストセラー下重暁子著『家族という病』に噛み付いた文章(http://kumazawa.main.jp/?p=379「家族という病」の耐えられない軽さ)を読んで思った。
戦後「家族」・現在「家族」への異論は、家族を避けるあるいはそれを「他人事」として扱う視座からは、総論としての異論たりえない。国家へと収斂される「お上」(オールド社会主義の党や国家を含む) 発の家族観からでも、個人主義の側からの「個家族」思考からでもない、ある展望を内包した家族に塗れることを通してしか見えて来ない「真正家族異論」=「家族~社会」への総論を築きたい。それは「病」ではなく「宿業」なのだ。
「病」は予防や治療や特効薬もあるかもしれない。晴らすこともできる。けれど「宿業」はそこに拘り溺れそれを背負いそして超えるしかない。朝鮮語がいう「恨(ハン)」のように。
その辺りの「業」に在って、下重とは違うアングルから「家族」を見つめ拘ったのが是枝裕和ですよね。
「幻の光」95 「誰も知らない」04 「歩いても 歩いても」08 「空気人形」09 「そして父になる」13 「海街diary」15
「海よりもまだ深く」(この5月21日公開)… 全部そうですね。
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