たそがれ映画談義 『飢餓海峡』 吐夢版、浦山版、そして趙博ひとり映画
12月22日の趙博:声体文藝館『飢餓海峡』公演に是非とも行きたくて、前夜21日皆さんの協力で夜業をしてもらい翌22日午後終了予定だったところを、午前中には終えた。
14時半開演30分前に、両国門天ホール辿り着いた。 水上勉原作(未読)は知らないが、内田吐夢の映画は何度も観ている。趙博がどう料理するか楽しみだ。 公開当時(65年)には、敗戦直後の貧困と混乱を「語らずして通ずる」土俵が合ったと思う。当時の大人は、1945年以前の生まれなのだ。敗戦も、復員も、焼跡も闇市も、復興も、売防法施行も知っていたのだ。 今日、その肌触りを、映像や文章による描写なく伝えるのは至難の技だが、パギのひとり映画は、 犬飼太吉(三國連太郎)、弓坂刑事(伴淳三郎)以下の、語り出せば膨大になるだろう人物たち(海峡で命を落とす二人の男を含む)の戦中・戦後史と敗戦直後の社会の実相を、代表して一人の娼妓杉戸八重(左幸子)に語らせることにしたようだ。 だからなのか、パギ版八重はなかなかの出来だった。感心した。杉戸八重が生きていた。最後に、映画には無いあっちから杉戸八重の独白がある。違和感は無かった。 春間げんさんのピアノが「星の流れに」を奏でるのだが、敗戦後ニッポンの貧困と混乱と、そこで生きた東北出の極貧女性の「おんな」の「生」を浮かび上がらせ秀逸だった。
個人的には、吐夢版『飢餓海峡』の八重=左幸子の、生活力というか圧倒的な存在感よりも、1978年に観たフジテレビ版の藤真利子の方が、10年間も「爪」を抱き続けた八重という人物を、「男が描くおんな」という点では想い描き易かった。だが、左幸子の力感ある「八重」にして保持していた、ある「無垢」こそが作者の意図だ。 【公演後の打上げで語り合う、趙博とコアなファン】
ちなみに、このTV作品は、監督:浦山桐郎、犬飼役:山崎勉、弓坂役:若山富三郎だった。どこかにビデオがあるだろうか? 藤真利子の八重、山崎努の犬飼、若山富三郎の弓坂。 知ってます?藤真利子。父は作家の藤原審爾。なかなか味わいある女優さんだ。もう60歳前後のはずだ。 テレビ火曜サスペンス劇場の「最多犯人役出演俳優」だそうです。「陰ある・短調の・屈折した」などの形容が似合う女優さんだ。素顔は陽性の人柄だとどこかで読んだ。 このフジテレビ版とは別に宇野重吉が弓坂刑事を演じた放送をチラリと観た記憶があって気になり調べてみた。 68年NHKだ。**で忙しく(?)していて(笑)、文字通りチラリと観たのだろう。 Wikipediaを引くと『飢餓海峡』はいろんな役者で何度かTVや舞台になっている。 太地喜和子の八重、知性と度胸を併せ持つ八重。石田えりの八重ねぇ~、強烈。戦後の混乱を生き抜いた強い八重だろうか。 ショーケンの犬飼太吉。宇の重の弓坂、仲代の弓坂。想像するだけでゾクゾクする。
年度と犬飼・八重・弓坂の順に役者名を記してみる。お好きな方はニタリとするに違いない。 1965、三國連太郎、左幸子、伴淳三郎。(東映映画、監督:内田吐夢) 1968、高橋幸治、中村玉緒、宇野重吉。(NHKTV) 1972、高橋悦史、太地喜和子、金内喜久夫(舞台、文学座) 1978、山崎努、藤真利子、若山富三郎。(フジTV、監督:浦山桐郎) 1988、萩原健一、若村麻由美、仲代達矢。(フジTV) 1990、永島敏行、石田えり、金内喜久夫。(舞台、他人会) 2006、永島敏行、島田歌穂、金内喜久夫。(舞台、他人会)
ともあれ、杉戸八重の人生、その愛と哀しみと壮絶と現実観としたたかと無垢に、共感できない、共有するものの無い女性とは、お話する気はない。その極点が曽野綾子だ。櫻井よしこ、上坂冬子だ。
小説や映画で記憶を揺さぶる女性像は、ことごとく、いわば「マリア+マグダラのマリア」で、なるほど・・・・と想う。
【追悼:三國連太郎さん】拙ブログ 2013年4月: http://www.yasumaroh.com/?p=16739