たそがれ映画談義: 吉永小百合さんと 映画『飢餓海峡』

小百合さんが選ぶ日本映画小百合さんが選んだ七本は、CS放送の日本映画専門チャンネルで10/11(土)に「吉永小百合、思い出の日本映画」と銘打っての七本一挙上映という特集があったが、東京事務所ではCS放送を引いていない。その七本を順次、10月いっぱい、日にほぼ一本ずつ何度も放映していると帰阪して知った。「小百合さんが選んだ珠玉の日本映画」という位置づけだ。小百合さんのプロデュースになる新作『ふしぎな岬の物語』公開記念とのことだ。

昨日、その一本を観た。ぼくの大好きな映画、何度も観た内田吐夢監督『飢餓海峡』だ。放映の後に小百合さんへのインタヴューがあって、彼女のこの映画への想いが語られる。映画の公開は1965年でそれを同時代に観たという彼女は、当時19か20歳。左幸子演ずる杉戸八重への並々ならぬ想いが伝わって来た。

八重(左)が、樽見京一郎(三国連太郎)に逢いに行って、はずみで鮮明な記憶に繋がるモノを目にして「犬飼さん…。やっぱり犬飼さんだわ」と震えが込み上げ口にする。犬飼が「樽見でんねん。樽見京一郎でんねん」と言いながら抱擁するように絞殺するシーン。日本映画史に残る美しくも哀しい殺害シーンへの、当時「日活青春路線の」看板スターだった小百合さんの秘めた想いが語られる。貧困の底に蠢く人々の境遇や心情への共感の弁や「八重さんがたまらなく愛おしいのね」には、言外に「杉戸八重を演じたかった」と聞こえた。小百合さんの八重は「ん?」かもしれないが、彼女のハートは痛いほど解るのだ。

因みに、TVや舞台では映画の後、杉戸八重役を、中村玉緒・大地喜和子・藤真利子・石田えり など錚々たる女優が演じている。おんな役者ならやりたい役どころだというのは解る気がする。

 

小百合さんが選んだ七本は、小百合さんが選ぶ

『浮雲』(1955年、成瀬巳喜男監督、東宝、高峰秀子・森雅之・岡田茉莉子)小百合さん記事

『おとうと』(1960年、市川崑監督、大映、岸恵子・川口浩)

『キューポラのある街』(1962年、浦山桐郎監督、日活、吉永小百合・浜田光夫)

『天国と地獄』(1963年、黒澤明監督、東宝、三船敏郎・山崎努・仲代達矢)

『飢餓海峡』(1965年、内田吐夢監督、東映、三國連太郎・左幸子・伴淳三郎)

『少年』(1969年、大島渚監督、創造社ATG、渡辺文雄・小山明子)

『学校Ⅱ』(1996年、山田洋次監督、西田敏行・吉岡秀隆・いしだあゆみ)

 

小百合さんの、幼い頃から一貫した憧れであり目標であった女優は、高峰秀子さんだという。

日活を辞めた後、『二十四の瞳』(1952年、木下恵介監督、松竹)のリメイクの話があったが「畏れ多くて」辞退し、さらに大石先生(『二十四の瞳』)とは全く違う役どころの『浮雲』(今回の七本にも入れた映画)のリメイク(森雅之の役は、何と松田優作の予定だった)の話もあったがこれまた自分には出来ないと辞退したという。解るなぁ~。

1969年、宇野重吉プロデュースで進行していた映画『あゝ野麦峠』は、内田吐夢監督の予定だった。諸般の事情で頓挫し実現しなかった。

『二十四の瞳』『浮雲』の高峰秀子さんへのあこがれ、娼妓:杉戸八重への濃い想い、内田吐夢監督による『あゝ野麦峠』頓挫への心残り・無念・・・、女優吉永小百合の心根を聞くことが出来たインタヴューだった。ヒロシマ栗原貞子さんの詩「生ましめんかな」の朗読活動、秘密保護法・集団的自衛権行使・9条改憲への彼女の立位置は揺らぐことなく持続されている。それが『飢餓海峡』ファンの第一の条件だ、と小百合さんは言いたいだろう。

映画『飢餓海峡』と、女優吉永小百合が一つになって迫って来るのだった。

 

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