アジール 空堀: 趙博「声体文藝館」『飢餓海峡』 熱演
「アジール 空堀」第4回イヴェント
15:30~ 声体文藝館『飢餓海峡』(舞道ダンスシアター)参加者43名
18:00~ 懇話食事会(ビストロ ギャロ)参加者22名
パギの『飢餓海峡』は一段と磨きがかかっていた。
内田吐夢の作品のストーリーとセリフ(主演:三國連太郎・伴淳三郎・左幸子、助演:高倉健・加藤嘉・他)の(モノマネが見事!)をほぼ踏襲しつつ、どの主演者の視線で物語全体を俯瞰するのか?へのこだわりが一層明らかになっている。
杉戸八重(左幸子)が乗り移って演じるパギの語りと動きは、1947年という戦後間もない社会の、総体としての貧困・不安・混乱を超えた、極貧・報われることの無い善意・出口のない境遇を、背負い生きそして果てた一人の娼婦八重の側から描きながら、そこに立場や生業や社会的位置を超えて在る人間の、ある《誠実》を必死に描こうとしていた。
硬直したの女性論・人権論の向こう側に時に透けて見える建前に、理論や新しさで向かうのではなく、世情や処世に動じることの無い《情》や弱者のかたくなな《信》を対したいが、パギの主旋律は、例えばグローバリズム信奉連呼の中の、産業民主主義を唱え実践するオールド古風経営者のように、それは無効かもしれないが、そこに必ず、大げさに言えば人類史のある可能性が在るのだ、という信念の表れかもしれない。
伴淳刑事が語ったように、物語が「層雲丸事件」の裏面史だとしたら、パギ:声体文藝館「飢餓海峡」は、文字通り映画「飢餓海峡」の裏面譚なのだ。
演歌の採用には異論もあろうが、小説も詩もが表せない情感や肉声や想いの核心を、例えば優れた短歌が詠い遂げることがあるように、演歌にはそのような底力があるかもしれない。採用される石川さゆりの演歌「飢餓海峡」がそこに届いているかどうかワシには解らないし、ただちに却下する知恵を持たない。八重の真情・心情・信条を限られた条件の中で表す方法論を持ってはいない。
特筆したいのは、春間げんさんのピアノ、呉光雨さんのライティング!
最高でしたで。
写真上:八重を演ずる趙博
写真下:懇話食事会風景