つぶやき: 放送法に電波停止条項ありや?
放送法は、権力に電波停止の権能を与えてはいない。
例えば、『復讐するは吾に在り』というのは、「人間には復讐の権能を与えてはいない。それは吾の専権事項だ」とする「神」の言葉だ。
日本国憲法第97条:『この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。』
ここに言う「信託されたものである」の主体たる「信託主」は書かれていない。それは、憲法を含む法を超えて在るはずの、人類の永い歴史と智恵に育まれた、規範や人類倫理など天賦の価値云わば「神」的普遍性から「信託」されているのだ、と言っている。
放送法についていえば、第4条を根拠に、権力が報道機関に介入するなど、放送法の理念と全く反対のことなのだ。放送法における「放送の不偏不党」「政治的公平」とは、「放送による表現の自由を確保する」ためにあるのだ。
放送法における、「政治的公平」とは何か。同法4条には、次のように書かれている。
総務省は12日、衆院予算委員会理事懇談会で、放送法の「政治的公平性」の解釈に関する政府統一見解を示した。
見解は「『番組全体』は、国論を二分する政治課題で一方の見解だけを支持する内容を相当の時間、繰り返し放送する−−を挙げた。
市民団体「放送を語る会」と日本ジャーナリスト会議(JCJ)は12日、高市氏の発言に「憲法が保障する言論・表現の自由に対する許し難い攻撃だ」と抗議し、辞任を求める声明を発表した。【毎日新聞 2月12日20時】
ならば、国論が定着している事柄、(例えば「一内閣が憲法解釈を閣議決定だけで変更することは。立憲主義に反している」など)とは違う見解や行動を政権が強行すれば、それは国論の二分であり両論併記すべきだ、となりいわば政権のやり放題ではないか! 国論の二分を自作自演しているのは誰だ?