アジール 空堀 第二回集い:『熊沢誠 映画を語る』

10月15日(木)17:45~「アジール 空堀」第二回イヴェント。
『熊沢誠 映画を語る Vol:1』
「労働コミュニティの動揺と再生…イギリス炭坑労働者の周辺」‐『パレードへようこそ』『ブラス!」』『リトルダンサー』等に触れて…
【於:谷町六丁目空堀通:「ビストロ・ギャロ」】
21名の参加を得て盛会・好評のうちに 21:00に終了。

熊沢先生の「映画というフィクションが、時にドキュメント以上のリアリティをもって迫って来る」という熱い想いに支えられた映画歴披瀝から始まるお話は、労働コミュニティに触れる辺りから、俄然熊沢節となる。心を打つ最近の映画から、近似世界を扱った過去の映画を辿り、課題の全体構造・社会・人物を俯瞰する位置取りに、並々ならぬ映画ファン振りがうかがえる。
労働運動に限らず、そのコミュニティや社会の内部からだけでは、時に事態や問題の核心が見えない・掴めないことがある。むしろ、その周縁や外部、外部との境界にこそ課題の核心が生きていることがある。(あらゆる社会科学の根本はここだ)
『パレードへようこそ』は、大争議中炭坑労組へ多額のカンパを申し出たのが、「ゲイ・レズ」の団体だったという実話を元に描かれるが、家父長意識や伝統的な価値観を疑うことなく営まれてきたコミュニティが、動揺・解体・消滅の危機に在るとき、その再生への足掛りは「周縁や外部、外部との境界」に息づいているという示唆でもあろう。アジール熊沢6

「1945年8月・日本」 「ゾラの視角」 「兵士の帰還」など、その演題を聞いただけで身震いするような予定テーマを披瀝いただいたが、次回の 『・・・・を語る』 が待ち遠しい、とは参加者の弁。
思うに、熊沢誠の、時に「度外れた」と揶揄される「イギリス炭坑労働組合人心の核心への、破格の信頼」や、「あるべき」労働組合への果てることなき希いは、実のところ労働運動や社会運動で出会った人々や身近な人々への情愛に起因しているのだと思えて来る。その「破格の信頼」を、絵空事にしないという意地と覚悟が、彼の学問を形成して来たとワシは思っている。
それは「映画を愛する心」と分かち難く結ばれ、ひとつのものだ。

ハラハラした YouTube からの予告編上映は上手く行き主催者としてはホッ~だった。

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