Archive for 7月, 2015
たそがれ映画談義: 『日本のいちばん長い日』
8月8日、映画『日本のいちばん長い日』が公開される。
原田真人監督、半藤一利原作。
ポツダム宣言受諾を巡る、軍強硬派・政権中枢・宮内庁の闇闘のノンフィクションだ。
かつて(1967年)、岡本喜八監督の手によって映画化された。確か、大宅壮一原作とあった。今回、原田が映画化した。
『さらば映画の友よ』(1979):
全共闘シンパの青二才(副主人公浪人生)のふと言ってしまった気分・グチ「(俺が恋する彼女=<若き日の浅野温子>をイロにしている)(あのヤクザを)殺してやりたい」を実践してしまう、元映画大部屋俳優・うなぎ屋職人(主人公:川谷拓三)の、ヤクザ親分刺殺。青二才との約束(?)に賭けた「思い込みの美学」「一匹狼の言行一致」。ヤクザ刺殺の現場には、何と「東大安田講堂攻防戦」の実況中継がTVかラジオから流れているのだ。青臭いボクへの痛烈な皮肉だと想えた。
『バウンズ ko GALS』(1997):
渋谷の街で「援交」を巡って、銭は奪うが体は許さないという荒稼ぎ。ヤクザを敵に回し動く、3人娘の痛快活劇。インテリヤクザが元全共闘(役所広司)で、その知的仲間らしい桃井かおり。自嘲気味にインターナショナルを唄ったりするのだが、桃井が出て来ると(『われに撃つ用意あり』もそうだった)、ホンマぽくってだから嘘くさいのだが、主人公の3人娘は、役所・桃井を超えて鮮やかだった。まぁ、寓話だが、ここでも全共闘の無惨を言っていた。
『クラーマーズ・ハイ』(2008):
地方紙記者の矜持と、読者獲得・全国紙への対抗心・言論内の政治的忖度との葛藤、などが重厚に描かれていて、好きな作品だ。これは原作の力か?
今回の映画化、役所広司のインタヴュー「一人責任負った阿南に共鳴」などから、阿南陸相を称え、アジアへの視線の欠落・対米戦争だけを特筆、また天皇の「積極関与言動」を免罪する映画なのかもと不安もあるが、「軍をなくして国を残す」と言ったとされる阿南陸相の言葉を引用した原田のコメント記事を読んで、観ようと思っている。
前天皇の、対中戦争~日米開戦前夜~真珠湾奇襲~ミッドウェイ海戦~サイパン陥落~沖縄戦~ポツダム宣言受諾、都度の言動は戦後いくつか明らかになっている。「ご聖断」の時期によっては、大空襲・沖縄・広島・長崎は避けられたのだという指摘や、戦後アメリカに沖縄を進んで差し出したという言動証言が、本木雅弘という端正なマスクの誠実青年の起用をもって歪められるのか? 気がかりだ。ポスターの各コピーにその傾向を観てしまふ。
ほろ酔い通信: 「百万本のバラ」と居酒屋に貼られていた新聞
本日夜、某行動の帰路、カラオケへ。 同行者がペレストロイカのテーマソングと称される『百万本のバラ』を唄った。いい歌だ。
ぼくの記憶では、この歌の原曲は、ラトビアの放送局が主催する歌謡コンテストに初出して高評価を得たラトビア語の歌謡曲だ。 歌詞の内容は、ヒットしたロシア語版やその内容を踏襲した日本語版とは全く異なり、大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの人々・民族・社会の苦難の歴史を暗示するものだったという。いい曲だったし当地でのヒットもあって、目を付けた詩人や製作組織が、ロシア語版の絵描きの物語を付けて世に出した。ラトビアの作曲家が書いた曲に、ロシアの詩人がグルジアの画家のロマンスを元に詞をつけたという歌詞の内容は、グルジアの画家ニコ・ピロスマニがマルガリータという名の女優に恋したという逸話に基づいているらしい。 果たせるかな、大ヒット。
旅役者(女優)に恋する絵描きの歌詞も悪くはない、けれど本来、少数民族の永年の受難・悲哀・抵抗・希望を歌い上げた「願い」と、大国の横暴を糾す抗議の「意志」の歌であった。 ペレストロイカのテーマソングだと言われ、広く唄われた背景には、少数者の抗いへの共感という心情が脈打っていたのだ。と、ぼくはそう思う。 深夜ハシゴした居酒屋のトイレのタイル壁に、沖縄独立を願う「(仮想)新聞」が貼られていた。
ぼくは、『百万本のバラ』を想いながらその紙面に見入った。 その紙面の隣の鏡には、沖縄の歌をすぐには歌えはしないぼくが映って居る。