交遊録: ヴェトナム戦争時 反戦米兵をかくまう
5月9日。
ヴェトナム戦争時、反戦脱走兵を匿った、
ベ平連(ヴェトナムに平和を!市民連合)の取組みを支えた市民の一人、米兵を自宅に匿った小山氏(元日放労)の秘蔵フィルム公開と講演(クレオ大阪西:西九条)に参加した。
48年前、1967年、空母インピレピッド四水兵脱走。
鶴見俊輔氏は、「(匿うことは)平和憲法を持つ国民の権利であり、義務だ」と語り、のべ1000人が自宅提供・転々と場所を変えた移動などに協力したが、密告・口外、ゼロ。
ヴェトナム戦争には、日本は沖縄米軍基地からの出撃など「関与」があり、全国民的反戦運動が展開されてもいた。
会場で不勉強な若者が言った「冷戦構造下の米ソ代理戦争だ」と。そうではなく、仏領インドシナ~日本の短期占領~戦後仏の再介入~ディエンビエンフーでの仏軍敗北撤退~米介入という、アジアへの欧米(+日本)の侵略に対する「民族解放闘争」であり、それへの共感と支援だった。
今日、秘密保護法・集団的自衛権行使・壊憲の世、この反戦米兵を匿って第三国に脱出させた事件は大きい。その深い意味を噛み締めたい。
小山氏は、後年だが、ワシらの争議(1977~)組合と日放労が同じ旧東区ということもあり旧知の仲。数々のご助言をいただいた6歳年長の先輩です。