たそがれ映画談義: (浦山桐郎の甥)長谷川集平 講演会

長谷川集平 講演会  11月3日 14:00~:上六「たかつガーデン」長谷川集平さんと

1969年初秋、ぼくは、ある事情で関西の某地方都市に居た。次の「予定行動」までの空いた数時間を、映画を観て過ごそうと映画館に向かった。まるで運命に導かれたように、開始と終了がドンピシャでその空いた時間にピタリ納まる。迷わず、入場券を買った。

そこで観たのは、『キューポラのある街』『非行少女』の浦山桐郎監督の第三作目だった。観終わって、逡巡の挙句「予定行動」の集合場所に戻った。まぁ、人生の岐路と言えなくはない。ぼくにとっての「多恥迷春」の一部だ。

(ぼくが、『キューポラ』『非行少女』『棄てた女』が三部作だというのは、60年代の「おんな」の悪戦を、主人公に寄り添って描き、同時に自らの「戦後第一期青年性」とその限界を等身大に描いた誠実がそこにあり、間違いなく「時代」を切り取ってみせたと思えたからだ。浦山は、主人公ジュン(キューポラ)、若枝(非行少女)、ミツ(棄てた女)を、60年代を生きる少女~おんなとして、時と境遇の違いを越え、同じものの変容態として提示し、もって「時代」の正体を逆照射して見せたのだ。それは、そのまま自身=男の正体を晒すことでもあった。)

稚拙で傲慢なその「予定行動」についてはどうでもいいのだが、観た映画はいつまでもぼくにへばりついている。『私が棄てた女』だ。

1971年、東京に居たぼくは、浦山初期三部作が掛かれば遠くても観に出かけ、シナリオ研究所の講座に参加したり、浦山講義を受講したりしていた。北千住に在った「東京スタジアム」で、阪急ブレーブスの何度目かの優勝決定の試合を観に行って、後ろの席の浦山さんに遇って驚いたことがある。女性とご一緒だったが、『私が棄てた女』で遠藤周作自身が演じる産婦人科の看護婦役をなさった、奥様だったかどうかは思い出せない。寒い日で、お二人で毛布を膝当てにされていたように思う。会釈をすると、返して下さった。浦山初期三部作

長谷川集平氏が、その浦山桐郎監督と伯父・甥の関係だとは存じ上げず、「はせがわくんきらいや」「およぐひと」などのチョイ読者であったぼくは、今年春ごろ長谷川氏とのFBでのやり取りでそれを知った。ゴチャゴチャ書いた浦山談義に丁寧な返信を頂いたと思う。

当夜、長谷川集平氏にお会い出来(しかも、打上では金洪仙さんのご配慮で氏の隣の席に座らせてもらった)て感激。浦山さんに似たたところがあるように思う。(言われるのはお嫌いかも)

映画『黒い雨』(1989年、今村昌平監督)は、浦山の手になる予定だったが・・・。早逝(1985年)した浦山の企画は「葬儀委員長」だった今村が後を継いだ。「長谷川君やってみないか?」との声もあったという。30歳だった長谷川は映画に不案内だと辞退されたそうです。今なら、やっても面白いのではないか?とワシは想った。浦山が、作った映画(9本と寡作)と、長谷川の「絵本」には同じ世界観・人間観が溢れている。そう感じるのはワシだけではあるまい。昔、幼少期の長谷川に「映画論」をぶつけたという浦山、あゝ、まことに稀有な「ぼくの伯父さん」だったのだ。

浦山が遺した9本の作品、機会があれば是非ご覧あれ!

『キューポラのある街』(1962年、吉永小百合・浜田光男)seisyun[1]

『非行少女』(63年、和泉雅子・浜田光男)

『私が棄てた女』69年、小林トシエ・河原崎長一郎・浅丘ルリ子)

『青春の門』(75年、大竹しのぶ・田中健・仲代達矢・小林旭・吉永小百合)

『青春の門・自立篇』(76年、同上)

『龍の子太郎』(79年、アニメ)

『太陽の子(てだのふぁ)』(79年、原田晴美・大空真弓・河原崎長一郎)

『暗室』(83年、清水紘治・三浦真弓・木村理恵・寺田農)

『夢千代日記』(85年、吉永小百合・樹木希林・大信田礼子・夏川静枝

*TV作品

『飢餓海峡』(全8話中 5篇。78年、山崎努・若山富三郎・藤真利子)

画像は『青春の門』(1975)。在日朝鮮人児童への集団での虐めに加わっていた信介を、頬を打ち叱るタエ(吉永小百合)。

(下は、長谷川絵本代表作と浦山初期三部作)

今日の自作のスライド映写と読み聞かせ+控え目で時に驚きの解説、というスタイル、結構でした。

「アイタイ」再発見しました。 作:長谷川集平

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