つぶやき: 孫一年生 給食参観

ちょいとした巡り合わせでいい体験をした。
近くに住む息子の女房が、うちの主(息子の母親)に電話を寄越し、「明日の次女の給食参観、新一年生の最初の参観日なので行ってやりたのですが、末娘が発熱で行けなくなりました。お義母さん行ってくれませんか?」
うちの主は、己れは一日何たら会議の予定で無理なのに「わかったオッサン行かせるわ」と約束。孫・一年生の給食参観の、ありがた~い「お役」が回って来た。
これが、大収穫! 入学してまだ2週間強のクラス30人が、教師が大声で指示するでないのに見事に準備・運び・配膳などをこなすのだ。もっとも、エプロン先生(ボランティア?)数名さんの力は大きい。
食事を早く終える者・やや時間がかかる者がいても、だれも焦らない。大らかに時間は進む。担任の技量もあるのだろうが、食事が済んだ子どもたちが、それぞれに先生の席へ行き何やら「自慢」や「報告」したり、机でお絵かきや絵本読みを始める。う~ん、いい。
頼むから、ここにある空気を教育の場で続けてくれ~、と思った。孫はワシを見て照れながら手を振っていた。DSC_4466
ふと想い至る。あれぇ~、我が子4人の学校給食の場面なんて知らないぞ。
それぞれの、その時期を思ってみた。なるほど、アレとコレとソレで、身勝手だったり故ある事柄だったり主観的には外せない**だったりはしたが、行けなくはなかったはずだ。
世の爺に「孫いのち」みたいな人を時に見受けるが、それは「手にできなかったものの代替行為」かもしれない。そうはなるまいと思う。等身大のバカ父像を噛み締めていよう、爺は爺ぃだ。

大阪城197

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