たそがれTVドラマ談義: 愛しのエリー

憎しみの相対化、哀しみの普遍化、怒りの浄化、[境界]を超える[民]の自立

【ヘイトスピーチに与する若者よ、2チャンネルで絶叫する君よ】

事情で大阪滞留が続いて、お蔭で年末からNHK朝ドラ『マッサン』を観ている。
物語は、第3コーナーを曲ったのか佳境に入っているのか、売れないウィスキー作りは戦時下を迷走している。やがて皮肉にも海軍指定工場となることで、経済的な難を脱しつつある。
世(第二次世界大戦下)は、鬼畜米英・一億火の玉一色、主人公エリーが街でガキに石をぶつけられたり、養娘が学校でノートに「鬼畜の娘」と落書きされたり、特高がスパイ容疑で家宅捜査に来たり・・・エリーの出身地スコットランド(イギリス)は日本の[敵]なのだ。

ヘイトスピーチに同意したり、その行動に参加している若者よ。『マッサン』を観て、もし、少しでも心を動かすなら、国・民族・戦争と「民」とは「違う」ということの欠片を理解するなら、どうかその気持ちを、アジアにも、隣国にも、戦火に散った自国の人々にも向けてくれ。日本だけが「美しい国」だなどということの「幼児性」「恣意性」「排外性」、、、「南京大虐殺」はなかった・沖縄の「集団強制死」はなかった・あの戦争は「侵略戦争」でなない、などの歴史修正主義が受け入れられる世の、人々に棲む心性の根っこを凝視してくれ。
エリーには心を寄せる、だが[中・韓は憎い]と言う君、どうか自立してくれ。マッサン

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