駄エッセイ: 勝海舟と安重根 もうひとつの東アジア
6月13日「関大校友連絡会」 第11回反戦・反格差市民セミナー
「日韓条約締結から50年を振り返る」
(講演:元韓青同委員長:金光男<キム・クァンナム>氏、平野区民センター、13:50~)
1951年から1965年まで、実に14年に及ぶ長期交渉の果てに締結に至った日韓条約。
植民地と宗主国の関係を色濃く投影したその内容・問題点、国連決議「朝鮮にある唯一の合法的な政府である」との前提と米・韓・日軍事協力と北朝鮮排除の基本姿勢、韓国側の経済発展を急ぐ事情、条約締結後の日本の経済進出一貫した日本の貿易黒字、未解決事項、等々・・・・・・・を戦前の植民地支配と戦後東アジア史総体の中で解り易く語られた。
話は飛ぶが、校友連絡会のS氏とこの40数年の間に何度も次のような話をしたことがある。
『現代日本社会の根っ子の矛盾・難題を考えると、どうしても敗戦時の連合国の戦後構想・日本支配層の思惑・米ソを中心とした戦後世界秩序の出発地点に行き当たり、そのことは当然第二次世界大戦~大戦以前の世界構造に突き当たる。そして、それは明治維新、天皇制明治国家=擬制近代国民国家黎明期まで遡らざるを得ない。想うのだが、アジアが次々欧米の植民地になっている中、そのことを避けつつ、遅れて来た国民国家としての明治が発展を遂げ、先行する欧米に追い着くに、変形開発独裁(日本の場合、天皇を活用した軍事独裁)や、周辺国侵略・植民地化という方法以外の方法が、果たしてあり得ただろうか。明治日本が採用したカタチを肯定する文脈でも、昭和の本格侵略を免罪する文脈でもなく、いわば「もうひとつ」の明治、「アナザ・ウェイ」、オルタナティヴな在り方があり得ただろうか? そこのところを解き明かさないと、大東亜戦争肯定論や昨今の「昭和の戦争」賛美小説や映画はともかく、明治が国を成しよく生き延びるには、他の選択肢は無かったのではないか? という司馬遼太郎的「明治国家観」に対抗できない。あるいは、漱石や啄木の憂鬱・悲哀から、よく脱け出せはしないなぁ』 と。
本日、講演の金光男氏から素晴らしいヒントをもらった。
勝海舟は、日清戦争開戦に当たり猛烈に反対し「それでは欧米と同じことをすることになる」と看破したという。
また「朝鮮併合」にも反対した。
1909年10月26日、初代韓国統監:伊藤博文をハルピン駅頭で暗殺した安重根は、その未完の著書『東洋平和論』において、
①「日本と朝鮮と清」による経済共同体。
②共通通貨(円を想定していた)
③三国による共同軍の創設
を説いていたという。『大東亜共栄圏』が、日本の利害に基づくアジア強奪を柱にした対欧米構想だとしたら、安重根の『東洋平和論』は対等共同の対欧米を内在する東アジア版EU構想だった、のか。
目からウロコだ。欧米に遅れること150年(以上)の明治日本が、その後昭和の戦争・沖縄地上戦・二発の原爆から敗戦にいたる道程の、そのスタート地点で構想し得たはずの、有り得たはずの「もうひとつの明治」を、日本国初代総理大臣伊藤博文を暗殺した安重根が提示していた。
なんという歴史の皮肉。何という高説。
安倍が繰り出す「積極的平和主義」「集団的自衛権行使」という名の、戦争する国・海外派兵への道という総論に対抗する
東アジアの「民」の側の「総論」を、ぼくらは持たねばならない。